2016/10/27 のログ
ヨキ > ヨキの肌の上を、小さな紫電が奔って消える。
怒りがそのまま雷光として表出したようだった。

奇妙な顔を晒した相手の、軽口を信じる気がないのは明白だ。
だが意識的に押し殺さんとする激情の顔付きからは、ヨキが平静を失っていることが見て取れる。

ハーリッツの声に、歯を噛み締めた口が歪な笑みを作った。
それでどうする、などと問われて、頬を小さく震わせ、吐き捨てる。

「――殺す」

鉤爪のように力を込めた手の先に、一段と強い魔力が宿る。
籠もる先から漏出し、また溢れ出す、ひどく非効率で粗削りな魔力の使い方だった。

泡立つ血の池を飛び越えて、ハーリッツへ飛び掛かる。

その横っ面を殴りつけんとばかり、拳を振るう。
人間が腕を突き出す風圧を超える、衝撃波にも似た魔力を纏わせて。

その動きは明らかに人間を凌駕していたが、超常の者には及ぶべくもない。

ハーリッツ > 怒った人間の語彙は陳腐で狭いものになる。
だからハーリッツに人を怒らせる趣味はない。
ただ、怒りに任せた攻撃は直線的になりがちだ。

「やだね」

だから――この砲弾のごとき拳も、身を低くして躱すことができる。
掠めたフードの端と髪がちぎれ飛び、背後のスチール製の棚が砕ける。
想定以上の余波に、体勢が崩れた。が、

「オマエが殺されるのさ。“その子”にね」

ヨキの飛び越えた血のぬかるみ――ハーリッツの血液の混ぜられた――が、
蠢いて収束し、杭の形になり――ヨキの背後を貫くべく射出される。

ヨキ > この常世島で、ヨキほど平素と怒りの落差が激しい者もそうそう居ないだろう。
我を失い、言葉を忘れ、魔力を噴き零し、知恵のない獣のように飛び掛かる。

拳が避けられて、あっさりと空を切る。

かつてヨキは、金属を自在に操る異能者で、本当の獣にも成り代わることが出来た。
生成した金属を足場にし、盾として身を守り、刀を用いて戦っていた。
今はその異能も、獣化の力もない。

ハーリッツの不可解な言葉に顔を向けた瞬間――背後からの烈しい衝撃に、首がぐんと曲がった。
身体の向きを傾けた拍子に、右の肩口から血の杭が生えるのが見えた。

長身がそのまま押し出され、正面の壁へと放られてスチール棚の残骸ごと激突する。
目まぐるしく視界が回転して、一瞬目の前が暗転した。

けたたましい音を立てて地に倒れ伏したヨキが、くぐもった呻き声を漏らして身を捩る。
額と鼻から流した血の滴が、ぱたぱたと床に落ちた。

常人よりは頑丈らしいが、少なくない損傷が目に見えていた。

「ぐ……!止せ、…………、弄ぶな……」

身を丸めたまま闇雲に左手を伸ばし、床に広がった血の池に手のひらを突く。
ばしゃん、と子どもが泥で遊ぶような音が立つ。

未だ光が弱まることのない瞳が、ハーリッツを睨みつけた刹那――

雷光が、血の池とスチール棚の破片をを跳ね上げる。

魔力によって指向性を与えられた紫電が、真っ直ぐに血液を辿ってハーリッツへと迸る。

ハーリッツ > 現実感が希薄だった。
荒ぶる獣のごとくのヨキが、まるでどこかガラスを隔てた存在のように映っていた。
そんなヨキの怒りなどわかりはしないハーリッツだが、知っていることもある。

「楽しかろう? 怒るのは」

地を這う男に、止めを刺すべくナイフを振り上げ――たところで、
仮面の奥の表情が強張る。
雷光の奔るのを見た。
帯電した血の沼は剣にも盾にもならない。
瞬く間に電撃はハーリッツに到達し、けたたましい音を立てて弾ける。

「…………く!」

全身を痙攣させて跳ね、身体を転げさせる。焦げ臭さが漂う。
ふらつきながら立ち上がるが、手からはナイフが滑り落ちて乾いた音を立てる。
うまく力が入らない。

「楽しむのも大概にしないと、死にますわよ?
 ――オマエ、弱いんだから」

後ずさり、亀裂の入った壁を背にしながらそう嘯く。
――ハーリッツとて特別強者というわけでもなかった。
この程度の手品ができる異能者など、常世島には掃いて捨てるほどいるのだから。

ヨキ > 身体を苛むはずの激痛は、怒りからなる昂奮に遮られていた。
か弱い人間のように見えて、強大な獣のごとき不遜さを撒き散らし、それでいてヨキはやはり弱かった。
人の身体能力と、怒気に宿った苛烈さと、内在する魔力の膨大さが、全く嚙み合っていないのだ。

「楽しくなど、……!」

否定の声に、ごぼりと血の絡んで粘っこい水音が交じる。

ナイフが頭上で閃いた瞬間、破れかぶれなまでの電撃がハーリッツを打ち据えるのを見た。
笑いもせず血に汚れた眼鏡を掴んで外し、床に両手を突いてふらつきながら、徐々に立ち上がる。

「楽しんで――堪るか!
 ヨキはお前を殺す。この子と同じ死に方で殺してやる……!」

破砕したスチール棚の、細く薄い支柱を掴む。床に引き摺った先端が、耳障りな音を立てた。
鬱血の色合いを帯びるほど強く握り締めた手のひらから、金属がばちばちと音を立てて帯電する。

ハーリッツの身の丈に満たないほどの、緩くひん曲がった支柱を振り被る。
その動作には、美しさも、獰猛さもない。

支柱が纏った紫電と、ヨキの眼差しが放つ光だけが、ごく単純な殺意を示している。

ハーリッツの顔面目がけて、左手に掴んだ支柱を斜めに振り下ろす。

ハーリッツ > 首を傾げる。
赤い仮面の上を震える指でなぞると、笑みに弧を描く唇の形がそこに生まれる。
虫の翅の擦れるような耳障りな声が、たちまちその奥から漏れ出した。

「ワタシを? ……バラバラにぃ?
 ワタシが悪のお肉屋さんなら、オマエは正義のお肉屋さんか。
 結構結構――キ、キ、キヒヒヒ――イ!」

破砕音に、狂的な笑声が中断された。
粗野な振り下ろしに砕けたのは――ハーリッツの頭部ではない。
寸前で身を逸したその背後の、老朽化した壁。
細かい破片が散り散りになって舞い飛ぶ。
紫電がハーリッツの衣服や肌を焼くが――致命傷には程遠い。

「――じゃァな、また遊ぼォぜ――ヨキセンセイ!」

上ずった叫び。
猫のように身を翻すと、ヨキの一撃で生まれた壁の裂け目に
するりと身を潜らせ――あっという間に、廃屋の外へと逃れてしまった。

ご案内:「落第街/廃屋」からハーリッツさんが去りました。
ヨキ > 相手を叩き伏せんと、振り下ろした支柱。金属が壁を叩く甲高い音。
右肩に穴が開いていることも忘れて、両手で再び振り被る。
その構えにいくらかの剣術の腕を察することも出来るが――手練れにはとても見えないだろう。
それほどまでに、ヨキは冷静さを欠いていた。

嘲笑う声を振り払い、掻き消そうとするように、二度目を打ち下ろす。
ハーリッツを掠めるまでもなくまんまと逃して、支柱を床に叩き付けて放り捨てた。

勢い余って、地面に膝を突く。
崩れ落ちた壁の残骸に顔を伏せて凭れると、それまで紛れていただけの激痛が身体の奥から沸き起こってくる。

「……はッ……はあ、はあッ……糞が。次は……絶対に……、」

恨み言を吐きながら頭を抱えた手のひらに、ぬるりとした感触がある。
肩で息をしながら、それが頭部を切った出血であることを自覚する。
右肩を貫かれたとき、知らず頭をも打っていた。

「……こんなに、……」

弱いのか、と呟く。
背後に横たわる男児の死体を振り返ることもなく、ずるずるとその場にへたり込んで蹲った。

ヨキ > 頭痛のさなかに、己をヨキセンセイ、と呼ばわった声を反芻する。
あの作られたような声。あれが地声でなければ、学内や街中で判別するのは困難だろう。

耳の奥に残る声の記憶がが、憎悪に早くも音を歪めてゆく。
あの赤一色の仮面に対する怒りだけが否応なしに猛って、正しく覚えていられそうにはなかった。

だが確かなことのひとつには――
我々はどうやら、正義と悪の肉屋であるらしい。

ならばいつしか巡り合い、相見えるときが来る。
怒りに我を忘れ、相手を見つけ出すことが出来なかったとしても。

沸き起こる魔力が、出血を増大させ、無茶な治癒力を発揮し、肌を腐らせ、また蘇らせる。
ひどく要領の悪いやり方で無理やり傷を塞いで、よろめきながら立ち上がった。

「………………、」

再び男児の死骸を見下ろしたヨキは、何も言わなかった。
見据えたそれはもはやただの物体であって、自分が探した男児でありはしない。

指先の血を拭い、取り出した電話機を操作しようとして、諦める。
液晶画面が、すっかりひび割れていた。

踵を返して、廃屋を去る。
それから間もなくして、この場には風紀委員が駆けつけることとなった。

ご案内:「落第街/廃屋」からヨキさんが去りました。