2020/07/23 のログ
■簸川旭 >
青年の言葉をきいて、ちらと巨大な翼を見る。
なるほど、たしかに異邦人としての特徴のように見える。
異能といえば特殊な能力なイメージを持っていたが、こういった肉体の変異もあるということを知ることができた。
「……なるほど。そういうことか。
いや、僕もそういうことを知らずに……悪かった。
だが、受け入れてもらうために仕方ないというのは……気に入らないな」
異邦人と間違われるということ。それはこの世界にとっての外なる者であるということだ。
自分も、何かそういった特徴を持っていれば、この時代の人間とは異なるのだとすぐに判別できただろうか。
――無理だ。魔術も異能の存在を知らなかった者を示す外的な特徴などあるはずもない。
そんな事を考えていると、思わず率直な言葉が出てしまった。相手の苦労も苦しみも、自分は知りもしないというのに。
冷房の音が大きく聞こえる。なんとも気まずい空気が流れている。
「無理に笑わなくてもいい。僕も今は、心の底から笑えることはあまりなくてね。
……そうか、アンタも。この世界に生きづらさを感じているとか、そういうことか。
僕もなんだ。アンタとは逆だが……僕はこの世界を受け入れようとしている」
相手の方からそういった踏み込んだ話をしてくれるならやりやすい。
こちらの話も十分んできるというものだ。
■日下部 理沙 >
「お気遣いありがとうございます……まぁ、はい、生き辛いですね」
そう、青年は笑おうとして……やめた。
相変わらず目は合わせず、控えめにアイスコーヒーを啜る。
水嵩は、まるで減らなかった。
「俺も気に入らないんで、色々頑張ってはいるんですけども……まぁ、なんというか、気の持ちようですね多分。
なんだか、責められてるような気がしちゃうんですよ。
見た目が見た目なんで」
ただの被害妄想の場合が実際は大半である。
だが、事実として……『見た目通りの活躍』を期待される事も当然ある。
そう言った期待に応えないでいることは、青年には苦しかった。
「俺、この翼じゃ飛べないんで……魔術で無理矢理飛べるようにはしましたけど。
『なんだ、飛べないんだ』とか言われるのも嫌なんで」
冷房の音が、大きかった。
今度は青年のグラスのアイスコーヒーが崩れて、音を鳴らした。
「すいません、自分語りばかりしちゃって……!
えと、アナタはそうなると……何かしら異能や境遇などで御苦労を?」
男が呟いた『アンタも』という言葉に、青年は反応した。
その言葉は、目前の男も何かしら抱えている事の示唆だった。
単純な興味から、青年は男に問いかける。
■簸川旭 >
「そうか……そういうこともあるのか。確かにそうだな、翼があれば飛べると思うというのは。
実際僕もそういう能力を持っているのかと思ったよ。気を悪くさせてしまうかも知れないが。
この世界だと、そういうのがどうしても普通に存在しているのかと、思ってしまう」
飛べる人間など自分の「時代」――自分が認識していた、魔術や異能などもない世界――には存在しなかった。
だから彼の翼を見て、飛べる存在なのかと思ってしまったがそうではないらしい。
ただ、翼があるだけ。飛べはしない。期待される能力を魔術で無理やり再現したという。
……自分にはわからない苦しみだ。異能は一応もってはいるにせよ、一度発動しただけの自分には。
「……それは、辛いな。気持ちはわかる……いや、真に理解することはできないんだが。
責められているというような気持ちは、わからないでもない」
異能も魔術も異世界も異邦人も理解できない。ただ異常だ、おかしい、ありえないと思う自分は。
きっと、この世界からは責められる存在だろう。彼の悩みとは、また違うものだが。
青年は今度はこちらのことを尋ねてきた。
カフェオレを一口飲み、唇を湿らせる。
「ああ、僕もそういった苦労は抱えている。アンタみたいな目に見えるような悩みではないが……。
僕は……異能も魔術も、異邦人も。なにもないところから来た。
正確にいえば、《大変容》が起こる前の日本に生まれて、《大変容》が発生した直後に眠りについて……目覚めた。
その後は全部終わっていたというところだ。
……だから、正直アンタの翼は怖い。アンタが嫌いというわけじゃない。ただ、僕の時代にはあり得なかったものだから」
ごく簡単に、なんでもないことであるかのように振る舞って、告げる。
「異能も魔術も異邦人も、正直受け入れられたとはいい難い。だから、この世界のことが嫌いでね。責められてる気分になる。
僕もそう……異邦人というわけだ」
■日下部 理沙 >
男の話を黙って聞く。
その内容は……青年にとっても、多少なりショッキングな話だった。
《大変容》以前の世界。青年も知らないわけではない。
その世界の頃の常識も……知っている。
だからこそ、青年にとって、男の話は……他人の身の上かつ、境遇は全く違うとはいえ……他人事とは思えなかった。
怖い。
その感情は……青年もわかっているつもりだ。
つもりの域を出ているとは言い難い。
だが……想像くらいはできる。
自分にとっての『当たり前』が、寝て起きたら『当たり前』ではなくなっていたという恐怖。
……悪夢としか言いようがない。
「……そう、ですか」
何とか、絞り出すように青年は声を出す。
もう、サンドイッチに手を付ける気にはなれなかった。
ただただ、目前の男の言葉が臓腑を締め付けた。
……異邦人。
そう、彼は……確かに異邦人だった。
ただ間違えられるだけの青年とは違う意味で……異邦の者に違いなかった。
「でも、そう言って頂けるのは……気楽です。
言外に下手に慮られたり、腫物扱いされるくらいなら……言葉に出してもらった方が気楽だ。
ありがとうございます、怖がってくれて」
変な言葉だとは思う。
だが、それは事実だった。
事実として……青年はそう思った。
不思議なもので、どんな言葉で慰められるよりも……何だか、気が楽だった。
「えと、そういった境遇ですと……受け入れられないのは仕方ないと俺は思います。
いや、当然だと思う。俺だって……受け入れられたわけじゃない。
半分くらいは、開き直っただけで。
……アナタは、嫌いな世界をそれでも……受け入れようとしているんですよね?」
眠りについた、と彼は言っていた。
それがどんな意味かまではわからない。
だが、恐らくは……また似たような形で『眠る』ことは、今の常世島の技術なら出来るはずだ。
コールドスリープ。それは技術として存在している。
……まぁ、異能や魔術を伴う以上、目前の彼がそれを忌み嫌うのも分かる。
だが、一時の苦痛であるはずだ。
その苦痛よりも、無限に続くであろう今の苦痛を克服しようとするその言葉。
それに……青年は興味を示した。
「何か……転機でもあったんですか?」
青年も、とある転機がかつてあった。
その転機以降……前よりも開き直った。
彼にも……そういう『何か』があったのだろうか?
■簸川旭 >
「……変な話だな。怖がられることを喜ぶとは。まさか礼を言われるとは思わなかった。
まあ、正直取り繕えるほどの余裕もないんでね」
と、わずかに苦笑めいた笑みをこぼす。
そして、背けていた顔を、青年の方に向ける。
「転機か、そうだな。あったよ。アンタの言う通り、この世界を受け入れようと……。
……少なくとも、知ろうとはしている。生きて、この世界の事を少しでも好きになろうと思っている。
死のうとも思ったことは何度もある。だが、神や悪魔も実在しているようなこの世界じゃ、死すらも安寧には思えなくてね。
また眠りにつくのも……まあ、この世界ならできるかも知れないが。それもお断りだ。僕が永遠に眠っていられる保障なんてどこにもない。
そんな中でも……この世界を受け入れようとしているのは、生きようとしているのは」
空を見上げる。あの、七夕の夜の出会いを思い出す。
「俺のために泣いてくれるようなお人好しの「地球」人がいてね。そいつが俺をなんとかして笑わせてくれるといってるから、それがどんなものか見てやろうというのが一つ。
もう一つは――『仲間』ができたんだ、《異邦人》のね。ああ、なんていうのかな……オーク種とでもいうのか。僕には詳しいことはわからないが。
そいつは《異邦人》だった。まあ、この世界に馴染むことの出来ない、常識が理解できない男らしくてな。
似ているだろ? 《異邦人》も僕は怖くて仕方ないが……だけど、そいつに頼まれてしまってね。
そいつもこの世界のことを嫌っていたが……この世界のことを好きになれるような出会いがあれば教えてくれと言われたんだ。
だから、今はそれを探している。僕も正直、死にたくはない。眠りにもつきたくない。
その『仲間』との約束があるからこの世界を受け入れてみようと思ったわけだ。希望も何もあるわけじゃないけどな。
僕は完全にはこの世界のことは受け入れられることはないかもしれない。だが、少しでも好きになれることがあれば、生きていける。
何もかもかわってしまったが、それでも、僕が生きていけるような変わらないものがあるのならば……それを見たい。
今は、そう思っている」
転機とは出会いだった。そう告げる。
自分を笑わせようとするような存在がいて、そして《異邦人》の『仲間』ができたこと。
それを目の前の彼に告げる。
「アンタも、そう思っているわけか? 単に自分の置かれた状況に絶望し続けているってのだけじゃ、なくて」
■日下部 理沙 >
「ははは……まぁ、はい、そうです。絶望とかはしないです。
でも、俺の場合は……」
どこか、面映ゆそうに頭を掻いて……青年は笑った。
今度は作り笑いではない。
本当に、どこか……気恥ずかしそうな笑み。
「『カッコつけたい』から、ですかね。そう言う出会いが……俺にもあったんで」
恩師の事を想う。
異邦人の恩師。何度も自分を導き、今でも支えてくれている彼。
無論、それだけではない。
何事にも真っすぐな一人の男。
下半身が異能で蛇に変じてしまった女生徒。
いつも自分をからかう後輩。
気難しいが、いつも話を聞いてくれる竜学者。
……自分が当時『飛べなかった』ばかりに、ベランダからの落下を救えなかった少女。
そして。
「……その『オーク種』の方は、俺も一応知っています。
良かったと言っていいかどうかはわからないけれど、アナタのような『異邦人』に彼が出会えたのは、個人的には幸いと思います」
かつて、名も素性も知らず……一度だけ見知ったオークの男。
彼と目前の男が出会えたことは……恐らく、幸いなのだ。
青年が、そう思いたいだけかもしれないが。
「アナタは、聡明な方ですね」
死すら覆る島。常世の名を持つ島。
眠りもいつ妨げられるか、知れたものではない。
世界を嫌悪すると彼は口にしている。
だが、青年からすれば……男のその在り方は、真摯に思えた。
真摯に世界と向き合っていると思えた。
「好きが一つでもあれば、変わる事は確かにあると思います。
それを探そうと努力することは……難しい事です。
でも、それに……『仲間』の為に挑めるアナタを、俺は好ましく思う」
初対面で言う事じゃないなと、青年は内心で笑った。
だが、素直にそう思えたのだ。
青年も、もしかしたら……彼のような人と出会いたかったのかもしれない。
『苦しい』と思いながらも、前に進める誰かと。
この島で窒息しそうになりながらも、息継ぎする努力をする誰かと。
……境遇は違う、立場も違う、来歴も違う。
それでも、青年からすれば……目前の彼は、『苦しみ』を知る『隣人』だった。
「……俺、行きますね。そろそろ、帰らないとなんで。
これでも研究生なので」
一度、時計を見てから……そう呟いて立ち上がる。
サンドイッチを口に放り込み、アイスコーヒーで流し込む。
今度は、すんなり飲み込めた。
「あの、俺……日下部理沙って言います。
一応、魔術とか異邦とかの研究をしてる立場ですので……何かもしあれば、力にならせてください」
そういって、名刺を置いておく。
相手の名前はまだ聞かない。
次の機会でいい、何より……今は青年……理沙が一方的に好意を抱いただけだ。
身勝手は此処までにしておく。
「機会あれば、また御話してください。
アナタの話は……俺には『気楽』で『好ましい』です」
その言葉だけを置いて、理沙は店を出ていく。
少しだけ、最初に現れた時よりは気楽そうな足取りで……軽快に。
ご案内:「カフェテラス「橘」」から日下部 理沙さんが去りました。
■簸川旭 >
「――ああ、俺も『仲間』をこの世界で持てるとは思わなかった。
きっと、いい出会いだったんだろう。まだ、道は半ばだが。
聡明なんて言われるのは、こう、褒めすぎな気もするが……。
『カッコつけたい』か。なるほどね。そうだな、そういうなにか一つでも目的があるのなら……先に進むこともできるだろう」
シュルヴェステルは共通の知り合いであったらしい。
彼のことを知る人間から、その出会いが幸いだったと言われたのはなんだか不思議な気持ちではあるが。
悪い気はしなかった。あのシュルヴェステルも、自分との出会いで何かしら切欠を得たのならば、と思うことができる。
照れ隠しのように肩をすくめていると、青年から一枚の名刺をもらった。
「日下部理沙――」
机に置かれた名刺を眺めながら名前をつぶやく。
「……『好ましい』、か。
そんなことを言われるとは思わなかったが、俺もこの世界で『気楽』な話を人とできるとは思わなかったよ。
またな、日下部。そういうことがあったら訪ねるよ。僕はこの世界のことをまだ何も、知ってはいないのだから」
青年は研究生だといった。ならば、あまり遊んでいる時間もないのだろう。
名刺を置いて、彼は去っていった。
好ましく思う、などとやや気恥ずかしくなるような言葉を残して。
自分も、彼を好ましく思った。
自らに発現した異能を誇るわけではない。
自分に降り掛かった災厄のようなものと理解して、歩もうとする男。
同じだ。
その境遇は何もかもが違う。主義主張も、どこか違ってくるところはあるのかもしれない。
なにせ、彼のことはほぼ知らないに等しいのだ。
だが、『苦しみ』を知る『隣人』であることは同じだった。
彼もまた、『隣人』であるのだ。
シュルヴェステルと出会ったときのように、そう思った。
きっとこの理沙も、『仲間』になれるのかも知れない。
今日、彼のような、この島で、この世界で、苦しみつつも進もうとする者を見つけることが出来た。
またいつか、会うことがあるだろう。
この世界の魔術も、異能も、異世界も好きにはなれないのかもしれない。
その非現実を真に受け入れることはあまりにも難しいことかも知れない。
だが、しかし。
『人』は好きになれるのかも知れない。
人間、異邦人、なんでもいい。たとえその姿形が違っていたとしても、思想信条が異なっていたとしても。
ただ、『人』は好きになれるのかも知れない。
――そう、思った。
「シュルヴェステル、まだまだアンタに報告できるような状態じゃないかもしれないが。
少しぐらいは希望も、あるのかもしれないな。
アンタも、そうであったならいいが」
カフェオレを飲み干し、自分も席を立ち上がり、雑踏に消える。
唯一でも、この世界のことを「好き」になれるように。
ご案内:「カフェテラス「橘」」から簸川旭さんが去りました。