2016/10/13 のログ
ご案内:「廃ビルの奥」にヨキさんが現れました。
ヨキ > 標的はもはや粉塵と化した骨だけが残り、やがて風に流されていった。

深夜の廃墟の一室。
古いリノリウムの床面に投げ出されたヨキの姿がある。

「……げッ……ほ、ぐえ……う、」

身を丸め、きつく押さえた脇腹から止め処なくヒトの鮮血が滲む。
脂汗をじっとりと浮かばせ、歯をきつく噛み締めていた。

忌々しげに一瞥をくれた視線の先には、未だ生乾きの血がこびりついたナイフが転がっている。

ヨキは油断も慢心もしていなかった。
ヒトの身体が、ヨキの獣じみた勘に僅かばかり遅れざるを得なかったのだ。

そうして標的を消し去りこそすれど、脇腹に一撃を貰い受ける羽目になった。

足を投げ出し、這い蹲った格好で身を捩る。

ヨキ > 脇腹の陰で、ばちん、と小さく紫電が跳ねる。

「う、ぐうッ……!」

傷口が芋虫のように蠢く。
皮膚と皮膚とがずぶりと粘っこく絡み合い、癒着する。
ケロイドめいた皮膚が再び蕩けて、腐臭を放つ。
腐臭の中から、また新たな皮膚が蘇る。

活性化を極限まで早めた皮膚が、生き死にを繰り返しながら徐々に再生してゆく。

豊穣を司った雷獣の原始的な魔力は、絶大にして不可逆、そして限りなく非効率だった。

息を殺し、気配を消して、なおも薄らぐことのない神性と魔力とを迸らせ、自らの脇腹に集中する。
半死の獣人であった頃、いかに痛覚が鈍感であったかを否応なしに自覚させられていた。

ヨキ > 「くっつけ。早く……くっつけ……!」

自分を傷付けたナイフに、魔力の発動を阻害する何らかの力が組み込まれていると察するのは容易い。
詠唱なく威力を発揮するヨキの力は、しかし初級者の「おまじない」程度の構文に阻まれているのだった。

「………………!」

身動きが取れない。
床を汚しているのは今や標的の返り血ではなく、ヨキが零した腐肉と鮮血ばかりだ。

人間の身体に比して、宿した力はあまりに大きすぎた。
神獣と呼ばれたかつてのヨキも、その獣を討った僧も、その身はヒトと一線を画していたらしい。

据わった瞳を瞼に隠し、眉間にきつく皺を寄せて魔術学の機能的な構文を思い描く。
痛みがノイズと化して、治癒魔術はいかにも効き目に乏しかった。

ヨキ > 「……くッ……そが!」

ヨキにしては口汚い言葉を吐き捨てる。
腹を押さえる手元から、ひときわ強い光がごく一瞬放たれた瞬間――離れた位置に転がっていたナイフが、ばちん、がらん、と跳ね飛んだ。

顰め面のまま盛大に息を吐き出して、仰向けの大の字に寝転がる。
衣服の裾から覗く腹部は、血に濡れながらも傷一つなくつるりとしていた。

「はッ……は、……はあッ、助かった……」

泥酔したように脳裏が曇り、視界は揺れていた。
まるで獣人であった頃に戻ったかのようだ、と思う。

そして、あまり良くない心地だ、とも。

ヨキ > 喉がからからに乾いていた。
自分の血でも、液体であれば啜りたい気持ちに駆られた。

「はあ……」

しつこい奴らめが、と言外に舌打ちする。

街を跳梁跋扈する、違反学生の集まりのひとつだ。
今宵の結果は、氷山の一角をほんのひと掻き削り取ったに過ぎない。

舌先から喉まで縮こまるような乾きに苛まれながら、漸う身を起こす。
清潔な、それでいて冷たい水を口に含みたかった。

ヨキ > 唐突に取り戻した魔力は、人間の身体に慣れるごと染み渡っていった。
魔術と呼ぶべきほど整理されておらず、出鱈目で、屁理屈っぽく、都合のよい、人間の世の理から外れた力。
枠に嵌ることを嫌い、ピーキーで、不均衡で、いつ暴走するとも知れない、人ひとりの身には余りあるもの。

ぼんやりと立ち上がって、髪の乱れた頭を掻く。

埃っぽい床に、赤茶けた血痕が残っていた。

「……………………、」

ヒトの身体をして、獣人の頃のように“スマートで美しい殺人”をこなすには、些か時間を要するらしい。

――しばしの後。
不自然に一部を剝がされたリノリウムの床の前に立つヨキが、うむ、と頷いている光景。
血が付着していたはずの床材は、どこにも見当たらない。

「これでよし」

スマートさも、美しさも叶わぬのならば、あとは力技だ。