2016/06/20 のログ
■ヨキ > 「ああ、人を迎える支度をしていなかったから……少し散らかっているが。
ゆっくりしていってくれ」
言葉の割に、室内の調度はきちんと整っているように見える。
ヨキ以外の目に、片付ける余地を見出すことは困難だろう。
私室へ入る。
ローテーブルと三人掛けのソファを中心に、壁際に大きなベッドや机、棚の類が置かれている。
香木のような、深く穏やかな香りが薄らと鼻に届く。
「独りではどうにもならないこと、か。
いいだろう、今日はいくらでも時間が空いてる」
迅鯨が見せた翳りに、普段どおり微笑み掛ける。
迅鯨をソファへ座るように促しながら、壁際の冷蔵庫で飲み物の支度に移る。
「少しばかりだが……君の口に合うといいな。
今夜食べ切るつもりで居てな、残しておいてよかったよ」
言って、ローテーブルの上に出すのは二人分の冷えた麦茶と、レアチーズのタルトが一ピースずつ。
「ヨキの手製だ。ゆっくりでいい、少しずつ話してくれ」
■蘆 迅鯨 > 私室に入れば、まずは先程のように周囲を見渡し。
微笑みを返すとソファに座って、緊張の糸が途切れたかのように大きく息を吐き、くつろぐ姿勢。
「あんがとよ」
そしてタルトを齧り、しばし咀嚼した後麦茶で流し込む。
すう、はあ、と再び大きな呼吸をひとつした後、再び真剣な表情で彼の顔を見つめる。
「話ってのはさ……俺の、ダチのことなんだけどよ」
迅鯨がよく知っているのは『たちばな学級』の臨時講師としてのヨキの姿だが、
一般教室での担当が美術であることも知ってはいる。
故に――"友人"のことを話すにはうってつけの相手だと思っていた。
「……美術部員の、剣埼麻耶。せんせなら、知ってるかと思ってさ」
■ヨキ > 迅鯨の隣に腰掛ける。
音楽を止めていたパソコンの電源を落として、迅鯨の隣へ。
ソファに深く腰掛けて、麦茶のグラスを手に取った。
「剣埼?」
腰を下ろして目の高さが揃った相手へ、目を向ける。
「ああ、名前を少しなら。珍しい姓だから、印象に残っていた。
だがヨキは、美術部の顧問はやって居なくてな。詳しいことはほとんど知らないんだ。
メンタル面で、あまり調子が芳しくないとは聞いているが」
切り分けたタルトを口へ運び、麦茶を一口飲む。
■蘆 迅鯨 > 「……そっか、知らなかったか。あいつの心は……俺が壊しちまったみてェなもんなんだ」
ヨキが剣埼のことを詳しく知らないとわかれば、麦茶をもう一口啜ったのち、
自身が『たちばな学級』へと属するきっかけとなった事件について話しはじめる。
「俺が一年の時の放課後に……あいつが絵を描くのを横で見てたんだ。けど……俺があいつの傍で寝ちまってて……それで……」
眠っているときに制御不能になってしまう、迅鯨の異能。
それによって発せられるテレパシーを剣埼麻耶は間近で受け、精神を破壊された。
以来、剣埼は人が変わり、描く絵画もまた奇怪かつ狂気じみたものへと変貌していった。
剣埼の友人たちは徐々に彼女のもとを離れ、彼女は学内で孤立するようになった。
迅鯨もまた、その異能の危険性が明るみに出たことにより、『たちばな学級』への編入を余儀なくされたのである。――だが。
「でも、あいつが……俺の前にまた現れたんだ。あいつ自身の意思で」
その剣埼麻耶が、つい先日、学生街のショッピングモールで迅鯨の前に姿を現したのである。
迅鯨のために描いたという絵画を手にして。
■ヨキ > グラスと皿を置いて、迅鯨の説明にじっと耳を傾ける。
視線は迅鯨の目そのものではなく、僅かにずらした位置に柔らかく注がれている。
いたずらに責めることも、無暗に包み込むこともしない、真っ直ぐに受け止めるための眼差し。
麻耶が再び姿を現したという段になって、徐に口を開く。
「……それで?
君や剣埼君に、怪我はなかったか。彼女は君に何と?」
■蘆 迅鯨 > 「あいつは……俺に……会えて嬉しい、と言った。俺に、感謝していると言った」
剣埼が自身にかけた言葉を、一つずつ思い出しながら。
「俺を恨んでなんかないと言った。また友達に戻れる、と言った。あれは不幸な事故で……俺は悪くないと、言った」
少しずつ声のトーンが下がり、俯き加減になる。
「俺が、自分よりももっと辛かったはずだと……言った。けどよ……俺は。逆じゃねェかって、思ってんだ。本当に辛いのは、あいつだったはずだ」
拳を握る迅鯨の目には、透明な粒がひとつ浮かんでいた。
■ヨキ > 少しずつ落ち込んでゆく迅鯨の様子を見ながら、その言葉が切れると同時、彼女の肩口へそっと腕を伸ばす。
重く頑丈な造りの腕ではあったが、あくまで柔らかく、肩を抱き寄せんと。
「…………。
君の異能が強力なことは、よく知っている」
低い声で、じっくりと確かめるように言葉を連ねる。
「確かに剣埼君は、君の心を垣間見てしまったやも知れん。
だが剣埼君の心が見えないのは、ヨキも君も全く同じだ。
だから異能には惑わされずに、君自身が見聞きした剣埼君の姿を、よく思い出してくれ。
……どうだい。
剣埼君の言葉は、君の異能のショックに浮かされて出てきた言葉に過ぎないと、そう思う?
君につらい夢を見させられて、本当は君のことを恨んでいるのではないかと?」
■蘆 迅鯨 > 迅鯨は俯いたまま、自らの肩に伸びるその手の重みを受け入れる。
そしてしばし黙り込みながらも、心中では思考を続けていた。
「(あいつは……笑ってたよ。笑ってた)」
ヨキの言葉通り、商店街で再開した剣埼の姿を今一度思い出しながら。
語らずとも漏れ出てくる心の声は、確かにそう告げた。
「俺は……あいつに近づかないことが、それだけが……あいつにしてやれる事だと思ってた。でも。あいつは、剣埼は……俺と会った時、笑ってたんだ」
涙を零しながら、自らの口で続ける。
「なァ、せんせ。俺には……どうしたらいいか、わかんねェんだ。俺があいつにしてやれる事が何なのか、わかんねェ」
■ヨキ > たちばな学級に身を置く者は、否応なしに制御不可能な異能の脅威に晒されることになる。
それはヨキもまた例外でなく、迅鯨から届く鮮明な心の声は承知の上だった。
ソファに凭れて身を沈め、隣の迅鯨の肩を抱く。
大きな手のひらが、相手の布地越しの腕をゆっくりと擦った。
「……剣埼君自身が君との繋がりを望むなら、君はそうするべきだ。
彼女が自分の口で発した言葉を、君は疑ってはいけないよ。
二人の身に何も起こっていないのならば……『今はまだ』。
だがね……、」
身を寄せる。熱のない、冷めたヨキの肌。
「もし互いに何か迷惑を掛けてしまったり、何らかの害意が見えたときには、実害が及ぶ前に距離を置きなさい。
それでまた、ヨキでも他の先生のところへでも、すぐに相談に来るんだ。
君にヨキや蓋盛や、たちばな学級の仲間がついているのと同じように、剣埼君にも人の手のケアが必要なんだ。
そのために、学園には何人もの大人が籍を置いているのだからな。
蘆君も剣埼君も、二人とも決して独りきりになってはいけない。
君の心の声は、また剣埼君に届いてしまうこともあろう。だから決して、彼女のことを疑うな。
そうしてまずは、彼女にきちんと謝って、彼女が本当に望んでいることを知るべきだ」
■蘆 迅鯨 > 迅鯨がヨキとここまで物理的な距離を縮めるのは初めてのことだ。
確かに彼の手が自身の体に触れているはずなのに熱はない、
その奇妙な感覚にも、不思議と不気味さや拒否感はなかった。
彼が語る言葉を、迅鯨は黙して聞き入れ。
「(……そうか。剣埼が、望むなら……)」
そう漏らす。
今の迅鯨は――そう、今はまだ――決して独りきりではない。
ヨキが語る通り、あるいはそれ以上に。
迅鯨はこの島で出会った人々との関わりに支えられている。
彼の言葉でその事実を再び確認した迅鯨は、涙を袖で拭い、再びその口を開く。
「ああ。どのみち俺は……あいつに謝らなきゃならねェ。……それに、俺は。あいつが望むことなら……何だってしてやるさ」
口を閉じて。
「(それぐらいしか……俺にできる償いはねェからな)」
■ヨキ > 「自分で望まぬ状況に追いやられてしまったのは、君だけではない。
剣埼君もまた、人から孤立してしまったんだ。
人が離れてしまったということはつまり――彼女にも元は友人があったということだ。
独りきりになってしまった剣埼君は、自らの意志で君を選び、君のところへ足を運んだ。
そこで君が対話を止めて離れてしまったら、彼女はどうなる?」
実際に声と声とでやり取りをしているかのような自然さで、迅鯨のテレパシーに応える。
「……剣埼君はおそらく、第三者に本心を明かしてはくれんだろう。
何せ、親しかったはずの友人らが距離を置いてしまうほどなのだから。
そうなると、解決のために口火を切らねばならんのは、誰あろう君自身ということになる」
ソファの背凭れから身を離し、迅鯨の肩を抱いたままその顔を覗き込む。
いよいよ相手の瞳を真っ直ぐに見据え、心の深くまで届かせるかのように。
「……いいかい、蘆君。
この島に――君がかつての戦いで体験したことよりも凄惨な出来事は、ない。
ヨキや周りの友人や、そして誰よりも、剣埼君のことを信じろ。
怖いと思うのは、これから立ち向かおうとしているのが、君が初めて相対するものだからに過ぎない」
■蘆 迅鯨 > 迅鯨のまさに眼前で、爛々と輝くヨキの金色の瞳。
そして迅鯨もまた、背筋を正し、緑色の瞳で真っ直ぐに彼を見つめ返す。
「(そう……だよな)」
未知のものへの恐怖――それは異能者であれ、異能を持たぬものであれ変わらない。
時に人を発狂すらさせる恐るべき異能を持った迅鯨には、それはよく理解できていた筈だった。
剣埼とて、再び迅鯨と出会うことに怖さもあったろう。
だがあの時迅鯨に声をかけた彼女は、恐らくはその恐怖を乗り越えていたのだ。
――であれば、今度は自分の番だ。
「せんせ。俺は……あいつに、もう一度会ってみる。もしかしたら、また向こうから来るかもしれねェ。そうしたら、今度はあいつの事……全部、信じてやるよ」
涙の粒がまた一つ頬を伝いながらも、迅鯨はかすかに笑みを見せていた。
■ヨキ > 優しく微笑む。
迅鯨の肩から腕を離し、上体を相手へ向ける。
「ああ。……くれぐれも、お互いに危険の及ばぬように。
剣埼君は異能が発現してしまったというから――きっと、彼女自身も心の底では戸惑っていることもあるはずだ。
君が異能に振り回され、傷付いたのと同じように、外に現れる異能は何かしら自分や周囲の人間を混乱させる」
親指で、迅鯨の頬の涙を拭う。
今度は正面から両腕を伸ばし、迅鯨の背を抱き締めんとする。
「壁を乗り越えるというのは、何かとしんどいものだ。
何もかも独りで立ち向かうには、あまりに肩の荷が重かろう」
■蘆 迅鯨 > 熱のない手が背に回り、抱き締められる感覚。
それを感じれば、溢れていた涙はやがて止まるだろう。
そして迅鯨の表情は、柔らかな笑顔に変わる。
「ああ。あいつもきっと……まだ慣れちゃいねェはずだ。だから、俺があいつの話……もっと聞いてやらなきゃ、な」
迅鯨の目の前で、血のように赤いインクを目と口元から溢れさせていた剣埼の姿を思い出す。
もし彼女の心に、未だ戸惑いや混乱があるとするなら。それを受け入れるのが、迅鯨の役目であろう。
「……ありがとよ、せんせ。話、聞いてくれて。おかげで助かった」
独りで考え込むだけでは解決しなかった悩みが、今やっと解決に向かっている。
その道筋を示してくれた彼に、心から感謝の言葉を述べた。
■ヨキ > 「そうだ。
常世島へ来て、はじめて君に心から良くしてくれた友人のことを思い出すといい。
今度は君が、剣埼君にそれを繋げていく番なんだ。
この常世学園は、そうやって人と人が支え合うように出来ている」
迅鯨の背を優しく叩いて、するりと腕を解く。
向き合った相手の顔へ、晴れやかに笑い掛ける。
「どう致しまして。君の方こそ、ヨキを頼ってくれて有難う。
もしものときには、いつでも君のところへ飛んでゆくから」
な、と緩く首を傾ぐ。
「よかった。
君のそこまで落ち着いた笑顔、はじめて見られたような気がする」
■蘆 迅鯨 > 「へへ、頼りにしてるぜ」
迅鯨はヨキにまた微笑み返すと、
「……そっか。俺、せんせの前でこんな風に笑ったこと、なかったっけ」
どこか恥ずかしげに、そう問いかける。
『たちばな学級』の講師と教室以外の場所で顔を突き合わせて話すこと自体、迅鯨にとっては珍しい。
それまで迅鯨は、彼らとこうして話をすることにどこか引け目を感じていた。
しかし考えてみれば、生徒が教師に悩みを打ち明けるということはごく当たり前の行為なのだ。
■ヨキ > 「……ふふ、いや。
正しくは、君は普段からたちばな学級で笑っているよ。
だが今は何だか、これまで見てきた笑顔よりもずっと柔らかく見えてな。
ヨキはどうしたって、学生らを遠慮させてしまうところがあるから……安心した。
いつもより、ぐっと素敵な顔になった」
さあ、食べよう、と迅鯨を促しながら再びタルトの皿に向かう。
「このヨキは、人一倍身も心も頑丈だ。ちょっとやそっとのことでは、決してへこたれんよ。
君ら学生の悩みを受け止める準備は、いつでも出来ておるとも」
■蘆 迅鯨 > 「照れるな」
『素敵な顔』と言われて思わず頬を赤らめつつも、
食べかけのタルトを手に取り、再び頬張る。
泣き疲れて腹に余裕ができたのか、先程よりも食が進むようで、みるみるうちに一ピース平らげてしまった。
「……っはァ。ごちそーさん」
麦茶を口にし、しばらく間をおいてから。
すっかり普段の調子で、その豊満なバストを持ち上げるように腕を組んだかと思うと、
「俺だって丈夫さにゃ自身ある方だぜ。こんな体になろうが、どっこい生きてんだ」
そうしてやや行儀悪く、棒状義足の左脚を上げてみせた。
■ヨキ > 「事実さ」
平然と笑う。
「ヨキはいつだって本当のことしか言わんよ」
大きな口でタルトを頬張る。
完食した迅鯨の様子に、よかった、とほっとして目を細めた。
そうして彼女の軽口ににやりとして、
「ほれ、君はそうやってすぐに気が大きくなる。
女子が行儀悪くしてはいかんよ」
子どもを諌めるような口調で苦笑いする。
■蘆 迅鯨 > 「ちぇっ」
少しだけ悔しそうに、しかし安心した顔で、迅鯨は姿勢を正して。
「(そうだな。センセの言うこたァ、本当だ)」
内心、そんなことを思いながら。
「……俺にも、さ。そういう生き方……みたいなのって、できるように、なるかな」
またヨキの顔をまっすぐに見据えて。そう、問うた。
――口ではいくら本心を偽れても、心の声が漏れだしてしまう迅鯨に、嘘をつくことは難しい。
その点、普通のヒトよりもかえって素直なのかもしれない、と迅鯨を評する者もいた。
だが異能のために漏れ聞こえてしまうだけの言葉について本当にそう言えるのだろうか、
本当の意味で素直であるとはどういうことで、果たしてそれは自分にできることかと、迅鯨は内心疑問に感じていたのだ。
■ヨキ > 麦茶のグラスを傾けながら、改まった迅鯨の質問に小さく頷く。
「無論、こんなことは誰にだって出来るとも。
自分の身の丈をよく理解して、それを偽らなければいい。
たったそれだけのことなのに――ヒトはつい見栄を張ったり、遠慮したり、隠し立てしたりする。
独りで出来ること、出来ないこと。好き嫌いに、得手不得手。
たとえ情けなくても、恥ずかしくても、今の自分にはそこまでしか出来ないのだからしょうがない。
それで定めた目標がどれだけ遠くたって、自分自身に正直に生きている者を嗤っていい人間など居ないさ。
堂々としていれば、それだけ結果はついて来る。自然とな」
さも簡単なことのように、軽く両手を広げてみせる。
「もしかすると、君にとっては少々難しいことやも知れん。
だが不可能ではない。
異能にも魔術にも頼らず、身一つで実現可能なことを体現してこそ、この常世学園の教師であるからさ」
■蘆 迅鯨 > 「そうだな。二日三日でできそうな事じゃあねェ」
真剣な表情を保ったまま、迅鯨は続ける。
「けどよ。もし……もし、仮にだ。俺がそれを出来るようになったら……さ」
両手を腰の前で合わせ、若干俯き加減でどこか恥ずかしげな姿勢をとる。
「俺さ……前に風紀の……サエキちゃんってんだけどさ、そいつに勧められたんだよ。俺がもし卒業できたら、教師になるのもいいだろうって……だから、さ」
風紀委員の佐伯貴子。かつて学生通りで会った彼女は、
もし学園を卒業できたとて行くあてもないだろうと悩む迅鯨に、教師となる道を勧めていた。
迅鯨がその事を話すのも、ヨキが初めてだ。
■ヨキ > 気恥ずかしげに言い淀む迅鯨に瞬きして、その顔を見遣る。
けれど教師になる道について耳にするや、表情はぱっと明るくなった。
「……ほう、教師!素晴らしいことではないか。
良いことも、悪いことも、嬉しいこともつらいことも知っている君が教師になれば、きっと沢山の子らの支えとなるはずだ。
必ずなれ、とは言わん。
だが君が教職の道を志すなら、ヨキは全力で、心から応援させてもらおう。
教師に限らずとも……君が将来に向かう当てを見つけてくれたら、ヨキにとっては何よりも喜ばしいよ」
良いことを聞いた、とばかりににかにかして、励ますように迅鯨の肩を叩く。
「君はこのヨキの子も同然なのだから」
■蘆 迅鯨 > 肩を叩かれれば、ほっこりと笑む。
「(……子も同然、か)」
既に両親を亡くし、天涯孤独の身である迅鯨の心に、その言葉は強く響いていた。
最後に見た父親の顔がどのようなものであったか、もはや思い出すことも叶わぬ身であれど。
今の迅鯨の心に悲しみは無い。
「へへっ。せんせが応援してくれるってんなら心強いぜ。俺ちゃんアタマ使うのは苦手だけど……頑張るよ」
つい先ほど見せた恥じらいもなりを潜め、
ヨキに負けじと明るい表情で、堂々とそう告げる。
■ヨキ > 「ああ。ヨキはこの島の子らをずっと信じている。だから君も、自分自身を粗末にしてはいかん。
そうするたびにヨキは悲しくなるし、君自身が目指したかったはずの道にも引け目が生まれてしまう。
だから決して、人に後ろ指を差されるようなことはするな。
ヨキが君に教えてやれることは、人間として生きるための誇りだ」
迅鯨に応えて不敵に笑む。
握り拳を軽く突き出して、相手と突き合わせんとする。
「さあ、慣れぬ話をしていたら喉が渇いたろう?
この時間は西日が強いから、暑さが和らぐまでゆっくりしていくといい」
立ち上がり、また冷えた麦茶を注ぎに向かう。
その後の時間も、学内では交わす機会のなかった会話に費やされることだろう。
朗らかな温かさがじわりと滲むような時間が、たちまち過ぎてゆく。
ご案内:「ヨキのアトリエ」からヨキさんが去りました。
ご案内:「ヨキのアトリエ」から蘆 迅鯨さんが去りました。