2016/07/18 のログ
ご案内:「落第街の奥」にヨキさんが現れました。
ヨキ > 夜の住人らが眠りに就いて静まり返った、日中の落第街。
日陰に辛うじて涼気を保つ寂れた住宅街の中を、人知れず歩き回るヨキの姿がある。

卒業しても落第街を離れることが出来ない、あるいは住み着いてしまった元教え子らの様子を見に、
こうして定期的に見回っているのだ。

入り組み、曲がりくねった細い道を、地図もなしに迷わず歩いてゆく。
土地勘は確かなもので、さながら庭を歩いているかのようだった。

飢えを凌ぐために口に含んでいるのは、コンビニエンスストアに売っている一箱百円のキャラメルだ。
酒も煙草も、女の気配も伴わず、とても腹の足しになりそうにはない甘味だけを舌の上に転がして、
獣の研ぎ澄まされた警戒心をしるべに進んでゆく。

蒸すような湿度の中を、まるで掻き分けて泳ぎ回るような気分だった。

ヨキ > 「あとは……彼奴の家にも寄ってゆくか」

何人かの家を回ったのち、とある男子学生の住まいへと足を向ける。

その青年は、異能芸術の分野においてはヨキを遥かに超えるセンスを秘めていた。
卒業して以降、会うごとに元気を失くしてゆく姿は、どうしたって放っておけるものではない。

幾度となく通った路地を辿り、自分の家へ帰るかのように淀みない足取り。
少しして、到着した古いバラックは――

空き家だった。
施錠され、割れた窓ガラスの隙間からがらんとした部屋と、薄汚れた畳だけが見える。

「……………………、」

落第街においては、何の珍しいこともない。
ただ何も悪事を仕出かすことのなかった者は、今でもヨキが変わらず愛する学生だ。
一抹のさみしさが過って、小さく息を吐いた。

人気のない、生き物の気配すらない狭い路地に、立ち尽くすヨキの姿。

ヨキ > 溶けたキャラメルが、喉の奥へ転げて消える。
次の一粒を取り出そうとして腰の鞄を探り、箱が空っぽなことに気がついた。

尋ねようとした者の姿は既になく、縋ろうとした甘味は今が最後の一個だった。
急に拠りどころを失くしたような心持ちになって、徐に踵を返す。

広い道へ戻ろうと、再び緩やかな歩調で足を踏み出した。
何を考えているともつかない横顔が、晴れた空を見上げる。

ご案内:「落第街の奥」に奥野晴明 銀貨さんが現れました。
奥野晴明 銀貨 > 歩みだしたヨキの横、狭い路地からにゅっと細い手が伸びる。
その手がちょいちょいとヨキの低い位置、脇腹のあたりをつつこうとした。
警戒に満ちた態度とヨキの鼻があればそれが誰であるか、触れさせる前にわかるかもしれない。

「せーんせ」

触れたか否かには関わらず、この荒れた場所に相応しくない細い少年の声。
見下ろせば目深に被った野球帽からちらりと紫色の目が見つめ返すだろう。
いつもの制服姿と異なり、TPOに合わせた少しよれた服装だった。

「こんなところで何なさっているんですか?」

今日はいい天気ですね、と同じような気軽さでそう声をかける。

ヨキ > 嗅ぎ慣れた匂い。
ヨキの脇腹に、細い指が触れる。

「おっと。奥野君、君か」

笑って振り返り、小柄な顔を覗き込む。
落第街の静寂を破らずには済むほどの、控えめながら気さくな声。

「体調は大丈夫かね。あれから何事もなかったか」

あれ、とは、先日ヨキと蓋盛とが遭遇した銀貨の誘拐未遂の一件だ。
銀貨は犯人らに手を下すことを望んでいなかったが――

愛する教え子に手を出されたヨキのこと、事の顛末は推して知れよう。

それを気にした風もなしに、微笑んで銀貨を見下ろす。

「何、ヨキは少しばかり、散歩のようなものだ。
 この辺りに暮らしている教え子が多いから、様子を見に回っていたのさ。
 この頃は、急に夏が来たからな」

奥野晴明 銀貨 > 同じように彼なりの笑みでにっこりと応じる。

「お陰さまで、何事も無く。その節はお世話になりました、ありがとうございます」

会釈した後戻した顔と視線は、前まで覆い隠されていたはずのヨキの首元に注目していた。
妙にすっきりしている印象を受けてか、表情は薄く笑ったまま小首を傾げた。
すすっとヨキの横に移動して歩調を合わせる。

「お散歩、ですか。散歩するには少し物騒な場所ですけれど」

非難めいた意味合いではなく、客観的事実でここが恐ろしい場所だと言いたげな様子。

「歩き慣れていらっしゃるんですね、その教え子たちを気にかけて見て回るぐらい。
 さっき見ていた空き家にも、どなたか住んでいらっしゃったんですか?」

一体いつからヨキを見ていたのかはわからないが、先ほどヨキが訪ねて行ったバラック小屋のあたりのことは知っているらしい。

ヨキ > 最後に銀貨と会った夜にも着けていた首輪が、今日はない。
外されていくらか日が経っているのか、風通しにも慣れた様子だ。
人前で肌身離さず着けていた重々しい首輪の代わり、細い革紐のチョーカーが一本きり。

銀貨と連れ立って、ひっそりとした小路をゆく。

「そうか、何事もなければ安心したよ。君のことばかりが気がかりでな。
 ……父君は、何か言っていたかい?」

ヨキと奥野晴明氏との面識は皆無だ。
ただその縁が希薄ながら途切れずに居ると、話に聞くばかりではあった。

「まあ……ヨキにとっては、通い慣れた街だからな。
 実際、何度か危ない目には遭い掛けたがね」

“うっかり道で躓いた”くらいの軽さで笑う。
だがその言葉のとおり、ヨキの視線は慣れた様子で銀貨と周囲とをくまなく見ている。

「さっきの家もね……住んでたはずだったんだよ、ヨキが教えた卒業生が。
 三ヶ月ほど前に会ったばかりだったが、今日はもぬけの殻だった。

 卒業しても、落第街しか暮らすところがなくても、
 ヨキの教え子はみんな変わらず可愛いものだから」

そうして不意に、晒した首筋を示してみせる。

「……やっぱり、気になった?」

人並みに筋があり、喉仏の突き出た首は、銀貨も初めて目の当たりにするものだ。

奥野晴明 銀貨 > 重い首輪の下、ヨキの素肌には
もしかしたら断頭台で頭を切り落とした後のようにぐるっと傷跡でもあるのかと思っていた。
だが実際目にする限りそんなことはなかった。
土気色の肌に成人男性の喉元、普段会っていなければ特に気にすることもない部分。

「あの後、一度島に来てくれて顔合わせは済ませました。
 大変だったねとの労いの言葉だけありがたく頂戴しましたよ」

”親としての”『心配』とは遥かに違うものだが
それでも多忙の身を押してわざわざこの辺鄙な島へと足を運び
数時間程度とはいえ銀貨に時間を割いてくれたのは事実だ。
義理とはいえ父親がするまっとうな行為とは言えないものを
特に顔色も変えずヨキに告げる。

ヨキが隙なく周囲を警戒しているのに対して、銀貨はじっとヨキの声と様子だけに集中している。
ヨキへの全幅の信頼、ともいえる態度。

「いなくなっちゃったんですね、その人。
 ここでも暮らせなくなってしまったのなら、本当にどうしようもなくなってしまったのでしょうか」

呟くような言葉に少しだけ寂しさをにじませる。
詳しい行く末や経緯は知らないまでも、自分ももし運がなければ
少しでも努力を怠っていたのならば、行末はここかさらにひどい場所にたどり着いていたかもしれないことを思うと
他人事でもないような気がしたからだ。

再び、ヨキのさらけ出された首筋に目を向けて、はいと頷く。

「大胆なイメチェンだなぁって思っていましたけれど」

そう言ってするするとヨキの首元に手を伸ばし、革紐のチョーカーへ触れようとする。
ついで、その手が上に滑ってヨキの頬を指の背でなぜようとした。

「なんだか、お痩せになった気もします。不思議」

やつれているように思えた相手を慈しむような態度。体格差の関係でギリギリつま先立ちである。

ヨキ > 「……そうか。氏が島を訪れたのか」

それだけでも、ヨキにとっては随分な驚きだった。
奥野晴明氏は、例え銀貨誘拐の報を聞いても島へまでは来ないだろうと踏んでいたのだ。

「多忙の身だろう?よほど時間を捻出したのだな」

良かったな、と笑って見下ろし、一度銀貨の肩をぐっと撫でる。
避けなければ、父親が息子にするような、力強さのある感触が銀貨の肩をひととき包み込むだろう。

「自分から家を出たか、それとも何か面倒ごとに巻き込まれたか。
 あまり考えたくはないがな。

 ……考えたくはないが、この島に暮らす以上、誰にでも……
 そう、誰にでも可能性のあることだからな」

ヨキにも、蓋盛にも、他ならぬ銀貨自身にも。
ヨキは嘘を吐かない。言わずにおくことも出来る。それでいて尚、そうと口にした。

銀貨の指が、首のチョーカーに、それから頬に触れる。
死人のような、ひやりとした肌。どこか心地よさそうに、くすくすと目を細める。

「そんなに痩せたように見える?
 ふふ、ここのところ忙しく駆けずり回っているから」

背伸びをする銀貨に向けて、小首を傾いでみせる。

「――少しね。気持ちの上で、自由になってみようと思ったのさ。
 ヨキにしてみれば、まこと『大胆』だろう?」

痩せたような、どこか遠くを見ているような――それでいて、色濃い靄が晴れたような面差し。

奥野晴明 銀貨 > 「僕もあの人はわざわざ来ないかなと思っていたのですけれど。
 何か他に急用とかあったのかと思えばそうでもなくて、ちょっと驚きました。
 でも少し、時間を取らせちゃったみたいで悪い気はしました」

義父関係である奥野晴明氏よりもよほど父親らしいヨキの手と仕草に
くすぐったそうにはにかんで受け入れる。
本当の意味での父親が銀貨にいたことはなかったが、この常世島での、精神的な意味合いでなら
間違いなくこのヨキという教師が父性の象徴だろう。

「……」

ヨキの嘘をつかない誠実な態度は好ましくあるが、時々無情な現実を突きつけてくる。
それが誠実さ故なのは理解できるし、事実のいち側面を言い当てているのもわかっていた。
反論も反発もなく、ただ視線を少し伏せて沈黙で返答した。

冷えた肌を労るようになでた後そっと手をおろして再び横の位置に戻る。

「聞きましたよ。個展を開催されるって。
 おめでとうございます、僕もそのうち拝見させていただこうと思います」

美術室近くの掲示板などに貼られた個展の知らせはもちろん銀貨も目にしている。
昨年文化祭で見せてもらった展示も優れたものであっただけ、個展の作品にも興味が湧いた。
そしてそれがヨキにとってどれだけ念願であったかも、知らないわけではなかった。

「『大胆』に?ふぅん、いよいよ本当にヨキ先生は何かに恋をなさったんですか」

以前話したことを思い出しながら、笑みを深くする。
だが同時に吹っ切れたような眼差しに、しばしまばたきをして

「でも、恋煩いにしては病状が重いなぁって。
 お体を壊しては元も子もないですし、それに大事な時期でしょう。
 
 そんなに、ヨキ先生を変えるほどの大胆な恋、なんですか?」

相手に一層悟りづらい張り付いた笑みを向ける。

ヨキ > 「君が気に病むことはないさ。
 氏だってよい大人なのだから、自分で選んだ上で君に会いに来たんだからな。
 子どものために行動することは、親にとって最低限の務めだよ」

年齢よりもいくらか幼く、それでいて大人びた銀貨の緩んだ笑みに、ヨキもまた幸せそうに笑う。
親を知らず、子を持つこともないヨキにとって、教え子は実の子も同然だった。

しばしの沈黙のあと、するりと銀貨の手を落ちる。
個展についての話に、嬉しげに歯を垣間見せて笑う。
夢がひとつ叶った人間の晴れやかさだ。

「ありがとう。学生にとって、夏休みほど自由な時間はないからな。
 時間が空いたら、足を運んでやってくれ。あまり交通の便がよい場所でもないから」

言いつつも、顔はにこにことした喜色でいっぱいだ。
それでいて『恋』と言われると、いやあ、と眉を下げる。

恋をせよ、と銀貨に言われたことを、まさか忘れはしない。

「残念ながら、色恋の話ではないよ。
 でも、深刻さでは似ているかもしれないな」

黒く艶のあるマニキュアで彩った形のよい爪で、額を小さく掻く。

「何と言ったら良いのだろうな。
 例えば……ヨキが、はじめて芸術に触れたときのような……。
 こう、とてつもなく……大きくて、……強烈で、抵抗しがたいというか……」

先ほどの残酷なほど無情な言葉とは裏腹に、語調がめっぽう曖昧だ。

「……………………、」

押し黙る。

「……何と言ったら良いのだろうな?」

同じことをもう一度言って、眼鏡のフレームを押し上げた。

奥野晴明 銀貨 > 「そうだと、いいんですけど」

務めだと言われればまぁそういうことを軸にして動くタイプの義父ではある。
ただ発端と目的の終点が違うのだろうけれど。
そのことは言葉にしないまま、ヨキの言うことに素直にうなずいた。

やがて話題が『恋』だのなんだのに及び、いつになく歯切れの悪いヨキの物言いに銀貨の張り付いた笑みが、
吹き出す笑いに代わってけらけらと腹を抱えて体を折り曲げた。

「やだなぁ先生、だからそういう言葉にできないものこそが『恋』をするってことですよ」

あーやだおかしいと、いつになく子供のように笑い転げて

「別に情欲や思慕のあれそれだけでなくて、何かに強く惹かれ続けることって『恋』と大差無いでしょう?
 その人に、対象に触れた時、芸術と初めて出逢った日のように鮮烈な想いが走ったりしません?

 でもよかった、先生にもちゃんとそういうものが見つかって。
 それで、どなたなんです?そのお相手って。もしくは対象かな」

あぁ笑った笑った、と目元の涙を拭いながら恋話が好きな女子学生のようにぴったりとヨキの腕にひっついて続きをせがむ。
だが、笑っているはずの表情に一抹の不安もにじませながら。

ヨキ > 銀貨の言外の思いを知らぬまま、そうさ、とだけ短く応える。

やがて自分の話題に銀貨が珍しく大笑いすると、苦虫を噛み潰したような顔になった。
腕に絡み付く銀貨をそのままに、ぬう、と低い声で呻く。

その人物に相対したとき、走るのは鮮烈な想いというか、むしろ苛烈な空腹感だ。

「そりゃあ、『そいつ』のことは好きだし尊敬もしている。
 ヨキは芸術には自信をもって恋をしているようなものだと言えるが……しかし……」

もし物理的に触れようものなら、そのあとに待つのは血の惨劇である。
文字どおりの一触即発。

想像しうる状況、あるいはその人物。
言葉にこそしないが、ヨキ自身が「恋とは認めたくないもの」を想像していることは確かだ。

「だが、」

人差し指を唇に当てて、隣の銀貨へそっと屈み込む。
何か重大な、秘密めいたものを押し隠した眼差し。
目尻の紅を細めて、薄らと笑う。

「誰のことかは、秘密だよ。
 ……思い詰めたとしても、おいそれと明かすまいと思ってしまうのは、」

悪戯っぽく笑う。

「やはり恋なのかも知れないな」

たった一言きりの手掛かりといえば――“そいつ”。
そのあまりに軽々しい二人称は、ヨキが異性に対しては殆んど用いないものだ。
それまで教え子には見せたことのない、何か決定的な変革を迎えた表情。

明るく、幸福と信念とに満ちていて、どこか破滅さえ辞さないほどの――
それはやはり、銀貨が語るところの「恋」をした者の顔だった。