2022/02/21 のログ
ご案内:「第三教室棟 食堂」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
教室棟の食堂。食事時は学生でごった返す賑やかな
空間だが、人の少ない時間もある。今はちょうど
そんな時間帯。疎らに座る学生たちは勉強に精を
出し過ぎて食事の時間を逃した者、種族的な理由で
一般の学生と生活リズムが違う者、軽食を囲みつつ
友人と憩う者など、それぞれの理由がある。

注文を終えて壁際の席に座った車椅子の少女、
黛薫もその1人。お盆の上に置かれているのは
トッピングも何もない小サイズの素うどんと
ほうれん草のお浸し。

小柄な体躯を鑑みても晩御飯には少ない量だが、
別にダイエットとかそういう事情ではなくて。

「……っ、くし」

ただ単に、体調が優れないのである。

黛 薫 >  
彼女、黛薫は違反学生である。

ただし更生の見込み有りとして復学支援対象に
指定されており、度々人の少ない時間に学園を
訪れて復学訓練、社会復帰訓練に勤しんでいる。

本日登校したのもそれが理由……なのだが。
まずもって復学支援、復学訓練は学園に通う上で
障害となる事情を持つ学生を対象にした物である。
つまり本人の負担にならないように行うのが肝要。

もちろんスケジュールは存在するが、対象学生の
体調、精神状態を優先して柔軟に変更されるのが
普通である。

しかし黛薫は違反学生という立場への後ろめたさ、
中途半端に生真面目な性格、復学に失敗した過去に
起因する焦りなどが合わさり、体調不良を押して
登校してきてしまった。

結果、ちゃんとご飯食べて帰れ(意訳)と言われ、
本日の復学訓練はお流れとなったのである。

黛 薫 >  
従って、復学への歩みだけを考えるなら今日は
進捗無し。強いて収穫を挙げるなら、反省を促す
説教の圧と相手を心配する優しさは両立し得ると
分かったことか。養護教諭の丁寧な言葉選びには
内心舌を巻いた。

「……いただき、ます」

仕方のないことだが、車椅子の学生は目立つ。
食堂に入ったとき、注文時はどうしても周囲の
『視線』が気になってしまった。

とはいえわざわざ食堂で他の学生を注視するほど
暇な学生も多くはなく。人の少ない時間、壁際の
隅っこの席を選んだお陰もあり、着席してからは
思っていたほど『視線』を気にせずに済んだ。

たったそれだけのことに少しだけ安堵する。

単純に見られることが嫌いだという理由もある。
しかし今に関しては、上手に身体を動かせなくて
どうしても食べ方が見苦しくなってしまうからと
いう事情もあったから。

黛 薫 >  
不器用に箸を動かし、口を器に近づけて麺を啜る。
力を入れられる時間には限りがあり、精密動作にも
難がある。力さえ入れば器を持ち上げて口の近くに
寄せるという手が取れたし、手先が器用に動けば
麺を箸で掴むのにも苦労せずに済んだのだろう。

(無いものねだりしても、しょーがねーし)

麺を啜る音が誰かの『視線』を引いた気がして
手が止まる。肌を掠めた感触が誰かの視覚に
起因するのか、人目に怯え過ぎて存在しない
感覚が脳内で作られているのか、判然としない。

うどんを口に運んでも、付属のレンゲでつゆを
口に含んでも味がよく分からない。

素うどんだとそんなものなのか、風邪をひいて
味覚が鈍っているのか。それとも周囲の視線に
緊張し過ぎて味わう余裕がなくなっているのか。
それかえ自分ではわからない。

黛 薫 >  
(最近は、味分かるよーになってきたと思ったのにな)

精神的に疲弊すると、簡単に感覚がおかしくなる。

瞬きもしていないのに視界が明滅した日もあった。
海水を口に含んでも味が分からない日もあった。
静寂の音が煩く感じて頭が割れそうな日もあった。
洗っても洗っても汚臭が落ちないような気がして
吐いた日もあった。ありもしない視線に身体中を
舐め回されて皮を剥いだ日もあった。

それを思うと、今は恵まれている……と思う。

今は、生きるために必死にならなくても良い。
死ぬよりマシだからと悪いことをしなくても良い。
殺されないために尊厳を切り売りしなくても良い。

だけど、それは自分が変わったからではない。
手を差し伸べてくれる人たちがいたからだ。

(だから、頑張らなきゃなんだ)

黛 薫 >  
平和の中にいるのに、失敗することばかり想像して
肩に力が入る。これ以上後が無いと錯覚してしまい、
焦りが胸中を満たす。

今はそんな心配をする必要はない、落第街にいた
期間が長過ぎて感覚がおかしくなっているだけだと
理性が囁く。それなのに感情は納得してくれない。

誰かの視覚の感触が断続的に肌を掠めていくのに
此処に自分1人しかいないような、そんな感覚。
孤独感ではない。疎外感は、似ているけど違う。

場違い感、自分は此処にいるべきではないのだと
蔑まれているような、疎まれているような……
そんな錯覚。錯覚だと分かっているにも関わらず
振り払えない。

深呼吸をしようとして、息を吐いて、吐いて。
呼吸の仕方が思い出せない。胸が潰れるような
息苦しさ。苦しいのに、何故か安心してしまう。
きっとそれは手首から滲む赤い筋を見たときと
同じ気持ち。

ぐるぐると視界が歪む。

黛 薫 >  
からん、と音を立てて箸が手から滑り落ちた。

「ご、ごめんな、さ」

咄嗟に謝罪の言葉が口をついて出た。

誰に、何に対して謝っているのかも分からない。
責めるような視線を感じて顔を上げたけれど……
誰も自分を見てなんかいかなった。

(……大丈夫、大丈夫)

心の中で呟いて、今度こそ息を吸って、吐いて。
水を飲んで落ち着こうかとも思ったが、コップに
手を伸ばしたら溢してしまう確信があった。

冷や汗で張り付いた前髪を指先で摘んで剥がす。
それだけの動作がひどく億劫に思えてしまう。

湯気の立たなくなったうどんの器に手を添えると、
まだほんのり温かさが感じられた。

薄く色付いたつゆの中で複雑なパターンを描く
白いうどんの麺をしばらくの間ぼぅっと眺める。

黛 薫 >  
落ち着いたかどうかは、自分ではやはり分からず。
しかしそろそろ平気だろうと考えて、ほうれん草の
お浸しの皿に手を付けた。

お浸しの乗った小皿はうどんの丼ほど重くない。
持ち上げて食べられる分、うどんほど見苦しくは
ならないはす。そう思っていたのだが。

「あ、やっべ」

指先の制御を誤り、皿ごと丼にダイブ。
うどんにほうれん草のトッピングは……多分ある、
不自然では無いはず、と心の中で言い訳をした。

器の中から小皿を取り出し、紙ナプキンで汁気を
拭き取る。どうせこの後返却して洗ってもらうなら
拭かなくても良かったのでは?そう気付いたのは
紙ナプキン2枚を濡らしてからのこと。

要領の悪さを感じつつ、図らずも素うどんでは
なくなったほうれん草トッピングのうどんを啜る。
味は……まあ、可もなく不可もなくといったところ。

或いはもう少し味覚がはっきりしている日なら
もっと美味しく感じられたのかもしれないが。

黛 薫 >  
「ごちそーさまでした」

食事を終え、手を合わせながら小声で呟く。

食前食後の挨拶は丁寧に。身に付いた習慣だが、
落第街では真面目に手を合わせただけで笑われ、
揶揄われたこともあった。

それを見咎められないだけでも随分息がしやすい。

(そーいえば)
(うどんのつゆって全部飲んで良かったのかな)

空っぽの丼を見て、ふとそんなことを思う。

文字通り一滴の栄養すら惜しい生活が長かったし、
今は身体が上手く動かせないから返却の際に溢す
リスクを減らす意図も兼ねて、つい飲み干したが。

きっと、そんなくだらない悩みも平和の一部。

返却口にいた職員に丁寧に頭を下げ、礼の言葉を
かけてから、黛薫は食堂を後にするのだった。

ご案内:「第三教室棟 食堂」から黛 薫さんが去りました。