2022/05/08 のログ
ご案内:「第三教室棟 教室」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
『授業に出てみたい』。

前回のカウンセリングで相談した要望は思いの外
早く叶えられた。いくつか条件を提示されたが、
制限というよりは自分と周囲の安全を鑑みた物で
反発する要素はない。

(……むしろ、ココまで信用されちまってんのが
ホントにイィのか?って思わなくもねーけぉ……)

受ける授業は魔術学の基礎に当たる単発の講義。

どんな講義を受講するかさえ決まっていない学生が
説明会的に受ける講義で、同期の子が冗談めかして
『チュートリアル』と呼んでいたのを覚えている。

最後列の席で、最早分かりきったレベルの予習が
書き連ねられたノートを神経質にめくりながら
黛薫は授業の始まりを待っている。

黛 薫 >  
常世学園は(非公式の入学式こそ存在するものの)
入学時期に制限はない。従って説明会的な講義も
定期的に行われる。

また異世界から流れ着いたばかりの者、訳有りで
常世学園に送られた者、自分と同じで違反学生、
2級学生の身分から上がってきた者など、一般の
学生と一緒に講義を受けたくない/受けられない
生徒もそれなりにいるとか。

今回の講義はそういう『訳有り』の為のものだから
自分の立場については気にするな、と説明されたが
それもどうだか。説明に偽りはないのだろうけれど
教室がある程度埋まるほどの『訳有り』がいたら
それはそれで問題だし。

有事への備えと見かけ上の人数水増しを兼ねた
人員がいくらか動員されているのだろう、と
黛薫は考える。だからどうということもないが。

黛 薫 >  
仮に、本講義の受講を問題なく終えたところで
他講義も無制限に受けて良いとか、まして復学
出来るとかそんな甘い話はない。

だが復学への意欲、及び精神状態の回復傾向を
示す大きな足掛かりにはなる。

成功体験の不足、というより成果を認めるのが
上手でない黛薫に目に見える成果を与えれば、
今後の復学訓練の励みになるのでは、という
目論見も担当委員の側にはあるとのこと。

今回訓練の成果如何では担当委員、及び教員の
許可が得られた科目に限って受講も視野に入れる、
とされているが、黛薫当人には伝えられていない。

伝えれば却って肩に力が入って失敗しかねないと
いうのが生活委員の見解。

黛 薫 >  
さて、本講義は基本的に『聞くだけ』で済む。
そして黛薫は入学当時にこの講義を受講済み。

更に付け加えるなら、魔術に対して常軌を逸した
執着を持っていた黛薫は入学当初の受講時で既に
この講義レベルの内容は把握していた。

つまり彼女はその気になればただ座っているだけで
『最後まで受講した』という実績が得られる状態。

成功体験を与えるためにハードルは極力低く。

そういう意図なのだが、黛薫はノートを開いて
予習にも余念がない。挙句ノートを取るために
身体操作の魔術用に予備の魔力蓄積媒体まで
きっちり持ち込んでいる。

良く言えば誠実だが、悪く言えば愚直。

黛 薫 >  
万が一にも遅刻がないようにと講義の1時間前に
登校し、指定された教室から1番近い空き教室で
予習に励み、ひとつ前の講義が終わってすぐ入室。
お陰で講義開始までは今しばらく時間がある。

(そいや、入学した当時もおんなじ講義受けて、
おんなじよーにそわそわして待ってたのよな)

未来への展望を思って落ち着かなくなる、という
意味では今も大差ない。当時と比べれば後ろ向きな
気持ちが占める割合は増えているが……。

ちらちらと時計を確認しているが、遅々として
針は進まない。気が急いているお陰で普段より
時間の進みが遅く感じられるようだ。

黛 薫 >  
授業開始5分前、教員が入室して準備を始める。
見られたわけでもないのに、咄嗟に顔を下げて
視線から逃げる姿勢を取ってしまった。

初歩的な講義だから専任で担当する教員はおらず、
スケジュール的に手の空いた教員が引き受ける形。
教壇に立つ先生は、入学時に教えてくれた教員と
同じだったか、違ったか。

(……どう、だったっけ)

思い出せない。頭に靄がかかっているような感覚。
それが緊張によるものだと容易に自覚できてしまう。

チャイムが鳴った。びくりと肩が跳ねる。

ついさっきまで時間が進まないような気がして
何度も時計を確認したのに、今度は急に時間が
進んだような錯覚を覚えた。

黛 薫 >  
講義が始まる。内容は至って初歩的で、その上
予備知識が皆無な学生を対象とした講義だから
平易に伝える努力が成されている。

魔法とは何か。魔術とは何か。魔力とは何か。
どうやって扱うものか。個々の素質や適正。
大まかな分類。学びたい分野毎のお勧め講義。

魔法学を学んでいる者からすれば、初歩の計算や
常用漢字の読み書きレベルの基本的なお話。

なのに、時々付いて行き損ねる。

黒板の文字を見る目が滑り、うっかり読み飛ばした
内容を反芻する。その間、先生の話を聞きそびれて
配布されたレジュメで追いかける。ノートに文字を
書く暇がない。

黛 薫 >  
緊張で頭が上手く働かない。集中しなければと
焦るほど、失敗のビジョンが脳内を埋め尽くす。
悪い方へ向かう想像が落第前の過去を想起させる。

もし失望と侮蔑の視線に囲まれて転落した日と
同じ過ちを繰り返してしまったら、今度こそ
見捨てられるだろう。這い上がれないだろう。

息が詰まる。視界が滲む。吐き気がする。

失敗への恐れから真剣に向き合わざるを得ないのに
失敗が怖くて集中出来ない。おかしな話だ、と頭の
隅で明瞭な思考が自分を嘲った。

思考が混濁することへの忌避感から元々の目的を
思い出そうとして、それ自体が遮られてまた頭が
ぼやけてきて、霞む思考に鞭を打って。

そう、前にもこんなことがあった、ような。
夜を徹して勉強した日の眠気に似ている?
薬物に脳を侵された後の危機感に似ている?

脱線した思考を引き戻そうとして、霧の中。
何をしていたか思い出せなくて、思い出そうと、
そうして、何を、どうして──

黛 薫 >  
不意に視界を覆う霧が晴れた。

喧騒。授業を終えた学生たちが雑談に興じながら
教室の外へ出て行く。教壇には熱心な学生の質問を
捌く教員の姿があった。

(……終わっ、た?)

何処まで話を聞いていたっけ。手元のレジュメに
視線を落とすと、重要部分に引こうとしていた線が
のたくって机にまで及んでいた。

メモを取ろうとする本能だけは残っていたのか、
握ったままの赤ペンの色が散らばっている。

(殆ど寝てたよーなもんだな、こりゃ……)

汗をかいてしまったのか、頰を水滴が伝う感覚。
指先は冷たく、血の気が引いてしまったかのよう。
未だに視界はぐらぐらと揺れて、耳元で声がする。

黛 薫 >  
「……ぁ?」

肩を掴んで揺さぶられている。声をかけられている。
顔を上げると、風紀の腕章が視界の端に映った。

「っ、ひ、ぁ、ご、ごめんな、さ」

咄嗟に謝罪が口をついて出た。だけど、違った。
声をかけてきた風紀委員がハンカチで自分の顔を
拭う。視界が赤く染まる。

「……ぇ」

汗をかいていた。そう思っていた。
真っ赤に濡れたハンカチと、机と、レジュメと。

「なん、で」

保健室に、運ばれる。

黛 薫 >  
原因は、精神状態の悪化。身体が不自由になり、
自傷による発散が妨げられていたのも要因か。
無意識下で『自分を傷付ける魔術』が発現した。

元々傾向はあったが魔術適正の低さが幸いして
不発に終わっていたもの。それが魔術の習熟に
伴って『扱えるようになってしまった』。

逆に言えば、それは当時落第のきっかけとなった
魔術適正の無さの克服を表すものでもある。

今回の受講に関しても、逃走や発狂を繰り返して
前に進めなかった時期と比べれば、遥かにマシに
なっていたと見ることも出来る。

「……そーゆー励ましのが、傷より痛ぃんだわ」

自分の中では『失敗した』と思っていた今回の件。
風紀委員も養護教諭も、責めたりはしなかった。
それどころか好意的な解釈を探してくれさえした。

前には進んでいる。進んでいる、けれど。
変わらず一歩は重くて、痛くて、苦しかった。

ご案内:「第三教室棟 教室」から黛 薫さんが去りました。