2016/07/07 のログ
■ヨキ > 来月には、長らくの目標だった個展がはじまる。
飢えを抱えたまま会期を迎えるのは仕方ないにせよ、
欲求不満を溜め込んだままに不特定多数の人間を迎えることは避けておきたかった。
万が一にも最悪の間違いが起こるなどとは、考えたくもなかったが。
それでこの日は朝から晩まで、荒野を駆けずり回っていたのだった。
(もしかすると、のちのち良い教え子になるはずだった者も食べてしまったやも知れんな)
どんな生き物をどれほど齧ったかなど、いちいち覚えてはいない。
(よもや現役の学生を食ったようには思わなかったが)
けだものの理性など、あってないようなものだ。
ご案内:「荒野の奥」に濱崎 忠信さんが現れました。
■濱崎 忠信 > 「うわ、でっかい犬」
開口一番、少年が口にした言葉は、それだった。
現れた少年の容貌は、目立たない黒髪黒瞳。
井出達もまた、常世島では無個性と言う他ない、指定の制服をそのまま着ただけの姿。
そんな中、右手に持ったやけに大きなポリ袋だけが、不自然に目立った。
半透明のポリ袋の中身は、新聞紙にくるまれた『何か』。
新聞紙を赤黒く染め上げる、『何か』。
「先客いるのはマズったかな。まぁ、犬だし、いいか」
そう呟いて、湖の畔に移動して、ポリ袋を開く。
中から香るのは、濃厚な血の香り。
■ヨキ > 喉の奥から、図らずも地鳴りのような呻きが漏れた。
鼻先がひくついて、眠りから覚めたかのような鈍さでずるずると頭を引き起こす。
濃い血の香りよりも、その猟犬の気を引いたのは生きた人間の匂いだった。
動き回る若い人間の体臭は、それだけで馳走の合図だ。
(……………………、)
まるで岩が動いたかのような重さで立ち上がる。
【あなたが異能者であるならば、脳裏に低い男の声が響くのを感じるだろう】。
【犬はそうしてあなたに言葉を投げ掛ける】。
《誰だ》
《……斯様な奥地まで、何をしに来たね?》
金色の光を茫洋と発する犬の目が、忠信の顔をじっと見据えた。
■濱崎 忠信 > 突如、脳裏に響いた声に対して、まるで閃いた雷鳴に反応するが如く、少年が犬に向き直る。
「驚いた。まさか喋れる犬だったとは」
不意に腰のあたりに伸ばしていた手の力を緩めて、少年は薄く笑った。
「ちょっとゴミ捨てにね。
街の中で捨てると、ちょっとした面倒になりそうな代物なもんで」
そう言って、ポリ袋を軽く掲げる。
中身は恐らく……『何か』の成れの果てであろう。
「もし、アンタがそれが不愉快だってんなら、場所くらいは変えるよ。
それとも、贈呈品として置いていったほうがお好みかな?」
■ヨキ > 忠信の不敵な物言いに、喉の奥でくっと笑う。
まるきり無表情な犬の面をしているというのに、どこか人間じみた口の歪め方だった。
《ふ。
これほど大きな犬ならば、人語を話すくらいほんの嗜みだ》
冗談めかす。
《……面倒?何だ。その袋の中身か?》
忠信が手にしたポリ袋を一瞥する。
ただ立っているだけで、犬の視線は既に相手よりも高い。
《街の人間よりも、この犬に見つかった方が面倒だったと、思う羽目にならねば良いがな。
……施しなど受けんよ。一度空気に触れた血肉なら尚更に》
居住まいを正して、その場に座り直す。
動くたび、脇腹の肉の隙間から金色の焔が小さく噴き上がる。
それは生き物の体温が炎の形をとって舞い上がったようにも見えるが、
至近距離の忠信にも焔らしい熱は微塵も感じられない――まぼろしの炎だ。
《続けたまえ》
“さながら教師のような”口調で、「ゴミ捨て」の続きを促す。
《……“どこで”“何をして”出たゴミだ?》
■濱崎 忠信 > 「そりゃあ、失礼。そういう事なら、余計にさっさと捨てちまおう」
陽炎を思わせる金の炎を後目に、少年は小さなスコップで穴を掘り始める。
元からそれほど深く掘るつもりは無いらしく、割かし作業は適当というか、大雑把だ。
作業を続けながら、少年は黒い猟犬の質問に答える。
「街で仕事して、さ。
今回はアフターケアまで込みの仕事なんで、こんな後始末までしちゃってるってワケ。
ここなら異界から来た連中が勝手に『証拠隠滅』してくれるからな」
■ヨキ > 《難儀なものだな。
街で仕事をした人間が、わざわざこの荒野の奥地まで出向いてくるとは》
躾の行き届いた犬のように行儀よく座る身体は、その引き締まった見た目よりも
ずっと重く土を踏み付けていることが判る。
犬の身じろぎに合わせて、足元の土がわずかに溝を作って抉れた。
動体に敏感な犬の目が、スコップを動かす忠信の手の動きを追う。
《殺しか。それとも盗みか?》
獣の何気なさで振るった尻尾が、いちいち鞭のように風を切って撓る。
夜気に生きた肉と死んだ血の臭いが溶けて、痩せた腹が小さく鳴った。
■濱崎 忠信 > 知性ある声色でありながら、全身で野生特有の『暴力の気配』を漂わせる黒い猟犬。
まさに神話に現れる魔獣……いや、姿は兎も角、その在り方は……知恵を持った竜といったところか。
それらを思わせる猟犬の所作を脇目で一瞥しながら、少年は作業を続ける。
「殺しさ。俺は殺し屋だからね。
まぁ、ささやかな隙間産業って奴さ。
嫌われる人間がいて、その嫌われてる人間を大枚叩いてでも殺したい奴がいる。
でも、自分の手は汚したくない。そんな時、俺みたいなのにお鉢が回ってくる。
今回も、その一つでしかない」
■ヨキ > その黒犬の眼差しは、忠信の一挙手一投足を注視しているかのようだった。
まるで言葉の受け答えや、“ゴミ捨て”の手順をひとつ誤りでもすれば、
今にも飛び掛かって来んとするかのように。
《殺し屋か。
人の代わりに人を殺して暮らしが成り立つなど、まさしく人間の営みそのものだ》
命を得た古木が動くような厳めしさで、徐に首を振る。
《……それで転移荒野を選ぶなど、君はこの島で殺すための手管をよくよく承知しているらしいな。
島の人間らの目は、よほど厳しかろう》
少年の行為を、諭すでも窘めるでもない、それはさながら世間話の体だ。
《君は己が欲のために殺すのではなく、あくまで仕事をこなしているに過ぎんという訳だ》
吹き出した鼻息は笑い声に似ていた。
《君のその獲物は、どんな奴だったね?》
■濱崎 忠信 > 「さぁ。俺は仕事相手の素性はあんまり調べないから、よくは知らない。
ただ、俺は『高い』から、俺に依頼をしてくる連中はそれ相応に金と恨みを持っている奴しかいない。
逆説、『そんなに金を払ってでも殺してやりたいと思われるほど誰かに憎まれ、疎まれている奴』が、俺に殺されるような奴さ。
実際、俺に罵詈雑言を浴びせなかった奴も、命乞いしなかった奴も殆どいなかったよ」
一つ一つ、呟くように。囁くように。
それでも、互いに声は聞こえる。
声に出す必要も本来はないのかもしれないが、それでも、少年は律儀に声に出す。
それしか、意志疎通の方法をロクに知らないともいえるが、まぁ普通、人間はそんなものだろう。
「実際、その辺り全部ひっくるめて、よくわかんないってのが正しい。
俺はこれを仕事以上には思っちゃいないけど、なんでやってんのかっつわれれば食い扶持のためで。
じゃ、それは欲じゃねぇのか? といわれりゃあ、そうじゃないとは間違ってもいえない。
確かに俺は殺しのやり方は良く知っているけど、それだって弱い者いじめ専門で、本気で殺せない奴はどうやっても殺せない。
それでも殺し屋の看板下げて、ただ仕事だからと口ではいってずっとこれをやっている。
別に迷いとかはないし、後悔もないけど。
フラットにやれてるかっつわれると、ちょっとあやしいなと、最近は思うよ。
そんな状態でこの稼業続けられるのかってのも、素直に言えば不安なところだ。
殺し屋が将来の不安だなんて、それこそ御笑い種かもしんないけどね」
■ヨキ > 実際、この犬は少年と相対してから血に汚れた口をほとんど動かしてはいなかった。
相手の鼓膜に届くのは、獣らしい低い息遣いばかりだ。
《賢明な仕事ぶりだな》
自らの口元を、大きな舌でべろりと舐める。
《この犬めが人間の暮らしを知らぬものと見えて、
そのような勉学や将来の悩みを打ち明けるものは少なからず在ったよ。
仕事に悩むもまた、人間ならではの心であろう》
お笑い種と喩えられても、犬は笑うことをしなかった。
《そんなものだろう。
出世を願わずば、金を稼ぐなどごく単調な繰り返しだ》
ここへ来て、犬が伝える言葉は随分と人間味を増した。
《君はまだ若い。
他の働き口など、いくらでもあるだろうに。
だからと言って、殺しから手を洗うような性質とも思えんが……。
一片でも惑いがあるならば――ヘマをして命を落とす前に、
異なる道へ進んでおくことを勧めよう》
■濱崎 忠信 > 猟犬の言い種……いや、伝え種に、つい少年は苦笑を漏らす。
「確かに、アンタみたいな大きな犬に人間の暮らしぶりを相談するってのは、出来の悪い童話に似た打算や舐めがあるのかもな。
それすら人間の甘さと見透かされてるんじゃあ、なるほど、そりゃあ人間は……異形を怖れるってもんだよな。
格上を怖がるってのは、生命として極々普通の事らしいからな」
一通り作業を終えて、たまたま異界から現れた腹を減らした異形の何かが食べやすい程度に穴を埋める。
多分、半日も放っておけば、何かしらに食い荒らされて跡形もなくなるだろう。
此処はそういう場所だ。
「まぁ、転職の勧めは謹んで聞いておくよ。
俺も好きでやってるわけじゃないから、機会があれば乗換ってのも悪くないと思ってる。
もっとも」
踵を返しながら、自嘲気味に笑う。
「状況がそれを許さないからこそ俺は殺し屋になったし、今後もきっと『それだけ』の事になるんだろうけどな」
異能や魔術が世に跋扈して既に短くない時間が過ぎた。
それによって生まれたあらゆる事情は、誰もの生活に影を落としている。
それは恐らく、この少年だけでなく……それこそ、この島にいる誰もにとって、多少は同じことであるのだろう。
「さて、仕事終わったし、俺は帰るわ。しかし、お犬様、アンタなんつーか……」
帰り際、少年は振り向いて。
「まるで、教師みたいだな」
かすかに、笑い。
「そうやって進路相談みたいに柔らかく喋ってると、最初に恫喝してた時とくらべて……アンタ、すげぇ生き生きしてるようにみえるぜ」
そう、嘯いて……荒野から去っていった。
口笛交じりで、少し上機嫌そうに。
ご案内:「荒野の奥」から濱崎 忠信さんが去りました。
■ヨキ > 《だがまるきり怪異のように言葉が通じぬよりは、ずっと心も穏やかだろう?》
皮肉げに目を細める。
《君は思慮深い。自分が踏み込んだ、そして自分の置かれた状況をよく把握している。
なまじなことで道も命も断たれるようでは、勿体ない》
立ち去ろうとする忠信の姿を、立ち上がりもせずに見送る。
《――教師。は、教師ね》
吐息で笑う。
《そうして君のような相手から活かされなければ、それこそ“死んで”しまうのさ。
だから、》
《ありがとう。話が聞けて良かった》
遠ざかる背に向かって、最後の言葉を投げる。
まるっきり人間が犬の姿を借りでもしていたかのような語調で。
たとえ忠信があと一度背後を振り返ったとて、もはや湖のほとりには何者の気配も残ってはいない。
■ヨキ > ――ばさりと重たい布の翻る音がして、黒い人影が荒野の真ん中に立っている。
いやに背の高い黒ずくめの人物は、名も知らぬ少年が歩き去ったあとをしばらく見つめ、
「……………………、」
緩やかにかぶりを振る。
ただ暗闇が沈み込む夜の底で、双眸だけが明るかった。
三日月のような唇の隙間から薄らと白い歯を剥いて、小さく笑う。
「やはりヨキは、教師でなくてはならないようだ」
くしゃくしゃの髪を風に揺らして、荒野から忽然と姿を消す。
ご案内:「荒野の奥」からヨキさんが去りました。