2019/02/13 のログ
ヨキ > この容姿に人となりとあって、ヨキは好かれたり嫌われたりと、学生からの評価も分かれやすい。
棘のある語調にも、慣れている様子さえある。

「――……」

御影に問われて、それまでの気さくな表情が嘘のように曇る。
どこか悔しげに唇を噛み、ひととき目を逸らして、もう一度相手を見た。

「それがな……情けないことに、ヨキもこの名前を知っているのだ。
 話したことがある学生の名は、みな余さず覚えていたくてな。
 『人の顔と名を覚える』ことは、人にものを教えることと同じくらい、ヨキが気を使ってきたことだ。
 それなのに、この学生の面影も、話した内容も、さっぱり覚えておらんのだ」

紙片に目を落とす。

「もしかすると、そういう異能の持ち主やも知れん。
 人に忘れられてしまうか、あるいは『このような人物が居た』という偽りか。
 いずれにせよ――真実の中に身を置けぬことは、つらい」

真面目な顔で、御影の目を真っ直ぐに見下ろす。

「だからヨキはこうして、『見覚えのない学生』にひとりひとり声を掛けることにした。
 誰かこの名前を知っている者が居るやも知れんし、あるいは本人に会える可能性だってある。
 忘れ去った本人を前にすれば、とんだ失礼だが――それでも、放っては置けぬからな」

北条 御影 > この人は―

この人は、本気で悔しがっている。
自分のことを忘れていることを。
まだ会っても居ないかもしれないただの一人の生徒のことを、
「もしかしたら忘れてしまったのかもしれない」と
ただ、そんなちっぽけな可能性が存在しているというだけで、こんな表情をするのかと、そう思った。

「あ、っと。あ、あは。あはは。えっと。あの―」

取り繕うように口から漏れ出した薄っぺらい愛想笑いが今は憎たらしい程だ。
何か、何か言わなければならない。
そう思うばかりで、頭の中はもうぐしゃぐしゃだ。

「あのっ、そんな、そんな…不確かな推測で…っ!
 もしかしたら、そんな生徒は居ないかもしれなくて!
 先生がただ、そのプリントを渡した生徒にからかわれてるだけかも、しれなくて!!それなのに―」

もう、言葉を取り繕う余裕は何処にもない。
衝動的に言葉が飛びだせば、じわりと目尻が熱くなった。
こんなにも明確に、救いの手は差し出されているというのに。
そこに確かに、あるというのに。

それでもまだ、こんな言葉を吐く自分は何て情けないんだろう。
あれだけ渇望した救いの手を差し出されて尚、素直に掴めない自分の弱さが心底情けなくて。

目尻に溜まった雫が、震える言葉と一緒に一粒、零れ落ちる。

ヨキ > ヨキを責めるようにも、訴えかけるようにも聞こえる言葉の波に、しばし返答を忘れて聞き入る。
瞳が潤んで輝くさまに、尋常ならざるものを感じずにはおれなかった。

「…………。『それなのに、どうしてそこまでするのか』か?
 そんなの当たり前だ。日が沈んでまた昇るのと同じくらい、簡単なことだとも。

 それはヨキが――この常世学園の教師だからだ。
 ヨキはこの紙を渡してくれた教え子のことを信じている。
 彼女の困り果てた表情を、『本当のことを知りたい』という訴えを。
 それからこんな風に、わざわざ他人の持ち物に名前を書き残さずにはおれなかった者の気持ちを。

 冗談なら、それはそれでよいではないか。
 踊らされたのはヨキ独りに過ぎず、さみしい思いをする学生など居ないのだから」

言葉をぽつぽつと連ねる顔は、微笑んではいるが寂しげだった。
御影の目から零れ落ちた涙を見るや、薄く開いたままの唇が何事か言い掛けて、押し黙る。

「………………、ほ」

その躊躇は、ヨキの愚直さの表れだった。
それは賭けにしてはあまりにも心許なかったが、この教師はあなたの涙を信じている。心から。
たったそれだけで、ヨキにとってはその名を呼ぶに値した。

「――北条くん、か?」

北条 御影 > 「―っ」

もう、ダメだ。
限界だった。
これ以上、涙も、声も押しとどめておくことは出来そうになかった。

「はい―っ、ほう、じょう…みか、げ、です…っ!」

嗚咽交じりにやっとのことで自分の名前を告げることが出来た。
何てみっともない「はじめまして」だろう。
幾度となく繰り返してきた中で、
こんなにもみっともなくて、こんなにも素直な感情に塗れた「はじめまして」は今まで無かった。

だってそうだろう。
はじめてなのだ。

自分を「北条御影」であると認識して―
己の名を告げていないのに、名前呼んでくれたことが。

自分の名前を呼んでくれたこと。
たったそれだけのことが、こんなにも自分の感情をかき乱すなんて思ってもみなかった。
随分と久しぶりに思えて、嗚咽を止めることもままならず、ぐしぐしと袖で乱暴に涙をぬぐう。

「はじめ、まして。私は、北条御影です。
 私は…この学園の―

 ううん、貴方の生徒、です」

未だ涙は止まらなくて、きっと締まらない表情になってしまっているだろう。
それでも、これだけは言っておきたくて。

「また、会えましたね。先生」

きっと、ヨキは自分のことを思い出したわけではないだろう。
目の前の自分の様子から推測して、名を呼んでくれただけにすぎない。
それでもいい。
そうだとしても、こう言っておきたかったから。

ヨキ > しゃくり上げるような“はじめまして”の挨拶に、見る見るうちにヨキまで泣きそうな顔になった。

「あ――……」

居た。会えた。
自分がこれまで何人の学生に声を掛けてきたかなんて、御影は知らなくともよかった。
たった一人に巡り会えた。それだけで、これまで何人も首を振られ、突っ撥ねられたことなど吹き飛んでしまった。

「ほ……北条くん。君が……!」

思い出した訳ではない。いまこの瞬間、この少女が“北条御影である”という情報と結び付いたに過ぎない。
口惜しさに歯噛みしながらも、振り払うようにして頭を振る。次に口を開くや否や――

「済まぬッ!!」

物凄い勢いで頭を下げた。往来のど真ん中で、他の学生らも振り返るほどの声量で。

「ヨキとしたことが……大事な教え子のことを忘れるなど!
 このヨキは教師として、決して許されないことをした!
 本当に――本当に面目ないッ!」

頭を下げたまま、謝罪の言葉を叫ぶ。この先生、めちゃくちゃ声がでかい。
ヨキ先生がまた何かやってる、という忍び笑いが、行き交う人波から聞こえたような気がした。

顔を上げ、膝を曲げて彼女と目線の高さを合わせ、手を差し出す。

「ああ、君をまた忘れぬうちに、まずは握手を。
 ええと、それから……君のことを聞かせてくれ。ヨキはそれを、全て日記に書き残す。
 君は異能者かね? 他人に忘れ去られざるを得ないのか?」

北条 御影 > 「やっ、やめてください先生!先生が、謝ることないんです!」

周囲の視線も気にせず全力で謝罪するヨキに思わず声をかける。
だが、不思議と奇異の視線は気にはならなかった。
彼の全身全霊の誠意を隠すことなくぶつけられた気がして、むしろどこか心地いい気持ちですらあった。

「え、と。私は…他人の記憶に残ることが出来ない異能を持ってるんです。
 誰にも、どれだけ長い時間を過ごしても、1日も経てばその人の記憶から私は消える。
 そんな、異能を持ってて―」

こうして人前で自らの異能の話をするのもいつぶりだっただろう。
普段なら、「話しても無駄だ」とそう切り捨ててしまう筈なのに、
この人なら、また忘れたとしてもこうして見つけ出してくれるのではないかと、そう思ったから。

一通り、己の境遇について語り終えた後。

「え、と。というわけでなんです。
 それで…あの、先生が見つけてくれたのが嬉しくて。…お恥ずかしい…ところを」

語り終えて一息ついたところで、急に照れくささがこみあげてきた。
ぐし、と目尻を擦ったあと、ぺこりと頭を下げた。

「あの、先生。先生はきっと、このあと私と別れたらまた…私のことを忘れてしまうと思うんです。
 でもそれは、別に先生が悪いわけじゃない。私のせいですから。…だから、もう謝ったりしないでくださいね。
 こうしてもう一度見つけてくれたことだけで、私は凄く満足してるんですから」

へへ、と泣きはらして赤くなった顔で笑顔を見せる。
先ほどの薄っぺらいものとは違う、年相応の幼さの残るはにかんだもの。

今こうして語っていることも彼は明日には忘れてしまうかもしれないけれど。

「だから、日記に付け足しておいてください。
 次に「北条御影」って生徒にあったら、どうか「またあったね」って、挨拶するようにって。
 それだけで私は…きっと、大丈夫ですから」

「約束ですよ」と小さく付け足して。
これ以上は望むべくもない。
こんな話が出来て、こんな「約束」まで出来たのだ。
今までにない、大きな大きな「約束」だ。
それだけで、今は十分。

ヨキ > 「『他人の記憶に残ることが出来ない』……そんな残酷な力が、」

深呼吸して、眼鏡の下から差し入れた指で両目を拭う。

「それなら、先のバレンタインの話にも合点がゆく。
 今までさぞ寂しい思いや、悲しい目に遭ってきたろう。
 だがそれは、絶対に『君のせい』などではない。君が望まずと得てしまった『異能のせい』だ。
 どうか自分を責めないでほしい」

泣き笑いめいた表情で、御影の肩を優しく叩く。

「君の言うとおり、ヨキでは君の異能に打ち勝つことは出来ない。
 その代わり、決して負けぬように努力すると約束しよう。
 ヨキは何度でも君に会って、何度でも君を出迎えてみせるから。だから――」

持っていた菓子店の紙袋を、御影に差し出す。

「有り合わせで済まないが、これを持ってゆきたまえ。
 君はバレンタインの日に、これを『プリントに名前を書き残した友人』に渡してもいいし――
 もしも勇気が出なかったら、そのときはヨキのところへ持って来たまえ。
 ヨキと一緒に食べようではないか」

紙袋の中には、細長く小洒落たチョコレートの箱が入っている。
“学生たちと持ち寄った菓子を食べ比べする”と話したそれを、一片の迷いもなく御影へと。

北条 御影 > どうして、この人はこんなにも求めていた言葉を自然に与えてくれるのだろう。
止まったハズの涙がもう一度溢れてきそうで、思わず拳を握り締める。

「そん、な。これっ、先生が皆と一緒に―」

差し出された紙袋の中身とヨキの顔を見比べて、一瞬躊躇うも、
おずおずと紙袋を受け取って静かに胸の中へと抱きしめる。

本来これを食べるハズだった見知らぬ誰かに申し訳ないと、そう思ったのは事実だけれど。
それでも、「知り合いに貰ったプレゼント」という余りにも甘美な誘惑には勝てなかった。

「え、っと。それじゃ、いただきます。
 このチョコをどうするかは…バレンタインまでには決めておきます。
 もし、私が勇気が出なかった時は…うん。先生と一緒に食べます。「約束」、しましたからね」

もう一つ、約束。
さっきの約束はあまりにも大き過ぎて、あまりにも身に余る。
だから、等身大の小さな約束をする。
これならきっと、すぐに果たせる。

これならきっと、会いに行く口実になる。

「―先生、ありがとうございました。
 …バレンタイン、あんまり好きじゃなかったんですけど。
 今年のバレンタインは…うん、ちょっとだけ。
 ちょっとだけですけど、私も浮かれてみようかなって。そう思います」

柄じゃないな、なんて思いながら。
はにかんだ笑顔で言葉を紡ぐ。
きっとこの気持ちも、言葉も、彼は明日には忘れてしまう。
けれど、それでもいい。

「自分」という存在を置き去りにして過ぎていく日々の中で、一つだけ。
流れ行く時間に「自分」を留め置くための楔が出来た。

その幸福を噛み締めながら、もう一度頭を下げる。

「ありがとうございました、先生」


「それじゃ、また」


溢れそうな想いを込めて、別れの言葉を残し、その場を走り去っていくのだった。

ご案内:「学生通り」から北条 御影さんが去りました。
ヨキ > 「構わん。皆で食べる分は、また買い求めればよい。
 それよりも、『いつ忘れ去ってしまうとも知れぬ君』に渡した方がずっと有意義さ」

穏やかに笑って、上体を引き起こす。
“約束”の言葉にしっかりと頷いて、人差し指と親指の輪っかで了承を示す。

「ああ、『約束』だ。ヨキはいつでも、君を待っている。
 たとえ忘れてしまったとしても、今それを強く強く感じたことは、決して嘘ではない。

 きっとヨキは、君に何度でも礼を失した真似をしてしまうと思う。
 ヨキが何度でも君を知るように、君もまた――このヨキに、君の存在を知らしめてやって欲しい」

頭を下げる御影に、にこやかに手を振る。

「ああ。こちらこそ有難う、北条くん。また会おう……絶対にだ」

見送って、踵を返そうとして――足を止める。

御影が佇んでいたその場所で、スマートフォンを取り出す。
彼女について知ったことを、己の胸に去来した思いを、再び忘れてしまわぬうちに。

ヨキ > ――北条御影。赤毛に大きな瞳の女子学生。

他人の記憶に残ることが出来ない異能の持ち主。
探すように頼まれて、偶然巡り会ったこと。

彼女は自分の教え子だったこと。
名前を呼ばれた彼女が、綺麗な涙を流したこと。
謝る自分を気遣ってくれたこと。

バレンタインデーのチョコレートを、彼女に渡したこと。
友人に渡すか己と食べるかの決断を、彼女に一任すること。

次に彼女と会ったら、「また会ったな」と挨拶すること。

長いメールでも打つみたいに、その場で全部全部書き記す。
今はまだ、ありありと思い出すことの出来る彼女の表情。

「……………。これも、明日には忘れてしまうのか。堪えるな」

それでも、幸せな時間には違いなかった。
――文面を保存してスマートフォンを仕舞い込もうとしたところで、付け加えておくことにする。
それは御影との約束ではなく、ヨキ個人の誓いだ。

ひとつは、“彼女と連絡先を交換すること”。

もうひとつは――“二人で一緒に、写真を撮って残すこと”。

ご案内:「学生通り」からヨキさんが去りました。