2022/07/29 のログ
ご案内:「落第街大通り」にノーフェイスさんが現れました。
■ノーフェイス > 見上げると。
立ち並ぶ建物がつくった、路地の輪郭と同じかたちに、青空が切り取られていた。
窓から窓に渡された紐に、万国旗のように吊るされている衣服たち。
この暑さだからだろう、たなびく布はその端っこまで乾いていた。
落第街大通り、その一角。
公には存在していないことになっている人々で、この場所は今日も賑わっている。
消し忘れたおんぼろのネオンがちかちかと瞬く店構えの屋台の主人も、
屋台の傍に設えられた簡易テーブルを囲んで雀牌を混ぜている連中も、
型落ちの玩具をゴミ捨て場から拾ってきてははしゃぎ回る子供たちも、
すべては油断ならないこの街の隣人である。
「あっついなぁ~」
盛夏の粘着質な風は、歩けど歩けど切れる気配がない。
ぎらぎらした太陽が炙った髪の毛を気にする。
だいぶ熱を持っていた。ため息がこぼれる。
「うーん…目を保護するだけじゃやっぱ足んないか!
ったぁく、この島の夏がこんななんて…聞いてないってば」
頬から顎へ伝う汗を拭う。
正午を過ぎたあたりの猛暑では、ヤニを銜える気力もない。
それでも、足は止まらない。人でごったがえすゲットーを練り歩く。
面白いもの、あるいは夜に吠えるものを探して。
■ノーフェイス > 「あっ」
ちょうどいいものをみつけて、女は歩をそちらへ向ける。
「Eh-Oh! 儲かってるぅ?」
建物の一階にはめ込まれた露店は、かつては煙草でも売っていたのだろう。
そのカウンターに肘をついて、サングラスを下げる。
露わの橙色の瞳で店主の睨みを迎え入れた。
正規品は"こっち"では高級品で、"裏モノ"は更に高い。
中毒性のある嗜好品は立派なビジネスだ。
煙草屋の居抜き店舗には、無愛想な男が営んでいるジューススタンドが入っていた。
いつからか――は知らない。女から見たら、気づいたら、だ。
「気分はパインかな」
注文は、と問われたら、女はそう返した。
「でっっかいやつ」
自分の頭より高い位置で水平にした掌を左右に動かした。
店主はその太くたくましい腕で、陳列されていたパインを掴み上げると、
器用にナイフで裁断し、ミキサーへ放り込んでいった。
「コレでいい?」
十本入りの薄い箱をポケットから取り出し、差し出した。
店主は無言でそれを受け取った。
■ノーフェイス >
ミキサーの形は自分が知っているものとは大きく形を変えていなかった。
型落ち品が流れに流れてたどり着いたものだろうが、
用途が限定的だった時代からあらゆるものを粉微塵に粉砕できるようになって幾星霜。
この透明な拷問器具が機能美の局地なのか、みるみるうちに出来上がっていくパインジュースを今か今かと眺めている。
片足のつま先で、トントンと地面を叩いて暇を潰す。
「デザートとか置く気はない?」
店主はそれを聞くと手を止め、女の口に輪切りのパインを押し付けた。
「ま、そーなるか」
咀嚼する。みずみずしい。
聞く所によれば、店主の異能は植物の生育に特化しているということだ。
ではなぜそんな天稟を持ちながら表舞台の学府でそういう学部に所属しないのか?
というと、虫が苦手だからという答えが返ってきたものだった。
栽培のための土も種子も、表から"輸入"したものだという。
生徒、あるいは教員が小遣い稼ぎにある程度の利ざやを確保した価格で落第街に転売する――
なんていうのはここじゃ当たり前のことのようで、
そういう流通経路があるからこそ、こんな場所で巡り巡ってパインジュースが飲めるわけだ。
「ありがたいことだね~」
片手で持つには難儀しそうなサイズの紙コップに落とされていく氷たち。
「製氷機買った?」
削ったんだ、といういらえに、そか、とにこやかに返した。
■ノーフェイス >
「ありがと」
たっぷりのパインジュース。糖分と水分。これでもう少しは歩ける。
シロップの追加は逆に喉が乾きそうなので、本日はノーマルで。
「――あ、そうそう。
ハットとか取り扱ってるとこ知らない?
さっきから頭があっつくてさ~」
再び差し出された手に、苦笑しながらもう一箱。
落第街にも、日常はある。
そればかりは侵し難いものの筈である。
ご案内:「落第街大通り」からノーフェイスさんが去りました。