2020/07/28 のログ
ご案内:「第三教室棟 職員室」にヨキさんが現れました。
■ヨキ > ヨキが知った『トゥルーバイツ』の顛末。
『真理』への接続に成功した者は居ないこと。
日ノ岡あかねが公安委員と共に出頭したこと。
彼女が今、再び地下教室に幽閉されていること。
「……そうか、彼女は生きたか」
夕方の職員室。
多くの者が退勤し、人気が少なくなった時刻。
端末のディスプレイを見ながら、ヨキは独り笑っていた。
「そうか。あの彼女に、断念させるほどの出来事があったか」
ご案内:「第三教室棟 職員室」に神樹椎苗さんが現れました。
■ヨキ > ヨキは彼女が島を訪れた頃から知っている。
筆談を交わし、会話の習得を喜び、異能の暴走に巻き込まれ、幾度も見舞いに通い、手術を応援し、笑い合い、ときどき喧嘩をし、慰めてやり、成長を見守った。
彼女がどんな外法や違反に手を染めようとも、ヨキは教師でありながらそれを絶えず支援した。
ヨキは彼女のことをほとんど知っている。
だから。
自分の与り知らない出来事によって、彼女が『真理』への接続を放棄したというのなら。
「……………………、」
ヨキは深く深く、笑った。
その顔はまるで、父親のように。
■神樹椎苗 >
一日考えて、考え続けて。
結局、答えは出なかった。
ふらふらと、揺らぐように学生の減った廊下を歩く。
明らかに疲労がたまった、血色の悪い顔で、目の下にも薄く隈を作って。
身体を重そうに引きずるように、ゆっくりと階段を上がる。
そして、美術室近くの踊り場。
そこで足を止めて――いつか、そこにあったはずの絵を探した。
(――まあ、展示だって変わるでしょうね)
『友達』がそれを見たのは、何年前だろう。
期待はしていなかったが、それでも肩を落として。
階段を降り、別の教室へと向かう。
そこに誰が居るか、誰を探してここに来たか。
わかっていたけれど、それからどうしようというのか、何も考えられなかった。
(こんなの、初めてですね)
ふらつきながら、扉の前までたどり着く。
見上げれば、職員室と書かれた札。
消えてしまいそうなほど小さなノックをして、重い扉をなんとか滑らせる。
――いた。
職員室を見渡して、その姿を見つける。
椎苗の様子を見て声を掛けてくる教員もいたが、首を振るだけで拒否し、職員室へ踏み入れる。
無気力な青い瞳は、まっすぐに、一人の美術教師を見ていた。
■ヨキ > 扉が開く音に振り返る。
桃色の髪、怪我だらけの様相。
ヨキは彼女に見覚えがなかったが、彼女が自分を真っ直ぐに見つめていることはすぐに判った。
椅子を立ち、少女に歩み寄って。
僅かに膝を曲げた長身から見下ろす。
こういうとき、ヨキはむやみに目線を下げることはしなかった。
今にも倒れそうな少女へ向けて、低く、落ち着いた声を掛ける。
「――こんにちは。職員室へ、何か御用かね?」
■神樹椎苗 >
歩み寄ってきた長身の男は、目の前にすると想像よりも大きかった。
重たそうに首を倒して、美術教師を見上げる。
椎苗の瞳は、惑うように泳いだ。
「用、は――あります、お前に」
少し掠れた声で、どこか自信もなさそうに答えた。
そう、この男に椎苗は会いに来た。
けれど、会ってどうするのか、何をするのか――目の前にしても、思考はまとまらない。
「少し、話は、できますか」
生気の抜け落ちたような様子で、椎苗は見上げる。
きっと全てを忘れてしまっただろう――『友達』が恋した男を。
■ヨキ > 「ヨキに?」
ぱちくりと瞬く。
けれどその答えを聞くや、ヨキは訝しむこともなく、快く頷いた。
「判った。いいよ、話をしよう」
椎苗を手招きし、自席まで案内する。
空いている隣の席からオフィスチェアを拝借して、椎苗をそこへ座るように促す。
「君、名前は何というのだね。どうしてヨキを訪ねに?」
相手の深刻さを感じ取ったかのよう、そう手短に尋ねる。
■神樹椎苗 >
招かれるまま、幽鬼か何かのように、席へと座る。
座り、向き合って、しかし。
いうべき言葉はなにも、浮かんでこない。
「――しいは、かみき、しいな。
一年、十歳、初等教育を受けています」
そんな、名札を読み上げるような自己紹介で答えて、けれど視線は落ちていく。
未だ何を話すべきか、たずねるべきか、まるで整理が付かない。
「ここに、来たのは――」
言葉に出来なくとも、目の前の教師は待っていてくれるだろう。
そうでなければ、真剣に話を聞こうと、言葉を引き出してくれるだろう。
けれど、それに甘えるわけはいかない。
「――お前は、先日、黄泉の穴の近く、コキュトスと呼ばれた領域の跡にいたと聞きました。
お前はそこで、何をしていたのですか」
途切れ途切れに、言葉を探しながら口にする。
視線はまだ、教師を見上げない。
自分の膝の上へ、落ちたままだった。
■ヨキ > 「カミキ君、か。……」
椎苗の問いに、押し黙る。
黄泉の穴付近。コキュトス。
病院関係者から“情報”として聞き知った名前。
その名称が相手の口から出ると、ヨキは包み隠さず話した。
「……判らない。
大変な事態になったと、話を聞いて。
出向いたことまでは覚えている。
だが、恥ずかしい話だが、その先の記憶がないんだ。
気が付くと、ヨキは血まみれで立っていて――
病院へ運ばれた。錯乱していた、と言われたよ」
少しの間を置いて。
「君は、あの場所のことを知っているのだね。
無事だったか?」
自分の腕の中で死んだ少女のことなど、露知らず。
そう尋ね返す。
■神樹椎苗 >
教師からの返答は、考えていた通りのものだった。
そして、それに思っていた以上に落胆している自分に、驚いた。
無意識に――期待してしまっていたのだろう。
「――しいは、なんともないです」
左手で、右腕を握る。
皮と骨だけの硬い感触に、少しだけ現実に引き戻された。
「あの場所には、しいの『友達』がいたのです」
そう、少しずつ言葉を探していく。
「その『友達』は、何年か前に、一枚の風景画を見て、美術を受講しました。
絵の事はわからないけれど、真似をするのは出来る、観察と分析は得意だと言って。
綺麗なものが好きだからと言って――」
何を話しているのだろう。
見たわけでも、聞いたわけでもない。
ただ――そう記録されている、『友達』の事を無感情に並べていく。
受講するにも躊躇いがあったこと、一人の教師にあこがれていた事。
一人の事を想いながら花を選んだこと――。
「――そいつは、あの場所で、あのコキュトスの中心にいました。
終われない自分を、終わらせるために。
自分がいた記憶と記録を、この世界からすべて消し去って、いなくなるために」
口にする言葉が、要領を得ない羅列になっている。
いつもならすぐに浮かんでくる言葉が、適切な表現が、計算できない。
硬い右腕を、強く握った。
「――そいつは、最後まで一人で消えるはずでした。
けれど最後の最後に、一人の男が来たのです。
あこがれて――想い焦がれた相手が。
一番、会いたくて、一番、会いたくなかったはずの相手が」
あの時の『友達』の表情を、声を、まだ覚えている。
その現れた『人物』がどれだけ必死に、『友達』を連れ戻そうとしたのかも、覚えている。
「そいつは最後に――その男に抱かれて、終わりました。
そいつの願った通りに、この世界から全ての痕跡を消し去って。
しいは、それを、その最後の瞬間までを全部、見届けていました」
『友達』が消えるのを、撃たれるのを、ただただ、見続けていた。
モノ言わぬ、木になって。
■ヨキ > 椎苗が語る顛末を、黙って最後まで聞く。
薄く開かれたままの唇から吐息が漏れて、少なくない困惑が椎苗にも伝わるだろう。
「…………。それが」
視線を床に落とす。
血塗れの身体。
理由も知らず嗄れた喉。
あなたは混乱していた様子だった、と語った医師。
これだけの手掛かりを並べられてなお、ヨキは椎苗の『友達』に心当たりはないようだった。
「それが……その相手が、ヨキだというのか。
ヨキは君の『友達』を連れ戻すために、その、コキュトスなる場所に居たというのか……」
視線を上げる。
相手の顔を見る。
手のひらで口元を拭う。
小さく息を吐く――
「何故、君はそのことを記憶していられる? 異能や魔術のためか?
君だけがずっと、その『友達』のことを覚えているのか?」
ヨキが椎苗の話を疑っていないことは、その問いの数々から明らかだった。
努めて平静を保とうとする声。
低く抑制された音が、椎苗にだけ届く。
■神樹椎苗 >
椎苗は顔を上げない。
目の前の教師に、どんな目を、どんな表情を向けて良いのか。
そして、向き合っていいのか、解らなかった。
「――しいは、そういう『道具』ですから。
情報を収拾して蓄積して、解析する。
学園のデータベースに、しいの事はすべて載っています。
産まれから、この学園に来るまでのすべてが、誰でも閲覧できるように公開されています」
疑われていないことはわかっていたが、念を押すように自分がどのような存在かを話す。
椎苗自身の言葉だけでなく、データとしても存在することも伝えて。
「――三日と言われました」
あの日、最後の別れを済ませた時を思い出す。
「しいの性質があっても、この記憶はもって三日だそうです。
あの空間にいたから、現実での時間と多少ズレがあるかもしれませんが。
しいの観測では、今日を含めてあと二日です」
ようやく、言葉が出るようになってきた。
質問にたいして答えるだけなら、まだちゃんと思考が働いていた。
「時間に多少の誤差はあるかもしれませんが、それを過ぎれば、しいも、『友達』の事をすべて忘れるでしょう。
顔も声も、交わした言葉も、全て。
こうして、見届けた終わりの事も、何一つ残さず」
言葉にしながら、左手に力が籠る。
少しだけ、不安に揺れるように肩が震えた。
■ヨキ > 椎苗の身の上に、そうか、と短く答える。
「あと三日。
……そうか。すぐに忘れてしまったらしいヨキに比べれば、大したものだ」
まだ三日ある。
そう言いたげに、声に小さな笑みがふっと交じった。
「…………。実は、ヨキの教え子に。
『人の記憶に残らない異能』の持ち主が居るんだ。
どんなに仲良く語らっても、翌日には必ず彼女のことを忘れてしまう。
……だから、ヨキは。
その少女を写真に撮り、その日にあったことを日記に書き残し、幾度となく読み返している。
自分が覚えていなくとも、彼女から親しく声を掛けられれば、ああ、彼女だ、と安心することが出来るから」
だから、と、大きな手のひらが椎苗の肩を柔く掴む。
小さく震える身体を、包み込もうとするように。
「君もその『友達』のことを、ありったけ書き残して欲しい。
そしてその内容を、このヨキと分かち合ってくれないか。
忘れてしまっても、そんな子が居たのだと覚えておけるように。
……ヨキは薄情者だ。
きっと強くその子のことを想っていたはずなのに、まんまと忘れてしまった。
今やもう、君だけが頼りだ。
どうか、君の中に残っているありったけの思い出を、ヨキにも分けてほしい。
君だけの思い出に、土足で踏み込むような真似はせぬから。
ヨキとその『友達』の間で何があったのか――すべて、知りたい」
■神樹椎苗 >
肩に触れた手は、大きく、温かい。
言葉からも、どれだけ真剣に生徒を――『友達』を想ってくれているかがわかる。
この教師は肩書だけでなく、本気で教師をやっているのだろう。
「――忘れて、良いのですよ」
椎苗は、教師の言葉に、力なく首を振った。
「あいつは、自分が忘れ去られて、この世界から消えることを望みました。
だから、お前も――本当ならしいも、今すぐ全て忘れてやるべきなのです。
それがあいつが望んで、選んだ『終わり方』なのですから」
そう、そのはずなのだ。
だというのに、自分はどうしてこの教師に、こんな話をしているのだろう。
忘れてやる事が正しくて、それこそがただ一人の『友達』への手向けとなるのに。
■ヨキ > 「だったら、君は。
ヨキに『友達』の話をするべきではなかった」
椎苗の肩を掴んだまま、その顔を覗き込む。
群青色の瞳が、真っ直ぐに相手を見つめる。
「ヨキがどんな男か、コキュトスで見て思い知っただろう。
……それだったら。
ヨキがどんな反応をするか、君は予想も付いたはずだ。
君は誰あろうヨキに『友達』のことを話した。
教え子のことはどんな手段を使ってでも残しておきたい、このヨキにだ。
君は『友達』が望んだ『終わり方』を知っているのだろう?
消えることを、忘れられることを、その『友達』は望んだのだろう?
ならば何故――何故君は、それをヨキに話したのだ?
君は、ヨキに話すことで、『友達』の望みを裏切ったのだぞ」
肩を掴んだ手に、少しだけ力が入る。
「『友達』を裏切るなよ。
それは誰かの命を奪うくらい、絶対にしてはならないことだ。
ヨキには出来ない。このまま大人しく、その『友達』を忘れてやるなどということは。
…………、君はどうなんだ。
忘れてやるべき、ではなく、君自身はどうしたいのだ?」
■神樹椎苗 >
「――しいは、どうして」
わからなかった。
忘れたくない――その想いはある。
そして、どうにかして忘れないよう、その方法を考え続けた。
「わから、ないのです。
どうしてしいは、ここに来たのか。
どうしてしいは、お前に話したのか」
忘れたくないと思った。
けして忘れないと誓った。
けれど――その方法が見つからなくて。
だからせめて――誰かに伝えたかった。
そしてその相手は――この人でなくてはならなかった。
「――お前に、覚えていてほしかったのかもしれません。
たとえ全てを忘れても、そういう『生徒』がいたという事を」
言っている事が支離滅裂だ。
忘れるべき、忘れたくない、覚えていてほしい。
二転三転としている。
「すみません、めちゃくちゃな事言ってますね。
しいにも、何をどうしたいのか、わからねーのです」
こんなことは初めてだった。
自分の考えが、気持ちが、一つにまとまらない。
「しいは、忘れないと言ったのです。
あいつに――『お前』の事は忘れても、『友達』が居た事だけは忘れない、と。
でも、その方法がわからない――見つからないのです」
そこに普段の、捻くれて大人びた少女はいなかった。
今の椎苗はただの、迷い、不安にくれる、幼子のようだ。
■ヨキ > 「……本当に、滅茶苦茶だ」
小さく笑って、椎苗の肩から手を滑り落とす。
「忘れたくないなら、ヨキの言った通りにすべてを書き残せばいい。
その『友達』と共に過ごした場所を、写真に収めればいい。
『友達』の顔を絵に描けばいい。
すべてを忘れてしまったヨキよりも、君にはいくらでも方法がある。
ヨキには、それをしたくたって出来ないのだぞ。
ヨキは……もどかしい。
教え子が記憶から失われたことが。どれだけ話を聞いても、思い出せないことが」
オフィスチェアに深く座り直し、膝の上で十指を組み合わせる。
「箇条書きでもいい。単語の羅列だっていい。
忘れないと誓ったのなら、意地になれよ。
鉛筆でも、キーボードでも、絵筆でも、何だって。
ヨキのためだと思って、頑張ってくれないか」
■神樹椎苗 >
「――記しても、描いても、それが残るとは限らないのです。
あいつの残した『忘却』が、どこまで影響するのか、わからないのです。
こうして、お前に話したことすら、消えてしまうかもしれない」
その言葉はまるで言い訳じみていた。
何をしても無駄なのではないか、そんな無力感に理由をつけるような。
「全部無駄に終わるかもしれない。
それだけやっても、しいは全部――忘れた事すら、忘れてしまうかもしれないのです。
だから確実に記憶し続ける方法を見つけようとしたのに――見つからないのです」
これも言い訳だった。
あがいて、意地になって――それでもダメだったら。
その先を見てしまって、怖がっているだけだ。
「――お前のために、『記録』すれば、いいのですか。
しいは、お前の代わりに、無駄になるかもしれない『記録』をすれば。
そうすれば、あいつを覚えていられるのですか――」
ゆっくりと顔を上げる。
疲れ切った生気のない表情は、けれど、瞳だけ今にも泣きだしそうに揺れていた。
答えを求めるように、『そうしろ』と言われることを懇願しているかのように。