2022/02/25 のログ
ご案内:「常世公園」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
気持ちが挫けるとき、きっかけは案外些細なもの。
精神的に不安定だったり、繊細で感じやすい人は
特にその傾向が強い。

青白い顔で公園のトイレに入っていく女子生徒、
黛薫は丁度そんな『きっかけ』に突き当たって
浮き足立ってしまったところ。

彼女は今朝、寝る前にコンセントに繋いだはずの
スマートフォンの充電が切れかかっていることに
気付いた。原因を探ってみると、充電ケーブルが
お釈迦になってしまっていた。

だから買い替えのためにコンビニに立ち寄った。
そう、そこまでは日常の範囲内だったのだが。
少しだけ、ほんの少しだけ……嫌な思いをした。

黛 薫 >  
目的の品を見つけて手を伸ばした矢先、レジから
怒鳴り声が響いた。クレーマーという人種だろう。

喚いていた内容は定かでないが、対応する店員の
『視覚』から読み取れた感情から考えるに、筋の
通った主張ではなかったようだ。

怒鳴り声に驚いた黛薫は車椅子の制御を誤り、
棚にぶつかって商品を床に散らかしてしまった。

クレーマー客は騒ぎが大きくなるのを嫌ったらしく、
余計なことをした黛薫を一睨みして店を出て行った。

八つ当たりで向けられた『視線』には雑然とした
怒りの感情が込められていた。お陰で他者の視覚、
及び込められた感情を触覚として受け取る異能を
持つ黛薫は理不尽な痛みに呻く羽目になった。

黛 薫 >  
痛みに朦朧としつつ落とした商品を拾おうとすると、
今しがたクレーム対応をしていた店員が割り込んで
代わりに棚の整理を請け負ってくれた。

しかし、クレームを受けたばかりで店員も機嫌が
悪かったのかもしれない。表向き車椅子の自分を
気遣うような言葉をかけながらも、余計な業務を
増やされたことへの苛立ちが『視線』に滲んでいた。

店員は商品を拾おうとした黛薫の手……自傷痕と
絆創膏が目立つ手を見て、商品に触れられる前に
割り込めて良かったと密かに安堵していた。

そんな店員に、迷惑をかけてしまった自分が
これ以上手を煩わせるのが嫌で、怖くて……
結局、何も買わずにお店を後にしてきた。

黛 薫 >  
痛みと悪心で視界がぐらぐらと揺れている。

身体が不自由で車椅子生活を余儀なくされている今、
多目的トイレに入るべきだった。そう気付いたのは
抜けない癖の所為で女子トイレに入ってから。

座れなくても吐く前に個室に入るべきか。
今からでも多目的トイレに引き返すべきか。
迷っているうちに込み上げてきた吐き気を
堪え切れなくなってしまって。

「ぅ、え」

洗面所で、吐いてしまった。

床にぶち撒けるよりはマシだったのだろうけれど、
個室まで我慢できなかっただけで酷く悪いことを
してしまったような気持ちになった。

黛 薫 >  
震える手で蛇口の栓を捻り、汚れを洗い流す。
顔を上げると、洗面所の鏡に憔悴した自分の顔が
映っていた。

自分が怒られた訳でもないのに、どうしてこうも
落ち込んでいるのだろうか。落第街にいた頃なら
もっと酷く怒鳴られても取り繕えたはずなのに。

『視線』に感じた恐怖が抜けていなかったのか、
自分で理解出来ないほど傷付いてしまった所為で
情けなくなったのか……気付くと涙が流れていた。

「ぅ、ぐ」

口周りの汚れを洗い落として、嗚咽を飲み込む。
この程度の『嫌なこと』は皆我慢しているはず。
ただでさえ周りに甘えている自分がそれを不満に
思うなんて、きっと良くないことだ。

そう自分に言い聞かせても、涙は止まらなくて。
泣き止めないのが悪いことのように思えてしまって。

不安か苛立ちかも定かでない感情に任せるまま、
血が出るまで爪を、指を齧ってしまった。

黛 薫 >  
身体が不自由になってから、自分で傷付けられる
範囲が限られるようになった。お陰で自傷の痕は
概ね手に集中している。

こんなにボロボロに傷付いた手でお店の商品に
触れられるのは確かに嫌だし、避けたいだろう。

ふっと納得してしまった頃には、さっきより更に
手は傷付いて、血で汚れて。自己嫌悪が加速する。

どうにか涙を飲み込んで、温水が染みる噛み跡を
清潔に洗って。持ち歩いている絆創膏を不器用に
べたべた貼り付け、その場凌ぎの処置を済ませる。

再び鏡を見上げると、相変わらず顔色は青いまま。
その癖、泣き腫らした目の周りだけ赤く濡れていて。

(……見られんの、なんか……ヤだな)

ゆっくり、未だ涙の味がする息を吐きながら、
目深にフードを被り直した。

黛 薫 >  
トイレを出ようとして、少しだけ車椅子の制御に
手間取った。噛み跡だらけの手指が痛んで操作が
覚束なくなっている。

車輪を壁に擦りながらどうにか出口を抜けたとき、
意識の外から誰かの笑い声が聞こえた。下校がてら
コンビニに寄った学生たちが雑談に興じている。

自分に向けられたものですらない大声に怯えて、
指が動かなくなってしまった。

側から見ればトイレの出口で立ち往生している
不審な光景だが、本人はそれどころではない。

(……みられて、る?)

誰かが責めるように自分を見ている気がした。
誰かが自分を見て笑っているような気がした。
誰かが立ち止まる自分を迷惑に感じているような、
そんな『視線』が肌の上で這い回る感触があった。

実際のところ、車椅子で目立つことを加味しても
知り合いでもない相手を眺め回す人はそういない。
不安が作り出す他者の視覚の幻が自分を苛んでいる。

黛 薫 >  
緊張で上手く息が出来ない。呼吸が苦しい。
流れる冷や汗の所為で張り付く前髪が鬱陶しい。

吐いて治まったはずの目眩がぶり返してくる。
胃の中身がからっぽになったお陰でこれ以上
吐くものはないのに、嘔吐感が込み上げる。

全身を這い回る視覚の幻触は車椅子の背もたれで
隠れているはずの背中にまで。冷静なときなら
その視覚が存在しないことに気付けたはずだが、
今の黛薫にそんな余裕はない。

こんな場所で立ち往生していたら次の利用者が
来たときに迷惑になるのでは、と思いながらも
これ以上進んだら『視線』から身を守るものが
無くなってしまう気がして動けない。

思考がぐるぐると廻り、意識が混濁していく。

ご案内:「常世公園」に清水千里さんが現れました。
清水千里 >  
「――お嬢さん?」

 トイレに入ろうとした清水が、目の前の少女の異変に気付かないわけはなかった。

「なにかお手伝いできることはあるかな?」

 そう言って、微笑みかける。
 その言葉に好奇心や憐憫の含みはない。
 何も考えていないのだ。
 ただ単に、目の前に困っている人間がいたから、声を掛けただけ。

黛 薫 >  
掛けられた声。車椅子の少女はぎくりと肩を
跳ねさせて目の前の女性を見上げた。

『視線』の感触に気付けなかったのは幻触に
苛まれていたからでもあるが、何よりそこに
込められた感情があまりに無機質だったから。

不調の相手に声を掛けておきながら心配も憐憫も
自己陶酔もない人間などそうはお目にかかれない。
ましてトイレを利用しようとしているのに入口で
立ち往生している相手に一片の不満すら感じない
人間などなおさらいないだろう。

「ご、ごめんなさぃ。すぐ、退くんで」

ひとまず、疑問も不信感も棚上げにして入口を
開ける。不審なのは此方も同じ。トイレから
出てきたということは用を済ませているはずで、
その癖『視線』に怯えて建物の陰から動かない。

清水千里 >  
「おやおや」と、清水は苦笑した。

「別に謝られるようなことはしていないよ。
 ただ、お困りのようだったからね。」

 やはり彼女の言葉に感情は読み取れないだろう。
 普段接してきたひとびととは明らかに違い、
 ひどく不気味に感じるかもしれない。

「何か暖かい飲みものでも買ってこようか?」

 そう言ったのは、彼女を少し落ち着かせられないかと思ったからだ。
 トイレに入ろうとしたのは、別に用を足すわけではなく、少し化粧直しをしたいと思ったからだ。
 別に急ぐほどのことではない。

黛 薫 >  
「いぁ、でもそれ……あー、ぅー。んや、イィです。
 あーしも別に、困っ……んん、アレです。体調が
 ちょっと良くなかっただけなんで。さっきよりか
 マシんなってますよ」

今入ろうとしてたのに、という言葉は飲み込んだ。
相手の態度から急ぎの用事でないのは察せられたし、
それなら積極的に触れる話題でもない。

とはいえ、意識の混濁から復帰したばかりであり
頭が回らないのも事実。体調、ないし精神の不良が
『困っている』に含まれるのか判断しかねた結果、
曖昧な断り方になってしまった。

「いぁ、変な言ぃ方になっちまったかな。
 えと、飲み物は必要ねーです、はぃ。
 キモチだけ受け取っときますんで」

未だ鈍いままの思考で相手の『視線』を精査する。
あまりにヒトらしからぬ透明な無感情の感触。

想定出来る理由は外見上人間らしく見えるだけで
精神的に人間とかけ離れた種族であるか、或いは
何らかの理由で意図的に感情を殺しているか。

前者なら問題ない。この学園では異種族なんて
珍しくもないのだし。けれど後者なら警戒が必要。
悪意を持って声を掛け、それを隠しているという
可能性だってある。

表の街でそんな危険はよほど無いが、染み付いた
警戒の癖は抜けない。表向き自然に振る舞おうと
試みる彼女は、温かい飲み物を与える必要もなく
『急に落ち着いた』ように見えるかもしれない。

清水千里 >  
「……ハハハ!」

 そう、突然笑う。愉快に思ったからだ。

「なんだい、私を警戒しているのかい?
 いや、私も出会ったばかりの君に変なことを言ってすまなかったね。」

 突然落ち着いたように見える、目の前の少女。
 自然に振舞おうとつとめる彼女の身体の動きは、人を見慣れた清水には逆に不自然に見えた。

「落ち着いたならよかったよ。ほら、スゴイ汗じゃないか?」

 と、純白のハンカチを懐から取り出して。

「拭きなさい。外は寒い、そのままでは風邪をひいてしまうよ」

 そう気さくに話しかける姿からは、悪意を隠しているようには思えないだろう。

黛 薫 >  
「……べっつにぃ、変なコトは言ってねーーと
 思ぃますけぉ?あーしの方が捻くれてるだけ。
 強ぃてあーたが変っつーなら、心配も何にも
 してねーのに行動に移してるトコくらぃすよ」

警戒を見破られて渋い声。しかしそれも本音は精々
半分といったところか。警戒がバレてしまったなら
嘘を通さない方が不利に陥らず済むと知っている。
人間観察に慣れていればそう伺えるだろう。

だから警戒の理由が貴女の感情にあるのだと、
手の内もあっさり明かす。理由のない警戒は
疾しいことがあると告白するようなものだから。

「つーか、あーしが道化てたのはそんな笑ぅほど
 面白かったかよ。勝手に警戒してたのはそりゃ
 バカみたぃっすけぉ?」

受け取ったハンカチで汗を拭きながらぼやく。

大袈裟な感情表現、打って変わって粗暴な口調、
拗ねたような声音。どれも演技ではないものの
バレている内心を前面に押し出してそれ以外を
隠すには悪くない手。

清水千里 >  
「うん、その方がいいな、その投げやりで、ぶっきらぼうな感じ!」

 そう言って、無邪気に笑う。

「心配はしていないよ。君だって赤ん坊じゃないだろうしね。私ができるのは手伝いぐらいさ。
 それとも、理由もなしに人を手助けするのはそんなに変なことだろうか、どうだろうか?」

「……それに、内心を隠すのは面白くないじゃないか。
 役者がかった芝居がかった演技だろうが、自分の気持ちを表現している君の方が、
 そうでない君よりよほど面白いよ」

 面白い、という言葉には無論嘲りの意味などなく、純粋に人間としての面白み、という意味である。

「君にとってはそれは言うほど簡単ではないのかもしれないけどね」

黛 薫 >  
「『人助けに理由はいらなぃ』的な主張はよーく
 聞きますけぉ。道徳に従ぅのも見て見ぬフリが
 イヤだっつー動機があってこそっすからね。
 人を助けてキモチ良くなんのも自己満足っつー
 報酬のためですし?

 んでも、あーたはそーゆーキモチすらねーだろ。
 人を助けるのが当たり前だから……いぁ、それも
 違ぅかな。『人を助けるのが当たり前』っつー
 共有概念があっからそれに沿って動ぃただけ?

 あーしが知らなぃ価値観で動いてんだもん。
 そりゃ警戒くらぃするってもんでしょーよ」

相対する相手に隠し事の意図がないのは嫌でも
理解した。笑い声も本音だし『面白い』という
感想にも含みすらない。

「あーしだって普段から本音隠して生きてたり?
 そんな面倒なコトしたかねーです。公共施設の
 入口塞ぃじまって慌てたのも申しワケねーって
 思ったのもホント。

 そんでも一回警戒した相手にバレたからって
 じゃあ素直になります、って開き直れるほど
 器用に生きれるワケでもねーですからね」

不満げな吐息を溢しつつ、ハンカチを返却する。
粗暴な口調とは裏腹に、傷だらけの指は丁寧に
ハンカチを畳み直していた。

清水千里 >  
「強情なやつだね、君も」

 と、斜に構える少女に苦笑いし。

「思えば、私が君ぐらいのときも、そんなことを考えていたことがあったよ。
 今思えば、そういう悩みというのはまことにくだらんものだった」

 人を助けるのは自己満足か、道徳は本能か。
 少しセンチメンタルな表情で、とうに過ぎ去った自らの幼年期の終わりを思い出す。

「結局は心に従うしかないのだからね。
 ――もっともこの心という奴が曲者で、頭で理屈づけたようにはいかないものだ」

 粗暴な口調と裏腹に、丁寧に折りたたまれたハンケチを受け取りつつ。

「人の心は矛盾と分裂の迷宮だ。警戒しすぎるのも疲れてしまう。
 君の言う通り、そこまで器用に生きる必要もない」

 そう、微笑んで。

「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね?」