2020/11/11 のログ
神代理央 >  
どうでもよい、と横に置かれた話題を此方も追い掛ける事は無い。
此方も、緊張の解れから紡いだ言葉。
深く掘り下げられたら、かえって警戒してしまうかもしれない。
とはいえ、次いで投げかけられた言葉には…少しだけ、身を固くしてしまう。

「曲がりなりにも一度は部隊として登録されたものだからな。
流石に、そっくりそのまま流用するという訳にはいかなかったが。
……ああ、そうだな。園刃は、落第街や二級学生、違反部活生に肩入れするきらいがある。
此方から刺激する様な事を言うつもりは無いが。お前の同居人に、この話題を振るのは好ましくはないだろう。
私は、なるべく会うのを控える。今は、それしかないだろう」

彼女の同居人は、きっと無辜の民を心配するのだろうけど。
彼女から同居人へ向けられる庇護は、そんな有象無象ではなく同居人の少女にしか向けられない。
ヒト付き合い、というのは大変なものだなと他人事の様にぼんやり考えていたり。

「ああ。襲撃者の装備にそんな能力があったのか。それとも襲撃者本人の能力か。
今は知る由も無い。如何せん、情報が少なすぎる故な」

妙に。妙に気にするものだ。
僅かな警戒と警報が、思考の奥で鳴り始める。
けれど、それを露わに出来ない。出来ないから。
彼女の言葉に頷きながら、話題を続けざるを得ない。

「後藤先輩は確かに戦闘能力においては随一。
私とて、彼と接近戦は決してしたくはない。
とはいえ、まあ、神宮司先輩が襲われた場所が場所だからな。
寧ろ、負傷で留めただけ素晴らしい事だと、思うよ」

あの店に己が居ても、神宮司が襲われる瞬間にはきっと辿り着けない。
だから責めてくれるな、と笑いかけて――

「………ああ、そうだ。内臓にも、ダメージを負ってしまったと本人が言っていたな。その割には、元気そのものだったが」

小さく。本当に小さく、こくり、と頷いた。

月夜見 真琴 >  
「――――――」

情報が少なすぎる。
その言葉に対して、僅かに目を細めた。

「情報、といえば――」

はぷ。スプーンで残り少なくなったクリームを掬い、口に含む。

「妙な話だとは思わないかな。
 もし落第街側の人間が下手人だとしたら、まずおまえから襲撃するだろう。
 特務広報部の"広告塔"――あの異能は示威行為にも非常に有用だし。
 そもそもあそこにいて、おまえから一足飛びして蒼太朗に辿り着いたこと。
 いささか腑に落ちないものがあるな。

 落第街、とされている一区画の外、正式に認可されている表舞台で。
 白昼堂々――夜だったが――風紀委員会の上役を。
 おそらくは殺害するつもりだったのだろう? 失敗して、長期入院で済んだだけ。
 それは、風紀委員会側に、斬奸の名義を与えるだけだ。
 おまえに"やり過ぎだ"という異を唱える者も、減るかもしれないな。
 驚異が目に見える場所に現れたら、すこし――
 ちょいと情報の風向きを変えでもしたら、世論もそちらに傾くかもしれない。

 "そんなことをする連中は砲撃してもよい"、と」

視線は、テラスから外のほうに。

「その襲撃者、ほんとうに落第街の住人だと思うか?」

神代理央 >  
 
カタン、と。己のカップが揺れた。
掴み損ねたカップが、ソーサーの上で、跳ねる。

「……或る程度、風紀の内情を知る者や、情報通であれば。
私では無く、更にその上。神宮司先輩への襲撃に繋がる事も、決して可笑しな話ではないだろう。
風紀委員会にお題目を与えるという点に、思い至らなかったかもしれない。
大体、恨みつらみを持っていなければ、神宮司の様な表舞台に立たぬ風紀委員を襲撃する理由も無かろう」

らしからぬ事をしている、とは思う。
彼女の推論は、普段の己であれば興味深く拝聴し、同意の言葉を返し、共に推理に臨むところだ。

けれど、彼女の推理を、推察を。
深遠まで辿り着かせてはいけないのだ。
だから、否定する。精一杯。懸命に。
覚束ない理論武装で、言葉を、続ける。

「第一、今更犯人捜しなどどうでも良い事。
お前の言う様に、ヘルデンヤークトは今回の一件で落第街への大規模な対応が許可された。
振るうべき力が、正しく振るわれる事に成った。
そしてそれを、神宮司先輩も許可している。
それで、いいじゃないか」

月夜見 真琴 >  
「なるほど」

こちらはといえば、目を丸くして。
興味深そうに声をあげて、そしてその言葉をかさねた。

「――なるほど」

そして、次は納得の意を強くして、語尾が上がる。

「つまり蒼太朗個人への恨みを募らせている者、か」

ヘルデンヤークトに、ではなく。
それは盲点だった、とでも言いたげに、声を弾ませた。
すべて判った上で。

「まあ、そうさな。
 監視役がついていない時のやつがれに捜査権はないし、
 真相に辿り着いてどうこうすることも、究明したいという好奇心もない。
 蒼太朗には悪いが、彼の御仁が生きようが死のうがやつがれにあまり影響はないしな。
 そう、彼の御仁であればだ――しかしそうではない者も当然いる。
 たとえば華霧のように。 自分のごく身近な存在に危害が及びかねないと考えると。
 とっても、こわいだろう? ほら、世論の動き、というものだよ」

肩を竦めて、戯けてみせる。

「だが」

カップをそっと持ち上げて、だいぶ飲みやすくなったカフェオレを口に含む。

「そもそも、やつがれが"妙だな"と思ったのは。
 おまえの証言からなんだよ、理央?」

神代理央 >  
しまった、と思ったのも後の祭り。
せめて、その感情を表に出さぬ様に心掛けて、取り損ねたカップを口に運んで。
其処で、カップの中身が空になっている事に、気が付いた。

「あの人も、最近は私の様な過激派の子飼いを手駒にしているからな。
それに、中々にあくどいことも、正直していないとは言い難い人だ。私程ではないにしろ、恨みを買ってはいるだろうさ」

空になったカップをソーサーに戻して。
小さく、首を振って見せる。

「…そうならない為に、ヘルデンヤークトは存在する。
お前にも、園刃にも、危害など及ばせぬさ。
風紀委員会に弓を引く、という事の恐ろしさを、知らしめてやらねばならないからな」

こんな事を、こんな答えを、彼女が望んでいる訳でも無ければ、己が答えたい訳でも無い。
茶番だ。何処までも、茶番でしかない。
それでも、この茶番を貫き通さなければ――


「………何?わたし、の?」

彼女が違和感を覚えた原因が、己の証言だと。
何か失言があっただろうか。何か、可笑しな事を言っただろうか。
無意識にテーブルの上に置かれた掌が、強く、握りしめられていた。

月夜見 真琴 >  
「認識阻害の魔術あるいは装備によって正体は掴めなかった」

スプーンの先を冬めいた空に立てて、目を閉じて諳んじる。
そして、目を開いて、にっこりと微笑んだ。

「件の下手人においては、そういうことで間違いはなかったかな?
 そう、情報が少なすぎる――と」

その捜査を、刑事課に一任する予定だという。
ばかげている。

神代理央 >  
「……そうだ。実際に交戦した後藤先輩も、私も、共通の認識であり、同じ証言をしている」

微笑む彼女。その笑みは、何も知らぬ者が見れば慈悲深く、蠱惑的と呼ぶ者もいるだろう。
しかし、己にとっては、宛ら検察官。或いは、執行人。
彼女の笑みを、その表情通りに捉える事は、もう、難しい。

「性別も年齢も、何もかもが不明。
馬鹿力だ、という事しか今のとこを情報は無い。
後藤にかけられた魔術や異能の解析も、とんと進まぬ故な。
それ以上の情報は、現場に居合わせた者からは出てこない。
それに何処か、可笑しなところがあるかね?」

おかしなところはない、はずだ。
少なくとも、後藤も園田も、襲撃者についての情報は得ていない。

「そういった事柄への捜査は、正直私より刑事課が適任だとは以前のシスター誘拐事件で身を持って味合わされたからな」

己が聞き込み調査をしても、芳しい結果は得られない。
それは、胡麻化しようのない事実であるが故に、幾分紡ぐ言葉にも僅かに力がこもるのだろうか。

月夜見 真琴 >  
小刻みに震えだした肩は、やがてころころと鈴のような笑い声になり。
銀の瞳に、涙を溜めながら、どうにか高い声で笑い出さないように抑えながら。

「おまえが"神代理央"だから、おかしいんだ」

と、どうにか声を絞り出す。
深呼吸をして、冷たい外気を取り込むものの、さて、吐き出す頃にはまだ笑いが後を引いている。

「何もわからなかった」

ひとくち。うん、だいぶ美味しい味に仕上がっている。
カップをソーサーに静かに戻した。

「"異能殺し"の虞淵に対して一歩も引かずに戦い抜こうとしたおまえが。
 ブロウ・ノーティスに対して半ば両断されながらも勝利に向かったおまえが。
 "なにもわかりませんでした"と報告する事態に陥ってるなんておかしいだろう?
 なにがあったのか、と考えるほうが自然さ――"やつがれだけじゃない"」

自分を過小評価し過ぎだよ、と。
彼の物言いに、そうやって指摘を向けた後。

「とりわけ最近、おまえは失態続きだしな。
 落第街での、"異能の暴走"――それも二度。
 ひとつは確か奇妙な男と交戦中に妙な異形を生み出して逃亡した、だとか。
 もうひとつは周囲の市民を巻き添えにした大規模な異能行使。
 どちらも立派な"不祥事"だ。蒼太朗の意見が強く通っているのはそういったことの積み重ねかな」

月夜見真琴が、落第街側の事情にも、
"なぜか"通じていることは、この際大した問題ではない。

「ベルトに通した拳銃が暴発するとなれば、風紀委員としての資格も疑われかねない。
 "官給品(ガバメント)"で在れればよかっただろうに、短期間に立て続けに――だ。
 だからこそ、おまえは取り戻すために躍起になっているだろうと思っていた。
 歯を立てるなり爪を立てるなり、命を犠牲にしてでも証拠をむしり取るだろうと。
 なのに、"軽傷"で戻ってきて"なんの結果も出せません"ときたものだ」

何の根拠にもならないが、疑いが向く切っ掛けにはなる。
あまりにも大きく。

「さいしょに問うただろう? 精神に干渉する異能を持っていたかどうか、だ。
 おまえの弱点は肉体よりそこにあることはこの前の対話でもよくわかった。
 だがそこを突付かれていないのであれば――不都合がそこにあったわけだ。
 あとはどの段階で握りつぶされたかとか、そういう話だな」

迂闊だったよ、と。
そしてその迂闊を犯さざるを得なかった状況にあるのも、わかった。

「――――さて」

そこで、話を切り替えるように、声をひとつ。

神代理央 >  
「…私が、神代理央、だから――?」

一体何の事か、と問い掛ける前に。
"答え合わせ"が、始まった。
始まって、しまった。

ああ、何という迂闊な事か!
闘争を是とし、眼前の敵には決してひるまず、屈せず、己を顧みぬ戦いを続けて来た。

それは己の根源の一つ。公人であろうとする事と同様に、闘争を是とするのは己の矜持にすら関わる事。
それを、いや、それが。
見抜かれていた。今回の挙動が不自然であると思われる程に。


『異能殺し』との戦い。
『ブロウ・ノーティス』との決戦。
己の身を削り、風紀委員会の誇りを示そうとした戦い。
――己の誇りが、自らを刺し貫く。


「…………随分と、人の事を良く見ているものだ。
それに…"お前だけじゃない"?
私は随分と、内側からも見られていたということかな。
悪目立ちしている自覚は、あったんだけど――」

疲れ果てた様に、椅子に深く腰掛ける。

「失態続きだったことは、認めよう。
それが要因となって、ヘルデンヤークトが私の望まぬ形になった事も認めよう」

「……だが、それと今回の襲撃事件を結びつけるのは早計ではないかな。
私は、無駄な争いを避けただけだ。火急の案件は、神宮司の保護だったからな」

「それを、握り潰されたと表現されるのは心外だな。まるで、まるで――」

それでも。認める訳にはいかない。
『まるで私が犯人を知っているとでも言いたいのか』
と言おうとした言葉は、苦い表情と共に飲み込まれた。

月夜見 真琴 >  
「なにごとか、対話をしていたらしいな」

目撃証言があった、とでも言いたげに。
その内容こそあれ、それだけの事実でどれほどの事も知れる。
鎌掛かもしれないし、本当にそれを聞いたのかもしれない。
真偽定か成らぬ言葉を、『まるで』の後にするりと差し挟んだ。

「ところで――」

少し行儀悪く――今更だが――スプーンでカップの縁を叩いた。
涼やかな音が響いた。
先程の彼に確認した言葉を、改めて反芻する。

「素手で。 首を掴んで。 持ち上げて。 叩きつけた」

神宮司蒼太朗は――見ようによっては巨漢だ。
少なくとも常人がたやすく扱えるような体躯ではないことは確か。

「雄二と格闘で競り合うこともできる。武器を頼みにしない徒手空拳の使い手。
 まあ、武器は武器で大きな手がかりになるからそういう側面もあるだろうが」

後藤雄二の証言からも、攻撃方法はたしかだ。
あくまでそういう攻撃もできる、というだけで、特徴には至らないだろう。

「大柄な相手を軽々どうにかできる身体能力の持ち主。
 怪力の異能、あるいは武術、そうした特異体質――幾らでも枚挙に暇がないが。
 掴んで叩きつける、という攻撃方法を、"やつがれは最近どこかで視た"な、と」

視線を斜め上にやって、どこだったかな、とわざとらしく思い出すように。
"記録は、それなりにみている"から。

「ああ」

そういえば――映像記録つきで。

「英治も、100kgを超える屈強な肉体だが――"何度も"、
 "持ち上げられて"、"叩きつけられて"、負傷していたな」

視線を戻すと、穏やかに微笑んだ。
奇妙な偶然もあるものだ。

神代理央 >  
 
「……何が言いたい!」
 
 

神代理央 >  
気付けば、大声を張り上げ――机に、拳を振り下ろしていた。
華奢な己の体躯では、テーブルに乗った食器を僅かに揺らす程度の事しか出来なかったが。

ハッ、とした様に茫然とした瞳を彼女に向けた後、向ける瞳には先程迄には無い――敵意の様なものさえ、滲んでいる。

「……状況証拠だけだ。物的証拠も何も無い。
良いか、良いか月夜見。『犯人は分からなかった』んだ。
私と後藤は正体に気付かず、捜査も進まず。
神宮司を襲撃した犯人は……見つからずじまい、なんだ」

ギリ、と拳を握り締め、歯を食いしばり。
唸る様な声で、言葉が、零れる。

「……これは神宮司蒼太朗も認めた事だ。許可した事だ。
犯人は、分からない。犯人は、見つからなかった。
何度でも言う。犯人は、わからない」

それが、彼女の言葉に対しての、一つの明確な答である事を承知しながらも。
それでも。それでも――

「………なあ、頼むから。それで納得してはくれまいか。
俺は、それ以上の事を言えない。言いたくない。言っては、いけない。
俺は、風紀委員である事への誇りも、矜持も、全て裏切っているんだ。
此れ以上、俺に何をしろと言うんだ、月夜見」

机に突っ伏す様に、視線と腕が力無く垂れ下がる。
其の侭、彼女に視線を向ける事無く、俯いた儘漏らす言葉。
それは、暴虐を振るう風紀委員としては余りに弱気であり、臆病であり、哀願する様な声色。
かつて己が否定した全ての感情が籠った様な言葉が、彼女に、投げかけられる。

月夜見 真琴 >  
「べつに、なにも?」

テーブルが叩かれた瞬間、目を丸くするものの。
これもかつての対話で視た姿だった。

「さっきおまえは言ったな? "思い至らなかったかもしれない"。
 そうだな、だからやれてしまったと考えると腑に落ちる。
 蒼太朗のことを知っていて、おまえと御仁に怨恨を持っていそうな、
 たとえば職場の人事とか痴情のもつれとかを邪推すれば、
 そしておまえが口を噤んで、よりきつく首輪を締められたことにも。

 説明がついてしまうなあ、とはおもうけれど」

カップを傾けた。ひどく穏やかだ。
壊れやすいものを壊そうとしても何も面白くはないものだ。
優しくしてやろうという気にもなる。

ソーサーに置く。

「最初から確信はしていたから、別にいい」

肩を竦めた。
前もって言ったように、単独の状態である月夜見真琴に捜査権はない。
真相の究明にも興味はない。なるほど、に、なるほどな、が重なっただけだ。
パズル遊びだ。

「刑事課に」

ひどく冷たい声がこぼれた。

「やつがれの古巣に迷惑がかかるようなら、いやだな、と。
 犯罪者に手を差し伸べて寄り添おう、だなんて。
 そんな甘っちょろいことを言ってるやつもいるから。
 捜査を一任する、だとかいうふざけた言葉がさっき聞こえた気がするが。
 それはやつがれの聞き間違いということで良かったかな?」

まっすぐ彼を見つめて、問いかけた。

「このままで、大丈夫なのかな?」

確認だった。

神代理央 >  
「……最初から確信していたのなら、そう言えば、良かろう。
そう言えば良かっただろう」

恨み言にすら、なりはしない。
愚痴ですらない。
此れは言うなれば――怨嗟だ。それも己に対しての。


「……ああ、成程。分かったよ。分かったとも。
刑事課に害が及ばぬ様にすれば良いのだろう。
どのみち、大々的に捜査するつもりもない。
刑事課への捜査依頼は引き下げよう」

此方を見つめる視線に気付けば、のろのろと視線を上げる。
冷たい声と、真直ぐに此方を見つめる彼女に返すのは――最早、意志の強さなど微塵もない、表情と言葉。

「捜査は全てヘルデンヤークトで引き受ける。
どうせ"犯人は落第街にはいない"のだ。此方が幾ら暴れたところで、刑事課に繋がる様な情報は出てこない」

「落第街の溝鼠共でも、大勢死ねば多少は騒ぎになるだろう。
結果として神宮司襲撃事件が有耶無耶になれば、それは月夜見の望むところではないかな」

かたり、と椅子を引く音。
ゆっくりと、疲れた様に立ち上がった少年が、椅子を動かした音。

「園刃には、暫く落第街には近づかない方が良い、と伝えておけ。
ヘルデンヤークトは、その部隊の性質上重武装かつ重火力だ。
巻き込みたくはない。
それに、嘗ての同胞がばたばたと死にゆく様を、お前よりは気にするだろう。アイツは」

伝票を掴んで、足を引き摺る様に歩きだそうとして。
投げかけられた問い掛けに、うっすらと笑みを浮かべる。

「……馬鹿な事を聞くものだ。私は、神代理央。私は、鉄火の支配者。
大丈夫だよ。全て、何もかも。
お前の杞憂も、かつての仲間も、古巣も、お前が大事に想う人も。
其処に向かう敵意は、全て引き受けよう。それが、私の仕事だ」

月夜見 真琴 >  
 
 
「ほんとうに?」
 
 
 

月夜見 真琴 >  
やります、やってやる、やってみせる。
そう言うだけなら誰でもできる。
それをやり抜いたことがどれだけあるのか。
彼の決意が、吐き捨てるかのように成す類の"役割"に対して、
徹しきれたことが、貫けたことが、どれほどあったのか。

だから、彼の言葉には、一切の信用もなかったし。
かけらの期待もせずに、ただドライに受け流した。
男の意地なんてものを信用するほどに男に幻想は持っていない。

ただ彼の不始末で何かが起ころうというのなら。
"報い"は受けてもらう。それだけの布告だった。
当然、"神代理央だけに"――ではない。
なにせ、刑事課に行った、という言葉は、彼も口にしていた。

「やつがれだからここで止まっているが」

なによりも。

「風紀委員の不始末は公安が嗅ぎつける」

神代理央に。そして誰かにむけた言葉。
それが仕事だ。役割というものだ。蒼太朗が止められるのは風紀までだ。

「風紀委員会の片隅に追いやられ、公安委員会に睨まれて。
 どこに逃げるかといえば――落第街の懐もおまえは受け容れられない。
 "憤怒の獣"。 あれも、おそらくおまえが生んだ不始末だろう?」

神代理央ひとりを責めるのは酷、だろう。
彼がここまで追い詰められ、きつい首輪をつけられた理由は。
神宮司蒼太朗は守っていた。誰を?
本当の加害者と、本当の被害者は、誰なのか。
弁えている。しかし。責任能力を問えるのは、此方だけだからだ。
けれど、そんなことはどうでもいい。

「対等だった筈の関係が変遷していって」

コーヒーはミルクに侵蝕されて。

「今やおまえは、憐れな"言いなりわんこ(ヤクトフント)"」

そんなものに何を期待する。
どうせおまえにはなにもできやしない。
成せはしない。
雪のような言葉を、ただ事実を並べ立てるように告げて。

「いっそ」

息を吸い込んでから。

「                     」

神代理央 >  
「………言いたい放題言ってくれるものだな」

最後に告げられた言葉に、小さく肩を竦める。
しかしてそれは、諦観や虚無に包まれたものでは、ない。

「飼い犬で結構。鎖に繋がれた猟犬で結構。
もう私に振るえるものは、暴力しかない」

「だが、それは大いに有用だ。
それは歴史が証明している。暴力による支配は、それを上回る暴力によってしか、ひっくり返らない。
そして、落第街の連中は、その暴力を保持しない。
厳密には――常世学園を、打ち倒す事など連中には出来やしない。
"憤怒の獣"だったか。奴が旗印を勤めるというなら大いに結構。
塵取りとしての役割を、演じて貰おうじゃないか」

彼女が最後に囁いた言葉は。
或る意味、彼女の温情から投げかけられた言葉は。
少年の、風前の灯火となっていた闘争心を、再び燃え上がらせた。
尤もそれは、どす黒いモノ。本来持つべきではない、圧制者としての心理。
誇り高い闘争では無く、唯、勝利へ至る為だけの闘争。

「私は職務に忠実であるし、組織に従順であろうとする。
しかし――私は別に、常世学園という存在そのものに、愛国心に近い感情を抱いている訳では、ない」

「まあ、お前を退屈させぬ様に努力しよう。
絵の題材になるかどうかは分からぬが、高みの見物を決め込むと良い」

愉し気に笑いながら、言葉を紡ぐ。
先程迄の、鬱屈とした様な様子は、其処にはない。

「私は。私はな、月夜見」

そうして、彼女にだけ聞こえる様に。
自然な足取りで彼女へ近付くと、僅かに声の音量を下げて――



「                 」

神代理央 >  
「ではな、月夜見。冬の夜は長い。早めに帰宅する事を勧めよう。
良い夜を過ごす事だ。同居人と共にな」

ひらひらと手を振って、軽やかな足取りでカフェを立ち去る少年。
その表情は未だ曇天ながらも、その奥には明確な――昏い決意が、秘められていることだろう。



かくして、此処に。鎖に繋がれた猟犬達は、それに相応しい指導者を手に入れる事になる。
牙を突き立て、食い散らかし、暴虐を振るう犬の群れ。
それらを統率する群れの長は、白く、華奢な少年。

猟犬の群れは、今宵も落第街で牙を振るう。
自らの群れの長に怯えながら。
指導者に畏怖しながら。

暴虐の夜は、未だ明けず。

月夜見 真琴 >  
「荒事に胸を騒がせるほど、やんちゃな趣味はしていないがね」

苦笑いしながら頬杖をつき、決意を言い捨てた彼を見送った。
"おやすみ"、とひとこと背中に言い添えて。
なるほど、"英雄狩り"にはもってこいの隊長だ。
おそらくはその幕切れも含めて――であれば。

対面の指し手が派手に演出してくれることを期待するのみ。

すべては"正義"のため。

「――アフターケアが先達の役目になるのかな。
 そういうのはやつがれより、あいつのほうが得意なのだが」

悪い刑事と良い刑事、なんて古臭い手法を使ったこともあった気がする。
まだラテは暖かいが、彼の言う通りに同居人を心配させてもいけない。
色々と心配事は山積みだが、まあ、高みの見物というのは、そのとおり。

自ら奈落へ落ち行く者たちには、地上のことさえそう見えよう。

ご案内:「カフェテラス「橘」」から月夜見 真琴さんが去りました。
ご案内:「カフェテラス「橘」」から神代理央さんが去りました。