2020/07/11 のログ
ご案内:「宗教施設群 - 廃教会」にシュルヴェステルさんが現れました。
シュルヴェステル >  
  
あなたはそれを理解している。
あなたはどこへだって行ける。
あなたは不正解を選んでいる。

ここに地獄はない。
あなたには住みかも、食べ物も、正しい気候も、選択することもすべて与えられている。


女は嫋やかに笑いかける。
甘やかに蕩ける蜂蜜のように、金色の瞳を猫のように細める。
身長の高いオーク種の中に、たった一人、《異邦人》の女が紛れ込んでいた。

女は、ただしく神様であった。
争いを諌め、安寧を齎し、穏やかな進歩を《異世界》に持ち込んだ。
《門》が開いたとき、女は少しも怯えるさまなんてのは見せなかった。

それを、初めは強がりであったと思っていた。
《異世界》にやってきた、拠り所のない《異邦人》には、恐ろしいだろうと手を伸ばした。

憐憫から手を伸ばした女が、世界を食らうような毒婦であったと気付いたときには、
もう既に、世界は優しい毒に満たされきってしまっていた。

 

シュルヴェステル >  
 
あなたはそれを理解している。
あなたは錯覚をしている。
あなたはそれを理解している。

あなたはその上で理解できない。
ここに地獄はないということを、あなたは理解できない。


女は静かに顔を寄せる。
背伸びをしながら爪先を震わせて、子供のような表情を浮かべる。
笑っていないところなど見たことがない。いつも、花のような笑顔を浮かべていた。

女は、ただしく毒婦であった。
愛によって鋭い刃を鈍らとし、哀によって誰もを救おうとした。
その女がそうなった理由はわからないが、女は、世界を愛していた。

――これは、《異世界》の物語だ。
《地球》からやってきた《異邦人》によって滅ぼされた、《異世界》の。

他者に対する憐れみという、「機序」ともいえる生理学的現象を操って、
《異世界》を侵略した、一人の《侵略者》にまつわる一考察であり。

そして――彼のみる、醒めることのない悪夢の姿である。
 
 

シュルヴェステル >  
 
『「聡き檻」。……ねえ、わたしは、あなたを救うことはできないわ。
 誰もかれもを助けてあげられたけれど、あなただけは別。特別なの。
 この世界で、たった一人。地獄を勝手に作り出せるのは、……あなただけだから』

躊躇うことなく、刃を抜いた。
この世界にやってきて、真っ先に失った異世界の産物。
斬り捨てれば、女が死ぬことはわかっていた。だからこそ抜いた。

一閃、風のような鋭さの刃も届きはしない。
これは夢だから。頭の中にある地獄で、誰も逃れることなんてできないから。
血も出ない。肉も引き裂かれることはない。臓物が落ちることもない。

不死の怪物が、たしかに微笑んだまま立っているのだ。
両手を広げてから、まるで抱きしめようとする母のような有様で。


『きっと、この地獄が地獄として成立する理由はたった一つだけ。
 あなたが正しさを求めてここに立っているから、あなたはここに地獄を見る。
 あなたは自分を中心に決めているなんて言っているけれど、そんなことは嘘っぱちでしかない』


では、何が本当なんだ。怪物に問いかける。
刃の通らぬ怪物が相手なら、もう持ち得る武器は言葉しかない。
嫌でも、それを使うしかない。無力というのは、たしかに罪でしかない。
 
 

シュルヴェステル >  
 
あなたは他人を慮ることができる。
あなたは他人に阿ることができる。
あなたは他人を理解できてしまう。

あなたはその上で不正解を選び続けている。
ここに正しさはないということを、あなたは理解できない。

正解は此処にあるのに。目の前にあるのに。
掴み取る意思さえあれば、誰だろうが手にできるのに。
それをしないあなたが悪い。それをしないあなたのせいだ。

あなたが悪い。

「正しさ」なんてものがあると、夢をみているあなたが悪い。
勝手に「正しさ」なんてものを作り出して、ないはずのものを探しているあなたが悪い。

あなたが悪い。


女は、見える刃を持つはずの男にも遠慮なく歩み寄る。
その刃が毒塗れだったとしても、その刃が何もかもを殺す刃だったとしても。
愛おしげに、白髪の男の身体を抱きしめる。背中からは、細い刃が突き出ている。

なのに、血も、肉も、何一つ。
そのたった一つすらも、傷つけることができない。
憐れみという絶対的な感情で全てを愛した女は、あの日と同じように耳元で囁く。


『王子様。……つぎの王様は、あなたでしょ。
 あなたが間違ってしまったら、みんなが間違えてしまうの。
 あなたのせいで、飢えるかもしれない。あなたのせいで、息ができなくなるかも。
 あなたのせいで、苦しむかもしれない。あなたのせいで、何もできなくなるかも』
 
わかっている。

『……すべてを踏み潰してまでわからなければいけないほど、
 あなたのいう『正しさ』って、本当に大切なことなの? ……ねえ、あなた。
 聡き檻。たった一人で、「普通」に固執する裸の王様の、あなた』

わかっている。


『答えて?』


答えは、
 
 

シュルヴェステル >  
ひどい熱を感じた。
身体がだるい。知らない天井。ああ、きっと。
この世界の夏に耐えられずに倒れたのだろう。そして、誰かが拾った。
そして、拾ったものの捨てる場所に悩んで、ここに放り込んだのだろう。

「……有り難い」

息も絶え絶えにそう呟いてから、身体をゆっくりと起こす。
おんぼろのスツールがパーカーに引っかかって、嫌な音を立てる。

……学生街に出ていかないと、「人間」の服は買えないというのに。
替えがないというのに、なんて不運だ、と言いかけてから溜息をつく。

高い天井。埃っぽい屋内。スツールはおんぼろ。
誰かが弾いていたであろうグランドピアノは埃を被っている。
きっと神様はもういない。願いもここにはない。空っぽの容れ物のような廃教会。

どうしてだか。

「(嫌いになれないな)」

顔を洗いたい、と思ったが、しばらくはこうしていることにする。
水に浮いているような感覚も心地が良い。高熱の見せる幻影かもしれないが。

シュルヴェステル >  
自分の悩みも、葛藤も、ケリがついたはずだった。
気持ちの整理はついたと、自分で思っていたはずなのに。

ある異能学派に、大脳のある動物には異能は発現するのではないかという主張がある。

シュルヴェステルは、異能をただしく畏れるにあたって、
多少の勉強をこの世界にやってきたときにすこしだけ嗜んでいた。
そんな話を、ふと思い出していた。愛想のいい、細身の引き締まった男性教諭が。

『面白いんですよね。
 この主張が出ている根拠は、――まあ、根拠というには安いですが。
 『夢を見る動物』は、異能が使えるのではないか、なんてところが発端なんです』

そうか、と。単調な返事だけを返したように思う。
実感がなかったがゆえに。どうしようもないほど、共感ができなかったから。

これが。

「……これが、夢か」

高熱の見せる幻と、夢との境界はこの上なく曖昧である。
それでも、もしこれが夢だとするのならば、何一つとして特筆することのない自分も。

見えない刃が、『彼ら』が持つ刃を、自分も手に――

「卑しいことを」

刃を持たぬ身でも、自らを斬り結ぶことはできる。
一言で一蹴して、頭の中からその思考を追い出す。追い出した。そのはずだ。

シュルヴェステル >  
立ち上がろうとして、膝に力が入らない。
概ねオーク種も人間と肉体の構造は同じである以上、
膝に重さを掛けられないのならば立ち上がることなどできようはずがない。

口元だけで薄く笑って。
嗤いも、嘲笑いもしない。少しだけ微笑を浮かべてから。

「……誰もいないのなら、借りても咎めないだろう」

異邦人街で異邦人と言葉を交わそうと思った。
その矢先に、誰とも知らぬ者に言葉すらなく救われた。

……ああ。この街は。きっと、自分のような者だったとしても。
言葉がなくとも、通じるものはあるのだと名も知らぬ教師に行動で示され。

「やめる理由を、一つ残らず奪ってくれる」

七夕の晩の約束も。道端で転がされてもおかしくない自分を救った誰かも。
「正しさ」は、たしかにあるように思える。それがありやしないなんて、少しも思えない。

もう一度寝転んでから、目を閉じる。
きっと、街は逃げやしない。人も、逃げやしない。
だから、今だけは少しだけ――ほんの少しだけ休んでも。

神様のいない教会なら。誰もいないここなら。

誰も、咎めやしない。

ご案内:「宗教施設群 - 廃教会」からシュルヴェステルさんが去りました。