2021/12/14 のログ
ご案内:「図書館 レファレンスカウンター」に紫明 一彩さんが現れました。
紫明 一彩 >  
昼下がりの図書館のレファレンスカウンター。
人はそう多くない、否。皆無であった。
カウンターのチェアにゆったりと座っているのは、
スーツ姿の女だった。

遠目から見れば、青年男子と勘違いするやもしれない。
だが近づけば、
その顔付きや身体付きが女性のものであることが分かるだろう。

彼女がレファレンスカウンターの上に置いているのは、
大きな昆虫図鑑だ。
かなりの重さであり、
カウンターを軋ませんばかりの圧を有していた。


薄手の黒グローブをはめた彼女は目を細めながら、
そんな規格外の質量を俯瞰していた。

紙の上に印刷されているのは、
赤、青、黄――鮮やかな色を持つ蝶の数々だ。

『青垣山で見つけた蝶が何という名前なのか調べて欲しいです』

それが、図書館を訪れた学生から受けた依頼だった。

写真と共に送られてきた質問であった為、
図鑑の横には写真を置いている。

青く鮮やかで、とても美しい蝶だった。
まぁ、だとしても名前にまで興味はないのだが。

紫明 一彩 >  
しかし、図鑑を開けば出るわ出るわ、
想像以上に手こずりそうである。思わず欠伸を一つ。

――これは失敬。


そもそも、これは本当に蝶なのだろうか。
蝶に似た蛾ということはあるまいか。

この世の日本人の感覚で言えば、蝶と蛾は全くの別物だ。

蝶という生き物は――鮮やかな羽を持ち、小さな身体。
とても美しく、可愛らしいイメージである。

対して蛾は――胴体が太く、べたりと羽を広げている姿は
何処と無く威圧的……そんなイメージであろうか。


蛾を可愛らしいと思ったことなど一度もありはしない。


しかしどうやら世界に目を向ければ、
蛾と蝶を区別していない地域は多く、
分類学的にも明確な区分はないらしい。

そんなことを以前に本で読んだ記憶がある。

古来は蝶を愛でる文化などこの島にはなく、
大陸から伝えられた概念であるとも聞いている。

古い歌集の中にも蝶が登場することはまずないし、
あったとしても大陸の詩に擬える形で
登場する程度ではなかったかと記憶している。

蝶と蛾、何処で差がついたのか知らないが、
蛾という生き物は何とも哀れな存在である。

花の蜜を吸う蛾も居るし、
動物の死体にたかる蝶だって居るというのに……。


紫明は蟀谷に、自らの曲げた人差し指の第二関節を
こつんと当てた。それが、彼女が何か考える際の癖であった。

――しかしそうだ、蝶と言えば『常世』の――

紫明 一彩 >  
「んっ」

視線がいつの間にか空を泳いでいた。
そのことに気付いた紫明は、
はっと目を開いて眼下の昆虫図鑑を眺めることにするのだった。

「……いかんいかん、真面目に仕事をしなければ」

泡沫の現実逃避から戻らねばなるまい。
どんな仕事だろうが、きちんとこなすべきだ。
……だるかったとしても。

さて昆虫図鑑を見てみれば、
実はこの島における蝶と蛾の見分け方は簡単で、
その触角を見れば――

「ふぅん?」

――少し興味深く思って、
図鑑のページを捲ろうとした、その時。

端末が小刻みに何度か震えた。

この振動パターンは――どうやら、
この退屈を少しは吹き飛ばしてくれる何かが起きたらしい。

端末を耳にあてがう。
端末の向こうの相手は、随分と焦っている様子であった。
5W1Hがすっかり欠けている。

再び、蟀谷に指をやる紫明。
何とか断片的な話の内容を繋ぎ合わせることができた。

紫明 一彩 >  
「ま、話は大体分かりました。
 要するに商店街で空飛ぶ本に襲われたと。
 ……へぇ。ふぅん、ああ……そりゃ確かにこっちの領分。
 間違いなく『力を持った本』だ」

端末を耳にあてがったまま立ち上がる。
だるそうな表情はそのままだが、少しばかり口元が引き締まった……
……ように感じるかもしれない。見る者によっては。

黒い手袋をしっかりとはめ直せば、
手元にあった数冊の本を小脇に抱える。

そうして小脇に抱えたタイトルを再確認――
相手が空を飛ぶというのであれば、
まぁ『悪くないラインナップ』だろう。

「それじゃ、すぐ現場に向かいますんで……少々お待ちを」
コートを羽織り、机の上に置いたメッセージボードを裏返せば、
現れる『外出中』の文字。
外出中に誰か来訪したとて、簡単な資料提示なら
AIやら妖精やらが何とでもしてくれることだろう。

図書館の外を向けて歩き出す。

図書委員は図書館に籠もってばかりだと思われるものだが、
紫明に関しては、あまり当てはまらない。

彼女は、
魔導書や『力を持ってしまった本』の引き起こす事件を解決する職務を与えられた
図書委員の一人だからだ。

「んじゃま、行きますかぁ~。
 ……だるい仕事じゃなきゃいいけど」

肩を回しながら、紫明は外へと向かうのだった。

――ああ、少なくとも悪くない一日になりそうだ。

ご案内:「図書館 レファレンスカウンター」から紫明 一彩さんが去りました。