2020/07/29 のログ
ヨキ > 「無駄だとしても。たとえ徒労に終わったとしても――
どうせ消える記憶なら、『徒労であったこと』すら忘れてしまうさ。

たとえ最後には何もかも失われてしまうとしたって、抗うことを止めるな。
そこで立ち止まったら、君は『忘れない』と誓ったことさえ嘘になる。

『友達』なのだったら。
尽くすことを、抜かるな。恐れるな。躊躇うな」

ヨキは真っ直ぐに椎苗を見ている。
強くも、鋭くも、冷たくさえも見える眼差し。

「無論、ヨキのためだけではない。
それは自分のためでもある。

…………。
君は『道具』だそうだな。

記録しろ、などとは口が裂けても言わんぞ。
ヨキは君を一切、道具扱いなどしない。

君が『自発的に』そうするのだ。
『友達』を想いながら――『友達として』な。

それは……『記録』ではない。『思い出』だ」

目を伏せる。

「……君は。
その『友達』が、どんな男を慕っていたか、少しでも知っているのだろう。

――『こういう男』だよ」

神樹椎苗 >  
 言葉の一つ一つが、重く圧し掛かる。
 頭の芯を殴りつけられるように、何度も何度も、反響した。
 目がくらんで――心が軋む。

「たとえ、徒労でも――抗う事を、やめない」

 教師の言葉を、力なく繰り返す。

「嘘つきには――なりたくないです。
 あいつと誓った事、願ったことを、嘘にしたくない」

 言葉にして、揺らぐ青に光が灯る。
 震えていた唇は、強く結ばれた。

「どいつも、こいつも――しいを、人間扱いしすぎなのですよ」

 その言葉は、『普段通り』に、疲れた響きを持っていた。

「しいが自分から、『友達として』、『思い出』を記す――。
 そう、ですね。
 何が残るかはわからねーですけど、何もしなければ、何も残らないですから」

 ようやく、焦点が定まったような気がした。
 一体何に迷い、不安がっていたのだろう。
 結局――出来ることなど決まっていたのに。

「我ながら、バカみてーですね。
 こんな簡単なことすら、自分で決められなかったなんて」

 呆れたように肩を落として、自らを嘲るように言う。
 そして、左手で額を抑えながら、小さな笑い声が漏れ出す。

「ああでも、本当に。
 あいつ、男の趣味だけは、随分と悪かったみてーですね」

 ようやく、椎苗は教師の顔と向き合った。
 どこか無気力で捻くれた、いつもの表情で。

ヨキ > 「『道具』として扱われたいのなら――もう少し、感情を殺すことだな。
『道具』は疲れた顔をしない。迷いなど訴えない。
そのような顔で言われても、説得力がない」

しれっとした顔で、そう言ってのける。

「……そうだ、とても簡単なことだ。
残された者に出来ることなど、それしかない。

ヨキはずっとずっと、そうしてきた。
そしてこれからも、そうしてゆく。
己の命ある限り、己と教え子のために尽くすのだ」

椎苗と向き合い、その目を見つめる。

「恋は盲目、あばたもえくぼという言葉を知らぬか?

これから付き合ってみれば分かる。
このヨキが、いかに愛情深い男かということはな」

鼻を鳴らして笑う。

神樹椎苗 >  
「――なりたくて『道具』になる奴なんて、いねーですよ」

 自分の中途半端さを笑うように言うと、ひじ掛けに手を当てて、体を押し上げるように立ち上がる。
 酷く疲労感は残っていたが、頭はすっきりとしている。
 未だ、胸のうちは酷く、重くなっているが。

「それしかないなら、やるしかねーですね。
 ああそうです、どうせそれしかないのなら、しいはやる事を選びます」

 どれだけ選択肢が少なくとも。
 選べるなら選び続ける。
 できうる限り、前を向いて。

「愛情深いなんて、自分で言うような男は怪しくてしかたねーですね。
 はーあ、お前みたいなやつのなにがそんなに恋しかったのだか」

 肩を竦めながら、教師に背中を向ける。

「お前に会いに来た理由が、やっとわかりましたよ。
 お前みたいな教師だから、話してみたかったのでしょう。
 ああ本当に――趣味が悪い」

 そう、どこか可笑しそうに薄く笑みを浮かべて。
 礼も言わずに去っていこうとするだろう。

ヨキ > 「…………。そうだ」

肯定する声は、いやにはっきりと響く。

「『道具』扱いなど、碌なものではない。
……ヨキは異邦人だ。多くを語るつもりはないが、それだけは確かだ。

だからヨキは、絶対に、死んでも、『人間相手』にはそれをしない」

その声には、どこか怒りのようなものさえ籠っていた。

「だから……ヨキの前では、君は――否。君のみならず、みな人間だということだ」

ひとつ息を吐くと――その一瞬の激情は、鳴りを潜めて。
何がそんなに、という椎苗の言葉には、眉を下げて笑って。

「…………。全くだ。
ヨキの方が、それを訊きたいよ」

どんな教え子だったのか。
どんな会話を交わしたのか。

どうしてヨキは、慕われることになったのか。

「ヨキの方が訊きたいさ……」

椎苗よりも先に、『教え子』の記憶を失った男は。
そうとしか答えることが出来なかった。

「本当に、趣味が悪かった、のだろうな」

茫漠とした話に、何一つ確信も持てぬまま。
ぽつりと、そう呟いた。

神樹椎苗 >  
「――大した教師ですよ、お前は。
 きっとそれで、救われるやつもいるんでしょうね」

 一瞬の激情に意外そうな顔で振り返り、つい詮索しそうになって――目を離した。

「そんな趣味の悪い教え子が居た事。
 それだけ、覚えててやってください。
 それで十分に――あいつは幸せだと思いますよ」

 最後にそれだけ残して、まったく無礼に挨拶もせず。
 椎苗は職員室を後にした。

ヨキ > 「……失敬。古い話をした。

ふ、大した教師、か。お褒めの言葉をありがとう。
その言葉があれば、明日からもやってゆけるよ」

微笑んで、二三頷く。

「――言われずとも、覚えておくさ。

言ったろう、ヨキはどこまでも教え子のことは覚えておきたいんだ。
たとえ、思い出す手掛かりなどなくともな」

椎苗を見送ったのち、自分の机へ向き直る。

「……………………、」

眼鏡を外す。
机に肘を突き、額に手を宛がう。

長い長い息を吐いて、いつまでも、いつまでもずっとそうしていた。

ご案内:「第三教室棟 職員室」からヨキさんが去りました。
ご案内:「第三教室棟 職員室」から神樹椎苗さんが去りました。