2023/06/29 のログ
ご案内:「花屋『合言葉』」に藤白 真夜さんが現れました。
■藤白 真夜 >
初夏の空は、真っ白な雲と塗りつぶしたような青色で満ちていた。
日差しはあるけれど暑いかといわれると、ほんのり湿った風が吹くせいでそうでもなく。
「……よいしょ」
麦わら帽子にデニムのエプロンという、見るからに土仕事用の格好で鉢植えを運ぶ。
別に暑さには強いのでと断ろうとしたが、こういう格好をしたほうが花屋感が増していいという店長の言いつけだから仕方がない。
炎天下というほどではないものの、蒸し暑さに見舞われる中での肉体労働にさして堪えたふうでもなかった。
「これで全部かな……? うーん、綺麗に並べるとすっきりっ」
ずらりと鉢植えを並べて、運び終える。鉢植えにはこれでもかと種々様々な草花が植えられていて、私の知識じゃほとんどおっつかない。
サルビアにデルフィニウムあたりはかろうじてわかるけれど、色鮮やかを通り越し極彩色に至るまでぎっしりと詰め込まれた花々の色彩を前に、私の頭は花の名を当てるのを諦めていた。
「みどりさーん。終わりましたよ~?」
この花屋の名は、『合言葉』という。店の周りにすら花が溢れてはいるけれどぱっと見ではどう見ても何かの店舗とは思えない有様から、合言葉を要求するタイプの密売店と勘違いされたことから意趣返しに名付けたとか聞いたけれど、真偽はみどりさんしか知らない。
ひょんなことから店長のみどりさんと知り合ってから、力仕事を手伝いにバイトに来ているのであった。
しかしそのみどりさんの経営スタイルは……かなり、だいぶ、自由だ。こんなふうに、返事も無く割り振られた仕事を終えても次の仕事まで数十分開くのも珍しくない。彼女がドライアドという樹々の精霊の種族であるから、時間にゆったりとした認識を持っているのかもしれない。
(……ちょっと休憩かな)
そして、私もそんな暇をしがちなバイトを悪く思ってはいなかった。
花屋の脇にある小さな空間。
そこにはおそらく店主が個人的に花を楽しむためだけに拵えられたであろう、どっしりした木のテーブルとベンチがある。
その場所でのんびり座りながら、ただ時間を待つためだけに過ごすのが好きだった。
無駄だけれど、必要な時間。
それは、私にはひどく得難いものであるように思うのだった。
■藤白 真夜 >
「……」
静かに、木のベンチに腰を降ろしたまま、花々を見つめた。
鉢入れに植わっている草花は、明らかに観賞用の派手なものばかり。
ただ、この場所では、花屋から漏れ出た草花達が野生化して好き放題に育っていた。
特に、クチナシと紫陽花がすごい。なんというか、すごい。
花屋の裏には雑木林があるのだが、雑木林を侵食する勢いで猛烈に育っている。
クチナシの真っ白な花と紫陽花の真っ青な花が、まるで陣取り合戦でもするかのように繁茂していた。
「ああいうの、土地の管理とかで怒られたりしないのかな……」
野生の力、と言えなくもなかったけれど、みどりさんは植物を育てるのが異常に上手い。というか、たぶん、なにか特殊な力を働かせている。この店では今は季節的に咲かないはずの花々が大いに咲いてたりする。ドライアドの力を利用した花屋なのだ。
「……うーん」
そんなことを考えようとしても、頭の中に入ってくるのは心地よい風と、甘ったるいクチナシの香りだけ。
すぐに気がぬけた声を出して、ぼーっと何かを考えるのをやめた。
ただただ、そこに居るだけの時間。
……穏やか、というのは少しばかり色鮮やかで、花香が強すぎたけれど。
■藤白 真夜 >
どこか落ち着かなかった気持ちが、無為に流れる時間に申し訳なく思う罪悪感のようなものが、和らいでいくのを感じる。
人は、忙しくなくてはならないものだと思っていた。
それが、“良いこと”だと思っていた。
此処に居ると、その先入観のようなものが、薄れていく。
強すぎる花の香りのせいか現実離れした光景のせいかは、わからなかったが。
「……あ。ちょうちょ」
ひらひらと目の前をオレンジ色の蝶が飛ぶ。
思わずつられて、こどものような言葉を口走ってしまった。
……この空間、少し危ないかもしれない。のんびりしすぎて。
おびただしい数の花々と裏腹に、虫たちの姿は少ない。
みどりさんが蝶を嫌っているのが原因らしく、なにかの結界のようなものが貼っているのだそう。しかし、たまにこうやってすり抜けた虫たちがやってくる。
(……その割には、土いじりで出てくるミミズとか幼虫とかは平気なんですよね、あのひと)
みどりさんは虫が嫌いというわけでなく、幼虫とか余裕で素手で掴むタイプだ。蝶や飛ぶ類のひらひらした虫が嫌いらしい。
「蝶園にでもできそうなくらいなのに……」
ひらひらと飛ぶ蝶を目で追ううち、花にふれるのはわずかにどこかへ飛び去っていく。
少し勿体ないと思いつつ、目で見送った。
(……まあ、放っておくと奥の雑木林みたいになるんでしょうね……)
結界の届いていない雑木林のほうは、虫たちの楽園になっていた。
ぶんぶんとオオスカシバがクチナシの周りを翔んでいる。
目で見るには少し遠かったけれど、あれはあれでにぎやかで良いと思っていた。
■藤白 真夜 >
背が高くてずらーっと並んだバーベナに、蝶がとまる。
あの花は、よく虫を呼ぶ。蜜が好きな虫が多いとか聞いたけれど、あんまり詳しくはない。
でもこうして、花屋の敷地を守るように並び立っているのを見ると、もしかしたらあれが蝶避けの結界なのかもしれなかった。
(……植物を楔にして、結界……?
出来るのかな、ドライアドなら……)
魔術的な要素は何も感じなかったけれど、みどりさんならやるかもしれない。
どこか静かな花々の楽園は、蝶を拒絶することで成り立っているのが少し寂しかった。
「……」
……普段は忙しく駆け回ってるせいか、じっとしていると急に眠気が襲ってきた。
普段の忙しさと、みどりさんの所でのバイトの温度差がすごすぎるのが原因なのだ、たぶん。
あげく、期末の課題も目前に迫っている。
鳳先生にもらった宿題も終わっていないし、近々行われる異界呪物探索の準備もいまひとつだ。
手始めに、論文に何を書こうか考えて──……と前向きに悩もうとした気持ちが、花の香にまぎれて薄れていく。
「──……すぅ……」
……今はただ何も考えずに、甘やかな睡魔に身を委ねて。
なんにもしない午睡の時間は、少しの罪悪感も残さずに……安らかに過ぎていった。
ご案内:「花屋『合言葉』」から藤白 真夜さんが去りました。