2016/10/31 のログ
ご案内:「クローデットの私宅」にクローデットさんが現れました。
ご案内:「クローデットの私宅」にマリアさんが現れました。
クローデット > 【続きから】

クローデットがリップメイクの準備に入れば、マリアの視線は多少自由に動くようになる。
鏡に視線を投げれば、ピンクと紫のグラデーションに彩られた、まつ毛を強調された目元、作り物めいて仕上げられた白い肌と、そこに生気を補うように軽く乗せられた桃色のチーク…といった風情の自分が垣間見えるだろう。

そして、クローデットに視線を投げれば、リップスティックのような形状の白い化粧道具を手にし、たおやかながらも楽しげに微笑むクローデットの、やや青みがかったピンクの艶めいた、柔らかそうな唇。

わずかな時間の空白だし、クローデットの意識はメイクの準備に向いているように見える。
「何も見ない」のも、マリアの選択だろう。

マリア > 貴女が離れれば,マリアの視線は,まず鏡の中の自分自身へと向けられた。
マリアの故郷にももちろん化粧という概念はあるが,これほどに本格的な化粧を施されたことは無かった。
彼女に必要とされるのは,あくまでも最低限の化粧のみだったから。

「…………………。」

鏡に映る自分の姿に何を感じたか,それはマリアが語らない限り誰にもわからない。
マリアは自分の顔を,いろいろな角度から眺めていた…。

…視線はやがて,貴女の楽しげな笑みを見つけて……マリアもまた,嬉しそうに,微笑む。

クローデット > リップメイクの準備を整えてマリアの方に戻りながら、自分の表情に嬉しそうな笑みを零す相手を見つけ…こちらも、華やいだ笑みを返す。

「ふふ…それでは、仕上げに参りましょうね。
「あたくし達」の場合、リップの色が強い方が合いますのよ。
…あたくし自身は、普段はあえて多用しないのですが」

そう言って、白いリップスティックのようなものをマリアの口元に向ける。

「…唇を柔らかく、鮮やかに見せるために、少し工夫を致しますわね。
…少しだけ、口を開けて頂けますか?」

そう言って、左手でマリアの顔を優しく包んで支えるようにすると、白いリップスティックのようなものをマリアの唇に向けた。
それは、唇の色を消すためのコンシーラーだった。保湿成分入りで、下地の意味も持つ優れものである。

マリアが特に動きを見せなければ、マリアの唇の色は、薄く目立たないものとなるだろう。

マリア > 鏡の中に座り,ぎこちない笑みを浮かべる“マリア”と,そんな“マリア”に向けて微笑む“クローデット”。
それはまるで,自分自身がその場にいないかのような,不思議な感覚だった。
この美しい女性2人を,また別の場所から,自分が見ているかのような……。

「………あ,…はい!」

一瞬,貴女の言葉への反応が遅れたのも,それが理由。
“男”としての自己が介入する余地が,少しずつなくなっていき,
貴女の笑みも同様に“女としてのマリア”へ向けられているように感じられた。

貴女の掌が頬に触れる…身体が震えそうになるのを,必死で抑えた。

クローデット > 掌が触れる、だけではない。
メイクの細かい部分まで丁寧に見るためもあるだろうが、クローデットの顔は…その目は、マリアの唇のすぐ傍にあった。

「…ふふふ」

マリアのぎこちない様子を見て、まるで初めて本格的に化粧する妹を見守る姉のような優しい…それでいてどこか悪戯っぽい微笑を零す。

コンシーラーで色を目立たなくすると、今度はローズ系のリップペンシルを取り出した。そのペン先が、マリアの唇の輪郭を…中央を少し膨らませるようになぞる。
それから、ペンシルで唇全体を塗りつぶし…次いで、上唇の山の部分の凹凸、そして下唇の口角に先ほどのコンシーラーを入れる。

マリアの唇が、平素より立体的に浮き上がって見え始める。

マリア > はじめ,マリアは貴女の顔を,その瞳をまっすぐに見つめることはできなかった。
けれど“女としてのマリア”がそこに在り,“自分”がそれを外から見ているという感覚が,それを覆す。
“女としてのマリア”は貴女にこうしてメイクをしてもらうのが,心の底から嬉しいのだ。
そして“自分”はそんな2人を見ているだけなのだから……。

「……………。」

……マリアの瞳が貴女を見て,唇からリップペンシルが離れた時に,口元も柔らかく笑んだ。
マリアの内面では“仮面”と“自己”が乖離し始めていたが,仮面をかぶったマリアは,確かに幸せだった。

クローデット > 「…あら」

リップカラーを乗せるための下準備を終えたところで、マリアの口元が柔らかく笑んでいるのに気付き、少し驚いたように目を瞬かせるが…それも、少しの間。すぐに、いつもの艶めいた微笑を口元に貼り付ける。

「…折角ですから、楽しみましょう?」

そう言って、取り出すリップスティックは、紫がやや強めの、鮮やかなローズピンク。
リップスティックからわざわざブラシで取って、マリアの唇に…丁寧に、ムラなく色を乗せていく。
無論、作業中はクローデットとマリアの顔の距離は近いままだ。

マリア > むしろ,仮面と自己が完全に乖離してしまえば,マリアも楽だったのかもしれない。
しかしマリアの精神は“女としてのマリア”を完全に切り離すことはできなかった。
過去の大部分の時間を女として過ごしたマリアには,自己と仮面の境目が曖昧だったのだ。

「………あっ…。」

貴女の驚いたような表情が,マリアの“自己”をその場へ引き戻した。
すぐ近くにある貴女の顔を,その瞳を意識してしまった。

そうなれば,貴女の息遣い,指先の温かさ,優しく包み込むような甘い香水の香り,
全てがマリアの五感を刺激し,鼓動を早め,体温を上げてしまう。

楽しみましょう。そんな貴女の言葉に,マリアは言葉を返すことができなかった。

クローデット > 先ほどの微笑に、「女」としての自分との乖離を疑ったクローデットだったが…どうやら、まだ乖離は完全ではないらしい。
「女性である」というよりは「男性性の欠如」の方が顕著なマリアのことだ、完全に引き離した時に残っているものは、あまりに頼りないのだろう。

(…もう少し、様子を見ましょう。
完全に乖離したら、「楽しみ」のコストが上がってしまいますものね?)

香水の甘い香り…催淫作用のある精油はほとんど含まれていないが…を手首からほのかに漂わせながら、悪意を表に出さず、淡々と作業をしていくクローデット。
リップカラーを乗せ終わると、その上にピンクがかったリップグロスを、これまたブラシを使って薄く乗せていく。

マリアの唇が、クローデットのそれに近い艶を帯びていく。

マリア > 貴女の真意,その悪意には気づく素振もない。
マリアはただ,貴女の一挙一動に翻弄されていた。
……いや,もしかしたら,そうすることを自ら選んだのかもしれない。

「…………。」

グラデーションに彩られた目元,リップグロスが乗せられた唇,そして女性らしい丸みを帯びた身体。
鏡に映る“マリア”は,貴女の手によって理想の女性へと近づいていく。

……そしてそれが,貴女の姿に近づいていくことに他ならないのを,マリアは,肌で感じ始めていた。

クローデット > 化粧に関して言うならば…元々、クローデットとマリアは似ていたのだ。
肌の白さも、体全体が纏う色素からの黄みの欠如も。
無論、素の造形はクローデットの方が女性的だろうが…その差を埋めるのが、まさにその「化粧」という技術である。
クローデットがマリアに施すそれは、自分に対してのそれより遥かに手がこんでいた。

「ふふふ…唇を立体的に見せる、最後のおまじないですわ」

クローデットは、楽しげに微笑みながら白く光沢のある何かポイントメイク用のパウダーをとんとんと指に取ると…パウダーを取った指をマリアの唇に向けて伸ばす。
マリアが避けたりしなければ、指先に取った白いパウダーがちょんちょん、と軽く下唇の中央に乗せられ…マリアの唇は、クローデットのものに勝るとも劣らない立体感と艶、柔らかさを持ってみせるのだ。

無論、それはあくまで化粧であり、マリアの顔の実態そのものが変化しているわけではないのだが。

「さて、お化粧はこれで終わりです…シュピリシルド様、とてもお綺麗ですわ」

そう言って、満面の笑みをマリアに向けたクローデットはマリアの正面を姿見に譲る。
自分は、楽しげな微笑を湛えたままマリアのやや後方、横に回った。

鏡の中で、丁度2人の顔が近くに並ぶように。

マリア > 最後のおまじない。避けることなどするはずがなかった。
ただ,伸ばされた指が触れた瞬間に,ぴくっとその身体を震わせる。
貴女が横に回って,鏡の中に映る女性が2人になり…

「…………私…。」

…マリアは無意識に並んだ2人を見比べてしまう。
無論,マリアは男性であり,中性的な顔立ちをしているとは言えその性差は確かにある。
けれど,貴女が施してくれた化粧が,その差を限りなく少なく埋めていた。

「…ルナン様,私…その……。」

しばらくそんな2人が並ぶ鏡の向こう側を見つめた後,マリアは言いづらそうに口を開く。
男として,女として,そんなものは関係なく,マリアは自分のためにこれほどの時間と手間をかけてくれた貴女に,

「…とっても嬉しいです。……ありがとう,ございます。」

心の底から感謝していた。こんな風に扱われたのは,生まれて初めてだった。
少しだけ気恥ずかしそうにしながら,笑顔で,礼を述べる。

クローデット > 「…ふふ、喜んで頂けて何よりですわ」

相手の気恥ずかしげな笑みと、礼の言葉に、少し驚いたように目を瞬かせてから…いつもの、たおやかな微笑を返す。
…クローデットの目からすら、マリアの内面の葛藤は、綺麗に覆われてしまっていた。

「せっかくですから、御髪も整えましょう。
お化粧でお綺麗になられましたから、アップスタイルでもきっと映えますわ」

そう言って、ヘアアイロンなどを取りに行くために、一度寝室に向かって出て行く。

マリア > ルナンが悪意を完全に隠すのなら,マリアは疑念を完全に隠す。
そうやって従属し,必要とされるものだけを見せることでマリアは,自分の居場所を作ってきた。
そして救われ難いことに,マリアの言葉には,一切の偽りが無いのだ。
マリアが貴女に感謝していることは,事実なのだから。

「……あっ………。」

貴女が去ってしまえば,一人,鏡の前に残される。
貴女の目が無くなることは,即ち本来の自己が表出する隙を生じるということだった。

「…………………………。」

鏡の向こう側の自分を,じっと見つめる。
あまりにも美しく整えられたその姿は,まるで人形のようでさえあった。

それを自分自身と認識することは,いまだに,できそうにない。

クローデットと笑顔で話しているのも,クローデットに感謝しているのも,
自分なのか,それとも“鏡の中の女の子”なのか,よくわからなくなっていた。

この上ないほど美しく,理想的に形作られた自分自身の姿を見て,
マリアはむしろ,自分が本質的には“男”なのだということを,自覚させられていた。

クローデットが今戻ってくれば,鏡に向かって不安と困惑の表情を浮かべるマリアを,見ることができるだろう。

クローデット > ヘアアイロンや整髪料を取ってくる程度の手間ならば、大して時間はかからない。
結果的に、クローデットはマリアが鏡に向かって不安と困惑の表情を向けている場面に、居合わせてしまった。

「…シュピリシルド様、どうかなさいましたの?」

他意のない口調で、マリアの背中から声をかける。
その顔には穏やかな、人の不安を拭うような微笑が貼り付けられてはいるが…その瞳は、マリアの「異常」を探り当てようという明晰さを持っていた。

マリア > 迂闊だった。普段なら,そんな表情を表に出すことは決してしなかった。
けれど,今は……あまりにも,自己が変容しすぎたのだろう。

「あっ………。」

背中から向けられた言葉にマリアは,僅かに声を漏らした。
とっさに言い訳を考えている自分に気づく…しかし,貴女にはそんなものすぐに看破されてしまうだろう。

「……前もそうだったのですが,私が,私でないような気がして…。」

嘘は言っていないが,抽象的な表現。
そう言って笑って見せるマリアの表情は,貴女がこの部屋を出ていく前と何ら変わらなかった。

今となっては,そして貴女の明晰さの前では,それが一層,違和感を増長するだろうが。

クローデット > 「…ご自身が、ご自身でないような心地、ですか…」

すっと伏し目がちにしながらマリアに近づき、とりあえず服をカバーしていたタオルを外す。
メイクは終わったのだ、もう必要はない。

「………シュピリシルド様が苦しいようでしたら、御髪を整えるのは取りやめようかと思いますけれど…いかがなさいます?」

そう、淡々と問いかける。
マリアの「虚飾」は…部屋を出て行く前と同じ笑顔は、ほとんど見透かされてしまっていた。

マリア > クローデットの表情を鑑越しに見る。…きっと,気付かれてしまっただろうと思う。
女として振舞っていれば,女性としての後輩としてここに在れば,貴女と時間を過ごすことができる。
…………ここに居ることができる。

「そんな,苦しくなんて……」

……マリアにはもう,取り繕う言葉もなかった。
鑑越しに見えた貴方の瞳が,マリアの仮面を見透かし…その奥の自分自身,その心までを見通している気がして……。

「……………。」

マリアは,黙り込んでしまった。

クローデット > 黙り込んだマリアの、正面に回る。
結果的に、鏡はクローデットの身体で覆い隠されるだろう。

「…あたくしは、ずっと「シュピリシルド様のなさりたいようになさって下さい」と申し上げて参りました。
………ですから、無理はなさらずとも良いのです」

クローデットの声は優しく、表情も、それに見合ったものだ。
マリアを支えるかのように、優しく、マリアの手がクローデットのそれに取られようとしている。
…しかし。

「…それで、シュピリシルド様はどうなさりたいのですか?」

この場面で問われる、この言葉は…今までのそれより、遥かに重く感じられるだろう。
既に、クローデットが「普通に」出来る限界に近いところまで、マリアは女性に寄せられた後なのだから。

マリア > 初めて出会ったときから,貴女の強さを羨ましいと思っていた。
頼もしいとも思っていた。自分の感情を殺してでも,クローデットの言う通りにすれば,悪いことは起きなかった。
あのお店のことも,委員会のことも……。

「………ありがとう,ございます。」

優しい声を聴けば視線を上げて,貴女の表情を見る。
勿論,手を取られることを拒絶するようなことはしなかった。

「………私は……。」

綻びを見られてしまった以上,偽ることはできない。
そう感じるのだが一方で,貴女の質問への答えは,物事の核心から少しだけずれた場所に帰結する。

「……ルナン様とこうしていることが,幸せなんです。
 ルナン様が笑って下さることも,私のために時間を使って下さることも。」

だが,貴女が見ているのは“女性としての自分”だろう。マリアはそう考えていた。
だとすれば,マリアはこの居場所にしがみつくために貴女を騙し,その好意を踏みにじっている。
そんな自責の念が,生じた。
貴女がわずかでも悪意を隠さずに見せていれば,そうはならなかっただろうが…。

「すみません……ごめんなさい,本当に……ルナン様…………。」

核心を語らなかった。だが今なら,マリアから核心を引き出すのは容易いだろう。
貴女の良心がそれを許すのなら,だが。

クローデット > 魔術師としての強さも、知性も…「女」としての強さも、地道な…気が遠くなるほど地道で、素朴な積み重ねの結果に過ぎない。
無論、素養の助けはあったが…それだけでは、「魔女」として輝くことは出来なかっただろう。
クローデットは、そういう女だった。
…そして、そうしたクローデットは、悪意という毒を、甘美に包む技術にも長けていた。

「…そう言って頂けて、光栄ですわ」

そう言って、笑みに柔らかな艶を再び混ぜ始める。
…それから、取ったマリアの手を、「自分の手ごと」、そっとマリアの胸元に当てた。
ほぼ作ったものとはいえ、今日はその奥に、マリア本来のものではない、肉体そのものが持つ柔らかさがある。

「…それにしても、あたくしは「シュピリシルド様のなさりたいように」と申しておりますのに…
………何を、謝られることがございまして?」

クローデットの声が、優しさの中に、少し甘さを帯びる。
薄まってこそいるものの、本来の濃度には毒々しさがあるのではないかと思われるような…。

マリア > マリアは貴女の過去を知るべくもない。
だからこそ,今ここに立っている貴女を見て,それを想像するしかなかった。
そして,包み隠された悪意を暴くほどの洞察力はマリアには無かったし,もしあったとしても決してそれを暴こうとはしなかっただろう。

「……あっ………。」

掌が自分の胸に触れる。
掌に感じられる柔らかさだけでなく,胸にも同様に自分の掌と…それから,貴女の掌を感じた。
クローデットにも,マリアの鼓動や体温が感じられるだろう。焦燥か不安か,鼓動は早く,体温は高い。

「……………。」

貴女は決して追及するような言葉を向けなかった。それが,マリアの善意を打ち砕かんばかりに,苦しめた。
このまま全てをもう一度包み隠して,貴女の言葉に甘えてしまいたいと思った。

貴女が,その言葉の奥に毒針を隠していることになど,気付く素振もない……いや,気付きたくなかったのだろう。
マリアは,何も言えなかった。黙り込んでしまったままだった。

こうやって居場所を失うのも,全て自分が悪いのだ。
クローデットの思いに応えられず,綻びを見せてしまった自分が悪いのだ。

そうやって自分を責めることしか,できなかった。

「ごめんなさい……ルナン様。」

やっと開いた口からこぼれたのはまた,謝罪の言葉だった。

クローデット > 平常より高いだろう体温、早い鼓動。
それらは、焦燥からくるものか、あるいは…。

ここから、どう追い詰めてやろうか。
そんなことを、考えた折だった。

「異能者(バケモノ)を許すな」と、「異邦人(ヨソモノ)に屈辱を」という、強烈な意思が、瞬間、クローデットの脳裏に差し込まれた。
焦燥と自責の中、マリアがクローデットの目をよく見ることが出来ていれば…クローデットの瞳に一瞬、血の赤が入り交じるのが分かったかもしれない。
しかし、それは本当に、一瞬のことだった。

そして…クローデットは、自制の留め金を、外してしまった。

「………あたくしには、言えないことですか?」

今までの優しい声が信じられないくらいの、どす黒いほどの甘ったるい声が、マリアにそう尋ねた。
マリアの胸元には、2人の手が優しく添えられたままなのにもかかわらず。

マリア > 貴女の瞳をまっすぐに見つめることなどできるはずもなく,その色に気づくことはできなかった。
だが,マリアの中の“魔女”が,貴女の声が,貴女の纏う空気が変わったことを,敏感に察知した。

マリアは,それでも,この居場所を失いたくなかった。
鏡の中に並んだ2人……自分が本当の自分でなかったとしても,偽りの姿だったとしても…

……誰かと並んで笑える日が来るなんて。


けれど,自分の失敗が,鏡の中の幸福な姿をほんの一瞬で壊してしまった。
もうきっと,手遅れなのは分かっている。
けれど,それでもマリアは,

「ごめんなさい……言ってしまったら,きっと,ルナン様と一緒に過ごせない。
 だから,言いたく,ないんです。」



「ルナン様と並んで二人で笑った時,本当に,嬉しかったから……。」

それを隠した。もう隠しようがないものと知りながら。泣きそうになるのをぐっと堪えて,笑って見せる。

クローデット > 「………。」

マリアの告白に…正確に言えば、それを引き出した、自分の毒を持つ言葉に、クローデットはいつもの笑顔をなくして、目を見開いていた。

今、自分は何を言った?

それでも、自分に縋る「男」の哀れさに、どういう言葉を向ければ良いのか思案する中…

《クローデット》
《わたしをおいていくの?》

そんな声が、脳内で響いた。

「………そのおっしゃりようでしたら、既におっしゃっているようなものですわね」

甘い、毒を含んだ声が、再びマリアにかけられる。クローデットの瞳が…再び、血の赤に一瞬染まる。
しかし…クローデットがマリアの耳元に口を寄せた時には、その色は綺麗に消え失せていた。

「………もしも、シュピリシルド様が望まれるのでしたら…あたくしが、シュピリシルド様ご自身を騙せるような、「おまじない」をして差し上げますわ。

…ずっと、こうしてい続けられるように」

甘い声が、マリアの耳元で囁く。

本人の「本質」に反する精神干渉は、倫理的に禁断の領域である上、術式の難易度も跳ね上がる。
少なくとも、クローデット本来の力ならば、扱えない領域のはずだった。

マリア > 今度は,貴女の瞳をまっすぐに見つめていた。
一瞬だけ見えた,血の赤……それが何を意味しているのかは,分からない。
だがその色は,マリアの瞳の色と同じで……それは,マリアの世界では不吉なものとされていた。

「…………。」

その瞳をもった所為で,ずっと疎まれ,必要とされない人生を送ってきた。
目の前のクローデットが一瞬だけ見せたその色には違う意味があるのだろうが,
マリアにとっては,それが凶兆に見えても不思議はない。


「私はこれまでもずっと,自分を騙して生きてきました。」

「……でも,私は…。」


ヴィルヘルム=フォン=シュピリシルド。皇子として生まれ,魔女として育てられた。
自分が歪んでいるのだと,自分でも分かる……両親や兄弟に必要とされるために,どんなことでもした。
全ては,自分の居場所が欲しかったから……それだけだ。


マリアは,静かに,首を横に振った。
ごめんなさい。そう小さく,言葉を漏らす。


クローデットに憧れていた。
その感情はきっと,女性としての自分以上に,男性としての自分が持っているものだろう。
もちろん女性としての自分も憧れは抱いているが,きっと,それを利用して,男性としての自分が,この居場所を得たのだ。

この上なく卑怯だと,自分でも思う。
けれど,男性としての自分を失ってしまえば,きっと,クローデットへの感情も,変わってしまうのだろうと思った。

「ごめんなさい,ルナン様……。」

微かに残された男としての自尊心だったのか,それとも,貴女への憧れを失いたくない一心だったのか。
いずれにせよ,マリアは貴女の申し出を,自分の意思で初めて,断ることに決めたのだ。

クローデット > 「………。」

マリアに見つめ返されて、クローデットが初めて「たじろいだ」。
自分が言ってしまったこと。まだ出来ない禁忌の領域に踏み込めると言い切ってしまった自分。…何より、自分に依存するためなら何でもするのではないかとすら思えた相手の、初めての拒絶。
自分が何を言ったのか。今、何が起こっているのか。
クローデットの脳内に、今までないほどの混乱が訪れていた。

クローデットは、後ずさり…そして、そのままその場にへたり込む。

「………いいえ…あたくしの方こそ、出過ぎたことを申してしまいました」

口を手で覆い隠しながら、青い瞳を見開いているクローデットが、やっと、かすれ気味の声を零す。
マリアはもちろん…他の者が、ほとんど見たことのない姿であることは疑いようがない。

マリア > マリアはそんな貴女の混乱を間近で見ることになった。
そしてそれは,マリアがこれまで見た貴女の姿とは,まったく重なり合わない。
だが救われ難いのは,最初に,その申し出を拒絶したことを,後悔したことだ。
……もっとも,すぐにクローデットの様子が尋常ではないと思い直したのだが。

「ルナン……様??」

貴女は後ずさり…鏡の前にへたり込んでしまう。

「ルナン様!?」

驚いたように立ち上がって,貴女に歩み寄った。
慣れない服だが,片膝をつくようにしゃがみ込んで……

「……どうされたのですか,ルナン様…何か,えっと………。
 まずは,お手をお取り下さい……ルナン様。」

どうしたらよいのかひとしきり困惑した後,手を差し伸べる。
そうすると決めたら,もう迷いは無かった。

クローデット > 『優位に立つことを、絶対に忘れないで』

クローデットの脳裏に、その言葉が響く。
今までのそれとは違い、唐突な感覚はなかった。瞳も、青いままだった。
…なぜなら、それはかつて「大切な人」に説かれた、「魔女」の心得でしかなかったから。

「………失礼、致しました…お気になさらずとも、大丈夫ですわ」

クローデットは、差し伸べられたマリアの手を拒んだ。
傍の棚を掴み、ふらふらと立ち上がる。

今、この場で、優位に立ち直せる要素が、ぱっと思い当たらない。
だから、せめて頼らないようにという矜持を、意地を、クローデットは手放さなかった。

マリア > 貴女がそれを拒めば,マリアは差し出した手をすぐに下げて,

「……それなら,良かったです。」

まるで人形のように美しく整えられた顔を綻ばせ,微笑んで見せた。
マリアは貴女をよく見ていたし,貴女に気に入られようとしていた。
だからこそ,貴女が自分を強く持っていることを知っていた。
必要以上に手を貸すことが,きっと,不快感を齎すとまで,想像していた。

だからもう何も言わず,見守ることに決めたのだ。
貴女がもし本当に一人で立てなくなってしまえば,その時にこそ,手を差し伸べればいいのだと。

クローデット > クローデットの矜持は、強さは、どこまでが生来のものか。
それが歪んでいないものだと、どうして言えるのか。

クローデットの裏を知り…かつ、その意味を本当に理解している人間は、この島には一人しかいない。
そして、それは当然マリアではない。

「…ご心配をおかけしました…自分のしたことですのに」

一度立ち上がってしまえば、クローデットはいつものように凛と立ってみせる。
それから、マリアに対して穏やかな微笑を返した。

「………先ほどの「おまじない」のお話…忘れて、頂けますか?」

そう言って、口元に笑みを刻みながらも伏し目がちにする。

「優位に立つ」という意味では悪手だが…確認しないのが、一番危険だと判断した。

マリア > 自分にとっての居場所は,きっと失われただろう。
これから,貴女とこれまでと同じように接することは,できそうにない。
けれどそれ以上に,貴女が普段通りの貴女に戻ったことに安堵した。

その裏に秘められたものを,マリアも人並に知りたいと思ったが,
それをこそ,決して口に出すわけにはいかず,胸の奥底にしまい込んだ。

「……えぇ,それは,もちろん構わないですが。」

そのおまじないがどのようなものなのかさえ知らないマリアは,そう答えるほかに選択肢が無かった。
多くを語らないマリアが優位に立つことは無いだろうが,同様にして,マリアの優位に立つことも,難しいだろう。

クローデット > もう、クローデットがマリアをクローゼットまで導くことはないだろう。
望めばファッションや化粧は教えても良いが…もう、望まないことも、クローデットにはよく分かっていた。

「…ありがとうございます」

マリアが頷いてくれれば、静かにそう言って、綺麗な姿勢で頭を下げる。
…そして、頭を上げたそこには、いつもの艶めいた微笑が貼り付いていた。

「…少し、時間を取ってしまいましたけれど…これから、お茶になさいますか?
お身体が元に戻られるまでには、もう少々時間がありますし」

と。
これからどうなるかは分からないけれど、少なくとも招いた今回は、最後まで「表向きの」礼節を保つつもりでいるようだ。

マリア > きっとこれが最後の機会だ。
マリアにとっても,それは重々承知の上だったし,断る理由も無かった。

「……はい,ルナン様。」

貴女に合わせるように,マリアもまた全てを覆い隠して,笑った。

テーブルを破産で二人が座れば,きっとそこには,幸せな空間が広がるだろう。
香しい紅茶と,甘く上品な茶菓子。

マリアがもし女に生まれていたなら,きっと,魔女と呼ばれながらも,幸せになれた。
こんな風に笑いあえる友達が1人でもいれば,それで幸せだったのかも知れない。

けれど,マリアは…ヴィルヘルムは男として生まれた。今となってはそれだけが,不幸だった。



……自分の本当の名は,帰り際に告げるつもりだった。

クローデット > 居間でお茶の準備をしながら、マリアにこう尋ねるクローデット。

「…そういえば…ずっと守っておりました「嘘」は、どうなさいます?」

さりげない調子だったが、「マリア」が自分の本当の名を告げる前の問い。
公安委員会に性別の件が報告されれば…「彼」が追求を受けることはもちろんだが、クローデットにもそれが及ぶことがあり得た。

その上で、「マリア」はどう答えるのだろうか。

マリア > マリアはその問に,明確な答えを持ち合わせていなかった。
結果的にはクローデットのお陰で,自分自身について認識することはできたが…

「…ルナン様には,それを守って頂いた恩があります。
 ですから…ルナン様に,ご迷惑が掛からないように,と思うのですが…。」

…女性としての仮面を被って生きることには,もう慣れていた。そこにはほとんど苦は無いし,むしろ,その方が楽ですらある。
今更常に男性として生きることには,まだ想像がつかなかった。

そして,常世学園にマリアは“女性”として登録が完了している。
それを今更書き換えれば,少なくともクローデットの経歴に傷がつくことになるだろう。

クローデット > 結果的に「マリア」の認識が固まったとはいえ、クローデットがマリアに為した所業には、褒められないものが結構あった。
それを追求されれば、「経歴に傷」としては、かなりの痛手になるだろう。
それでも、クローデットの実態…「炎の魔女」に比べれば、かわいいものかもしれないが。

「………考えよう、ですわね。
あたくし自身が登録の際の性別確認をしたわけではありませんし、証言を合わせれば最低限の処罰で済むとは思いますけれど」

お茶の準備を終え、紅茶のカップを口元に寄せながら、静かに語る。

マリア次第、ということだろうか。

マリア > 貴女の心配は杞憂に過ぎないだろう。
何故ならそれを追求されるようなことにはならないからだ。
マリアはどのような状況になろうとも,貴女を全力で庇うだろう。

「そのままで結構です。私はこれからも,女性として過ごします。
 ですが,今後,もし,ルナン様が必要であると判断されましたら……。」

紅茶を一口啜る。それから,小さく頷いて…。

「ルナン様の手で,私の“嘘”を暴いて下さればそれで構いません。
 私が,貴女や委員会を騙し……貴女はついにその嘘を見抜いた,ということです。」

自己犠牲ともとれる言葉だが,クローデットに迷惑をかけないという意味では合理的だろう。
唯一,マリアが心変わりを起こし,委員会に自ら出頭したりしなければ,という条件が付くが。

「私の言葉を,信じて下さるならば…ですが。」

クローデット > 「………ふふふ」

マリアの提案がおかしかったのか、クローデットはくすくすと笑い出す。

「…公安の魔術師を欺くとは、大した手腕ですこと」

「クローデットを欺き続けた」という設定のハードルを、まず知らしめておく。
恐らく、マリアが想定するよりはずっと高い。
クローデットは、そういう人間なのだ。

「………どうでしょうか」

そして、マリアの言葉を信じるなら、という留保には…言葉を濁して、またティーカップに口を付けた。

マリア > 笑われてしまえば,少しだけ恥ずかしそうに頭を掻いた。
勿論,クローデットの言葉は承知の上だ…出会った瞬間に,看破されたのだから。

「ですが……それなら大丈夫です。私はもう,ここには来ませんから。」

その言葉に込められたのは,クローデットの家を尋ねないというそのままの意味だけでなく,
こうやって会うことも,会話することも無いだろうという,別れの決意。

何度も出会いながら欺き続けるのは難しいだろう。
だが,そうでなければ……この広大な島で,手配もされていないたった一人を公安が追う理由は無いだろうから。

もちろん,理由はそれだけではなかった。
けれど,少なくとも,クローデットにとって自分はもう必要のない人間だと,そう感じた。
それならもう,クローデットに近づく必要もないし…そんな権利も,無いだろう。

マリアは笑っていたが,瞳だけは寂し気にうつむいた。
男性としてのマリアも女性としてのマリアも,こうして一緒に過ごす時間が幸福であることに違いは無かったから。

クローデット > 恥ずかしそうに頭をかく仕草は、「淑女」のそれとは呼びづらいものだった。
そこまで、「仮面」を剥いだのだ。…他ならぬ、クローデット自身が。

「………確かに、「殿方」を家にはやすやすと招けませんものね」

その程度の観念は流石にあった。
マリアが「女性」の仮面を被り続けたからこそ、建前が辛うじて保たれていたに過ぎない。

「…ですが、あたくしは、こうしてシュピリシルド様にお会いしてお話ししたことなど、覚えておりますから。
シュピリシルド様が表の道を歩き続けていれば…どこかで、お会いするかもしれませんわ?」
(…まさか、ああまで隙を曝した相手を、野放しにするわけもないでしょう?)

自分の疑念は、表に出さず…静かに、そう言って微笑んだ。

マリア > こうやって,嘘のこと,性別のことをこうもあっさり曝け出して話す。
そんなことをする日が来るなんて,想像もできなかった。

「……本当に,お恥ずかしい限りです。」

貴女が包み隠さず向けてくれた“殿方”という言葉。生まれて初めての言葉。
まだ違和感があるのは確かだが,マリアはどこか,嬉しいとさえ感じていた。

「私もです…ルナン様とお会いできたことは,決して忘れません。
 こんなことを申し上げるのは,失礼なのですが……またお会いできたら,嬉しいです。」

疑念を隠す貴女に対して,マリアは……素直な気持ちを告げた。
それから,すこしだけ躊躇して……

「ルナン様にだけは知っていていただきたいので,申し上げます。
 私の本当の名は,ヴィルヘルム=フォン=シュピリシルド……生まれてから,一度も呼ばれたことのない名ですが。」

貴女にそれを告げたのは,自分を信じてほしかったからだろうか。
……或いは,単に,言葉通り,貴女に知ってほしかっただけなのかもしれない。

クローデット > 「いえ…シュピリシルド様がそうご自身を定められたのでしたら、あたくしから申し上げることはございませんわ」

そう言って、穏やかに微笑みながらティータイムを続けるクローデット。
マリアの密かな喜びに、気付くことはない。

「………そうですわね…その時が、不幸な再会でなければ良いのですが」
(無論、あたくしにとってですけれど)

相手の素直な気持ちを、表向き否定せずに、頷いてみせる。
…と、相手が躊躇の後に、「男」としての名を明かせば、目を瞬かせた後…

「…一度も呼ばれたことのないお名前が、「本当の名」であっていいのかは議論すべきところでしょうけれど…
素敵な、お名前ですわね」

と、くすりと、ほぼ吐息の笑みを零した。

マリア > 包み隠すマリアは,その喜びさえも包み隠した。けれどきっと,それを忘れることは無いだろう。

「不幸な再会…ですか。私が何か悪いことをして捕まったら,そうなってしまいますね。」

貴女の言葉の真意を理解できなかったマリアは,そう言って笑った。

「本当の名かどうかと言われると…確かにその通りですね。なんだか厳めしい名前ですし。」

貴女の笑みに,苦笑を返し…その名を,もう口にすることはない。
この奇妙な茶会は,まだしばらく続くだろう。
…隠すことをやめたマリアは,初めて,自分の言葉で貴女と話しをした。

それは,マリアにとって得難い幸福な時間だったに違いない。

クローデット > 「ええ、お気をつけ下さいませ?」

相手が「不幸な再会」の例を出せば、それを否定せず、どこか楽しげに笑った。
表面上は、あくまで少々不謹慎な警告、といったところだろうか。

「………いっそ、ご自分で「本当の名」を探されても良いのかもしれませんわね?
ご自身でしっくりこられていないのでしたら、尚更」

相手が苦笑を返してくれば、楽しげにそんなことまで言う。

そうして…表面上は楽しげにお茶の時間が過ぎ…「魔法」が解けた後、「彼」を着替えさせて帰したのだろう。

ご案内:「クローデットの私宅」からマリアさんが去りました。
クローデット > そうして、「彼」を見送った後。

「………。」

ハウスキーパーはまだ帰ってこない。一人で、茶会の片付けを進める。

《クローデット》

「………!?」

視界が、ぐらぐらと揺れた。

クローデット > 《クローデット》
《バケモノやヨソモノはかまうのに…》
《わたしはひとりにするの?》
《おいていかないで》
《あいつらはてきなのに》
《おいていかないで》
《あなたもわたしをおいていくの?》
《ひとりにしないで》

枯れた声の奔流が、脳内に溢れる。
その声は、クローデットにはとてもなじみ深いものだった。
それでも…声の奔流は、頭から思考を追いやり、激しい痛みを伴い…

「………ひい、おばあさま………」

かすかな悲鳴を零して、クローデットはその場に崩れ落ちた。

クローデットの異常を魔術によって感知したハウスキーパーが血の気を引かせて帰宅し、彼女の介抱をしたという。

ご案内:「クローデットの私宅」からクローデットさんが去りました。