2020/06/29 のログ
ご案内:「異邦人街」に日下部 理沙さんが現れました。
日下部 理沙 >  
夕暮れ過ぎの異邦人街。
ゼミの教授にこってりと絞られ、出来損ないのレポートの再提出を終えてから……研究生、日下部理沙は気落ちした表情で異邦人街を逍遥していた。
 
別にレポートの出来云々や、ゼミのクソ教授に絞られたことが原因ではない。
哀しい事実だがそれは日常でしかなく、今更理沙の心根に何かしら影を落とす理由になったりはしない。多少気にすることは確かにあるといえばあるが……まぁ、自分の不出来が悪いのだし、何より、何だかんだで出来の悪い自分にずっと付き合ってくれている教授にはいつだって感謝の念の方が強かった。

故にこそ、理沙が気落ちしている理由はどちらかといえば「此処」にあった。
異邦人街。異邦人の街。特別居住区。鳥籠。ゲーテッドコミュニティ。
日下部理沙が今回此処で探しているのは……オーク種の住民たちだった。

日下部 理沙 >  
結論から先に言ってしまえば、理沙が此処で目的の種族と会う事は無かった。

異邦人街からすれば、理沙は余所者以外の何者でもないし、何よりオーク種自体があまり街に馴染めている種族とは言い難いようだった。オーク種の異邦人は好戦的で武威に優れる者が多いため、こういったところではタダでさえ敬遠される。
そういった「偏見」に最初から晒される関係上、オーク種自体も街の表層にそれ程存在していないのだ。いや、いるのかもしれないが……少なくとも、余所者の理沙が容易に情報を得られる場所には居なかった。
 
解読不可能な文字で書かれたカラースプレーの落書きの下で溜息を吐き、煙草を取り出す。ここでは分煙などもされていない。異邦人の中には煙を吸うのではなく、体の性質上「吐いてしまう」種族などもいるため、現実的に難しいのだろう。お陰様で喫煙者の理沙としてはその恩恵に預かれていることは事実であるが……いってしまえばこの異邦人街そのものが「喫煙所」としても隔離されているという事実に気付き、眉根を顰めた。
 
文字通り、煙たがられている。
この街そのものが。

日下部 理沙 >  
「何が異能者や異邦人との融和だ……」

独り言ちて、紫煙を燻らせる。そんなお為ごかしが嘘だらけであることは、無論理沙も知ってはいた。
だが、ここまで身をもって、事実として目前に横たわる事に「気付いた」のは久々だった。
思えば、常世島に来て五年。
その間、一度も島から出た事はない。
……理沙も、知らずうちに「この島」に毒されていたのかもしれない。
異能者としての常識に。
人間と異能者とのゾーニングの「当然」に。
異邦人と自分たちの「距離」から目を逸らすことに。
 
「……」

灰が落ちる。
俯いて、中ほどまで燃え尽きた煙草の先を眼鏡越しに見つめながら、理沙は思っていた。
理沙は、後天異能者だった。
先天的にそれを持って生まれたわけではない。
元々は人間だった。
ただの人間で、ただの少年で、当たり前のように学校にいって、卒業して、そのまま適当な地元の企業に就職するのだと思っていた。
そんな当たり前の人生を喜んでいたわけではなかったが……別に倦厭してもいなかった。
 
だが、ある日突然……背に生えた「異能」によって、その全ては奪い去られた。

……その結果、今はこんな此の世とも彼の世ともつかぬ島で研究生などをやっている。
幼い頃にはそれこそ、想像もしていない未来だった。

日下部 理沙 >  
きっと、ここに居る異邦人たちもみな、そうなのだろう。
いや……もっと酷い。
 
理沙はなんだかんだで帰ろうと思えば帰れる。
フェリーに乗って、JRの路線に揺らされ、三時間に一本しか来ないバスを待ち、あとは寂れた県道を歩いていくだけ。
せいぜい掛かって八時間。途中で休んだって十時間程。
その程度の時間。
その程度の距離。
理沙の生まれた場所と、理沙の今いる場所を隔てるものは「それだけ」しかない。

……だが、この街の住民はどうだ。
己の恩師はどうだ。あの新聞で報道されたオーク種はどうだ。

どうすれば帰れる?
どうすれば戻れる?

どうすれば……省みれる?

灰が、落ちる。
……答えなんて、分かり切ってる。
 

日下部 理沙 >  
彼等にはきっと……居場所なんてない。
安らげる場所なんて何処にもない。
準備されているのは檻だけ、籠だけ、建前だけ。
我々人間は君達異邦人に配慮している。その言い訳の体裁だけ。
他には何一つない、何一つ準備されてない、いいや、準備なんて出来ない。
元々住む世界が文字通り違うのだ。
下手をすれば海と陸程に違う。
いいや、それ以上かもしれない。
……それでも、同じ世界に生きるのなら。
同じルールの中で生きて欲しいと我儘を言うのなら、異邦人に言えることなんて……きっと一つしかない。

「……どうか、我々と友和するために、誠恐縮ですが鰓呼吸を止めて肺呼吸をしていただけませんか?」

すっかり火が消えた煙草の吸殻を……握り潰す。
なんだそれは。
なんなんだそれは。
土台無理な話だろ。
絶対無理な話だろ。
それ、そんな無理難題を。

この島は、いいやこの世界は……『余所者』に強いるってのか? 
 

日下部 理沙 >  
この島も……外と、何も変わりなんてない。
理沙はそれを理解していた筈だった。十分わかっていた筈だった。
でもそれは恐らく……筈でしかなかった。
 
当たり前のように肺呼吸してくれる人達に甘えていた。
当然のように自分の我儘を聞いてくれる人達に甘えていた。
 
だってのに、そんなことにすら気付かず「自分が出来ることがあれば何かしたい」なんて「上から目線」でいたわけで。
今まで助けてもらったから何かしたいなんて呑気な事をいっていたわけで。

……自分の為に無理に肺呼吸をしてくれていたであろう恩師の配慮にすら、気付けていなかったわけで。

「……」

へたり込む。汚れた壁に背を預け、翼が埃で黒く汚れる。
吸殻が、掌から零れる。
地に落ちて、煤に汚れて転がっていく。
そして、そのまま、側溝に落ちて……消えた。

日下部 理沙 >  
共感くらい、出来ると思っていた。
配慮くらい、出来ると思っていた。
自分も望まず此処に来た。
自分も望まず異能を得た。
 
それなりに嫌な思いはしてきたつもりだった。
それなりに辛い思いはしてきたつもりだった。
客観的に見てもまぁ多分そこに嘘はないし、だからこそ「憐れんで」貰えたんだろうとも思う。

だが、それは日下部理沙の話でしかない。
どこぞの異能者一人の一事例でしかない。
掃いて捨てるほどある話だとおもう。
だからこそ、逆に共感の一つや二つ程度は自分でも出来るんじゃないかと……思いあがっていた。
 
自分と「同じ様」に……「望まぬ憂き目」にあった者達のことが……少しは、分かるんじゃないかって。

「……何処が同じだ」

漏れ出た自嘲の笑みと吐き捨てた言葉は……理沙自身も驚くほどに、冷たかった。
 

ご案内:「異邦人街」にソフィア=リベルタスさんが現れました。
ソフィア=リベルタス > 「ふふんふんふん、ふー……ん? 何かおかしな臭いがするねぇ。」

赴任してから好んで住み着いた異邦人街、自分の縄張り、というわけでもないが
この区画が意外と気にっている、故に、風紀委員でもないが、それなりの見回りをしていたりはするのだ。
教師として、というよりは、面白いものを探すため。
今日も面白そうな『匂い』が一つ

「おやぁ? おやおやぁ? 妙なところで男の子が座り込んでなーにしているのかなぁ?
視たところ生徒の様だし、たばこは良くないなぁ?」

怪異らしく、非人間らしく、足音を消し、小気味よい軽快なステップでもって少年の眼前に躍り出る。
へたりこむ少年の前に見えるのは、少年自身の写し鏡、自分自身が目の前に立っている。
それは彼女の異能『変幻万化』による外見の模倣。

にんまりと笑いながら、眼前に突如現れる怪異の教師
しかし、人間を驚かせるのには十分すぎる異能だろう。

日下部 理沙 >  
「……あ」

声を掛けられ、理沙が憔悴した顔を上げる。
ずり落ちた眼鏡を掛けなおして……そこに見えたのは。
不景気な青い瞳。茶髪を後ろで縛った眼鏡。
違うのは……鏡でも見たことがないような、「自分」の薄ら笑い。
え、いや、え……?!

「おわぁあぁああぁあ!?」

思わず、跳ねるように立ち上がる。
翼もピンと上に張って、まるで糸にでも引かれたかのよう。

「え、いや、俺……!?」

目を白黒させて、つい指をさしてしまう。
ドッペルゲンガー?
異邦人街なら「いても可笑しくはない」存在。

だが、その言い伝えが真とするなら……!

「ま、まさか……!!」

声を震わせながら、視線を険しくする。
有害怪異。その可能性。
武器は……今はない、だが、逃走くらいなら……!
気を伺うように、身を強張らせる。

ソフィア=リベルタス > 「ふふふ、わはははあ、いやぁ! やっぱりこの世界の人間は実に、うん、実にいい反応をしてくれるよね!
やっぱり怪異としてはさぁ、そういう反応を望んでいるわけで。
うんうん、顰め面しているよりもよっぽど良くなったじゃぁないか少年!」

日下部理沙の姿で大いに哂ったそれは、黒い煙のように姿がぼやける。
煙はもう一度人の姿に形を変えるが、今度は小さく、小さく
青年よりも30㎝ほど小さい、人間の姿を形作り
目の前に現れたのは、猫の特徴を随所に残した少女。

「でもだねぇ、そこまで怖がらなくてもいいと思うんだよねぇ、別にスラムじゃぁないんだから。
取って食ったりしないってば。」

ケラケラと笑う少女は、少年の下からずいっと顔を近づけ、背を伸ばして顔を覗き込む。
怪しいような、かわいらしい子供の様な、そんな笑みを浮かびながら。

「かわいい女の子に向かって失礼じゃないか?」

日下部 理沙 >  
「!?」

突如現れた少女の外見に驚くが……理沙もこれだって常世島で長く過ごす身。
すぐにそういった「魔術」か「異能」であると見当をつけて、ほっと胸をなでおろした。
本来なら、初見で推察すべき事なのだが……そこまで理沙は気が回せていなかった。
 
「いや……全く、その通りですね……すいませんでした」

深く頭を下げる。
そう、ここは異邦人街。
最低限の治安は一応保たれている。
そも、本物のドッペルゲンガーのような有害怪異がうろつける場所でもない。
もし、本物だったとするなら……既に討伐されている筈だし、そうでない個体がいる場所はそれこそ此処ではなくスラム……落第街だろう。
逐一、少女の言う通りだった。

「知らぬ事であったといはいえ、とんだ失礼を……」

頭を下げ続ける。
謝罪の意はしっかりと伝えなければいけない。

ソフィア=リベルタス > 「いやいや、いいよ、構わないさ。 なにせ驚いてくれるのを期待したのだから。
ちょっとしたリスクは負うべきなのさ。 傷心の少年に漬け込む怪異は悪い奴かもしれないからね?」

ニシシといたずらっぽく笑えば、くるりと回転しながら一歩距離を置き

「自己紹介がまだだったね、私は『ソフィア=リベルタス』。
これでもこの島で『魔術』の講師をしているものだよ。
悩める若者の『匂い』がしたからちょっと様子を見に来たのさ。」

真面目すぎる子だな、と彼女は思う。
故に悩みも尽きないのだろうか?
多くの人間を見てきた彼女には、彼の様な礼儀正しい少年を
どこか揺さぶりたくなる悪戯心がどうしても存在するが
そこはそれ、教師として今は外に置いておくべきだろう。
何せ今の自分は教師としてこの島にいるのだから、それ相応の責任というものがある。
少しのつまみ食いくらいは許されてほしいものだが。

「それに、万が一、ということはあるからね、身を守ろうという君の反応は間違ってはいないよ。
と、教師らしく云っておこうか。」

日下部 理沙 >  
「あ、教師の方、でしたか……」

異邦人の教師。恩師と同じ立場。
ふと、恩師……美術教諭の麗人を思い出す。
長身。犬。男。
目前のソフィアとは何もかも正反対の教師。
……軽く、頭を振る。眩暈か何かを振り払うかのように。

「ありがとう、ございます……ソフィア先生。
 俺は日下部理沙……研究二回生です。
 近代魔術を専攻してます」

そう、自己紹介を終え……表情を暗くする。
悩み。確かに今の自分は悩んでいる。
悩み、苦しみ、その末にアテにもならないアテを探して此処に来た。
それすらも、もしかしたら……この怪異の教師には、お見通しなのかもしれない。

「……あの、すいません、失礼な事をお聞きしても良いでしょうか?」

縋るように、理沙は声を掛ける。
青い瞳は、微かに揺れていた。

ソフィア=リベルタス > 「もちろんだとも、教えを乞う者を導くのが教師の役目。
なーんでも、とは言わないが、大変のことは教えられるつもりさ?」

またもや、この顔だ。 いや、別に気に入らないとかそういうことではない。
人間というのは一々傷つきやすい、このくらいの年齢の少年少女というやつは特にだ。
ただ、そういった若者の悩みは本人たちにとっては多くの場合
将来にとても結びつきやすい、余り気安く答えられるものではないかもしれない。

「ま、泣きそうになっている子供を放っておくのも気が咎めるからね。」

答えにくいとはいえ、目の前の少年を放っておく気にもなれない。
損な性分だなぁと、少しだけ思う。
私って怪異じゃなかったっけ?

日下部 理沙 >  
「ありがとうございます……先生は、異邦人の方ですよね?」

先程、「この世界」と口にしていた。
そこから、彼女は異邦人であろうと当たりをつけて、理沙は口を開く。
場所も場所だし、何より……彼女は教師だ。
また、自分は教師に甘えようとしているのか。
そう思うと反吐が出そうだったが、それでも……続く言葉は止められなかった。

「この世界は……生き辛くないですか? 嫌いじゃないですか?」

疑問を投げかける。
初対面に聞くような事じゃない。
いや、知人にも聞くような事じゃない。
十中八九、慮った建前が返ってくるだけだ。
それを言わせることそのものが罪だ。
それでも、それでも理沙は。

「誰にも『理解されない事』は……辛くないですか?」

聞かずには……いられなかった。

ソフィア=リベルタス > 「? え、いや別に? 私はこの世界、いや、島というべきかな?
実に面白いと思うし、生き辛くもないよ。」

思いのほか、素っ頓狂な質問が飛んできて驚いた。
いや、彼にとってはきっと大事なことなのだろう。
この『世界』に住んでいる彼にとっては、この世界が中心で
この『世界』がほぼ全てなのだから。

「理解されないことは辛いに決まってるじゃないか、心ある者ならだれもが感じずにはいられない。
ある種永遠の課題だ。」

故に、思い上がった少年に、事実を突きつけてやらねばならない。
『中心になった世界』の住人に、当たり前の事を教えてやろう。

「他人を理解できるわけないんだから。」

だって君は君以外の誰かにはなれないだろう?

少女はニヤリと笑って少年を下から覗き込んだ。

日下部 理沙 >  
「……それは、『諦められます』か?」

理沙は、苦しそうな顔でまた尋ねた。
他者が理解できるわけがない。それは当然だ。
だが、だからといって共感を全て投げ捨てれば……一人で生きるしかなくなる。
一人で生きる事など、少なくとも人間には出来ない。
社会に生きる生物にはできない。
一人になれる場所など、この社会には存在しない。この島には存在しない。
遍く全て、「自分以外の誰か」の整えてくれたインフラの上に生きている。
一人なんかじゃない、常にずっと「誰かの助け」を得て生きている。

だが、それは人間の理屈だ。

人間でなければ……可能なのか?
出来るのか?
『諦められる』のか?

「先生は……辛さを、苦しさを……『諦めて』生きられるんですか?」

出来ない事はないとは思う。
だが、それをするなら此処にいる必要もなくなる。
折り合いをつけなければ人と関わる理由はなくなる。
その折り合いの方法を……知りたかった。
一例でもいいから、誰か個人の体験でもいいから。
とにかく理沙は……知りたかった。

「先生はどうして……『腫物扱い、余所者扱い、異物扱い』のこの世界で……辛くならずにいられるんですか……?」

理沙には出来なかった。
理沙は辛くて仕方なかった。苦しくて仕方なかった。
異能者になって腫物扱いされ、余所者扱いされ、異物扱いされ、それに耐えきれなくて「この島」に来た。
だから、理沙は……それが、知りたかった。

ソフィア=リベルタス > 「……ははぁ。」

あぁ、そういうことか。

得心が行った、彼の悩んでいることとはつまり、そういうことだ。
自分の見ている事例だけで、全てが完結してしまっている。
全てを知った風になって、自分の不幸と他人の不幸をごちゃまぜにして
そして世界を憎んでしまった。
あぁ、なんて、なんて眩しいのだろう。
人間とは、こうも優しく、同時に残酷になれるんだろう。

「うん、うん、そうだね、他人を理解することはできない。
それは純然たる真実だ、だれも否定することはできないだろう。
だが、同時に言えることもまた一つある。」

今日はなかなか良い日になった、悩める少年少女というのは、かくも美しいものなのだ。
アンバランスで、脆く、故に輝いている。

「他人を知ろうとすることはできる、ということだ。」

何処か優し気に微笑んで、少女は返す。

「辛かったり苦しかったりすることをあきらめるのは簡単だ。 なに、そこらのビルの屋上にでも行って身を投げ出せばいい。
人間くらい脆ければそれですべてが終わる、苦しみからも解放されるだろうよ。」

それは生を捨てるということ、しかし、彼の質問は、『どうやって生きられるのか』であって、あきらめる方法ではない。

「けどね少年、無いんだよ、辛くなくなる方法なんてものはね、無いのさ。
心を持った生命体が、辛さをなくすことなんて言うのは、それは不自然なことなんだ。」

残酷な真実を、突きつけて行く、現実はいつだって残酷だ、残酷だからこそ。
その先に進もうとする力があるということを、決して忘れてはいけないのだ。

「だがね、少年。 君はどうだ? 君はどうしてここに来た? なぜそんなに苦しんでいる?
なににそんなに心を痛めているんだ?
君はなぜそこまで『腫れもの扱い』されていると思うんだい?」

そうだよ、だって君は

「君は僕をそう見ているのかい?」

そうじゃないから、苦しんでいるのだろう?

日下部 理沙 >  
「……自信がありません」

理沙は、目を伏せた。
以前なら「それは勿論」と胸を張って答えただろう。
だが、今はわからない。
目の前の怪異、ソフィア=リベルタスを。
目の前の人間、日下部理沙は。
……『腫物扱い』せずにいられるのか?

「言葉で『差別してません』と言う事は簡単です……俺自身、俺を騙すことも多分できる。
 だけど、心根で、本当に……ちゃんと先生を『腫物扱い』せずにいれるかどうかわかりません。
 今できているかどうかも、分からない……知る努力は当然したいと思います。
 だけど、いくら努力したところで……結果が伴わなければ、相手を傷つけることに変わりなんてない……」

辛くなくなる方法なんてないと、ソフィアは言った。
逆説それは「そんなもの当たり前のことだから」とやはり「諦められている」ということだ。
「受け入れている」と言い換えることも勿論できる。「達観している」ということもできる。
だが、それは……「多少傷付けられる程度なんでもない」と言っているのと同義だと、理沙には思えた。
それくらいに……傷に「慣れている」のか?
それ程までに……痛みに「慣れてしまった」のか?

理沙からすれば、その事実こそが苦しかった。その事実こそが悲しかった。
理沙は慣れることが出来なかった。痛いものは痛いし、苦しいものは苦しかった。
慣れたと嘯くことなら当然いくらでもできた、それこそ知った顔で「まぁ慣れてるんで」と苦笑いすることくらい簡単なことだ。
自然な事と言えばそれまでだ、全くその通りだと思う。
誰でもそうしていると思う。
ある程度の歳と智を得れば誰でもそうなると思う。

でもそれは、だからって「仕方ない」と諦めていいことじゃあない。
いつかどうせ死ぬのだから今死んでいいのか?
それと、同じことだ。

「先生は……この事件をどう思いますか」

理沙は、鞄から新聞を取り出した。正確にはその切り抜き。
それは、先日の夕刊だった。
学術大会の会場で暴れたオーク種の異邦人が捕縛されたという事件。
暴れた理由は調査中としか書かれていない。氏名は伏せられている。
人死にが毎日山ほど出ているこの学園で、「たかが暴行事件」程度で一面を飾ったこの事件。
おそらく……下手人が異邦人だったからという理由だけで「大きく取沙汰された」事件。
 
この常世島の……「差別」が形になったような報道。

「彼は……なんで暴れたと思いますか?」

理沙には、勿論分からなかった。
分かるはずもなかった。
だから、知りたかった。
学術大会の会場にまでいけるほど、一度は話し合えた筈の異邦人の誰かが。
そこで話し合いを投げ捨てて、暴力に訴えた理由を。
それを……知りたかった。

ソフィア=リベルタス > 「うん、なかなか重傷だねぇ。」

なるほど、これはなかなかの難敵だ。
この場でどうにかできる、というものでもないらしい。

「結果が伴わなければ意味がない、というのは、少々業腹だとは思うがね。
少なくとも、私は君みたいな若者が悩んでいる、という事実だけで、それはうれしいものだよ。
まぁ、それで納得できるのならば悩んではいないのだろうけどね。」

夕刊の一面を見る、ソフィアは赴任したばかりでこの事件のことをよくは知らない。
なんならこの犯人のことも共有された情報と外見以外はほとんど知らない。
情報がなければ推理することもできない、だから、想像で物を言うほかない。

「まぁ、プロパガンダ、のようにも見えるよね。」

素直に受け取るならば、一部の吾人種を毛嫌いしている人間のすること、と映るだろう。
わざわざこの場面で取り出すのだから、彼の知人なのかもしれない。
だが、あえて、まったく知らないソフィアだからこそ言えることは。

「暴れた理由はわからないが……そうだね、見えるものがすべてではないから、かな。」

大人とは汚いものだ、汚いから隠すのだ、我々怪異のように、隠して隔す。
そう、都合の悪い真実は、隠し通すように。

「君は、この現場を見たのかい?」

日下部 理沙 >  
「見ていません……現場に居合わせていません、新聞で知りました。
 あとから現場に行っても見ましたが……修復系の魔術と異能で『すっかり元通り』になっていました。
 ……暴力の痕跡の欠片すら、そこはありませんでした」

それは、名も知らぬ異邦の誰かが暴力を使ってまで訴えたかった『何か』すら、綺麗に消されてしまったということ。
そうまでして訴えたかった『何か』すら……払拭されたということ。
挙句、暴れた理由は「調査中」で黙殺されてそれでおしまい。
――これの何処が友和だ。
理沙は……悔しくてたまらなかった。

「見えるものは、限られています……いつだって世界は見えない事ばかりある。
 だから、学問が生まれた。だから、言葉が生まれた。
 人は……見えない事は恐ろしいから。
 見えない何か、推し量れない何かにすら意味を与えないと恐ろしくて仕方ないから」

無にすら、人はゼロという名をつけた。
想いにすら、人は思想という名をつけた。
――かつては個性と言われていたものですら、昨今は病名を与えられたりもしている。
それくらいに、人は……見えないものを畏れる。分からないものを畏れる。
それはきっと、抗えない本能。
人が人である以上……抱え続ける苦悩。

「だから……知りたいんです。俺は、異邦人を畏れたくない。
 いや、もっと言えば……他者を畏れたくない。他人を畏れたくない。世界を畏れたくない。
 もっと、向き合っていきたい。
 だから、知りたいんです。話し合いたいんです」

理沙はその恐怖を知っている。
知らない恐怖を。
分からない恐怖を。
理解されない恐怖を。
理解できない恐怖を。
だから、だからこそ。

「全部全部、俺のワガママだって構わないから……教えて欲しいんです。分からない事を」

その恐怖に……もう屈したくない。
かつて、それを畏れて世界の全てにいじけていた自分に……『復讐』をしたい。
それが、日下部理沙の願いだった。日下部理沙の想いだった。
それから目を逸らす事なんて……したくなかった。

「……すいません、ソフィア先生……初対面なのに、なんだか、甘えてしまって……」

絞り出した声は、震えていた。
それくらいに、怖かった。恐ろしかった。
目前の善意の教師すら、『腫物扱いしないでいられるかどうか分からない事実』が……怖くてたまらなかった。

ソフィア=リベルタス > 「なるほど、いいや? かまわないとも、あぁ、私は教師だからね。」

だらこそ、一つ、彼女が言わないといけない事が在る。
知らないことが怖いという彼に、彼が目を背けていることに。
知らなくてはいけない一番大切なことに、目を向けさせなければいけない。
それがたとえ、彼を壊してしまう原因になろうとも
自分は未知を示すものなれば

「なら、君は知らなければいけない。」
 
「見えないからとあきらめてはいけない。」

「知らないからと憤慨してはいけない。」

「向き合いたいならば徹底的だ。」

でも、これはきっと教師としていう言葉ではないのだろう。
だから、今だけは、一匹の怪異として、人間に教えなくてはならない。
異邦人とは、怪異とは、そう呼ばれるに値するからこそ、そう名前がついたのだということを。

「少年、理沙よ、君は知るべきだ。 恐れてはいけない、信じてはいけない、我らは君たちの常識から外れた存在だ。」

少女の姿は煙と変わり、少年の持った記事の、事件を起こした犯人の姿へかわり。
悪意に満ちた笑みを浮かべる。

「君の知っているすべてが、世界のすべてではない。 君は知るべきだ。」

『善意の中には、隠れた『悪』もあるということに。』

『悪意の中の、隠れた『善意』があるということに。』

日下部 理沙 >  
「……!?」

目前に現れた姿に……驚愕する。
それは……一度だけ、見た姿。
名前は当然知らない。
素性も当然知らない。
だが……その姿だけは知っていた。

「……博物館であった……あの異邦人……!?」

オーク種だったのか。
だから、キャップを被った上にフードまで付けていたのか。
……そこまで……そこまでして、自らの身体的特徴を慎重に隠して。

『異世界人しかいない街』に……『馴染もう』としていたのか……?

「……ッ」

奥歯を、噛み締める。
理沙は……直感する、ソフィアが恐らく『事件の犯人』に変異したことを。
教師という立場上……報道で氏名すら伏せられていたその姿を『知っていた』ことを。

「……俺は、畏ろしいからこそ知りたい。
 諦めるつもりなんてこれっぽっちもありません。
 諦めてたら、研究生なんてしない。
 調べたりなんかしない、学びなんてしない。
 聞きもしない、話もしない、歩みもしない!!」

そうか、彼女も……教師だ。
教師なのだ。
人に教えを……与えるモノなのだ。
ならば、応えは一つ。
やることも一つ。
かつて、理沙は一度『それ』をしている。

「世界の全てなんて知るはずがない……俺の知ってることは俺の知ってることだけです。
 そう思っているし、今でも思ってます。
 でも、心のどこかで『自分は既に知っている』と思った傲慢があったかもしれないことは確かです。
 それを……知らせようとしてくれたんですか?
 ソフィア先生」

睨むように、目を細める。
青い瞳で……その怪異を見る。

「『知っている筈のことですら、知らない事は一杯ある』って……そう、伝えてくれようとしているんですか?」

教師は問うだけだ。
教師は教えるだけだ。
それ以上はしない。
故にこそ、答えは常に……自分で出さねばならない。

ソフィア=リベルタス > 「そこまで、わかったのなら、もうヒントは十分だろう。
恐れを抱いてなお、進む覚悟があるのなら、君は知ることになる。」

怪異は、その姿を解いて、元の可憐な少女の姿へ戻る、
悪意に満ちたは笑みは消え去り、子供を見る母親のような笑みで。

「そう睨むなよ、何も僕は君を責めてるわけでもなければ悪人でもないんだからね。」

どこか軽薄そうに、哂う。

「覚悟ができたのならば、行きたまえよ少年、若さは有限だ、時間も、命も、この街も
全ては有限だ。 だれも君を待ってはくれない。」

あぁ、楽しみだ。 この若者が、これからどんな道を選び
若しくは道を踏み外すのか、希望に満ちた未来なのか、絶望の未来なのか。
それを決めるのは誰でもないでも彼自身なのだ。
それをちょっと横から味見するぐらいの悪戯は、許してほしいものだ。

日下部 理沙 >  
「……ありがとう、ございました」

真正面から、頭を下げる。
背の翼が全て見えるほどに。
後頭部どころか首筋まで見えるほどに。

かつて何度も、理沙が先達にそうしたように。

「睨むのは……なんというか、あれです。勘弁してください」

顔を上げて、理沙は笑う。
申し訳なさそうに。だけど、先程よりはずっと明るい表情で。

「俺も、男なんで」

気恥ずかしそうに告げる。
挑むなら、歩むなら、進むなら。
前は睨み続けなければいけない。
先は睨み続けなければいけない。
目を凝らして、歯を食いしばって……進み続けなければいけない。
恐らく、その先に居るのは誰にでもいる敵。

……『不安』という名の、内に巣食う難敵であるのだから。

「……今日は、これで失礼します。
 改めて、ありがとうございました。ソフィア先生」

踵を返す。
先程のオーク種の事は聞かない。
報道では氏名が伏せられていた。
本来は、姿形を『見せる』ことすら……教師の立場上、危うい行為の筈だ。
それでも……彼女は、『それ』をしてくれたのだ。
導くために。

なら……そこまで『ヒント』を貰ったのだ、それ以上は聞くだけ野暮だ。
癪でもある。
そこまで『甘やかされて』は……男が廃る。

「俺……行ってきます、それじゃあ!」

そのまま、走っていく。
振り返りはしない。
そこまで失礼は出来ない。
日下部理沙は、走っていく。

畏れに、立ち向かうために。

ソフィア=リベルタス > 「うんうん、少年かくあるべき。 というやつかな。」

一人の生徒がまた一人、自分の道を見つけた様だ。
あとでどこぞの上司に怒られるかもしれないが、そこはそれ。
今後の楽しみが一つ増えたということでトントンにしておこう。

「男の子ってのは、暑苦しいぐらいがちょうどいいね。」

どこがご機嫌な様子で、見回りを続ける、教師というのも存外に悪くない。
男というのはやはり、背中で語るべきものなのだと、彼からまた教われるのだから。

ご案内:「異邦人街」からソフィア=リベルタスさんが去りました。
ご案内:「異邦人街」から日下部 理沙さんが去りました。