2021/04/07 のログ
ご案内:「落第街」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
落第街の一角、無人の倉庫。

少し前までは違反部活動の拠点になっていたが、
今は訪れる人もない。寂れた廃墟と化していた。
つまり風紀の手入れに遭った、というだけの話。
最近ではそう珍しくもない。

此処を拠点にしていた違反部活動は大きな打撃を
受けたものの壊滅はしていない。しかし徹底的に
破壊された拠点を取り戻しにも来ないだろう。

だからといって他の組織、勢力が此処を取り込む
動きもない。焼け落ちた建物を勢力圏内に加える
メリットは薄いし、使えるように整備する手間を
考えれば赤字になりかねない。

何より一度狙われた場所を拠点にしたがる者など
そういないはずだ。従ってほとぼりが冷めるまで
この廃倉庫は中立地帯になる。

(ありがた……くはねーな、困りもしねーけど)

風紀の手入れがあった場所には近づきたくないと
いう気分的な問題もあるのだろう。辛うじて残った
屋根の下、少女は煙草を咥えながら空を見上げた。

黛 薫 >  
落第街で明確な所属を持たない弱者は稀だ。
後ろ盾がないと容易く食い物にされてしまう。

黛薫は複数の組織の雑用として使われているが、
所属はしていない。内情を知っても利用はせず、
使い捨てられても別の所に流れるだけで秘密は
漏らさない。自分の組織は関わっていない、と
いう建前が欲しい場合の汚れ役として、彼女は
独自の立ち位置を築きつつあった。

と、言い方を選べば大層に聞こえるが。

要するに組織外に仕事を任せたい場合に体良く
使い潰せる人員、と複数組織から軽んじられて
いるだけだ。しかしそれで十分だと思っている。

口封じしなくても問題ない、また次の面倒事を
押し付けても良いと大勢から思われている立場は
組織の庇護下にある者が考えるより動きやすい。

『潰されない』だけでも弱者にはありがたいし、
虎の尾を踏みさえしなければ組織に所属するより
フットワークも軽い。

もちろん庇護を受けにくいというのはそれだけで
全てを帳消しにしかねない大きなデメリットだが、
彼女の場合はそうせざるを得ない理由もある。

黛 薫 >  
黛薫の異能は『視線過敏』。
視線を触覚として受け取るその力は大きな枷で、
異能よりもむしろ持病に近い扱いを受けている。

組織への所属は大勢に己の存在を覚えられる行為。
見知った顔を見つければ無意識に視線が引かれる。

たったそれだけのことが彼女にとっては致命的。
落第街の違反部活動より遥かに健全な『学院』と
いう組織への帰属すら耐えられなかったくらい。

視線から隠れ、視線に怯えて生きるうちに黛薫は
慢性的な心因性幻触に侵されるようになっていた。

誰にも見られていなくても、見られているのではと
不安に駆られ、脳内で作られた視線の感触が全身を
這い回る。己の内から生じる感覚だから、視線を
切ろうと逃げて隠れても治らない。

無意識に手の甲に爪を立てて、己の皮を剥ぐ。
コンクリートの地面に赤い血が滴り落ちる。

黛 薫 >  
「あぁ、もぅ……またか、クソがよ……」

痛みによって理性が呼び戻され、己でつけた傷を
目にして悪態を吐く。幻触は原因なくやってくる
場合もあれば、何かに触発されて呼び起こされる
こともある。いずれにせよ発症したらそれだけに
頭の中を埋め尽くされて、思考の中断を余儀なく
されてしまう。

(……多分あーし、考え事の最中、だったよな……)

そうして思考が途切れれば、また何を考えていたか
思い出すところからやり直し。健常な人間はこんな
ことに無駄な時間を使わずに済むのだろうと思うと
僻みにも似た理不尽な感情が湧いてくる。

もっともその感情の不条理を自覚しているが故に
怒りにまでは至らず、行き着く先は自己嫌悪。

黛 薫 >  
少なくとも何か考えるべきことがあった、考える
意思があった、と思い出して手帳を開いてみる。
まともな精神状態のときに思い至ったならメモを
とってあるはずだ。

「うわ」

しかしながら手帳を開いて分かったのは、自分が
それを思い立ったときにはまともな精神状態では
なかった、ということだけ。読む気にもなれない
ぐちゃぐちゃの文字の羅列を見て顔をしかめる。

(あー……思い出してきた。ヤクの所為で頭ん中が
ぐっちゃぐちゃになってたから、何か未来のこと
考えようとしてたんだな?)

少なくとも、今はあのときより正気に近いだろう。
自分で自分の正気を自覚、ないし保証できるのか
という問いはさておいて。

(状況整理には……まあ悪くないタイミング、か?)

黛 薫 >  
役に立たない手帳を閉じて、現状を整理する。

まず自分にしては珍しくお金にも食料にも困って
いない。お金は『運び』の仕事の成功報酬として、
食料は情報提供の報酬として手に入れたものだ。

金はまだほぼ手付かず。強いて言うなら飲み物を
買ったくらい。食料は缶詰をはじめ、保存が効く
品々が揃っている。少し切り詰めれば来週までは
不自由なく生きられるだろう。

情報の更新はやや不十分か。最近は風紀の動きが
活発なのもあって情勢の移り変わりが非常に早い。
前後不覚になっていた所為で時間の感覚は薄いが、
かなりの期間情報収集を怠っていたのは確実だ。

であれば、差し当たり考えるべきはお金の使い道と
情報収集に関してだろうか。

黛 薫 >  
お金は……正直なところあまり手をつけたくない。
普段の周期より些か早いが、薬物への誘惑が強く
感じられるから。欲しくなったのに手元にお金が
ないという状況は出来れば避けたい。

情報に関してはいつも通り。
コネと呼べるほど強い繋がりはないが、警戒されず
話せる相手は確保している。大きな噂だけ照合して
波及した影響と細かな動きは足で稼ぐ。

(後は……)

ふと思考が脱線する。生きるためには必須でない、
枝葉の用事だが……借りたまま返せていない品が
あることを思い出してしまった。

鞄の底、丁寧に畳まれたハンカチが1枚。
デフォルメされた犬が走り回る可愛い柄。

(……返しにいかないと、だよな)

黛 薫 >  
借り物をずっと抱えているのは落ち着かなくて、
しかし『自分なんか』がそれだけのために会いに
行くのは迷惑ではないか、とも思う。

例えば、自分がこんな掃き溜めのような街でしか
生きられないクズでなかったなら、憚ることなく
返却できたのだろうか。

(……出来てたら、苦労しなぃよな……)

たったそれだけのことに酷く落ち込んでしまう。

もしも自分が『まともな学生』だったら、なんて
倦むほど考えて諦めてきたのに、どうして今日は
こんなにも気分が沈むのだろう。

(……出来たら、いぃのかな……)

安全のため落第街では滅多に取り出さないスマホの
画面に向き合い、アルバイト募集のアプリを起動。
普段は応募しない長期バイトを幾つか申し込む。

黛 薫 >  
長期バイトは短期バイトとは異なり報酬が、即日で
振り込まれない場合が多い。頻繁に問題を起こす、
つまり最後まで働き通せない彼女にとっては時間の
浪費でしかない。

でも。

もし最後まで問題を起こすことなく続けられたら、
辛うじてでも社会の中で生きられるという実績を
作れたなら……自分はこの暗い街から抜け出して
表の世界で生きられるのではないか。

そんなありもしない希望を、未だに抱いている。

(……まぁ、まず受からないか……)

過去に、何度か同じ試みをして失敗している。
そのときは風紀に仕事を斡旋してもらっていた。
自分で応募しても、雇って貰えるとは思えない。

(却ってその方が良ぃのかも、諦めもつくし……)

ならいっそ応募全部に弾かれて、自分の居場所は
此処しかないと再認識させられる方が良いのかも
しれない。

(……全部落ちたら、やっぱり薬買おう。
やっぱあーしはダメだったな、って……
確認できりゃ、十分だもんな……)

スマートフォンの電源を切り、手の甲で煙草を
揉み消す。気分は落ち込んでいるのに、どこか
安らかで……少し、泣きそうな気持ちだった。

これ以上の考え事はきっと捗らない。

風を避けられる隙間に身を埋め、毛布を被る。
明日目が覚めて、ああやっぱりと笑えたら……
また生産性のない快楽に身を委ねられる。

それが楽しみで、虚しくて、苦しかった。

ご案内:「落第街」から黛 薫さんが去りました。