2020/08/11 のログ
ご案内:「常世島共同墓地」に『シエル』さんが現れました。
■『シエル』 >
空合は、曇天。
鉛色に隠れた星は、一つとてその輝きを見せていない。
ただ静かに吹き抜ける生暖かい風が、じっとりと肌に染み付く夏の夜。
共同墓地、その眼前で。
学園の制服を身に纏った白髪の少女は一人、静かに佇んでいた。
胸の前に両手を重ねる形で置き、目を閉じるその姿は、
少女の纏うどこか幻想的な空気と、
美を求めて造りあげられた人形の如く整った容姿も相まって、
宛ら聖母の彫刻を思わせる。
しかしその表情は、何処までも虚ろである。
慈愛どころか、この場に立つ者の多くが顔に零すような
哀惜の色すら見せず。
深海を思わせる青の滲んだ、暗めの赤色の瞳はただじっと、
一面に広がる雲翳を見据えていた。
その雲翳の向こうに、
彼女はかつてその目で見届けた地獄を再び見ていた。
多くの同胞が門の向こう側より現れた存在、
それによって精神を汚染された違反部活生達に蹂躙され、斃れていった。
ただの一人とて、その名は忘れない。
彼らは既にこの世に存在していないが、
それでも今もまだ、彼女の内に血を通わせて生きている。
毎日のように顔を思い出すし、彼らの語った言葉を思い返している。
死者の血は、胸の内で重みを持つ。
感情の色が乏しい――虚ろな彼女にとって、
その重みは『想い』ではなく、『責任』だった。
■『シエル』 >
『生者の世界に残された者は、
重みを背負って生きていかなければならない。
だが、同時に俺たちは。
その重みの内にある、仮初の生を実感しながら生きていくこともできる』
それはかつて、あの男が語っていた言葉だ。
視線を墓地へと移す。
幾つもの石が、並べられている。その下には骸があるものもあれば、
無いものもあると聞く。
彼女が永遠の安寧を祈るべき者たちの骸は、この墓地には存在しない。
全ては裏切りの律者《トラディメント・ロワの》異能により、
跡形もなく消え去った。
そう、あの男自身も。
彼の顔を思い出す。危機に瀕しても、必ず不敵に笑っていた。
底の知れぬ男だった。
彼のことを思い出すといつも、
ずっと昔に『殺された』筈の感情が、ほんの少しばかり蘇る。
彼が生きていた時も、そうだった。
彼と話していると、不思議と自然に、笑えた。
彼は、彼女にとって特別な存在だった。
彼が居たからこそ、裏切りの黒《ネロ・ディ・トラディメント》は存在し得た。
組織に最初から居たメンバーとして、
自分も、彼のような存在になるべきなのだろうと、彼女はそう感じていた。
しかし、届かない。いつまでも、届かない。
目を閉じ、近頃の出来事を静かに思い返す。
虚無の拳《ヴォイドフィスト》――蛇崎 公司。
危険人物だった彼を、組織に迎えてしまった。
彼のように人の本質を見抜く力が、自分にあれば、
あんなことにはならなかった筈だ。
そして何より、彼女には、彼がしっかりと持っていた『己』が無かった。
あの男は、目の前で許せぬことが行われれば、
居ても立ってもいられずに動く『己』を持っていた。
法よりも、『己』の価値観を優先した。
それは、社会から認められぬことであったかもしれないが。
しかし逆に言えば、それを行えるだけの『己』を持っていた。
■『シエル』 >
出会った頃に彼が自分に語った話を、思い出す。
かつて、裏切りの律者《トラディメント・ロワ》は、一人の風紀委員だった。
錯乱状態にあった立てこもり犯と、
当時風紀委員であった彼との交渉が決裂した瞬間。
抵抗のできぬ幼い生徒の喉を、刃物で突き刺そうとした犯人の男を――
――彼は、即座に撃ち殺した。
発砲許可など、降りていなかった。
そうして彼は、風紀委員から落第街へと堕ちたのだと。
そう、語っていた。
組織に彼が居なくなってから。
彼女は、彼の行動をなぞるように、目の前の者を助けることもあった。
それはたとえば、角鹿建悟に母娘を庇うように頼まれた時。
降り注ぐ瓦礫から彼女たちを守ろうと、
彼に頼まれる前から自分は足を動かしていた。
ロワなら、きっとそうしていただろうからだ。
しかし、それはただ、彼の行動をなぞっているに過ぎない。
――ロワ、貴方が居てくれたら。貴方だったら、どうしていたのでしょうか。
トゥルーバイツの起こした事件に対しての動き――十架へのサポートに徹した今回の動きを振り返る。
その中で、自分の中で何度も思い浮かべ、何度も否定してきた言葉を今、
彼女は再び胸に思い浮かべた。
ソレイユや十架をはじめ、
生き残っている組織の者達にも心配をかける訳にはいかない。
彼女は組織の長ではないし、長にもなれないが、
それでも自分は最初期から組織に居たのだ。
彼らをサポートすることくらいは、せめてしなければならない。
それが残された自分の『責任』だと感じていた。
その考えを今日まで支えてきたのは、あの日、彼から受け取った言葉だった。
『繋げ! 拷悶の霧姫《ミストメイデン》!
裏切りの黒を! 反逆《トラディメント》の歴史を!』
思い起こすのは、彼が最期に残してくれた、その言葉。
それこそが、彼女が『責任』を背負う最もたる理由。
「……繋げ、ですか」
何処までやれるかは分からない。それでも。
彼女は歩き出す。
雲翳の向こうに見た、あの日の炎の輝きを背にしながら。
ご案内:「常世島共同墓地」から『シエル』さんが去りました。