2022/04/03 のログ
ご案内:「学生通り」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
学生通り。居住区から校舎まで真っ直ぐ続く道は
常世学園の大動脈と表現しても過言ではない。
春季休暇も終わり、非公式ながら入学式も重なる
この季節、俄に賑わい始める区画でもある。

単位制かつ登校時間にも融通の利く常世学園では
どの時間でも一定の学生が存在する学生通りだが、
それでもやはり人の多い時間、少ない時間はある。

「……ふぅ」

松葉杖をつき、休みながら歩く小柄な女子生徒。
彼女、黛薫はわざわざ人の少ない時間を狙って
学生通りを訪れていた。

黛 薫 >  
現在、彼女は運動機能の大半を喪失しており、
魔術的な補助でそれらの機能を代替している。
秀でた能力を持ってはいないが、自立歩行に
用途を絞れば2時間近い持続が可能になった。

そこで、今日は歩行通学を目標として定めてみた。
車椅子無しでもそこそこの時間活動出来るように
なってきたため、徒歩だけで校舎に辿り着けるか
試してみようと思い立った。

本来なら身体が弱っていることを考慮しても
2時間あれば徒歩で通学してもお釣りが来る。

問題になるのは黛薫の異能『視界過敏』。
他者の視覚を触覚として受け取る異能の所為で
人の多い場所では否応無しに集中を乱される。

集中が乱れれば身体操作を担う魔術の精度は
大きく下がり、消耗も大きくなってしまう。
リハビリ用に整えられた環境で2時間動けても
人目のある場所で同じようには動けない。

黛 薫 >  
(まず、維持すんのがフツーにキッツぃな……)

歩道に設置されたベンチに座り、何度目かの休憩。

異能もそうだが、黛薫周りの事情は色々と厄介。
ごく普通の学生らしい生活に慣れるには人目を
避けてばかりはいられず、しかし精神不安定と
異能が合わさって慎重にならざるを得ない。
何せ錯乱して人を傷付けた前科があるのだから。

また、彼女は落第街上がりの違反学生。
人目を怖がるからと監視の『目』を緩めれば、
そうでなくとも人の少ない場所にいさせては
いつ落第街の闇に足首を掴まれるかわからない。

それに加え、彼女は魔力や精気を糧とする種を
強烈に誘引する体質を持つ。大勢の中にいれば
誘引される者が増え、少数の中にいると理性を
失った者の手にかかる可能性がある。相殺用の
護符を持たせているとはいえ、油断は出来ない。

種々の事情が重なって何をさせるにしても懸念が
拭えない彼女、監査報告書の上ではオブラートに
包んだ表現で面倒くさい案件扱いされることも。

黛 薫 >  
ふらふらと立ち上がり、また集中が切れるまで
歩いて、休んでの繰り返し。堅磐寮を出てから
10分程度しか経っていないのに、体感の疲労は
同程度の時間のリハビリより遥かに重い。

(校舎まで、あとどんくらぃだっけ……?)

普段はバス通学。手持ち無沙汰で窓の外を眺めて
いるから建物の並び具合で大体の位置は覚えている。
そのはずなのに思考がぼやけて思い出せない。

最悪辿り着けなくても帰れるように帰還の魔術を
記したスクロールは持ってきた。備えとしては
間違っていないが、彼女の場合は生真面目さが
災いして『いつでも帰れるならもう少しだけ』を
繰り返す羽目になっている。

黛 薫 >  
舗装路を叩く杖先が不規則な音を立てている。
立ち上がる度、次に休むまで進める距離は短く
なっていく。だけど歩けないほどではないから
もう少し、もう少しだけ──。

「い゛っっ」

杖先が滑る。すんでのところで転ばずに済んだが、
大きな音を立ててしまった。誰かの視線を感じる。

誰かの歩行の邪魔になってしまっただろうか。
音を立てたのが目障りに思われていないだろうか。
もし自分の素行を知っている人に見られていたら
恥知らずに思われてしまうのだろうか。

考えすぎだと自分に言い聞かせようとする。
知りもしない相手に目を向ける人は少数派。
たまたま視線がぶつかっても、大抵の場合は
興味を持つことさえなく離れていく。

経験からそう知っている。……知っている、のに。

黛 薫 >  
怯えるほどに視線の感触が増えていく気がした。
見られたくないと思うほど視線に悪意が宿って
全身を苛むような感覚があった。

見られ、触れられることを厭ったあまりに
刻み込まれた心の傷。這い回る幻触の感覚。
様子がおかしいと気付いた通行人の視線さえ
自分を責め苛む悪意にすり替わる。

「……っっ」

目が回る。頭が痛む。息が上手く吸えない。

辛うじて近くのベンチまで辿り着けたのが幸いか。
殆ど倒れ込むように、蹲るようにして座り込む。

もし街を歩いている最中に知らない人が無遠慮に
触れてきたとしたら。多くの人は嫌がるだろう。
怯えるだろう。憤り、訴えるという選択もある。
多感な時期なら心に傷を負うかもしれない。

彼女はそれが当たり前の世界で生きている。
しかし周囲の意識としては『見ているだけ』。
咎め立てするのは理不尽だと理解している。
理解、してしまっている。

黛 薫 >  
現実か、非現実のものかさえ分からない感触が
過ぎ去るのを待って、ひたすらに耐え忍んで。

ふっと、唐突にその感覚は消え去った。

通行人も疎らな学生通り。今や誰も自分を見てなど
いない。もしかしたら、最初からそうだったのかも。

時々、不安に襲われる。

幻覚も、幻触も、些細なきっかけで他の何もかもが
分からなくなるくらいに押し寄せる。そんな自分が
健常で善良な学生に混ざって普通に暮らせるなどと
都合の良い未来が本当にあり得るのだろうか。

ただ街を歩いただけで気が狂いそうになる。
復学訓練でどれだけ風紀委員や生活委員の人が
気を遣ってくれているか。心を許せる人たちに
どれだけ助けられているか。

感じ入る度に、自分1人では何もできないと
ひしひしと実感してしまって、心が痛む。

黛 薫 >  
(……今日は、もぅムリだな……)

幾許かの余裕を取り戻した思考の隅で考える。
脳から四肢まで繋がる神経が途切れたような感覚。
魔力を通しても指が動かせている実感が湧かない。
こんな有様では杖に頼っても歩けやしない。

残り少ない魔力で帰還用のスクロールを起動する。

不自由な身体で通学路を半分以上踏破したのは
本来きちんと評価され得る『成果』なのだけれど。
心に残るのは、無謀な挑戦をして果たせなかった
情けなさと小さな棘。自分を認めることに慣れず、
失敗ばかり見つめてしまう。

季節は4月、多くの新入生が通学を始める時期。
彼女が学園に戻れるようになる日はまだ遠く──。

ご案内:「学生通り」から黛 薫さんが去りました。