2020/07/15 のログ
ご案内:「学生通り」に糸ケ浦 杏奈さんが現れました。
糸ケ浦 杏奈 >  
今日も今日とて、ライブの時間は怒られるまで。
それから、アタシが満足して飽きるまでは、ここはアタシの独壇場。

学生通り。真面目な学生は通り過ぎていくけど、
案外立ち止まってくれる人は少なくないんだよね。結構いる。
体感だけど、公園とかのほうよりは、おひねりも多い気がする。
このへん、家賃高いらしいし。やっぱそういう経済格差感じちゃうよね。

まずはおっきなスケッチブックを立て掛ける。
赤い油性マーカーで『糸ケ浦 杏奈』の五文字だけ。
ネットの情報とか、そういうのはナシ。だってアタシはストリートシンガーだから。

ストリート以外で聴けちゃ、ありがたみも個性もなくなっちゃう。
ただでさえ、派手な異能の人ばっかりなんだから。

「いまからーーーっ、アタシが飽きるまでーーーっ。
 もしくは風紀委員さんに怒られたりするまで、歌いまーーーっす!!」

大声を張る。ちらり、いくつかの視線。うん。……これが、最高に好きなんだ。
ギターケースを下げて、古びたアコースティックギターを肩から下げる。
おひねりのために、ギターケースはアタシの前に置く。お金、ほしいし。

糸ケ浦 杏奈 >  
名前も学年も知らない。
誰とも知らない誰かが、アタシに目を留めている。
それだけで。誰かがアタシの歌を聴いてくれるってだけで。
音楽っていいなーなんて思っちゃうんだ。アタシ単純だから。

繋がれるはずのない誰かが、アタシの歌を知ってくれて。
きっと勉強していることも、何もかも違うような相手にも。
多分、ネットでやっても同じことはできると思うけど……さ。

「一曲目! ……Sing a song of sixpence!」

海外の子守唄にこういうタイトルの曲があるんだって。
でも、アタシは子守唄にするならそのままじゃイヤだったから、
多分子供ができたら怒られちゃうタイプのアレンジだけど。

――さあ、6ペンスの唄を歌おう!
アコースティックギターをかき鳴らす。
うるさいとか、音がごちゃごちゃしてるって言われたりしたけど。
……アタシは、こっちのほうがロックだと思うからそうしてる。

ああ、アタシも王様みたいに、テキトーな勘定できるくらい、
お金があったらよかったのになあ、なんて。笑って少し声が上ずる。

ご案内:「学生通り」に月夜見 真琴さんが現れました。
糸ケ浦 杏奈 >  
誰がこの曲を知ってるとか、
誰がどの曲が好きだとか、そんなの全部関係ないの。
アタシが、ここで歌いたいから歌ってる。……超、楽しい!

気が向いたから。今、歌いたいと思ったから。
ああ、誰のためとか。何かを伝えたいとか。そういうのよりさ。

アタシがアタシだけのために歌ってる歌を、
アタシ以外の誰かが聴いてくれてるって、それ以上に嬉しいことってなくて。

センキューフォーリスニーング!
センキュー! そのまま流れるように二曲目にいくの。
ちょっとだけテクニカルな部分は誤魔化しながら、三日月を謳う。
旧時代に流行ったらしいけど、きっとこれを知ってるならアタシと趣味が同じ。

だから、ちょっとだけ周りの表情を眺めてみるんだ。
すこしでも口を緩めたり、すこしでも身体が揺れたりしたら。
同じ趣味だってわかるから、仲間が見つかって、アタシは嬉しい。

月夜見 真琴 > 学生通りの宙空に、灯りを反射して瞬く銀が、放物線を描いた。
聴衆と群衆が綯い交ぜになった人通りのなかより、
指で弾かれ、楽器入れにころん、と。
頭上より高い位置から落ち、内張りに跳ねずに落ち着いたのは、
一般で流通しているもののなかで、もっとも大きいコインだ。
6ペンスには、少し足りないかもしれないが。

「……………♪」

知っている歌であるか、たとえば知らない歌であれ、
白い影はそれに合わせて鼻歌を歌いながら、自分の準備を始める。
少し離れて歩く者の邪魔にならない場所に、座る。

折りたたみイーゼルに、下書きのためのカンバスをかけて、
眼前に鉛筆を立てながら、じぃっと奏者に、
彼女がいる、あるいは作る其の風景に、熱い視線を送った。
良い題材をみつけたよ。鼻歌を歌いたくもなろうものだ。

糸ケ浦 杏奈 >  
今日一番最初のおひねりだ。
ありがとう、なんて言うわけにもいかないから、
こうして視線で「アナタがいるのを知ってる」なんて示してみる。
誰か一人がこうやってくれると、周りも案外釣られるんだ。

だから、今日の晩ごはんはアナタのおかげです。ありがとう。

絵描きさんかな。絵描きさん。キレーな人。髪伸ばすのもいいなあ。
もしかして、モデルなのアタシかな。髪跳ねてないかな。
もうちょっと服、気をつかったほうがよかったかな。ああ、でも。

なんかアーティスティックって感じ!
アーティスティックが何かはアタシ、知らないけど。

叩くようにアコギを鳴らす。
喋るよりも、ずっとこっちのほうが好きだから。
アナタに見つけてほしかったって。一人の夜は嫌いだって。
夕方と夜との間で、じゃかじゃか気分よく。そうだな。次の曲は。
今日の晩ごはんをご馳走になるアナタに歌います。なんて、言わないけど。

アナタは何を見てるんですか。
アナタは、どういうものにシャッターを切るんですか、なんて曲。
瞬きでアタシを、アナタに焼き付けて、なんて。
こういう曲選びがパっと出来るのは、ちょっと特技っていってもいいかも。

月夜見 真琴 > 普段から薄っすらと、その唇には笑みが乗っている。
興が乗っているのかいないのか、それは唇が音として語るもの。
しかしそれを今、無粋に差し挟むことはすまい――視線があう。
目配せをした。 続けてくれ、とその演奏を促した。

鉛筆がまず写し取るのは――当然『おまえ』。
するりとカンバスに綴られるエスキース。主役を中心に風景は象られる。
音声記録媒体、動画配信の技術は世界が混乱の渦中に叩き込まれて数十年、
いや、叩き込まれたからこそ飛躍的な進歩を遂げた。
――『まるでそこにいるかのような』映像さえ金を積めば見られる今も、
これは、『ここにいなければ描けないもの』だ。

アコースティック・ギターが紡ぐ和音、硬く鋭い韻律に、
それは不似合いかもしれないが。
鉛筆を振り、その『熱』を写し撮る様は、指揮棒を振っているかのようで――

「む……」

言語はそれなりに堪能だ。知らない曲だったが、唇が歌う意味合いは理解できる。
視線の観察と好奇のバランスが崩れ、じっと少女――糸ケ浦杏奈というのか――に、
少し身を乗り出して視線を送った。 

「ふふ」

嬉しそうに笑みを深めた。普段乗っているものよりも少し鋭角の三日月。
鉛筆を持った手をそっと合掌してのち、顔の前に立てる。
くるん、と人差し指と親指の間で回転したそれは、尖端を「糸ケ浦杏奈」に向けた後、
掴む、ひゅん、と上に大きく振るう。いま視た『熱』を写し撮るために。
紛れもなく描かれているのは彼女だ。

アコースティック・ギターは、それなりに上背のある彼女でも大きめの装備だ。
ある意味挑戦的な視線は、さて、彼女の演奏と意思に敗けるわけにはいかないな。
視点を変え、持ち方を変え、――いかん、少しリズムに釣られているか?

糸ケ浦 杏奈 >  
目が合った。誰か知らないけどありがとう。
ここからはアナタを気にしないよ。だってアタシの舞台だから。
遠巻きに、訝しげな表情が数人。
……ふふ。無許可なの、もしかしてバレちゃったかも。
でも、止められるまでは止めたりしない。止める理由がないし!

――ああ、でも。
でもね、アタシ。ちょっとだけ、アナタのことが気になるみたい。
どう描かれてるかなんて、ここからじゃ見えやしない。
カンバスの向こう側の風景は、ここにいる限り想像するしかないから。
それでいて、アタシは現金だから、そういうの……見たくなっちゃうし。

じゃあ、あと二曲だけ。
あと二曲はやりたいから、それまでアナタが居てくれますように。
これ、ストリートシンガーのつらいとこ。あくまでアタシは表現者。
誰か一人に興味があって、そのまま終わり! なんてことはできない。

運良くアタシが決めただけの時間、最後までいてくれた相手が。
アタシの歌だけじゃなくてアタシに興味がなければ話はできない。
時代遅れのストリートシンガーは、ネットを意図的に避けているから。
「どうでしたか?」って聞ける機会、ここにしかないの。まさに運任せ。

硬い弦を抑えて、三曲目が終わればサービスはこれでおしまい。
四曲目はアタシがアタシのためだけに歌う。大声を張り上げて、高音のキッツいやつ!
上手に裏声に移れないとダッサいやつ。そういうのって、歌えると最高に気分よくて、

「―――♪」

歌えたから、気分がいい。
いい。超いいよ。アタシいますごい最高だよ、アタシ。
アタシ、アタシのそういうとこめちゃめちゃ好き。前2回おもっきし外したけど。

息を吐く。適当なMCを挟みながら(まあ得意じゃないしやる気もないんだけど)、
ちょっとだけ酷使した喉にやっすいミネラルウォーター(2リットル)を流し込む。

それじゃあ、次がラストだから。
今日は、ちょっとだけいい日だから、ちょっとだけいい曲を歌おう。

月夜見 真琴 > そう、糸ケ浦杏奈。
イーゼルを立てた時にはその名前を認めてはいなかったが、
この区画での芸術活動を認められている者の名簿には無かった名前だ。
風紀委員の取締対象だ――がまあそれはどうでもよかった。

「むしろそうでなくてはならぬのだろうなぁ」

唇のなかで転がしたのは、飴の味を吟味するかのようなもの。
無許可であってもここで歌いたいなど、
昨今の風紀のやりたい放題ぶりを考えれば随分な肝の座りっぷりだ。
まさに熱唱。技巧でいえば専門家がたとえ厳しい採点をするものであっても、
筆は進む、走る――足を止める者がいて、それを訝るものがいるからこそ、
糸ケ浦杏奈という画は演出されるのだ。
 
足を止めぬ者は急ぎ、あるいは無関心、
足を止めれば彼女の熱に惹かれる者、四角四面に見咎める者、
そしてそれを視るは己――世界の中心を糸ケ浦杏奈に添えた一幅の記憶。

録画機器もなければ、ただ胸に留め置くばかりの路上演奏を、
描き留めようというのは、実に贅沢な行いである――ゆえに。

「おぉ…………」

歌いきって火照った彼女には、子供のように目を輝かせて。
ぱちぱち、と細やかな拍手を送るのだ。さて、あと何曲歌えよう。
夏も盛りに成る頃で、プロでないともなれば、時間的にもそろそろ限界。

「…………」

それが真打ちである、というのは、観ていればわかった。
輪郭はあらかた打ち終えた。嗚呼しかし描きたいが――
誘惑には抗えぬ。鉛筆は揃えた膝に休めて、
居住まいを正した。席があるということは、小さいライヴ・ハウスではなくてホールのそれか。
特等席で真っ直ぐに、聴かせてもらおう。 『糸ケ浦杏奈は何を謳うか』――題してこんなところかな。