2020/08/29 のログ
ご案内:「図書館 閲覧室」に天月九郎さんが現れました。
■天月九郎 > 世界は常に前に進み続けている。
名残惜しい過去は遠く離れ、遠ざけたい未来は迫りくる。
絶えず流れる川のようなそれを自分なりの受け止め方で従い進んでいく。
それを人生と言う。
そして付き合い方を学び受け入れていくのを大人になるというのだろう。
けれど、少年にはまだそれは早く受け入れがたい事で。
「夏休みが……終わる」
空調のきいた図書館の中、背もたれに預けるというかむしろのけぞる勢いでよりかかり、灰の中で燻るような声をこぼす。
絶望のゴールはもう目の前だった。
■天月九郎 > 人は心が愉快であれば終日歩んでも嫌になることはないが、心に憂いがあればわずか一里でも嫌になる。
人生の行路もこれと同様で、人は常に明るく愉快な心をもって人生の行路を歩まねばならぬ。
シェイクスピアさんは良い事を言う。
でも俺はこの苦痛に満ちた時間をなるべく引き延ばしてなおかつ楽しく過ごしたい。
なぜ宿題などというものがあるのか。
なぜ人は人を試さずにはいられないのか。
なぜ俺はさっさと仕上げなかったのか。
わからない、ほんとうにわからないんだ。
■天月九郎 > ただ一つ言わせてもらうならば俺は悪くない。
いや悪いのは間違いないが責任割合は3:7で向こうにある。
これでも宿題を残すとどんなことになるか良く分かっていた。
地元の学校でやらかした事があるから本当に痛いほど良く分かっていた。
基礎教育学科は教科書とにらめっこしたり友人とあっぷっぷしたり真面目にやってきた。
半分以上スマッシュ兄弟していた気がするがそれでも頑張ったんだ。
苦手な魔術概論基礎もなんとか小論文を仕上げる事が出来た。
専門ではないのであまり詳しくないおじいさんが公開質疑する程度なのでこれは楽勝だろう。
問題はこれだ。
読書感想文。
は?ヌルゲーじゃんと言うなかれ。
そういう楽な本や漫画やライトノベルを選択する生徒のためにランダム決定式である。
無作為に選ばれた本を読んで一筆したためるというわけだ。
そしてその課題は目の前にある。
■天月九郎 > 『ヴォイニッチ手稿』と
■天月九郎 > 「感想かけねぇよ!感想を書くための解読ステップがハードル高すぎんだよ!」
図書館ではお静かに、というわけで喉からしぼりだすようなウィスパーシャウトをこぼす。
司書さん怒るとめっちゃこええし。
しかしどうすんだこれ。
■天月九郎 > これが書かれたのは大変容よりさらに前の旧世界での話。
この世界に存在しない様々な植物、天体図、そして意味ありげで読み取れない数々の図。
でたらめに書かれたと言われるが学者が見れば確かに言語のような規則性があるという。
しかる言語学者は言うに及ばずAI解析でも読み解けず、偽書である、いや人工言語である幾度も議論されてきた。
大変容を経た今はどうなのだろうか。
世界の裏側、異なる世界、魔術などさまざまな知識が増えた今もしかしたら読み解けた人物も居るのかもしれない。
でも俺には読み解けない。
ランダムでも除外しとけよクソが。
■天月九郎 > ここは読書感想文というのを本の内容を吟味したものではなく切り口を変えてみようか。
たとえばこれを解読しようとした人たちの話、それらの残した言葉を引用しつつ自分はどのように感じたか、そういった切り口。
これなら中身が判らなくても書けるはずだ。
やるならそれらの資料も必要だろう。
流石に本にはなっていないだろうからスマホで地道に調べていけば出てくるだろう。
その道のりは険しいだろうが一歩一歩踏みしめていけば前に進める。
前に進めばいつかは目指す場所へとたどり着けるだろう。
歩む意思、それさえあれば人はなんだって出来るのだから。
未来の可能性は無限大、それは成功の可能性だけの甘い世界ではないが挑戦の意志はいつだって受け止めてくれる。
さあ、歩みだそうか。
「明日から頑張ろう」
だって未来は無限大なのだから。
■天月九郎 > 夏休みは有限である。
ご案内:「図書館 閲覧室」から天月九郎さんが去りました。