2020/07/12 のログ
ご案内:「常世博物館特別展示室」に簸川旭さんが現れました。
簸川旭 > 常世博物館特別展示、大「地球」展。
《大変容》以前の「地球」の歴史をメインとした展示。
それはまさに自分が生まれ、生きた20世紀も含むもの。
展示の対象となっている。
すなわち、過ぎ去った時、「過去」ということだ。
自分の生きた時代は、すでにこの博物館の「展示物」と成り果てたのである。

旭は図書委員会に所属しているとはいえ、常世博物館の学芸員ではない。
遺物管理員、博物館地下に収蔵されたアーティファクトの封印処理などを行う者だ。
とはいえ、特別展示などの繁忙期の場合は臨時に駆り出されることもある。
故に、展示室の隅の椅子に座り、展示を眺める人々を眺める業務についている。

ちょうど試験期間故に人出は普段より少なめであったため、その点は慰めとなった。
学芸員ではないためろくな説明もできはしない。
なにより、よりによってこのような「展示」の説明などはしたくなかった。
自分の生きた二十世紀の展示、そして《大変容》の展示。
それを目にすれば嫌でも思い出してしまうのだから。

簸川旭 > ――思い出すのは、眠りにつく直前の事。
世界が大いなる変容を遂げたあの日、空が禍々しく輝き、“何か”が起きたのだと確信した。
しかし、それだけであった。その後の“地獄”を自分は経験しなかった。
世界に“何か”が起こったのだと思い至ったその時、自分の周囲に幾つもの氷の柱が現れた。
自分はその柱で形成された冷たい棺の中に閉じ込められ、間もなく意識を失った。
それだけである。

氷の棺の中で、《大変容》が収束するまでの時を眠り続けた。

次に目覚めた時には、すべてが終わっていた。
この島の研究所にて、自分は目覚めた。氷の棺が溶け、この世に生還したのだ。
君は幸運だと誰かが言った。あの地獄を生き延びたのだからと。
――何が幸運なものか。

自分は、《大変容》の地獄を経験していない。
幸運にも――あるいは不幸にも――簸川旭は生き残った。
この世の終わりとも表現された大いなる変容の有様をその目で見ることもなかった。
それは、ある意味では幸運だと言えるのかもしれない。

家族は死んだ。
友人も死んだ。
《大変容》の最中の災異によって死んだのだ。
どのように死したのか、それすらもわからない。
ただ、死んだという事実を告げられただけ。

《大変容》の中で肉親と別れたものは大勢いただろう。
自分が特別というわけではない。
たとえ《大変容》が起きなかったとしても、家族や友人の死に目に会えるとは限らない。
《異邦人》の苦しみも、きっと自分より――いや、自分よりも大きいかもしれない。
だが、そんなことは慰めにはならなかった。幸運などとは微塵も思えなかった。
どうせならば、あのまま眠り続けていたほうが、何倍もマシであっただろう。

簸川旭 > 「……ぐ、うッ」

いつの間にか涙が流れていた。
もう涸れたと思ったそれが、溢れ出していた。
何もかも失ったこの世に未練などない。
自分の目には、ただただおぞましく映るだけの世界。
《大変容》の地獄を経験したのならば、納得できたのかもしれない。諦めもついたのかもしれない。
世界は変わってしまったのだと直接体験し、受け入れられたのかもしれない。

それでも、どうしようもない悔しさに襲われ、涙してしまう。

異能者にも苦しみはある。突然出現した能力のために忌み嫌われることもある。その力は、自ら望んだことではないのに。
――わかっている。
魔術師にも悩みはある。魔術の存在を秘匿し続けていたと人々から責められる。それは、世界の秩序のためであったかもしれないのに。
――わかっている。
異邦人にも哀しみjはある。常識も価値観も違う異世界に放り出されたのだから。帰ることも叶わぬ旅は、あまりに辛いもので。
――わかっている、そんなことは!

自分の苦しみを他社のそれを比較して相対化などできはしない。
たとえどれほどの地獄を味わった人間と比べたとしても、それで自分の心が慰められるわけではない。
この世界が偽りにしか見えない。何もかもが虚構であってほしいとさえ願う。
世界には超常の力を持つ者がおり、物語の中で語られるような魔術を使うものがおり、神話伝説に登場する神々がおり、異世界からやってきた者たちがいるのだ。

――悪い冗談だ。こんなものを受け入れろというのか。こんなものが実在したなどと認めろというのか。
それらの出現によって家族や友人が死んだことも、仕方のないことだと納得しろというのか。
嫌いだ、この世界が。この世界で普通に生きていく人々が、腹立たしい。
自分はこの世界の有り様を受け入れて生きていくしかないということが、理不尽に思えてならない。

簸川旭 > わかっている。
誰がが悪いわけでもない。
誰も望んで《大変容》に臨んだわけでもないだろう。
自分の恨み言は誰に届くはずもない。
自分は誰も責めることなどできない。
世界に呪詛を吐いても、それが正当なものだと認められることはない。

それでも、言わずにはいられない。
思わずにはいられない。

――この世界が嫌いだと。
《大変容》の後に現れたものすべてがおぞましく、理解し難く、恐ろしく。
信じてきた世界のすべてが、目覚めた後に崩壊していた。
救いなどない。何をどうしたとしても、世界はもとに戻らないだろう。

この世界はおぞましい。
この世界はおそろしい。
すべてに対して目と耳を閉じ、そのまま死の安寧に身を任せればどれほど楽だろうと思う。
だが、死が救いになるとは限らない。神や悪魔が実在するのなら、死後の世界もあるのではないかという恐怖を拭えない。
死してもなお、静かな眠りが約束されるとは思えない。死でさえも、信じることはできない。
神も悪魔も実在するのだから、死後に家族や友人に会えるのかもしれないと思えても、それを信じることはできない。
かつては絶対的なものと思えていた死の安寧すらも、もはやこの世界においては約束などされないのだ。

だから、死が怖い。故に、今も生き続けている。
生きてこの世界に呪詛を吐き続ける。嫌いだと罵り続ける。
そうやって、未来を諦めることでしか自身を慰めることができなかった。

簸川旭 > ――だが。
自分の苦しみを知ろうとしてくれた者と出会った。
自身が受けた苦しみでもないのに、涙すら浮かべようとしていた女教師がいた。
自分が忌避するはずの異邦の存在であるのに、同じ苦しみを持つ『仲間』として「言葉」を交わした《異邦人》がいた。

この世界のことは嫌いだ。何もかもが嫌いだ。時折、自身の生きた時代との乖離に吐き気すら覚えそうになる。
しかし、それでも。自分を笑わせると宣言した女、もしこの世界に希望を抱いたのなら、少しでいいからそれを分けてほしいと言った男。
その存在の出現が、少しずつ自分を変えようとしていた。
この世界が少しでも好きになれるといい、とほんの僅かに思いつつあった。
目覚めてから、本当の意味で「言葉」を伝えたのだと、きっと初めてのことであったから。

異なる時代/世界に生き、異なる価値観を有していたとしても、それでも襟を正すことはできる。
哀しみは消えないだろう。この世界のすべてを納得することなどできはしないだろう。
だがそれでも、理解しようと対峙することはできる。前にすすもうとすることはできる。
通じるものはあるはずだと信じたい。

本当の意味で、この世界を「生きても良い」と思えるようになるために。

簸川旭 > すくり、と静かに席を立った。
《大変容》についての展示をきちんとまともに眺めたことは殆どなかった。
もはや戻らぬ20世紀、自分が信じていた常識、そして《大変容》で家族や友人がどのように死んだかを考えさせられることに鳴るから。
だが、それでも。歩み寄るためには、理解は出来なくとも知らなければならない。未知を、既知とできるように。
自分には言葉がある。この世界の人間と言葉を交わすことができる。
異邦の男と約束したのだ。自分と、彼とが嫌いにならないでもいいような人間がいれば教えてほしいと。
相手を憐憫しつつも、生存を楯に自らの世界の価値観に押し込め、未知なるものを畏れぬようにするのではなく。
恐れながらも、理解出来ぬものを――『未知』を『既知』とし、ただしく畏れ、向き合える人間を探すのだ。

だから、歩き出した。《大変容》の「展示」を眺め、自分の世界が如何に変わってしまったのかを今一度認識するために。

――よき出会いを探すために、旭は歩きだした。
大いなる変容を遂げた世界の有様を直視し、今を生きる誰かを、隣人とするために。
『仲間』を探すために。『既知』を増やし、ただしく畏れるために。
共に世界からはじき出された異邦の男とも言葉を交わせたのだ。
ならば、せめて『人』の世界にあるものとして、希望を示そう。
異邦の男が世界に少しでも希望を見出せたのなら、自分もきっと、この世界に未来を見ることができるだろう。

簸川旭 > ――よき出会いを探すために、旭は歩きだした。
大いなる変容を遂げた世界の有様を直視し、今を生きる誰かを、隣人とするために。
『仲間』を探すために。『既知』を増やし、ただしく畏れるために。
共に世界からはじき出された異邦の男とも言葉を交わせたのだ。
ならば、せめて『人』の世界にあるものとして、希望を示そう。
異邦の男が世界に少しでも希望を見出せたのなら、自分もきっと、この世界に未来を見ることができるだろう。

「……そうだな、シュルヴェステル。僕も言葉を交わそう。
 この世界がほんの少しでも好きになれるように。生きていたいと思えるように。
 僕は僕のできることをやろう。……僕とお前のように、想いを伝えられる誰かを探そう。」

七夕の日の、異邦の男との約束。
天の川のもとで、対岸の誰かと出会えるように。
この世界のことを嫌いであるということでしか語れない自分が、「好き」であるということで語れるようになるために。
今一度、この世界と、人々と、対峙しよう。
聡き檻の彼ともう一度出会ったときに、共に同じ希望を抱くことができるように――

靴音が展示室の奥へと消えていく。
「旧世界」と呼ばれる世界が終わりを告げ、今の形に変容した有様をありありと見せつける展示と、世界と向き合うために。
旭は、歩みだしたのであった。

簸川旭 > とてもとても恐ろしいことだけれども。
きっと、自分が好きになれるような人間に、存在に出会えるはずだと。
そんな『夢』を胸に抱いた。

ご案内:「常世博物館特別展示室」から簸川旭さんが去りました。