2020/07/16 のログ
糸ケ浦 杏奈 >  
「――……、ありがとう、ございましたーっ!!」

ああ、歌いきった。
アタシのやりたいだけやりきった。
ラッキーなことに、風紀委員よりもアタシの方が速かった。
最近のちょっとしたマイブーム。チキンレースともいうけど、今日はアタシの勝ち。

きっかり五曲を歌いきって、お辞儀をすれば足を止めていた人たちも、
人の流れに従って学生通りの夜に紛れて消えていく。
この瞬間が、アタシはすごく好きだ。熱が冷えていく感覚。
ここから先は、きっとアタシも彼らも「知らない人」になる感覚。

それでも。その中でも、こうしてたまにだけど。
まだ、こちらを見てくれている「誰か」の姿が浮かび上がる。

アナタだ。名前も知らない、500円の人。
片付けをしながら、気にしてませんよ、なんて素振りで少しだけ時間を稼ぎ。
飛びついたと思われたくないから、アタシはゆっくりとアナタに近付くんだ。

「こんばんは」

近くで見ると美人さんだ。やっぱり、アタシよりもよっぽど絵に描いたような人。
そのアナタの立てているカンバスをそれとなーく覗き込みながらさ。
アタシの思う「カッコイイ表現者」みたいな雰囲気で、声を掛ける。

「聴いてくれてありがとうございます。
 ……どうでした? ……ってやっぱりアタシモデルだったんですね!?
 人に描いてもらったのとか初めてで、あの、本当ありがとうございます!!」

嬉しさには、まあ勝てないんだけど。
アタシは単純なので。

月夜見 真琴 > 終幕の拍手を送って後、こちらはカーテンコールの余韻の中で、
アンコールを投げぬままに鉛筆を走らせた。
モノクロの写実画。本領ではないが、こうする時間はとても好きだ。
歩いてきた彼女に顔を上げた。
真っ直ぐ帰るのかもと思って、あえてこちらから干渉はしなかったのだが。

「いやはや実に素晴らしい演奏だったぞ。こちらこそ礼を言う。
 ありがとう、杏奈。 気分転換にとモデルを探していたのだがね。
 おまえと出会えたのは望外の幸運であったよ。
 ――ほっほう、であればやつがれが一番目か。
 なにやら気恥ずかしいものがあるなあ」

そっとイーゼルの角度を変えて、描きぬかれたものを見せる。
完成には程遠い下書きでありながらも、
眼鏡を描けた演奏者が、大きいギターを抱えて。
人数はいるのに、決して満員御礼といえぬオーディションのなか、
聴衆に向かって、愉しげに、謳っている。

「ふふ、おまえ、無許可だな?
 随分と根性の太いことだ。 風紀が恐くないのかね。
 演目を途中で邪魔するような粗忽者も、決して少なくはないと覚えているが?」

咎めるような声音ではなく、彼女の心胆を称賛する微笑みを向けた。
視線は真っ直ぐ彼女を見据える。

「だから描きたくなったというのが正直なところだ。
 今日、いまこの時、此処に来て良かったと心から思ったとも」

糸ケ浦 杏奈 > 「あれ、アタシの名前知って――」

って。そうか。アタシ、スケッチブックに置いてるじゃん。
そりゃ知ってるに決まってるから、ちょっとだけ誤魔化し笑い。
視線の先にあったのは鉛筆一本で描き上げられた一枚の絵。ラフっていうのかな。
すごいな、と思った。素直に、鉛筆とカンバスだけでこれ描けるんだ。

「ああ、よかった。
 気分転換ってことは……試験に行き詰まってる感じですか?
 いま、試験期間中だから。きっと真面目な学生さんはみんな勉強してるだろし。
 真面目じゃないアナタは――、」

と。聞こうとしたまさに矢先。狙ったような。
許可のあるなしを聞かれるとは思わなくて、数秒くらい思考が止まる。
なるほど。真面目じゃない学生を取り締まるほうでしたか。と言おうとして。

「……あ、あはははは。
 だって、試験中にって言ったって許可、もらえなくないですか?
 恐いには恐いですよ。そりゃあ、でも、でもさ。やりたいのはアタシだし。
 『やってもいいですか』なんて聞いてやるのは、それは違うじゃん」

何が違うのかは、ちょっとわかんないけどさ。
だめですよ、って言われてやめられるなら、最初からやらないし。
その手間がいちいち惜しいから、だったら少し怒られるくらいはね。

「それなら、今日は怒られなくていいってこと?
 やったーーっ、ありがとうございます! ロック、わかってますね。
 ……って、ええと。すいません、アタシあんま言葉遣いよくなくて。
 センパイだったらごめんなさいなんですけど……」

月夜見 真琴 > 「ン、ああ。 否、普段は写実画(こういうの)と違うものを描いている。
 心象画家、というのが本業だな…学生の身分で駆け出しだがね。
 仕事やら課題やら、行き詰まれば好きなものを描きたくなるというものだ。
 生の感情、というのかな。やつがれはそれが大好きなのだ。
 おまえ風にいえば――そうさな。ライヴ感。グルーヴ感?みたいな感じだ。
 という意味ではおまえのそれは大体当たっているとも言える」

とん、と描きぬかれた下書き、ラフ、エスキースを鉛筆の尻で叩いてから。
行き詰まってちょっと逃げたのだよ、とはにかんでみせる。

「ああ、月夜見真琴。風紀委員だ。見知り置いてくれたまえ。 
 『むきょかでのげいじゅつかつどうおよびけいざいかつどうはー、
  きそくでかたくきんじられているー。
  ちゅういをききいれずにくりかえすようならー、
  ほんちょうへのしゅっとうもかくごしておいてもらおうかー』」

と、『ふーきいいん』としてのお題目を、
わざとらしい棒読みと涼しい顔でしゃあしゃあと語っておいた。
これで仕事は終わりだ。腕章はつけていないし、今はプライベートなのだ。

「構わぬ構わぬ、好きに扱え。呼びたいように呼んでくれ。
 年功序列だけで敬えなどと古い慣習だぞ、杏奈。
 ましてこの島あの学校とあっては学年や年嵩などただの数字でしかない。
 正規や二級などという垣根すら人格を測るものさしとしては頼りない。
 何よりやつがれは、おまえと気易い友人になりたいと思っているよ」

座るか?と隣、とはいえ植え込みの花壇の淵なのだが、ぽんぽんと叩いて。

「おまえはどうだ?」

糸ケ浦 杏奈 >  
「しんしょうがか。なるほど~。しんしょうがかさんでしたか!」

しんしょうがか?
聞いたことのない言葉だった。そゆのもあるんだなー、くらいの。
多分、ロックとかジャズとか、ポップスとか、そういうことだよね。
なんとなくわかった気がする。……大体わかってないけど、ハートで伝わった。

「ツキヨミさん。ああ、やっぱり風紀委員さんだった。ありがと。
 今度からは怒られそうになったらツキヨミさんがいいって言った、って言うね」

ありがと、と付け足してから、ちょっとだけ笑っちゃう。
無許可の経済活動はともかく、芸術活動が禁止の理由、ほんとにわかんない。
芸術やりたい人のハートを規則でなんとかできると思ってるのが、なんていうか。
大変なんだな、風紀委員って、って思っちゃう。
きっと、アタシみたいに反省しないようなやつばっかりだろうから。
ルール側がいい加減折れたほうが、委員の人の仕事も減ると思うけどな、なんて。
多分、これを盗人猛々しい、って言うんだと思う。

「ゆ、友人ならぜひとも。アタシ、ガッコじゃ友達少ないから。
 ほら、さすらいのアーティストのほうがかっこいい、とか言ってたら。
 アタシもアタシで口下手で、ちょっとデビュー失敗しちゃったから」

正規や二級、なんて言葉が出たから、ちょっとだけ言い淀んだ。
ああ、そうかあ。このヒトは多分、正規の学生なんだな、なんて思って。

「ツキヨミさんは部活とか、そゆのって入ってないんですか?」

月夜見 真琴 > 「それは構わんが、やつがれはいわゆる鼻つまみものだぞ。
 凛霞や最中の名ほどには効力も無いかと思うが――そうさな。
 では此度、席料とモデル料として、厄介に巻き込まれた時は助けると約束しよう」

体制が定めた小さき『悪行』に、興味はなかった。
清濁併せ飲めぬ世界のつまらなさは、芸術という危うさを孕む分野に身を染める者ゆえ。

「誰が困る訳でもないというになぁ」

そう、独り言のように口にして、自分で言って苦笑した。

「はっはっは。 それは災難であったな。よくある失敗談、というやつか。
 だがこれはしたり。画も友も得られたとなれば一挙両得というものだ。
 大なり小なり表現者はそういう向きもあるが寂しいかね?
 やつがれも茶飲み友達にはすこうし、難儀する身だ。わかるとも」

ふん?と問われた言葉に視線を向ける。鉛筆やら画材を片付けながら。

「美術部に籍は置いているがね。余り顔を出せていないのが実情か。
 軽音部なり弦楽部に興味があるかな? 二級学生でも入れるのかな、とか」

糸ケ浦 杏奈 >  
「じゃあ、1回は大丈夫って思っとくことにしちゃお。
 ……鼻つまみ者って、なんか悪いことしたわけじゃないんでしょ?
 アタシも似たようなものですって。あはは……」

鼻つまみ者にしては堂々としすぎでしょうが、と笑う。
自分のことを堂々と鼻つまみ者とか言っちゃう人は、それ、
鼻つまみ者とかじゃなくて孤高のこう……こういうやつだって、絶対。

「そりゃあ、アタシこれ嫌いなんだよね、とか。
 そういうとこ、アタシ嘘つけないから、正直に言っちゃうし。
 そうなったら仲良くしてくれる人も少ないし、これ、注意書きなんで」

自分よりちょっとだけ目線の低い先輩に笑う。
失礼な自覚はあるけど、そこを歪めてあげる気はないです、って。
言っておけばやらかしたときのダメージは少なくて済むだろうし。

「二級学生って、部活入れないんですか。
 へえ~。大変ですね。アタシはそういうんじゃなくて、純粋にですよ。
 誰かと組んでなんかする、みたいなの、嫌いだから」

誤魔化せたかな。この先輩、勘が良さそうな気がする。
……けど、さっきの通りに、「気のせい」って言ってくれる気もする。苦笑い。
だから、話題をこう、ぐっと逸らすわけ。

「ツキヨミさんも、誰かとなんかする、みたいなの。
 ……っていうか、人の多いところとかが得意じゃないとか、そういう感じ?
 ほら、絵とかって一人でもできるけど、顔出さない理由って……、ああ。
 案外、プライベート以外だと結構真面目な風紀委員だったりするの?」

月夜見 真琴 > 「そうだ。身に覚えのないことを、すべてやつがれのせいにされたのだ。
 お陰で一部では化け物扱いだ。まったく嘆かわしい限りだよ。
 フム。まあ事物の好き嫌いにおいてはさておき、真っ直ぐな言葉は時に刃。
 だがそういうおまえだからこそ、あの様に謳えたのだとすれば――
 さてやつがれが真面目な風紀委員とて、おいそれと直せとは言えまいなあ」

友達たくさん欲しいなら、難儀であろうとも。
描きあげられた今は下書きの光景を、そっと指でなぞるようにしてから、
愛しげな眼差しを杏奈に向ける。複雑な感情が心地よい。

「――ふふ、そうか、『嫌い』か。人の縁は時に鎖。
 事物の『好き』『嫌い』を抑えてまで、というのは理解できなくもないな。
 ならば思う様に『好き』にしろ。それでも行き詰まることがあらば友に頼れ。
 ああやつがれのことだぞ。
 おまえがやつがれを『嫌い』にならぬ限りは、友としての誼を暖めようさ」

深入りはせずに自分のほうに話題が向くと、ううん、と考え込むように視線は空を向く。

「どうかな。誰かと語らうのは好きだし、おまえと話していると心が騒ぐ。
 人と触れ合わねば刺激もないし筆も進まぬしなあ。
 ただまあ、詰まらぬ奴に煩わされるのは我慢ならんな。
 描く時には、心象をカンバスに映しこむ時は、『ひとりにしてくれ!』と、
 叫びたくなる時もあるし」

真面目なのか、と聴かれると、はっと顔を向けてから。

「――いやあ?かつてやつがれに『性悪女』と言ってのけた阿呆が居るのだが。
 つまりはそういうことさ」

肩を竦めて自嘲した。

「ああ、杏奈。 おまえ夕食はなにが食べたい。
 友の食の好みを知っておきたいし、今宵は財布に幾らか余裕もあるが?」

糸ケ浦 杏奈 >  
「ええ。一体、何やったらそんな。
 弁明の余地なしに人を化け物扱いって。あはは。
 ない~。それ、体よく誰かの身代わりにされたりとかじゃないんで?」

冗談で化け物扱いならまだしも、冗談には聞こえない。
それに、そんな化け物じみたものなんてあんまりアタシは感じない。
誰がどんな顔をしているこの人を見たらそんな感想になるのか、聞いてみたいほどに。

「……好きなものを貫こうと思ったら、
 嫌いなものとか、全部置いていったほうが早いなって思って。
 好きなものの話をしたいときに嫌なものが目につくのが我慢ならなくて。
 だから、多分アタシ、なんだかんだ好きよりも嫌いのが激しいのかも、って」

自己分析してるけど、なんて言って笑う。
その『好き』が霞むほどの『嫌い』があるから、うまくいかないのかなって。
だから、『大好き』なものでいっぱいにするんだったらこっちのほうがいい。
ツキヨミさんがわかってくれたのは、ちょっとうれしかった。

「アタシが嫌いになるなら、きっと演奏を止められたらかな。
 ほら、友達のよしみで……って、ダメです?」

アナタを『嫌い』になるなら、今はこれくらいしか思い浮かばない。
だから、次やってても見逃してね、なんて……これはズルかもだけど。
あははは、といつも通りに笑ってから、アナタの言葉に耳を傾け。

「やっぱり、一人じゃ退屈するよね。
 ……アタシもそんな感じで。都合いいときだけ人といたーいって。
 歌ってるのも、そういうところがなきにしもあらず。
 旧時代の曲を聴き漁ってるときなんか、周りに人はいてほしくないし。
 お互いおんなじなんで、いい具合に。連絡先交換しましょ」

もしかしたら、芸術を嗜む(っていうとちょっと大袈裟だけど、)人は、
案外こういう人もいるのかもな、なんて思う。同級生にはいなかったけど。
だから、今日は足を止めてくれてよかったな、って、素直に思える。
アタシの持論、案外間違ってないのかもな。
誰彼に話し掛けるより、ずっと歌ってるほうがいい出会いがある、って。

「『性悪女』なんて。ええ~? 仲良くするの、怖くなっちゃうって。
 その人、きっとアタシにもおんなじこと言うんじゃないです?
 ……夕食。夕食!? 奢りですか!? ありがとうございます!!!」

がばっと勢いよく頭を下げる。
奢ってもらえるときは遠慮しない。お金の無駄遣いなんてできようものか。
扶桑百貨店なんかでご飯とか一生できる身分じゃない。
だから、一食一食で節約できるのは何よりうれしい。
正直友達って言ってくれた相手がご飯誘ってくれるのより奢りが嬉しかった。
卑しい女。でもアタシはそういう女だから。ごめんなさいツキヨミさん。

「そうだなあ。アタシ、食べれるものならなんでも好きだけど……。
 基本的に肉かな。動いてるしエネルギー使うしで。肉、肉がいいでーす!」

月夜見 真琴 > 「そうして省みられている時点で上々、素晴らしいことだ。
 自らを貫くための生き方を選ぶというのはなかなかどうして出来ることじゃない。
 正道、大衆、多数派に帰依する選択が、たしかに賢くはあろうが。
 得てして一道に生きるというのは普通ではいられぬと同義。
 『嫌い』を口にしたくないならば、『好き』を極めてみるといい。
 ああそれに……『体制に背を向ける』も、たしかロックの極意なのであろう?」

いいのだよ、と柔らかい声で囁きかける。
途に惑う者に穏やかな声で囁きかけ、そっと風向きを変えてやる。

「――はっはっは。
 おまえの歌をやつがれに止めろだなどと、それこそ無理な相談だ。
 そんな無粋は『嫌い』なところだ。神仏の命でもやってやらんさ。
 でも楽器で殴ったり火をつけたりはするなよ?流石にそれは止めるぞ?」

呵々大笑しながら、風紀委員にあるまじき放言を打ち上げて。
カンバスとイーゼルを片付ける。
ほれ、アドレス。と、鞄から携帯端末を取り出して交換する。
自分は監視されているために記録はすべて管理されているが、
まさか彼女が悪道に染まるなど、いやいやまさか。そんなことは。
如何なる運命をたどるかは、目の前の彼女次第だ。

「無理な迎合がおまえの音楽を曲げるなら、そのままで良かろうさ。
 そうして摂理にへりくだった音楽に、やつがれは足を止めなかったとも。
 だがまあ何事も、情熱や決断の熱さが最良の結果を引き寄せるとは限らぬ。
 困った時の備えは多いほうが良かろう、そのためのひとつがやつがれだ。
 退屈した時、とかな。絵に打ち込んでいる時でなくば、やつがれは暇人だ」

立ち上がる。上機嫌だ。

「いいや?あれは案外、はっきりしてる女は好むところな気がするが……。
 そのなり、上品なものでなく思い切り食べたいほうと見た。
 ならば炭で焼きにいこう。いい店を知っている。無論、奢るとも」

そうして先導し、後ろに振り返って囁きかける。

「これよりまた、ここで、何処かで、歌い抜くと言うのなら、だがね」

ご案内:「学生通り」から月夜見 真琴さんが去りました。
糸ケ浦 杏奈 >  
「まさにそう! そうなんです。
 アナーキズム? を歌ってる人とか、ああいう。
 百年くらい前のロックなんて、そんなのばっかりだったって!
 アタシ、そういうの、かっこよくて。好きなもののために死ぬ、みたいな」

そういうの、最高にロックで、と付け足し。
そういうロックな生き方に憧れるし、そうありたいと思う。
できてるかできてないかは置いておいて、真似から入ったっていいでしょ。
このくたびれたアコギも、真似からはじめて、今はこやって肉を奢ってもらえる。

いいんだよ、と言われれば。ありがとうございます、なんて。
誰に肯定してもらいたくてやってるわけじゃないけど。
……それはそれとして、誰かに肯定されるのって、嬉しいものではあるから。

「あははは! ならよかった~。
 見回りが緩い場所とか、あったら教えてくださいね。センパイ」

携帯端末にツキヨミ先輩、と登録する。
なんだか新鮮で、ちょっとだけなんか、それっぽいなって。
でも、それはそれとしてみんな、どんな連絡取り合ってるんだろ。
ご飯行きませんか、とかなのかな。勉強教えて下さい、とかかも。
そのどれもが、なんだかアタシとはちょっと不釣り合いな感じがして笑っちゃった。

「なら、このままでいいかも。やっぱり。
 ツキヨミさんの連絡先教えてもらえたのも、話せたのも。
 アタシがちゃんとアタシのやりたいことやってたからっていうなら、あは。
 あ、そうそう。ツキヨミさんも暇してたら。アタシ、日中は暇ですから。
 夕方とかになっちゃうと、毎日歌って歩いてるからなんとも、だけど」

日課をやめるわけにはいかない。
アタシが歌いたかったら、そっちを優先する。
ツキヨミさんも絵を描いてるとき以外なら暇人。ありがたい話。

「へえ~。その人の趣味も結構よくわかんないですね。
 どゆ基準なんだろ。全然わからん……。あ、バレました!?
 そうなんですよ~。あたし最後に炭で焼いたお肉食べたのいつだろ……」

遠くを見る。いつの間にか夕焼けは、宵闇に覆われて。
赤色が黒色に塗り潰される、この境界線のような時間がアタシは好きで。
だからいつも、アタシが歌うのは狭間の時間だけ。
目に見える「おしまい」があるほうが、なんだかロマンチックだから。

でもね。

「あははは! 当たり前!
 明日は歓楽街のほうまで出てみようかなって。
 今日はあっち、風紀の腕章見かけたからこっちに逃げてきたんだもん。
 古い曲に、こんな曲があるんですよ」

アタシの大好きな、「古い」ロック。
彼らはいつも歌っていた。好き勝手に、自由奔放に。

「――ロックンロールは鳴り止まないっ!」

背中に抱えたままだけど、エアギターを華麗に鳴らす振りをした。
……まあ、あの曲は。こういう感じでは、ないんだけど。

あはは。

ご案内:「学生通り」から糸ケ浦 杏奈さんが去りました。
ご案内:「学生通り」に227番さんが現れました。
227番 > 今日も少女は街を歩いていた。
下手すると警らする風紀委員よりも歩いてるかも知れない。
帰宅の目安にしているボトルは、もう空になった。

帰り際にふと思い出して、ポーチからカードを1枚取り出すと、
手書きの地図と照らし合わせる。

教えてもらった所の、場所を確認しておこうと。

227番 > 歩くこと数分。
特に迷うこともなくたどり着く。

太陽と王冠を示すロゴ。カードにあるものと同じ物が見える。
メモ帳に印を書き込んだら、遠巻きに店の様子を少し眺めて……

踵を返した。
遊びに行くのは、また今度。今日は場所の確認だけだ。

227番 > 今日の街歩きはおしまい。
ご飯を食べて少し眠ったら、また公園にでも行こうかな。

少女は帰り道へ。

ご案内:「学生通り」から227番さんが去りました。
ご案内:「学生通り」に簸川旭さんが現れました。
簸川旭 >  
「シャボン玉」という童謡がある。
自分が生きた時代でも、作られて80年ほどが経っていた古い歌だ。
歌詞の内容はどうにも悲しいもの。ジャボン玉が屋根まで飛んで壊れて消えてしまう。また、飛ばずに消えてしまう――
たしか、生まれてすぐに死んだ子供のことを歌ったのだという話もなんとなく聞いたことがあった。
本当にそうだったのかは今となっては誰にもわからないだろうが。

駄菓子屋の前でストローでシャボン玉を噴く幼い生徒――日本本土で言えば小学生ほどの年齢だろう――の姿を見て、とにかく、そんな歌の存在を思い出した。

簸川旭 >  
学生街の片隅、日本駄菓子文化研究会という部活によって作られた「レトロ」な駄菓子屋があった。自分の時代でもやや古めかしいと思えるような店だ。
かつて日本に存在した――今も存在するのかもしれないが、自分は目覚めてから本土に赴いたことがないのでわからない――駄菓子屋をこれでもかと再現しており、それを見ただけで懐かしさで胸がいっぱいになってしまった。
店員はもちろんこの「時代」の学生で、自分と同じ「時代」を生きた人間ではない。この駄菓子屋も、かつての日本の文化を再現した模造に過ぎないが、それでも胸には懐かしさがこみ上げてきた。
そして目に入ったのが、シャボン玉を噴く幼い子どもの姿である。あのぐらいの年齢のときならば、たしかにシャボン玉を飛ばしたこともあったろう。
そんな光景に釣られ、脚は自然と店内に向かっていた。

簸川旭 >  
扉の開け放たれた入り口をくぐれば、まさしく駄菓子屋といった光景が眼前に広がる。
並べられている駄菓子やくじ引きの類はどれもこれもよく再現されていた。
酢イカ風の駄菓子、極彩色のゼリー、必ず当たりがついているチョコレート棒、ラムネ、アイスクリーム、ラーメン風のスナック、安価なおもちゃの類、昔のアイドルのブロマイド……などなど。
自分の時代でさえどこか懐かしさを覚えるようなそれが溢れていた。
大人になってから駄菓子屋の中を歩き回るのは初めてのことだった。思いの外狭い。
時折、せり出した歌詞の袋などに服をひっかけそうになりつつ、幾つかの駄菓子を手に取る。
が、すぐにそれらはもとに戻していく。菓子を食べるという気分でもなかった。

簸川旭 >  
そんなときに目に入ったのが、シャボン液をストローにつけて、シャボン玉を吹き出す玩具であった。
そう、先程店の前で幼い生徒が遊んでいたそれだ。
玩具が並ぶコーナーに置かれたそれを手に取ると、店の奥の店員の部員の前まで向かう。

「すみません、これ、ひとつください。後……ラムネも」

シャボン玉を吹き出す玩具とラムネを購入し、店の外へと出る。
大の大人がシャボン玉の玩具を買うなど、自分の生きだ時代では奇妙に思われたかもしれない。
だがここは常世学園――そして、《大変容》後の世界だ。
容姿と実際の年齢の違いなど些末なことだろう。

店先に出ると、早速シャボン玉の玩具を取り出し、ストローをシャボン液につけて、いくつかのシャボン玉を吹き出す。
七色の輝きが空へと昇ろうとする。
しかし、それらはすぐに風に吹かれ、壊れて、消えた。
思い浮かぶのはあの歌。

簸川旭 >  
――先の、「シャボン玉」の実際の作詞者がとういった意味をもたせていたのかはわからない。
だが、自分にとってはそのシャボン玉が――泡沫が、《大変容》前の、自分の世界だった。
《大変容》が起こった時、自分は17歳だった。弱冠17歳、ただの高校生だったのだ。

世界の裏側には魔術があり、異能を持つごくわずかの人間がおり、多くは隠れたか別の世界に移っていたといわれるが、神や悪魔のようなものだって実在していた。
そんなことは知らなかった。知るはずもない。
知らないのならば、存在していないのと同じだ。自分の「世界」には魔術も異能も異世界も存在していなかったのだ。

シャボン玉は消えた。
生まれて17年、日本に生まれてごく普通に生き、ある程度希望だって持っていた。
紛争や事件に巻き込まれたわけでもない。家族のことも友人たちのことも好きだった。
幸せな境遇のもとに生まれたといってもいいだろう。

だが、そんな自分のシャボン玉は――世界は、《大変容》という風に吹かれてあっさりと消し飛んだ。
生まれてすぐに、壊れて消えたのだ。
これから広い世界に飛びたとうとしていたというのに、あっさりと壊れて、消えた。
それほど儚く、脆く、不安定な世界。それが自分の生きた現実だったのだ。
故に、自分に残されたものはなにもない。

簸川旭 >  
恥も外聞も自分にはもうない。
大の男がシャボン玉を吹いて歩くなど、自分の生きた時代の日本ならば奇異に思われただろうがここは常世島だ。
海の果て、弱水の海を超えた彼方にある「常世の国」――自分にとってはまさに「異世界」にも等しい場所。
ならば、大の男がシャボン玉を吹いてみたとて何のこともないだろう。
ぽぽぽ、とシャボン玉を吹き出しながら空を眺めていく。

「何をやってるんだか」

と、思わずひとりごちる。
この世界を理解する。自分が嫌いにならないでいい「誰か」を探すと決めたのに、結局はこうして郷愁めいた感情に揺さぶられている。
シャボン玉などに自分の境遇を重ね合わせ、嘆こうとしている。
普段、あまり市街地を歩き回ることはない。にもかかわらず、今日は出てきている。
それは、今更ながらではあるが――この島を、世界を知るためなのだ。

店先のベンチに座り、シャボン玉を噴きながら、学生街を歩く人々を眺める男が、ひとり。

簸川旭 > 空に浮かんでは消えていくシャボン玉と、道行く人々を眺めてからしばらくの時が経っていた。
シャボン液の入っていた容器はすでに空だ。

「……行くか。ここでこうしていても何にもならないからな」

咥えていたストローを口から話し、シャボン液の容器諸共店先のゴミ箱へと捨てる。
この世界のことは嫌いだ。まだ好きになれるような、そんな経験を自分はしていない。
それでも、青垣山で出会った彼と約束したことが有る。
ならば、動かねばならないだろう。

たとえ、吐き気を催しても。嫌悪感を隠すことはできなくとも。
未知を、少しでも既知に近づけていくとしよう。
まだ足を踏み入れたことのない、この学園/島のどこかに向かって。

ベンチから立ち上がると、痩身で顔色の悪い男がふらふらと歩き始めた。
その足取りが向かう先は、何処か。

ご案内:「学生通り」から簸川旭さんが去りました。