2020/07/21 のログ
ご案内:「宗教施設群 - 廃教会」にシュルヴェステルさんが現れました。
■シュルヴェステル >
おとなは、だれも、はじめは子どもだった。
(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)
そうして献辞は、こう変えることにしよう。 小さな男の子だったころの
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 『星の王子さま』より
■シュルヴェステル >
ふるい、ふるい物語だった。
必要がない、と断じていた翻訳魔術に、心の底から感謝したのは二度目だった。
神様も留守中の、誰も祈ることのない異邦人街・宗教施設群の廃教会。
そこは、ある種シュルヴェステルにとって居心地のいい場所であった。
誰もおらず、誰も自分に視線を向けない。一人が確定している場所。
祈られなくなった教会施設が好きだといえば、先に出会った修道女は怒るだろうか。
誰もいないこの場所で、ただ一人自分だけのためだけにあるような時間を過ごすことは。
青年は、嫌いではなかった。
本を読みたい、と思った。
言葉を交わすよりも、本であれば。
相手を傷つけることも、自分が傷つくこともないのではないか、と思ったからだ。
事実、読書という体験は。
生を受けてからはじめての「読書」という、遠い場所・時代の誰かから、
いまここにいる自分へと残されている言葉を受け取るという行為は。
誰かと話すよりも、青年には向いていたのかもしれない。
■シュルヴェステル >
異邦人街の書店の中で、唯一読める文字だったのがこの本だった。
読めた理由も、学園の魔術師に掛けられた翻訳魔術のおかげだが。
それ以外の本は、何を書いてあるかすらも読むことができなかった。
だから、読めたものに手を伸ばした。
偶然とはおそろしいものだ。もしくは必然だったのかもしれない。
「そういう異邦人」が多いことを見越した上で、物語が置かれていたのかもしれない。
そうであれば、自分は見事に策に嵌ったことになるのだが。
青年は、どちらでもいい、と静かに首を横に振ってから、眉を下げた。
埃っぽい廃教会の片隅に腰を下ろして、今日はフードもキャップも被らない。
さらさらとした白髪が、教会のステンドグラス越しに僅かに色づき。
彼の額には、へし折られて醜い傷跡になっている肌角の名残が今も残る。
彼がこの世界にやってきて、「馴染めるように」した努力の一つ。
自分にオーク種の腕力があってよかった、と思った。
この肌角があることを知られれば、きっと自分は「馴染めない」から。
結局、残った傷跡を隠すようにして、深くキャップもフードも被っているけれど。
ページを捲る音が、ゆっくりと廃教会に響いている。
■シュルヴェステル >
いつか出会った邪視の青年は、青年の歪な傷跡を視てしまった。
自分が視てほしくないと思っても、視えてしまう相手には視えてしまう。
なにかを隠す自由は、この世界にはないのだな、と思った瞬間だった。
それでも、変わらずフードとキャップを被っていたのは。
彼なりの、この世界に対する敬意と妥協の象徴であった。
言葉がなければ、相手の気持ちや秘密なんてわからない。
だから言葉なんて必要ない。……然り。
異能がなければ、相手の秘密を覗き見るようなことはなかったはずだ。
だから異能なんて必要ない。……然り。
言葉も、異能も、何もかもが。
この世界にある「すべて」を憎み、恨もうと、何度も思った。
それでも、この世界に、この物語を記した誰かが存在しているのなら。
この人に、話を聞きたい、と思った。
この人に、教えを請いたい、と思った。
この人に、……話をしたい、と思うことができた。
だから。これを書いた人が、いまどこにいるかを。
どこで何をしていて、何を思っているのかを聞きたい、と思った。
オーク種にとって、百余年は大した年数ではない。
それよりももっと長い時間を生きるオーク種だっている。
ただ、闘争に身を置くからこそ短命なだけであって、寿命というのは。
地球人とは、比較にならないほど本来は長いのだ。だから。
彼は、これを書いた人間が既に死んでいるなど思いもしない。
彼にとって人間という種族は。彼に人間を説いた人々が言う「人間」という種族は。
『言葉によってわかりあえる』、『触れ合うことで和を作る』種族であるらしいから。
この物語を綴った誰かが、戦争という争いの中で命を失っているなどとは。
……これっぽっちも、少しも思いやしないのだ。
人間たちは、人間という種を愚かだとは言わなかったから。
すべてのわざわいは、《門》の外から持ち込まれていると、思っているから。
■シュルヴェステル >
自分たちのような、《門》の外からの住民が。
それらが、すべて消えてしまえば幸せになれるのかもしれない。
人間たちは、争わずに済むのかもしれない。
こうした優しい物語の中で、人間は生きていけるのかもしれない。
もしそれが本当のことなら。
《異邦人》という存在は、存在している時点で人を害しているのではないか。
本来、調和の取れた人間たちの世界を狂わせてしまったのは。
自分たち、《異邦人》なのではないか?
青年の頭の中で、思考がぐるり渦巻く。
一体。この自分の刃は、誰に向けられるべきなのか。
――刃を向けるべきではないのではないか。そう語る自分もいる。
それでも、彼ら人間の語る《人類》という種は、どこか夢物語のような趣がある。
《大変容》が起きる前は。
簸川旭という青年が生きていたはずの時代は、それそのものだったのではないか。
簸川旭という青年が失ったかもしれないものを垣間見て、青年は本を閉じた。
ああ。私は。ひどくおそろしいことを。
彼にしてしまったのかもしれない。彼に言ってしまったのかもしれない。
もしかすれば、自分がその世界を奪った敵であるかもしれないのに。
約束という呪いで彼を縛るとは、と。
自嘲するように軽く鼻を鳴らした。そんなつもりではなかった。
それでも。……「わかったつもり」だった。「わかっている」などとは言えようものか。
「わかっていない」ことが、「わかった」。
■シュルヴェステル >
「……決して、わかりはしないのだろう。
わかったつもりを繰り返して、わからないことに気付かされ続ける」
おんぼろの長椅子の上に小さな文庫本を置いたまま、青年はゆっくりと立ち上がる。
わかっていなかったこと。わかったと思い込んで、盲目になってしまうこと。
疑うことを忘れること。自分の都合のいい物語を、自分の中で探さないこと。
そのどれもが。自分には、一生できるような気はしない。
だから、できないことを受け入れる。
自分はできないことは無数にある。わからないことは多い。
――だから。
ここで一度、書を置こう。そして、街に出よう。
一人きりでは、答えなんて出せようものか。
深くキャップを被り直して、赤い瞳と醜い肌角を隠す。
しっかりとフードを被り直して、傍目には人間に見えるように。
きっと、簸川旭は街の中で暮らしている。だから、彼を探すには。
彼のいそうな場所に、意を決して足を運ぶ以外にないだろう。
答えは、口を開けていても与えられないのだから。
■シュルヴェステル >
おとなは、だれも、はじめは子どもだった。
(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)
ご案内:「宗教施設群 - 廃教会」からシュルヴェステルさんが去りました。