2022/06/04 のログ
ご案内:「常世公園」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
季節は初夏。常世島は付近に位置する島国と同様、
四季の豊かな島。空の雲は夏らしいはっきりとした
輪郭の内側を白く染め、湿気混じりの暑気は梅雨の
到来を予感させる。

(あっつ……)

そんな夏のある日、黛薫は公園のベンチに腰掛けて
空を仰ぎ、首筋を伝う汗をシャツの襟で拭っていた。

こんな日和は冷たい飲み物のひとつも欲しくなる。
手持ちの金額はいつぞやほど乏しくないし、公園に
設置された自動販売機のラインナップも冷たい飲料
中心に切り替わっている。

……が、買うのはもう少し後にしたい。
この暑さの中、手元にあったら飲んでしまうから。

「…………」

ちらと視線を向けたのはベンチから少し離れた
公衆トイレ。入口には『清掃中』の簡易看板。
つまり、まあ。待ちのお時間なのだった。

黛 薫 >  
(あっつぃけぉ……体感去年よかマシ、かなぁ)

去年の今頃はまだ落第街で暮らしていた。
思い返してみると、奇妙な出会いがあって生活が
改善の兆しを見せたのも確か梅雨頃だったか。

衣服を選び、新調する余裕があるのは言うに及ばず。
街全体の清潔さ、風通しの良さも不快感の差に直結
しているのだと改めて気付かされる。

「……夏、かぁ」

ちりちりとタイツ越しに肌を焼く日差しを感じて
呟く。落第街の夏は酷いものだった。インフラが
生きていないお陰で飲み水の確保にも苦労したし、
ロクに掃除もされないから腐臭が漂っていた。

黛 薫 >  
自分の感覚は落第街に置き去りにされたままで、
本当は手元に残っていないのではないだろうか。
ときどき、そんな錯覚を感じる。

いくら洗っても落ちない汚れが残っている気がして
人や物に触れるのが申し訳なくなったり、落第街の
淀んだ空気と汚臭が自分の周りに残っているように
感じられて肌が剥けるまで擦ってしまったり。

実際にはそんなことはない、と思う。多分。
神経質なくらい執拗に洗い流すものだから、
肌に悪いと医者に忠告されたほど。

それでも、ときどき自分が酷く穢く見える。

黛 薫 >  
座っているベンチを指先でなぞってみる。
目に見えた汚れが付着している様子はない。
手の方が汚れているかも、と思ったけれど
今日は血が出るほど深い傷も無かった。

(考ぇ過ぎって、頭では分かってんのにな)

爽やかな青空に相応しくない深く長いため息。

正直なところ、夏はあんまり好きではない。
『視線』から逃げるために露出を避けた服装を
好むから、その分夏の暑さには弱い。

この季節ばかりは『視線』から身を守ってくれる
パーカーのフードも長い前髪も鬱陶しいくらい。
着込めば凌げる冬の寒さの方が幾分マシに思える。

黛 薫 >  
「……はぁ」

さっきより幾分控えめなため息。
ベンチに座ったまま首だけ動かしてトイレの様子を
確認する。清掃中の看板は未だ取り払われないまま。

清掃開始に鉢合わせたならともかく、自分が公園に
立ち寄った頃には既に清掃が始まっていたのだから
長くはかからないはず……そう思っていたのだが。

(コンビニとか行こっかな……)

屋外で待ち続けるくらいならその方が建設的。

しかし黛薫はうだうだと動かない。コミュ障には
トイレを借りるため店員さんに一声かけるという
ハードルが高すぎる。

黛 薫 >  
何をするでもなく、黛薫はぼぅっと待ち続ける。

服装や雰囲気のお陰であまりそうは見えないが、
座り方は存外綺麗で背もたれに触れないくらいに
背筋が伸びている。

姿勢の維持は身体操作の魔術の修練にもなる、と
いう建前もあるにはあるが、単純に公共の場では
あまりだらしない姿を晒したくないから。

他者の『視線』への敏感さはそういう面にも表れる。

ただ、妙に良い姿勢で座りっぱなしというのは
風変わりでもある。時間潰しにスマホを見もせず
休むには少々堅苦しい姿勢。待ち合わせにはやや
長すぎる時間じっとしているのだから。

(暇潰しとかいらねーのは強み、なのかな?)

気が休まらない時間が長過ぎて、平穏な時間を
噛み締めるだけでいつまでも過ごせそうな気分。
もっとも精神が不調を来していない日に限るが。

黛 薫 >  
……と、考え事で誤魔化すにも限度はある。

(イィ加減遅過ぎだろ、何かあったのか)

松葉杖を手に立ち上がった拍子、予想より遥かに
溜まっていた水位の重みにバランスを崩しかける。
内心冷や汗。今は押さえることも出来ないのに。

「い゛……っ」

慎重に踏み出したつもりの一歩で水面が大きく
揺れている。悠長に待ち過ぎたことを悔やむが
後の祭り。これで掃除が終わっていなかったら
どうしよう、と頭の隅に危機感が過ぎる程度に
待ち時間が長過ぎた。

黛 薫 >  
結論から言うと、時間がかかり過ぎているという
違和感は正しかった。トイレの中に清掃員は居らず、
どうやら清掃を終えた際に看板を置き忘れたらしい。

(完全に無駄な待ち時間だったんじゃん……)

多少なりとも待ち過ぎには懲りた様子だったが、
コミュ障は相変わらず。人に声をかけたりせずに
気楽に使える場所ばっかりなら良いのに、などと
独りごちていたとかなんとか。

ご案内:「常世公園」から黛 薫さんが去りました。