2021/07/06 のログ
ご案内:「学生通り」にアーテルさんが現れました。
■アーテル > 「―――くしっ」
くしゃみ。幸い、鼻水は出なかった。
長いことその姿をしているのならまだしも、この黒猫は本質的に病気なんて患わない。
あるとしたら…
「……誰か俺の話でもしてやがんなあ?」
噂をされるとくしゃみが出るという話がある。
それは即効性があるのか、それとも遅効性かわからない。
ともあれ、自分の話がでてくる相手は大概限られているもので。
あいつか、それとも、あいつか。なんて、今は小さな頭でも考えられることはたくさんあった。
黒猫は、学生通りの中でも人通りの少なかろうところをのびのびと散歩していた。
もうじき本格的な夏がやってくる頃合いだろうと、暑くなりゆく外の空気から感じ取りながら。
考えてみればもう七夕とかいう催しもある、暦の上では立派な夏なのだから。
■アーテル > 「………七夕なぁ……」
高く高く空を仰ぐ。
今日や明日くらいは、満天の星空の流れるような景色が拝めるだろうか。
目を細めながら、そんなことを考える。
「……願い事かー………
細長い紙切れに書き留めて、笹にくくってお祈りすんだっけ……」
色んな世界を渡ってきた。
そんなイベントもあるところにはあったものだと思い返す。
こういう文化圏でも願掛けはよくある話だと。
「………俺の、願いねぇ…」
自分の願い。
そんなこと、あまり考えてこなかったような気がする。
いつも誰かのことを見ていて、自分自身のことは割とその場の雰囲気で決めることが多かったからだ。
ふと願いを聞かれたとて、今自分が注目している相手のことが中心になるのは目に見えている。
■アーテル > 「………。」
自分に名をつけた少女のことが脳裏に浮かぶ。
人間と親しい種の姿を選べば警戒心も薄れるだろうという、別の理由があるとはいえ、
あえて同じ黒猫の姿を続けているといい、彼女個人に関心を持っているのは自覚している。
「美奈穂ちゃんは、無防備だからなあ。」
苦笑しながら、呟く。
言葉を解して意思疎通ができることを除いて、自分を本物の猫だと彼女は思っているだろう。
もしそうでもなければ余程のお人よしか、明らかに怪しいモノを傍においても気にも留めない命知らずだ。
尤も、自分が彼女に危害を加えるかと問われれば、否なのだが。
「……できることなら、猫のまま傍で見守っていてやりてえが。」
自分を見出してくれたことに、関心を持つのは不自然なことではない。
ただ、そう決めたとて猫の姿では限度がある。
彼女の立場上、危険なことに遭う可能性もあるだろうし、もちろんそれに抗う術もあるわけで。
だが人外が蔓延るこの島で、抗える以上の危機がもし迫ったときに、彼女に対して自分に何ができようか。
そんなことを、ふと考える。
「………隠したところで、いつまでも続けられるもんじゃねえんだしなあ。」
■アーテル > 「………でも、いいのかねえ…」
彼女とは、人間の姿で会っている。
人間のアーテルとして、家までお邪魔したり夕飯を馳走になったこともある。
ただ、そういうお知り合い程度の立場だったはずだ。
対して、今の自分はどうだろうか?
彼女の家に入り浸っては、食事や睡眠などの世話はもちろんのこと、
風呂は……風呂は………―――
邪な光景を妄想しそうになった辺りで頭をぶんぶかと振り乱す。
「……ったく、ほんと…こう、無防備なんだよなぁあの子は。
猫とはいえ俺だって一介の雄なんだってば。そりゃまあ、イロイロ考えることもあるっつーの。」
あの子に抱かれると、ミルクのような甘い匂いがしたっけか。
なんて、こういう時に限ってそんな考えが浮かんでくるもので。
「違う違う。」
今日はやたらと独り言も多い。
円を描くようにぐるぐると、その場を歩いて気を紛らわせて。
そうして、立ち止まるなり一つため息をついた。
「………いつか、言わなきゃあ駄目だよな。
そんでもって、その時の沙汰はあの子に委ねるしかねぇやな。」
自分のことをどこまで話すかは、その時の流れに身を任せることにしよう。
そう、黒猫は独り言ちる。
■アーテル > 「…………。」
自分の正体に、彼女がどんな反応を示すのか、興味と恐怖が入り混じる。
正直言って、心地いい今の関係を前向きに崩すつもりはなかった。
これは、時間が過ぎるにつれて沸き立つ良心の呵責故のものであるからだ。
…ここまで来てしまえば、何かしら言われることも覚悟しなければならない。
関係の破綻も、絶縁も、蔑まれることだってあり得よう。
「……怖い、なんて思うときは………あんまりないもんだが……」
自身はもとより人外の存在。
命の在り方も生きとし生けるものの理の外にあり、どれだけ攻撃されようとも不滅の存在足りえる自覚がある。
ものの考え方も、時の過ごし方も、定命の人間とは異なる。
しかし、人間の社会の中で過ごすうち、その異質さが枷となることもあった。
「………誰かとの繋がりを失うのだけは、いつだって怖いな…」
黒猫は独り、寂しそうに鳴いた。
■アーテル > 現状のままでいてもいいと思う自分もいれば、
自分の立場だけでもはっきり伝えるべきという自分もいる。
何も知らせない方が彼女にとって喋る猫で幸せなままだという自分もいれば、
知らせなければ彼女を欺き続けていることになるという自分もいる。
そうしていつの間にか、たくさんの自分が議論を交わしている。
「でも、いつかやらなくちゃあならないことか…」
その明確な回答が見えない選択に、ようやく結論が出そうな気がした。
それが、今日なのか、明日なのか。いつになるかはわからないが。
「…近いうちに、話せりゃいいな。
このタイミングだと思ったときでいい。ありのままを話すわけだしな。
…そこに、敢えて言わないということはしない。」
もとより、自分は嘘をつくことができない。
ただ、ところどころを敢えて言わないということだけはできていた。
彼女にこの話をするときには、それをしない。そう決めた。
「………そして、願わくば―――」
その時、ふと自分の口からついて出そうになった、願い。
それはとても利己的で、吐き気がするほど甘っちょろいもので、誰かに聞かせられるようなものでは、とてもなかった。
だが、紛れもなく自分自身の願いに違いなく、そういったものを久々に表に出せた気がする。
「――――――――――――――――」
黒猫は、一陣吹き抜けた夜風にその願いの言葉を載せると、
気恥ずかしさを紛らわせるようにその場から駆けだした。
まるで、自分自身も夜風と化したように。
ご案内:「学生通り」からアーテルさんが去りました。