2021/04/01 のログ
ご案内:「落第街」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
靄がかかった意識の中に一欠片の理性が浮上する。
この感覚も既に何度目か。数える気にもならないが
仮に数えたとして数秒も覚えていられないだろう。

考えていること、考えたかったことがあるはずだ。
何回もそれを思い返して、結論を出す前に意識が
落ちる。どれだけの時間それを繰り返している?

(……頭、痛ぃ……)

人気のない廃ビルの中、ジャンクが詰め込まれた
ボックスにもたれかかった姿勢で少女は呻く。

思考をクリアにしたくて何度か深呼吸を試みたが、
その度に腑から気持ち悪い味が迫り上がってきて
飲み込む方を優先させられる。

彼女は今、薬物濫用の副作用に苦しめられていた。

黛 薫 >  
落第街に暮らしていれば、薬物の使い過ぎで廃人と
化した落伍者はたまに見かける。『たまに』でしか
ないのは、そうなれば遅かれ早かれ全てが終わって
しまうからだ。薬のために全てを捨ててしまうか、
付け込まれて奪われてしまうか、そんな間もなく
オーバードーズで屍に成り果てるかは人によるが。

廃人手前でギリギリ踏みとどまっている彼女は
却って珍しい部類に入るのかもしれない。

自分の意思で薬物に手を出している時点で自制も
思慮も何もないが……少なくとも今までの彼女は
己を壊さない範囲でしか薬物を使わなかった。

しかし今回は仕事の成功、報酬として得た多額の
金銭と引き換えに手酷く『ヤられて』しまった。

完全に使い捨てて壊す目的で玩具として遊ばれた
挙句、自分では怖くて手を出せないような危険な
薬を散々打ち込まれてこのザマ。

命さえ残れば勝ち、という方針の甘さをまざまざと
思い知らされた形になる。今更後悔しても遅いし、
手段を選べない以上次があってもきっと同じことを
繰り返すのだろうけれど。

黛 薫 >  
薬を打たれた後、危機感から意識と理性に鞭打って
身支度を整え直したはまでは良いが、それ以降は
ずっと意識が朦朧としている。

幻覚が収まったと思えば今度は強迫観念じみた不安と
恐怖に駆られ、それが終われば異様な疲労と虚無感に
苛まれて動けなくなる。波のように襲い来る不調の
合間、偶に顔を出す正気が煩いほどに警告してくる。

(……絶対、ヤバぃよな……あーし、壊れるかも……)

思考が途切れたらもう二度と戻って来られないのでは
ないかという危機感から、無理やりに頭を動かして
意識を保とうと決意して、はや何回目。

意識が落ちては僅かな正気に頰を張られて目覚め、
また同じ思考を辿って同じ結論に辿り着く。

黛 薫 >  
(……覚えがあるんだよな、この感覚……。
考えなきゃ……いけなぃコト、あんのに……
関係なぃコトに、気ぃ取られて、忘れて……
……あれか、徹夜勉強してるときの……)

思考が脇に逸れたと自覚したらもう手遅れ。
振り返れば繋げようとした思考の道は霧の向こうで
思考の切っ掛けを手探りで探すところからやり直し。

(なにか、考えて……考えて、た……?
そう、考えないと……ダメで……何でだっけ……)

眠ってしまいたい。思考を止めてしまいたい。

誘惑に負けそうになる度に、恐怖に駆られた理性が
意識を揺り起こす。眠りに就けない不快感が延々と
続くような気持ち悪さに頭が痛む。

黛 薫 >  
目蓋を開いていても視覚は役に立たない。
眼前の風景からモチーフだけを取り出したような
サイケデリックな色彩が眼窩の裏で火花を散らし、
遠近感の狂った世界を落下するような感覚に陥る。

背と尻に当たる硬い感触は認識を修正する助けには
なってくれず、寧ろ距離感の不明瞭な世界で知覚に
反して触れられる距離に物がある事実が脳の混乱を
助長しているようにさえ思えた。

意識を保たなければならないと思うほどその行為に
疑問を覚えてしまう。出口のない思考に疲れ果てた
脳は、身体も疲れているのだと身勝手な嘘の信号を
発してまで休みを欲しがっている。

意識を保とうと必死になっているのはボロボロに
なるまで引きちぎられた本能だけで、頭は二度と
覚めないかもしれない眠りを心地良く受け入れて
しまいそう。

だから、思考を止めてはいけなくて。その理由を
形にして、脳に納得してもらわないといけなくて。
形になる前に意識は途切れ、強引な本能に引きずり
起こされて、また思考の理由を思い出すところから
やり直し。ループを繰り返すたびに脳は疲弊して
おしまいへの誘惑は強くなっていく。

黛 薫 >  
それなのに。

思考の理由、眠りに向かってはいけない理由の
糸口さえ分からなくなりつつなり、壊れかけの
本能が声を上げる余裕すら失いかけた頃。

ようやく休めない理由が溶けて消えて、心地良い
忘却に身を任せても良いかな、と思えた頃。

「──痛っってぇ?!」

急に意識が覚醒する。

急に戻ってきた正常な景色に知覚が追いつかず、
上下の区別が付かなくて立ち上がるのに失敗する。
頰にコンクリートの冷たい感触を感じながら、
後頭部に走る殴られたような痛みの正体を探る。

「……意識、落ちそうになったからか……」

何のことはない。ただ意識が途切れかけたために
身体が前に傾いて、反射で起こそうとしただけ。
結果、加減が効かず背もたれの代わりにしていた
ボックスに後頭部を強打したらしい。

「くそ、何かすっげー腹立つ……」

黛 薫 >  
頭は勝手に休息に向かいつつあった癖に、身体は
ちゃんと危機感を感じていたらしい。全力疾走の
後のように心臓が早鐘を打っている。

「……あ、やば、くそ……」

早くなった血流と、後頭部への衝撃。

ぽたりとコンクリートの床に鼻血が垂れたのを見て
慌ててハンカチを探す。落第街の学生は使い捨ての
ティッシュにお金を割く余裕などないのだ。

痛みで一時的に意識が覚醒してくれたとはいえ、
鈍った思考が簡単に戻ってくれたりはしなかった。
目と鼻の間を押さえながら、やっとでハンカチを
見つけた頃には出血は概ね止まっていた。

(今のうちに、考えられるコト考えとかねーと。
またいつ意識落ちるか分かったもんじゃねーし)

相変わらず深呼吸は出来ないが、浅めの呼吸を
何度も繰り返してやっとで脳に酸素が回った。

流石にもう薬自体は抜けたはずだ。
この苦しみは離脱症状、禁断症状に起因するはず。
そも薬が残っていたら、ショックを与えた程度では
覚醒できなかっただろう。

問題は今回使われた薬物が強力過ぎたこと。
脳が強く侵された所為か、未だに頻繁にトリップが
起きるし、些細な切っ掛けで精神が不安定になる。
ショックで意識が戻り得るのと同様に、ショックが
原因でフラッシュバックを起こす可能性も大きい。

黛 薫 >  
思いつく限りの内容を只管メモ帳に書き付ける。
今の自分がまともに読める字を書けているのかとか
ちゃんと整合が取れた内容になっているのかとか。
そんなことを気にする余裕はなかった。

ただ少しでも正気が残っているうちに記したメモが
あれば、トリップして何もかもが分からなくなった
場合の指針になってくれるかもしれないという期待。

経験上、トリップ状態でメモの存在を思い出せた
ことはないし、思い出せても読めるとは思えないが
それでも構わない。暫定の目標、今やるべきことを
決めてしまえば急によるパニックは避けられる。

それから数分の間、文字を書き続けて。
何か思い立ったのか、その場を後にした。

ご案内:「落第街」から黛 薫さんが去りました。