2015/12/25 のログ
ヨキ > (傷口へ手をやる。
 癒着を始めたはずの傷口が、ぬるりとその口を開いて指を受け入れた)

「……!」

(指を離す。
 どろりと粘っこい血が指を濡らし、手のひらにつうと垂れた。
 本来ならば出血が止まり、傷跡が薄らいでいてもおかしくない時間が経過していた。
 それが、こんなにも。

 ぐ、と首の傷を抑え込むように肌を掴む。
 その金色の目には、明らかな動揺が宿っていた。

 ――なぜ?)

ヨキ > (腹の底では、先ほど屠り、食らった男たちが既に消し炭と化していた。
 婦女子につけ込み、裏通りの人間が持つ倫理を表の街へ持ち込まんとしていた悪党たち……。

 彼らが何らかの異能か、魔術を有していた可能性。
 それらの外的な要因……あるいは、内的……心的な、)

「……………………、」

(顔を伏せる。
 茫漠とした眼差しが、自ら踏み割った床を見た)

「(……まさか)」

(穴の開いた喉で名を呼ぼうとしたが、息が漏れるばかりで声にならなかった)

「(ふたもり、)」

ヨキ > (死に抗って、という、あの悲鳴のような声が、残響のように脳裏を揺らした。
 次々と血を流す柔らかな傷口を抑えたまま、黙して動かなくなる)

「(死を受け入れようとしていたヨキが……
  もし、もとは『抗う意味すらないもの』に、抗うとしたら――)」

(傷口を塞ぐ手が、ぬる、と滑った)

「(それこそ『人間』、か)」

(どす黒い血に染まった手が、ぱたりと落ちる)

「(ヨキが変わった、というならば、それは……
  ――不死性が、損なわれつつある、ということ)」

(艶消しの滑らかな黒装束の上を、血の滴が零れ落ちてゆく)

「(……傷が塞がらない、というのは、こんなにも)」

(人間と同じ形の傷口。同じだけの出血。
 それでいて痛みは鈍く、死はいまだあまりにも遠い)

「(心許ないものだな……)」

ヨキ > (徐に腰を上げる。
 膝を擦り、床に手を突く)

「(………………、は、)」

(四つん這いの姿勢から、立ち上がる。
 眩暈がして足が縺れ、床に膝を打つ)

「(妙虔)」

(這って床を進み、壁に手を突いて立ち上がる)

「(……止してくれ、妙虔)」

(立ったまま歩けなくなって、壁に額を寄せる)

「(今はまだ、ヨキを『人間』にはしないでくれ)」

(今はまだ、為すべきことが多すぎる)

「(ヨキの魂を、漱がないでくれ……)」

ご案内:「スラムの奥」に倉光 はたたさんが現れました。
倉光 はたた > かつり。
血の気配に誘われたのか、静謐な廃墟に、ローファーの底が床を叩く音が響いた。
暗闇の中、息遣いの源を探すように、人の形が身動ぎするように揺れた。

「……誰か、いるの?」

埃っぽい空気の間にすっと差し込まれる薄紙のような
冷たい理性をたたえる声が、発せられた。

ヨキ > (壁に手を突く長身の人影が、ずるりと布地を擦る音を立てて歩いてくる。
 屋外で明滅する光がまるで雷光のように光って、互いの姿を一瞬照らして、また紛らせた。

 金色の光が二つ、蝋燭のようにあえかに光っている。
 それはヨキの瞳の、奥の奥から発せられているものだった。

 驚きに目を見開き、足を止める)

「(……く)」

(倉光君、と名を呼ぶ声が、ごぼ、と濁った。
 口元を自らの血に濡らしたヨキが、暗闇の中に立つはたたの姿を視認して立ち尽くしていた)

倉光 はたた > この廃墟には場違いにも思える、澄んだ印象を持つ白い髪の少女――はたたは、
明滅する光へ一度振り返り、何か得心したように頷くと
手をかざし、そこに黄金の火花を作って浮かせた。
異能によって生み出されたものであることは明らかだった。

ぱちぱちと音を立てるそれをささやかな灯り代わりにしながら、瞳の光るほうへ、顔を向ける。

「ヨキ、……先生」

一度の瞬き。それ以外に、火花に照らされた顔には情動と思しきものは見て取れない。
この数ヶ月、ヨキとは満足に顔を合わせていなかった。

「……お怪我を?」

ヨキの驚きなど素知らぬ様子で歩み寄る。実に人間らしい筋肉の使い方だった。
傷の様子を伺うように顔を近づける。
ぴちゃ、と、ローファーが血のぬかるみを踏んだ。

ヨキ > (倉光はたた。ほとんど無色の、今にも消えてしまいそうな娘。
 久しく顔を合わせなかった彼女から発された言葉は、それでいてぐっと大人びたように思えた。

 ぐ、と喉を押さえる)

「く――ら」

(水底で溺れる人間のような、ごぼごぼと濁った声)

「くらみつくん」

(喉の傷が、閉じた。
 皮一枚きりで塞がり、今にも再び破れてしまいそうだった。
 それにしたって、常人よりははるかに頑健だ。

 怪我をしているのか、と問われて、小さく頷く。
 黒装束の襟元から覗く喉元に、塞がりかけの鋭利な切り傷が一本)

「……すこし。悪いひとに」

(やられちゃった、と。
 はたたの火花で照らされた顔を寄せる。
 血に汚れたヨキの顔が、泣き笑いのような表情を作る。
 はたたのローファが踏んだ血は、人間のそれよりも随分と無機質で赤黒く、金属に似た錆びの匂いをしていた)

倉光 はたた > 常ならぬ、ただごとではない様子の獣人の教師に、
どう取り扱うべきかはかりかねたといった様子で、身をかがめては、再び背を伸ばす。

「わるいひと……」

復唱し、視線を宙に彷徨わせた。
そのおぼつかない様子は、往時にヨキに見せたものに似ていた。

「あらそったんですか」

抑揚のない声でそう問う。
火花とは反対の――右手の指先をヨキに向けてためらいがちに伸ばす。

「だいじょうぶですか。てつだいましょうか。
 ――痛くなりますけど」

はたたは、出血を止めるためのひどく原始的な手段を用いることができたが、
ヨキの具合の深刻さを掴みきれず、それを使うべきかどうかは判断できなかった。

ヨキ > 「――うん」

(はたたの問いに、短く答える。
 その声は不明瞭でこそあるが、幼い子どもに語り掛けるかのように優しかった)

「…………、」

(はたたが伸べた手に、相手の顔を見遣る。
 向き合ったヨキの眼差しは、常よりもいくらか胡乱に揺れていた。
 目を伏せて、内緒話のように顔を寄せる。
 血の汚れさえなければ、至って平和な光景でさえあったろう)

「――頼む」

(奥の器官に通ずる傷は塞がりつつあるとはいえ、肌の表層、浅い部分はいまだ血を滲ませていた。
 はたたの用いる手段が何であるかも判ぜられないまま、相手からの申し出に頷いた)

倉光 はたた > 「わかりました」

短い応答に、はたたも簡潔に返す。
伸ばされた指先で、空気の灼ける小さな音がした。

「歯をかんでいてください」

熱を孕んだ白い指先が暗闇の中踊り、精確に血の滲むヨキの傷口へと触れ、圧迫する。
血の蒸発する音。瞬間走る痛みと伝わる熱を代償に、傷は一瞬にして塞がった。
――稲妻を操る異能の間接的な応用であり、
焼灼止血、と呼ばれる医療手段をヒントに編み出したものだった。

すん、と鼻を鳴らす。
血と金属と焦げに淀んだ空気を、不快に感じる様子はなかった。


「わるいひと――とは、
 どんなひとですか?」

傷が塞がれば、指を離し――新たな問いを重ねる。

ヨキ > (はたたの指先の感触に、目を伏せる。
 唇の隙間から、牙を噛み締めたのが見えた。
 瞬間的に走る痛覚に――頭がわずかに後ろへ跳ねる。

 やがてゆっくりと顔を前へ戻し、喉に触れる。
 乾いた血の感触。火傷が作る小さな腫れ)

「…………、ありがとう。
 君は……いつの間にか、そんなこともできるようになったのか」

(掠れた低い声で、ぽつぽつと囁いて笑った。
 向けられた次の問いには、徐に壁に凭れて腰を下ろした)

「……学園の、女の子を。
 騙して、悪いことする、ひどい男たちだった。
 クリスマスで、みんな浮かれてるところを……狙ってた。
 ヨキはそれが、許せなかったんだ」

(傷が塞がると、声は安堵したように丸くなった)

倉光 はたた > 「応急処置、ですけど。いろいろ……勉強しましたから。わたしなりに」

ニクロム線に電気を通すのと同じこと、と平然と解説する。
壁に凭れるヨキにつられるようにして、その場にしゃがみ込んだ。
羽織るコートははたた用にしつらえられているわけではないらしく、
背中がこんもりと膨れている。

“悪い人”についての少し濁された説明に、慎み深い生徒の振る舞いで耳を傾ける。

「……そう。
 わるいひと、というのは」

顔を上げ、ヨキと黄金の眼差しがかちあう。
その奥に眠るものを探そうとするような真っ直ぐさでもって。

「――死んでもいい人、なの?」

責めるわけでも、訝しむわけでもない、
ただ、最も重要で、わからないことを尋ねる、透明な言葉だった。

ヨキ > 「がんばったんだな、倉光君。
 君は見ないうちに、立派な女の子になった」

(隣り合ってしゃがんだはたたを見遣って、小さく微笑む。
 ガラス球のなかに灯を点したようなヨキの瞳が、やわらかにはたたの瞳を見返す。
 真摯な問いに、ゆっくりと深く、頷いた)

「――そうだ」

(道徳の授業を行う教師の大らかさで、にこやかに言葉を続ける)

「この島に住む人たちは、みんなその島のルールを守らなくちゃならない。
 『人に迷惑を掛けてはいけません』たったそれだけの約束だ。
 ……何も、それを守らなかったからといって、みんな死んでいい訳ではない。
 倉光君もヨキも、わざとではないけれど迷惑を掛けてしまうことは、ある。

 ……だけど、我々と違って、間違っても治らない人というのが、居る。
 そういう人たちが、島のルールを破り続けて、人に迷惑を掛け続けるんだ。
 ヨキは……そんな悪者たちが、許せないんだ。絶対に」

倉光 はたた > 「そうなんだ……
 では、ヨキ先生は、誰が生きていいか、誰が死んでいいかを
 決められるひとなんですね」

それがはたたの、ヨキの理路に対する含みのない素直な感想だった。
しかし、かすかな引っ掛かりを覚えたらしく、視線をヨキから外すことはしない。

「治らないひと……
 治らないひとというのはなんでしょう。
 どうして迷惑をかけてしまうのでしょうか。
 迷惑をかけるのが、そんなにたのしいのでしょうか。
 迷惑をかけなければ、生きていけないのでしょうか」

質問の言葉は、途中から何処か、ヨキに投げかけるというよりも
自分自身へ問いただし探るような色を帯びていた。

「ヨキ先生は、かんがえたことありますか」

ヨキ > 「そうだ。だけどそれを聞くと、みんなヨキの前で『いいこ』になってしまうだろう?
 ヨキはみんなみんな、ありのままのみんなで居てほしいからな。
 だからみんなの前で、ヨキが『そういう先生』であることを口にしてはいけないよ」

(ヨキにとっては、それが相手の中に引っ掛かりを生じさせるという可能性さえ在り得なかった。
 何しろヨキは自分の正義が誤っているなどとは、露とも思いはしないのだから)

「治る人、というのは、『それが島のルールから外れている』と教わって、
 自分のやり方を正しく変えられる人のことだ。
 治らない人、というのは、それが出来ないのさ。
 この常世島というのは、約束を守ってさえいれば、みんなで楽しく正しく、暮らせるようにできているのにね」

(血まみれの顔で、穏やかに笑う)

「子どもは、周りに迷惑を掛けて大人になる。
 だけどそれは、決して楽しいばかりではなくて、やり方を知らないから、自分を認めてほしいからだ。
 知識を得て、人から認められた子どもは、人に迷惑を掛けない大人になってゆく。――君のように。

 ……迷惑を掛けるのが芯から楽しい、という人は、子どもとも人間ともまた違うものだ。
 その人にも、その人なりの考えがあるのかも知れないけれど――

 島のルールには、そぐわないよ」

(一度目を伏せて、ふたたびはたたを見る)

「……君は、人に迷惑を掛けてしまったとき、人に困った顔をさせてしまったとき、何か感じた?」

倉光 はたた > ヨキの言いつけには、これまた素直にこうべを垂れる。
以前よりも多少の知恵と器用さを身につけたはたたは、もはや、
言葉をすべて鵜呑みにするほど幼くはなかったが、
多くの材料から多角的な視野で判断を下せるほどに大人でもなかった。

問い返されて、凪いだ水面のような表情がかすかに揺れた。

「……その顔を、見たくないと思いました。
 その原因が自分にあって、
 それを取り除くことができれば、そうすることで、
 きっと、困らせることはなくなる、そう思いました」

とつとつと答える。
なぜだか責められた子供のように視線を逸らす。

「でも、どうしても自分に原因を見つけることが出来ず、
 その人の困った顔がなくならないとき、
 どうすればいいのでしょうか」

ヨキからは少しだけ離れた場所に、血や埃で服が汚れるのもかまわず、
地べたに尻を付けて脚を広げる。

「ヨキ先生は、どうしてわたしが、
 迷惑をかけない大人になれるって思っているんですか?」

ほとんど調子の変わらない、抑揚のない、今日何度目かの問い。

ヨキ > (はたたの答えを聞きながら、静かに頷いて相槌を打つ)

「……そうだね。ヨキも、長い間ひとを困らせることばかりしてきたよ。
 自分が正しい、と思ってしていることは、なかなか間違っていても気付けない」

(壁に背をつけて座った格好で、天井を仰ぐ。
 目を閉じてすう、と息を吐き、はたたを見る)

「自分で原因が見つけられないときにこそ、周りに君以外の人間が居るんだよ。
 自分の後ろにその原因があるとき、自分の目ではとても見えないね。
 だから他の人に、自分では見えづらいところを見つけてもらわなくちゃならないんだ。
 目のいい人、悪い人、世の中にはいっぱい居る。
 だからそれだけ、君はたくさんの人に自分を見てもらわなくちゃならない」

(続く問いには、淀みなく答える)

「君は、自分の言葉でものを考えて、判らないときにはそうして立ち止まれるからだよ。
 そういう生徒は、根っからの悪者にはならない。
 それだけたくさんの、『大人』になってゆく子どもたちを見てきた。

 ……それにこれは、魔法を使えないヨキの魔法みたいなものだ。

 『君はきっといい大人になる』。

 ヨキ独りでは、君にしてやれることはとっても少ないよ。
 でも君にそういう言葉を掛けてやれる相手は、一人でも多い方がいいんだ」

倉光 はたた > 「…………」

半開きになった口。
醒めたような無表情に、少々の驚きの色を乗せる。

「ヨキ先生は……ずっと、ゆらがない自信に満ちていますね。
 すごいことだと思います。きっと」

横目にヨキを見やるその視線には、
確かな尊敬、そして――ほんの僅かな、諦めが宿り、
それは混ざり合って、困惑という形をとった。
けしてヨキの言葉が的外れなものであったからでなく、
この少女の形をしたものの煩悶が誰も手にすることのできない鍵に
対応する鍵穴の奥にあったからだった。

しばらく呆けたように座り込んでいたが、
やがて立ち上がる。手で服についた埃や塵を軽く払う。

「ヨキ先生は――わたしの知るヒトのなかで、
 最も完成されている、と、わたしはかんがえます」

もしそれにほころびができるとしたら、と言葉を継いで、少しの間。

「きっと、そうやって、祈ってしまうことだと思います。
 わたしのために……」

硝子のこすれ合うような声を残して踵を返し、ヨキを背に、足早に歩み去っていく。
どうしてこんな不穏な場所を彷徨いていたかは、言わずじまいとなった。

ヨキ > (『揺らがない自信』。そう呼称されることに、ふっと笑む)

「…………。果たして、どうかな」

(もしかすると一連の言葉もまた、ヨキがヨキ自身のためにかけた魔法であったのかも知れない。
 往々にしてヨキの強すぎる言葉が相手へ本当には届かなかったとき、
 それでいてヨキは落胆を見せることはしなかった。
 立ち上がるはたたの姿を目で追う)

「……祈ることは、止められはしない。
 君が生徒であり、ヨキが教師である以上は。
 一度そうした形で、出会ってしまったからには……」

(ぼんやりと、眠りの淵にあるような顔をしてはたたを見送る。
 その背が見えなくなり、足音が聞こえなくなる頃、正面へ顔を引き戻す。

 傷が塞がれた喉に手をやる。
 熱傷の痕が、はたたとのひとときをぴりりとした痺れの形で残していた。

 ――立ち上がり、身を翻す。

 大きな黒い影が、陽炎のように廃墟を去る。
 後に残された血痕は――乾いてそれきり、血液であった名残さえ失って旧い錆と交じり、区別が付かなくなる)

ご案内:「スラムの奥」からヨキさんが去りました。
ご案内:「スラムの奥」から倉光 はたたさんが去りました。