2022/09/16 のログ
ご案内:「ファミレス「ニルヤカナヤ」」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
今の時代、紙の本の魅力はどこにあるだろう。
ユーザビリティの行き届いた電子書籍のページを
捲りながら、ふと考えた。

電子書籍は旧世紀、大変容以前から存在する技術。
改良を重ねられたそれは今や紙の本とは比べ物に
ならない便利さを獲得している。

(でも、あーし紙派なんだよな……)

紙の本それ自体が好きかと問われれば首を傾げる。
図書館にせよ古書店街にせよ、本と向き合うための
空間──皆が本しか見ない空間の居心地の良さを
想ってしまうだけ。

付け加えるなら電子書籍で代替出来ないタイプの
書物、要するに魔導書に馴染みが深いからという
理由もあるかもしれない。

黛 薫 >  
そんな彼女が図書館でなくファミレスの一席で
画面内のページを眺めているのには理由がある。

向かい側のテーブル上にある、手のひらサイズの
水まんじゅう……もとい、自身の使い魔について。

(いー加減コイツの呼び名に困ってんのよな)

そう、このスライム未だに名前が無いのである。
論文の寄稿にあたり『機械的人工水霊』という
仮称は付けたものの、普段呼びには長すぎる。

名前を考えるなら実物が目の前にあった方が
インスピレーションも湧くだろうと思いつつも、
見た目が水なので図書館や古書店街ではあまり
良く思われない可能性を考えて避けた。

なお実際は本に害を及ぼすことはない。
図書館の清掃バイトでも活躍しているから当然。

黛 薫 >  
テーブル上には使い魔の他、山盛りポテトフライと
ドリンクバー用のグラス。この2つさえ注文すれば
無限に(比喩)時間が潰せると最近気付いてしまった。
店員と顔を合わせなくて良いタッチパネル注文を
覚えたのも気楽さに拍車をかけている。

シェア前提のポテトは比較的食の細い黛薫なら
数十分は保たせられるし、味付けもケチャップに
マヨネーズ、マスタード、バーベキューソース、
チーズソースなど複数あって食べ飽きない。

大勢で食べるものだからしばらく放置されるのも
折込み済みらしく、冷めてもサクサクとした食感が
損なわれないのも嬉しい。

ポテトとドリンクバー合わせても500円しないが、
比較的財布の紐が固い彼女にとっては贅沢な時間。

宙空のホロスクリーンに映し出された多言語辞書や
ネーミングのアイデア辞典を片手で緩やかに操作し、
空いた手で時々ポテトを摘む。

黛 薫 >  
「ホントなら『名付け』って、使ぃ魔作ったら
 最初に行ぅ場合が多ぃはずなんだけぉ、なぁ」

指先でスライムをぷにぷにしながら呟く。

遊んでいるのではなく、指先についたポテトの塩を
拭き取るため。ちょっとさもしいが、指先の塩味が
もったいないので味覚をリンクさせている。

さておき、本来使い魔の契約は名前を与える行為と
ワンセット。名前とは即ち『それそのもの』であり、
場合によっては知るだけで魂の一端を掴むに等しい。
それを『与える』ともなればなおのこと。

対象にもよるものの、低いリスクかつ準備不要で
深い繋がりを作れる『名付け』は契約を行うなら
敢えて避ける意味がない行為である。

黛 薫 >  
では何故まだ名前が付いていないのか。
端的に言えば使い魔であると同時に『分体』
──つまり『自身の一部』でもあるから。

自身の一部だから契約しなくても初めから強固な
結び付きがある。むしろ名前を付けて『個』を
確立させてしまうと、制御を離れる可能性がある。

『道具』として使うなら名前は無い方が想定外の
挙動が起きるリスクを下げられると言っても良い。
とはいえ自律させて動かすなら『個』はあった方が
良いため、結局は一長一短。

(機能的には『どっちでもイィ』のよな。
どっちが良いなんて場合によるとしか、だし)

どちらでも構わないならあった方が呼びやすい。
それにあった方が愛着も湧きそうな気がする。

黛 薫 >  
しかし『どちらでも構わない』……言い換えれば
必須ではない、切羽詰まっていないため、あまり
思索が捗っているとは言い難い。

必要に迫られて名を考えたときはあれやこれやと
毎日のように悩んだものだが、今はそうでもなく。
思い付いたときで良いか、と何度も引き伸ばしを
重ねている。

しかし無くても良いからと適当に名付けるには
お世話になり過ぎている。魔術適正を得るために
魂まで削った黛薫にとっては人間らしい生活を
送るための命綱であると同時に、初の研究成果。

愛着……というよりは童心だろうか。

女の子がお気に入りのアクセサリだけで飾り付けた
理想のぬいぐるみを見せびらかすような、男の子が
考えた完全無欠のヒーローの設定でノートを埋めて
楽しむような。

未体験のまま通過した憧れを機能美という形で
今更実現している。そんな気がする。

黛 薫 >  
テーブルに落ちたポテトの欠片を食べさせながら
考える。拡張性に重きを置いたこの使い魔は自身の
技術力が上がれば上がるだけ便利になるだろう。

例えば、そう。今食べさせたポテトも同期すれば
栄養は自身に還元出来る。逆に摂取したカロリーを
外部に蓄えることもやろうと思えば出来るだろう。
もしかしたらダイエット辺りに使えるかも。

「……すっげー技術の無駄遣ぃってカンジ」

忍び笑いを漏らしつつ、試しに術式を組んでみる。
緊急性のない思いつきの実現ほど楽しいものはない。

こうして彼女の思索は今日も脱線の一途を辿った。
あってもなくても構わない名前が付けられるのは
いつになることやら。

ご案内:「ファミレス「ニルヤカナヤ」」から黛 薫さんが去りました。