2021/06/07 のログ
藤白 真夜 >  
「うう……。い、いえ、ありがとうございます。
 ……いえ、やっぱり、すみません……。
 ……ありがとうございます、薫さん」

傘をぐい、と押し返されるのには逆らわず。
心配しているようで、心配されたり。
気を遣っているつもりで、遣われたり。
自分で思っているよりも、この人がずっと正しい心を持っているんだとか、どこか申し訳なくなったり。
結果。
ただただ、貸すだけ貸して忘れていたことに顔をしんなりさせながら、謝りながらお礼を言って、ぺこぺこと頭を下げて。

「雨だから、気を遣ってくださったんですね。
 返していただけるなら、この場で大丈夫ですから。
 ……私のせいでどうせ濡れちゃいましたし、えへへ」

誤魔化すように笑いながら、頬をかく。
……でも、私が良いと言ってもやっぱり、気を使わせてしまうかもしれないから。

「……そのお気持ちだけでも、私には十分なくらいですから」

……私は結局。この学園に拾われただけ。
それを悪く言うことなんて、できない。
ただ正しくあろうとするだけで立ちはだかるものがある人たちに、私などが何を言えるだろう。
少しだけ気持ちを込めて、彼女に降りかかる水滴を拭う。
……距離を取って立ってくれる薫さんよりも、離れている何かがある気がした、けれど。

「……ふふ。
 あなたの言うとおり、……堂々とできるよう、がんばりますから」

濡れたものを拭い去って、薫さんをまっすぐに見つめる。
やっぱり、どこか申し訳無さそうに、でも優しいモノをくれた分、感謝の想いを込めて。

黛 薫 >  
「そーなんすよね、雨の下で渡して良ぃもんなのか
分かんなくて……あーしが傘持ってればそれだけで
済んだのかもしれねーですけど、急に思い立って
来たから、準備とかしてなくて……」

雨具の内側にあったにも関わらずしっとり濡れた
ショルダーバッグ。その内ポケットからビニールの
袋に包まれたハンカチを取り出し、返却する。

アイロンは掛けられていないがきちんと洗濯して
綺麗に整えられた布地。汚れは勿論のことながら
特に匂いが残らないように気を使ってある。

それでも、黛薫本人には分からない残り香……
親霊体質に起因する薫りの錯覚は消し切れない。

「頑張らなくていーんすよ。無理して頑張ろうとか
考えると意識し過ぎて余計にうまくいかなかったり
出来なかったとき自分を責めたくなったりしますし。
気楽にやるくらぃが丁度良ぃんすよ、多分な」

どの口がそれを言うのだろう、と思う。

助言が出来るのは自分も失敗する側だから。
自分が落ちた穴を教えることは出来るけれど
道の先から手を引くことは出来やしない。

それでも、端々に卑下が滲む彼女にその場凌ぎで
あると理解しながらつい言葉を紡いでしまうのは
……自己満足に過ぎないのだろうか。

用事を終えて傘の外に出ると、急に距離が遠く
なったように感じられた。人の声を最も美しく
聞けるのは雨に包まれた傘の中、とはどの本で
読んだ言葉だったか。

「……んじゃ、あーしはこれで。
それから……ありがとーございました。
前回結局、お礼とか言えてなかったんで」

藤白 真夜 >  
「ああ、こ、こんなに丁寧に、こちらこそ、――」

丁寧に整えられた、濡れないようにビニールに包まれたハンカチを見て、すこし驚く。
……それはきっと、私が考える優しさだけではないのだろう。
受けた借りを、十全に返すこと。
それが彼女の誇り――というには違うだろうけれど、相手に対して払う……礼儀のような。
いれていたバッグが濡れているのにそれが濡れていないのは、それだけの気を彼女に使わせたはず、と思うのは考えすぎだろうか。

また凝り固まって、カチカチになりながら反射のようにお礼を言おうとして、考え直す。
きっと、優しさだけではないのだろう。
それでも、私に届いたものがあるのならば、反射などではなくちゃんと意識して意味を持たせるべきだと思ったから。

「……ありがとう。薫さん」

小さく笑顔を浮かべて、ハンカチを受け取るのでしょう。
互いに距離はあっても、言葉と視線は届くのだから。

「あ、あはは。よく言われます……。
 きっと、不器用なんですね、私。
 うまく力を抜くことが、できるかわかりませんけれど……。
 薫さんの言葉は、覚えています。……あと、ひとに貸した物も」

やはり、どこか優しい響きを持った言葉に、見透かされたように言い当てられる。
頑張りすぎて疲れるのは私の常だったから。
だから、きっと貴女の言葉は、優しさを伴って私の心に残るでしょう。
……少しだけ、恥ずかしい思い出と一緒に。


傘の中から出る薫さんを見送る。
白く霞む霧のような雨と小さな姿に、傘が弾く雨音と離れる声に、五感が霞む。
せめて視線と声だけは彼女に届くように、と。少しだけ大きな声で。

「はい!
 ……それは、きっとこれでおあいこですからっ。
 
 また、お会いしましょうね!」

あの人が風邪などひかないように、なんて。
最後まで、心配そうに見つめながら。

ご案内:「学生通り」から黛 薫さんが去りました。
ご案内:「学生通り」から藤白 真夜さんが去りました。