2022/08/11 のログ
シャンティ > 「ん」

女の世界は闇に包まれ、静寂が広がった。伝わるのは、周りの存在の気配と眼の前の水の匂いと肌に寄り添う熱気そして。触れた肌に伝わる硬く逞しい肉の感触。


「…………」

恐怖はなく失望もなく、ただ女には興味とそれゆえの受容だけがあった。


「……」


手が動く。否、動かされる。ゆっくりと、しかし確実に誘導をされ、狙いを定められていく。その様子は、女には伝わらない。ただ、どこかへと導かれていく感覚だけが伝わる。


「あら?」


手に重みがかかる。風船、というにはそれは些か多い質量を持っていた。なにか間違えたのか、と思うがそのまま手が持ち上がっていく。どうやらこれが正解らしい、と女は思いながら奇妙な重さを支える。といっても、男が力をかけている分、労力は要さなかったが。


「ん。ああ」


肩を叩かれ、どうやら釣り上げが成功したらしいと気づく。本を改めて手にして、手にずしりとした質量を持って乗せられた風船を読む。


「あ、ぁ……水、の……入っ……た、風船……? こ、れ……どう、する、の……?」

手の上で少し苦労しながら転がしつつ問いかける

杉本久遠 >  
 
「たはは、どうするってわけじゃないんだ。
 そのぷよんぷよんした感触を楽しむというか。
 あとは、こうしてゴム紐を指に通して――こうして」

 手の上で転がしている姿が微笑ましくて笑い。
 その手の細い指にゴム紐を通し、水風船を落とさせて――ゴムが伸びた反動で、手の平に一度ぶつかって、ぽよんと中の水によってあちこちに揺れ跳ねるだろう。

「こうやって、風船を跳ねさせて遊ぶ、いわゆる、これがヨーヨー遊びってヤツだな。
 なかなか面白い感触だろう?」

 そう言って笑いながら、彼女が立ち上がるのを支えるように助けるだろう。
 

シャンティ > 「あ、ぁ……そう、い、う……ん?」

ぷよぷよとした感触は手によく伝わって、どこか心地よい。確かに楽しいかもしれない、と女は納得する。そういえば、ストレス解消に柔らかい感触の玩具を弄る、ということもあったか。そんなことを考えていると、指にゴム紐が通される。


「こ、れ……ぁ、わ」


ぽよんと跳ねた水風船が、パン、と乾いた音を立てて手にぶつかった。読めていないわけではなかったが、少し予想外のことに驚く。ぽよんぽよんと跳ねさせると、手に当たる感触が面白い。それと、重みが手にかかる感触もどこか不思議な感覚であった。


「ふふ……そう、ねぇ……ちょ、っと……新、鮮……悪、く、ない……わ、ぁ……?」

ひとしきり風船を弄りながら立ち上がる。


「案外……色々、ある、もの……ね、ぇ……ふふ。まだ、他、に……ある、のか、しらぁ……?」

様々な熱を帯びたのかわずかに上気した顔で男に問いかけた。

杉本久遠 >  
 
「そっか、それはよかった!」

 悪くないという彼女に、心から嬉しくなる。
 水風船と戯れる彼女は、本当に可愛らしく、ほんの少し幼くも見えて。
 ますます、傍に居たい、隣で支えたい――そう思ってしまう。

「他にかぁ。
 こうやって、オレに手伝わせてくれれば遊べそうなのは、いくつかあるな。
 射的とか、ボール掬い、輪投げとか――まあ」

 それよりも、と、水風船の屋台からゆっくり離れつつ。
 久遠の腹が気合の抜けた音を鳴らす。

「たはは――そろそろ、なにか食べて休まないか?
 祭り中でも、静かで休める場所、知ってるんだ」

 そう言って、再び彼女の腰に手を回し、ヒトの波の中へと戻っていく事になるだろう。
 

シャンティ > 「射、的……あ、ぁ……それ、は……知っ、て……いる、わ、ね。ふふ。ちょっ、と……やって……ん」

男の口から挙げられるいくつかの名前。その中には女も聞いたことのあるものがあった。
女は思い返す。射的。確か、銃で品物を撃ち落とす、というものだった。品物が壊れないのだろうか、と首を傾げたものだが……


「あ、ら……ふふ。」

思考を中断させるのにはちょうどいい、気の抜けるような腹の音。無論、女の耳にその音は届くことはない。ただ、それははっきりと情報として示されていたので、くすくすと笑う。

「久遠、の……燃、料、が……切れ、て……しま、い、そう、ねぇ……ふふ。それ、なら……食事、に……いき、ま、しょう、か。そう、いえ、ば……お菓子、みた、いな……もの、し、か……食べ、て、ない――もの、ねぇ?」


くすくすと面白そうに笑い続けた。


「ええ……私、別、に……くわし、く……ない、か、ら。場所、も、なに、も……おま、かせ……する、わ、ぁ……?」


そういって、素直に誘導に従うだろう。

杉本久遠 >  
 
「ああ、すっかり燃料切れだぁ。
 よし。
 途中で焼きそばとかたこ焼きでも買って行こうか。
 商店街の奥に穴場があるんだ」

 そう言って、彼女をしっかり支えながら、ヒトの波を乗り越えていく。
 途中、出店で定番の食べ物を買って歩き――ふら、とヒトの流れから外れて路地に迷い込む。

 そこは人通りは皆無と言うほどではなかったが、表の通りに比べてよほど少なく。
 提灯の飾りつけもされていない。
 そんな少し静かな道を抜けていくと――。

 そこは広場になっていて、中心には大きなモミの木が聳えている。
 その周囲を円形にベンチが囲んでいて、ぽつぽつとヒトが利用している様子がうかがえる。

「ここ、毎年クリスマスにツリーの飾りつけをされる場所なんだ。
 まあ今日は提灯が飾られてるけどな。
 特に何も用意されてるわけじゃないし、あまり知られてもいないし。
 一休みするには丁度いいんだよ」

 そう言って、彼女をベンチに誘導し。
 ベンチの汚れを払って、腰掛けるように促す。

「ここなら騒がしくなくて、少しは楽かな?
 まあその、オレにはその『読む』感覚ってのはわかんないんだけどさ」

 彼女の様子を窺いながら、ベンチの上に買ってきた食べ物を広げる。
 焼きそば、たこ焼き、からあげ、お好み焼き、なぜか、ケバブ。
 日本文化に準じた祭りだけあって、食べ物もそれらしいラインナップだった。
 それに合わせて、飲み物も冷えたスポーツドリンクに、彼女と飲もうと買ってきたラムネが二本。

「はい、これ――ラムネって飲んだことあるか?」

 そう言いながら、ラムネの瓶を一本差し出した。
 

シャンティ > 「へ、ぇ……焼き、そば……たこ、焼き…… から、あげ……お、好み、焼き…… けば、ぶ……」


男に連れられながら、様々な出店に顔を出す。それぞれが、その場で作られている。女はその様子を読みながら、首を傾げたり、じっと読み込んだりと様々に反応していた。それは、初めてお祭りに訪れた子どものようにも見えたかもしれない。


「あぁ……そ、う。お祭、り……に、よく、使わ、れる、と……そう、いう……こと、ね? 広い、のに……あまり、人がい、ないのは……主役、じゃ、ない……から、かしら……舞台は……ふさわしい、とき……にこそ、ね。うん……少し、楽、ねぇ」


説明を聞いてなにかを納得したように女はうなずく。


「ああ……『読む』……感覚……?」


男の口から何気なく出た言葉に、女は小さく首を傾げる。


「 大した、こと、は……ない、わ、よぉ……? 久遠、だって……本、は……読んだ、こと、ある、で、しょう? それが……無限、に……書かれ、て……いる、だけ。」

差し出されたラムネを受け取る。


「そう……」

『男はベンチに持っていた食べ物を広げる。右から紅生姜と青海苔を上からかけたプラスチックパックに入ったソース焼きそば、紙製の船に入り、ソースとマヨネーズをかけ青海苔をと鰹節を乗せたたこ焼き、コップに入った6個の鶏もも肉のからあげ、焼きそばが中に入った二つ折りにされ、ソースと青海苔、鰹節がかかったお好み焼き、甘辛いソースをかけ切り出された牛肉をピタに挟んだケバブ……』

大雑把だが正確に中身を捉えた言葉がいつものように、謳うように口からこぼれ出る。

「たと、えば……こん、な……集中、すれ、ば……もっと……細か、く……それ、にぃ……」


『ベンチから後方10m離れた場所に男と女がゆっくりとした足取りで歩く。右斜め前方7mにあるベンチに女が座り音楽を聞いている。左斜め後方……』


もし、言われたとおりに周りを見回せば同じ光景が見れることだろう。


「……ね? これ、が……ぜん、ぶ……一度、に……読め、て、るの……よぉ?」

くすくすと奇妙な笑いを浮かべる。そして、ラムネを一口、口にした。

「ん……ラム、ネね。はじ、めて……の、体験、よ。ふふ。こ、れ……さっき、開け、た……ら、泡が、でて、た……やつ、よ、ねぇ……たし、かに、しゅわ、しゅわ、と……して……ふふ。甘く、て……おい、しい……わ、ねぇ」

杉本久遠 >  
 
「ははぁ――」

 流暢に紡がれる謳に、一時、聞き惚れる。
 謳に合わせて視線を巡らせれば、視界に映る光景は寸分たがわない、それこそ風景を文章に落とし込んで正確な描写をしたように。
 ただ――それをなんてことなさそうに言う彼女は、少しだけ心配になった。

「なんだか、文字に酔いそうだ。
 それだけ詳しい描写が一度に流れてきたら、凄い疲れそうだけどな――君くらい文字に親しんでるとそうでもない、のか?」

 うーん、と首を傾げる。
 見えない聞こえないよりはずっといいのだろうけれど、それでもそれで彼女が消耗しないのか、少しは心配しても許されるだろう。

「――ああ、ラムネは所謂炭酸飲料ってやつだからな。
 普段はあまり飲まないか?
 あ、こっちは水分補給用の飲み物な。
 陽が沈んでも暑いから、ちゃんと飲んでおかないと」

 そう、世話焼きな親戚のように、あれこれと世話を焼き始める。
 やれ、これがお手拭きで、これがお箸、紙皿を取り皿にして、食べたいのはなんだとか。

「っと、そうだ、箸はどうだ?
 使い方とか、慣れとか――日本食は普段食べてないようだったし――」

 放っておくと世話焼きが留まらなそうな久遠のお兄さんスイッチが入ってしまったようだった。
 

シャンティ > 「ふふーーさて……どう、かしら………ね?」

凄い疲れそうだという言葉に対して、女は謳うように読み上げた口調からいつもの気怠い調子に戻って、くすくすと笑う。その様子からは、疲れるのかどうかーーどちらともつかなく見える。


「そ、う……ね、ぇ……ミネラル、ウォーターの……類、なら……少し、は。けれど、こうい、う……甘い、のは……飲んだ、こと、ないわ、ねえ」


少し考えてから答える。ミネラルウォーターよりは茶を飲むことが多く、実際には経験値は低いといえるだろう。


「あら。あら。あら」

次々と問われる問に答えながら、気怠いテンポでは少しだけ置いていかれる。正確には、なにもしないうちに、なにもかもが進行しているような、そんな状態だった。


「あ、ぁ……箸……? 一応……使え、なくは……ない、けれど、ぉ…… つるつる、したもの、とかは……難しい、わ、ねぇ?」


元来は手で食べることを作法として生きてはきたが、この島では様々な風習と出会うことになった。その多様性の中で様々な食べ方を知り、多少は学んでは来ている。流石に、完全に熟達はしていないが。


「ふふーーそれに、しても……世話焼き、ねぇ……?ああ、そういえば……前も、そう、だったかし、らぁ……? 妹さん、みたい、とか……って……」


くすくすと、スイッチの入った久遠に笑う。

杉本久遠 >  
 
「――はっ!?」

 指摘されてやっと、悪い癖が出てた事に気が付いた。

「す、すまん。
 余計な世話を焼いたかもしれん。
 ただその――妹みたい、とかではなくて、だな」

 やっと落ち着いて、彼女の隣に座り。
 ふう、と一息ついた。

「君には、なんだ、出来る事なら何でもしてあげたいって。
 つい、そう思ってしまうんだ。
 だからそのだな、余計な事までしてたら、はっきり言ってくれ。
 オレは君が安心できる、心安らげる場所になりたい――そう思ってる。
 それなのに、構い過ぎて気疲れさせてるようじゃ、本末転倒だろう?」

 言いながら、ケバブの包みを取って、大口で食いつく。
 空腹なのもあったが、勢いよく食べるのは、言葉にした気持ちへの照れ隠しだ。
 

シャンティ > 「ふふ。それも、同じ……と、思った、けれ、ど――すこぉ、し……違った、わ、ね?」

女の記憶には、以前も似たような話をした覚えがあった。ただ、弁明は少しだけ違った。女は記憶を探る。思い返してみれば、あれはまだたまたまの出会いを続けていたときのことだったか。


『「オレは君が安心できる、心安らげる場所になりたい」――』

反芻するように、謳うように言葉を繰り返す。まるで内容を確かめるかのように。


「そう……安心、安らぎ……ね?」


安心とは 安らぎとは ……女にとってのそれは、なんだろうか。女自身にも、それはわからなかった。


「ふふ。無理、に……難しく……考える、こと……ない、わ? 私、と、久遠。他の、人……すべて、は……別の、人。できる、ことは、できる、し……できない、ことは、できない……」

細かく箸で切り分けたお好み焼きや、たこ焼き、からあげなど、買ってきたものが少しずつ乗った皿を膝に乗せて小さく笑う。


「構い、すぎて……私が、気疲れ、するなら……久遠も。気を使い、すぎて……気疲れ、する。そういう、もの、よぉ……ふふ。だから、考え、すぎない、こと……ね?」

お互いに面倒になっても仕方がない。女はそういう風に考える。

「ん……おいしい、わ、ね」

皿の上のお好み焼きを口に運んで、感想を述べる。

杉本久遠 >  
 
「――なるほど、そっか。
 はは、そういうものか」

 彼女の言葉に納得して、安心して――この瞬間に安らいでいる。
 支えたいと思っている自分の方が支えられている、癒されている事に気づいて、少しだけ悔しくなった。
 もちろん、それ以上に嬉しさで満たされていたが。

「ああ、うん、美味しいな。
 祭りの空気もあるが――やっぱり、君と一緒に居るときは。
 食べ物だって美味しく感じるみたいだ」

 こういうのが、所謂、恋という気持ちなのだろうか。
 散々イロコイと無縁に生きて来た久遠には、ほんとのところはわからないが。
 これがまぎれもなく恋であるのなら、この時間、一分一秒だって大切にしたいと思うのだった。

「――ゆっくり食べて、一休みしたら。
 また遊びに行こう。
 もっと、君に体験してほしい事はたくさんあるんだ。
 読むだけじゃわからなくても、一緒に体験すればわかる事、まだまだあるだろうから。
 ああもちろん、君が疲れない範囲で、な」

 水風船を面白がっていた彼女を見て、強くそう思ったのだ。
 彼女が知らない事、体験したことない事を、一緒に感じていきたいと。
 だからきっと、まだ夏祭りは終わらない。
 もう少し。
 ゆったりとした歩みで、静かな二人三脚を楽しみたい。
 そう心から思う久遠だった。
 

シャンティ > 「……」

もう一言。おそらく女は付け足すこともできただろうが、それは口にしない。自分自身がその言葉に当てはまるとは思えないからだ。


「食事、は……複数で、食べると、美味しく……なる、なんて……そんな、言葉を、聞いた、ことある、けど……そういう、感じ、かしら、ねぇ……?」


色恋という特別性より、あくまで人間の集団としてのあり方を以て女は考える。全人類を、鑑賞対象として愛でる気持ちはある。それと、色恋とは別物であるのは女にもよくわかる。物語としての色恋はわかっても、人の感情としての恋、というのは未だ女にも掴みきれないことであった。


「ふふ……あまり、慌てて、食べれ、ないし……ゆっくり、いただく、わ。でも、そう、ね……まだ、未体験、の……なにか、があるの、なら……それは、楽しみ、ね。少し、急ぎたく、なってしまう、か、も?」


女は考える。先程までの間でも、いくつか新鮮な体験はできた。それがまだあるというのなら、こんなに興味深いことはない。


「……悪い、わねぇ」

小さく、聞こえないくらいでぽつりとつぶやく。その手は、箸をおいて水風船を撫で回していた。


「……いつか」


いつか、この時間がいい思い出となるのか。それとも――それは、女にはわからない。未来を読むことは許されていないのだから。それを気にしても仕方のないことだ、と思い直す。せめて、いつも通り……状況を楽しもう。そう思うのであった。

ご案内:「商店街」から杉本久遠さんが去りました。
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