2023/07/17 のログ
キャスケット帽の女性 >  
雑踏、人混み、買い物客のバーゲンセール。
目的地に向かって歩いていく人達の視界に映ってるかも分かんない。
それでも良い。
私が、歌いたくなったからやるだけだ。

なんだったら楽器も要らない。
型式ばったステージも、焼けるようなスポットライトも。

「側にいるって言って
 誓って 何処にも行かないって」

特別な理由があってやってる訳でも無くて。
友達が持ってきた出所も分からないドラマの落ちが良かったくらいの事で。
俳優さんの演技が良くて、エンディングで泣きながら崩れ落ちるヒロインに心が揺れた。

熱くて甘くて、それで心がちょっとキュッとなる。
ビターな終わりのラブコメの、懺悔みたいなエンディングテーマ。

「囁いてよ」

コード進行間違えた。

「言葉紡いでよ」

ビブラートが掠れる。

「それが全部 嘘でもいいから」

関係ないから、思うままに――声を。

キャスケット帽の女性 >  
「置いてかないで 手を握ってて」

――目に汗が染みるけど、思うままに。
思いっきり冬ドラマの曲だけど、良いじゃん。

「君の温度に触れて」

声を張って、しっとりした強さのままに伸ばし切って。

「――いたいの」

繰り返すコード、ゆっくりと大事にはじくリタルダンド。
原曲フルで聴いてないから、ふわっとなんかこうイイ感じに。
ひと際長いタメの後に、ダウンストロークを一つ。

2分くらいの、私なりのドラマの感想戦。
一人でやってるからシャドーボクシングみたいなものだけど。
ドラマの曲をなんとなく鼻歌でなぞったり、誰も見てないようなひとりの帰り道で小さく歌ったり。
そんな衝動を、フルスロットルでやりきる。

キャスケット帽の女性 >  
顔をあげれば足を止めて聞いてくれた人の姿――
よりも手前に風紀委員の腕章。

「あ゛」

やっば。
可愛くない声が漏れて。
驚いた勢いをそのままに後ろに姿勢が崩れる。
一瞬が引き延ばされて、周囲がスローモーションになって――

『――なにやってんの』

小さく声が聞こえた。

次に目を開いた時には、
見上げていたのは見覚えのある落第街のライブハウスの天井。

「あはー、危機一髪。ありがとね」

場所を"繋いで"あの場所から引っ張り出してくれた"トモダチ"に向けて。
返事はデコピンだった。

『……楽しかった?』

控え目に問う声に、しっかり頷いて。
あったかもしれない、まばらな拍手の音を心で感じて――

「めっちゃ満足」

桃色の髪の歌姫はケタケタと笑っていた。

ご案内:「常世渋谷 中央街(センター・ストリート)」からキャスケット帽の女性さんが去りました。