2021/04/12 のログ
ご案内:「落第街 路地裏」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
朝の目覚めが気持ち悪いのは眠りが心地良いから。
勉強や労働が嫌われがちなのは自由な時間の方が
圧倒的に楽しいから。人は無意識下で『比較』を
繰り返して己の位置を計っている。

「……気持ち悪……」

比べるのも失礼ではあるが、薬物の服用もまた然り。
一時的な多幸感が過ぎれば倦怠感と虚無感が訪れる。

微睡みにしがみついて二度寝の誘惑と戯れるように、
名残を惜しんだ脳の懐古が朧に快楽を呼び起こして
くれたりもするが、それもだんだん薄れていく。

気を付けなければならないのは、その苦しみから
逃れるために追加で薬物を使ってはいけない、と
いう決まり事。落第街ではわざわざ忠告もされず
守る者も少数派なルールだが、黛薫は出来る限り
それを守ろうと試みている……自衛のために。

黛 薫 >  
薬物は服用を続ければ耐性がついて効きが悪くなる。
違法薬物も同じだ。過度な服用は耐性の付加形成を
早め、効きが悪くなったからと頻度や量を増やせば
依存症の重篤化を招く。

黛薫は自分の意志の弱さを知っているから一度に
服用する以上の量の薬物は買わない。離脱症状の
無気力を言い訳に使って追加で購入しないように
心掛けている。まとめ買いしない分割高になるが
それも量を使い過ぎない理由付けには丁度良い。

しかし。

(……今回……抜けるの、早ぃな……?)

煙草を吸いながら、重苦しく息を吐く。
そう、いつもより明らかに効きが悪い。

当然と言えば当然か、濫用を続けてもう1年か2年は
過ぎている。過度の服用を避けているとはいえ……
実感できる程度に耐性は付き始めているのだろう。

(……効かなくなったり……すんのかな)

鮮烈過ぎる快感に動けなくなり、蘇る感覚だけで
繰り返しトリップし、禁断症状で泣きながら嘔吐
していた過去を思い出す。

健全なやり方ではないが、空っぽな自分を一時的に
でも満たしてくれる、ほぼ唯一と言って良い楽しみ。

これが効かなくなったら、自分はどうなる?

黛 薫 >  
急に強い恐怖に囚われ、心臓が跳ね上がる。

過呼吸を起こしながら涙を流して腕を掻き毟る。
手首の切り傷に爪が引っ掛かり、生皮が剥がれた。
汚れた舗装路に血を滴らせながら嗚咽を漏らす。

薬物による快楽が絶たれたら自分はどうなるか。

具体的な想像は及ばなかった。鈍った頭で未来を
考えるのはあまりに難しい。しかし何の楽しみも
なく、視線に怯えながら虚無感の中で長い時間を
過ごすことになると考えるだけで気が狂いそうだ。

そんな苦しみの中で生きる羽目になるなら、いっそ。

鈍のナイフの刃を手首に充てがい、押し込む。
血が溢れた。だが、それだけだ。死ぬほどの度胸も
ないし、急所を狙って切り裂けるほどの技術もない。

黛 薫 >  
幸か不幸か、血の引いていく感覚で正気に戻る。
衝動的に死を選びたくなる精神状態で生存本能が
生きているなんて、なんと皮肉なことだろう。

落ちない血の滲みが付いたハンカチで手首をきつく
縛り、少女はしばらくの間その場で泣き続けていた。

死にたいけれど、痛いのは嫌だし死ぬのは怖い。
それでも、もしかしたら死ねはしないかと自分を
傷付ける。思考と行動がかけ離れている。

根本まで遡れば、きっと理由は単純だ。
好きなことが好きで、嫌いなことが嫌い。

だから楽しいとか気持ち良いは好きで苦しいとか
痛いのは嫌い。しかし、それは誰しもが同じはず。
きっと我慢できない自分が弱くて我儘なだけ。

そう、自分が悪いから。この苦しみは正当なもの。

黛 薫 >  
探せばきっと理由はある。

疾病にも等しい異能、得られなかった周囲の理解。
やりたかったことと出来ることの乖離、それらを
理由に自分を追い詰めてしまう良心と呼ぶべき物。

でも……『だから仕方なかった』とは言えない。

苦労しているのは自分だけではないはずだ。
そして『普通なら』苦労してもどうにか社会の中で
居場所を見つけ、自分なりに出来ることをしながら
生きていける。だって周囲がそうだったのだから。

周りが出来ているのに、自分だけが殊更に理由を
並べ上げて不幸な顔をするのはきっと卑怯なこと。
だからそれらの理由を排して考える。

そうすると、いつも同じ結論に行き着いてしまう。

自分が弱いから、自分が悪いから、自分が屑だから。
不出来だから、我儘だから、役立たずだから……
全部自分の所為。自業自得。当たり前のこと。

黛 薫 >  
どうして自分はこんなに駄目なんだろう。
混ざって流れていく血と涙を見つめながら考える。

挫折する前の自分は生まれる以外に何か悪いことを
したのだろうか?多分していたはずだ。悪いことを
何もしていないのに罰が下るはずがない。

きっと自分はどんなに苦しくてもそれが当然だと
受け入れて痛みの中で生きるべきだったのだろう。
だって他の人は我慢できているから。自分だけが
苦しいなんて思い上がりは認められるはずがない。

だから今苦しいのは当たり前。痛いのは当たり前。

皆が出来るはずの『普通の人生』から逃げ出した
罰を受けている。苦しいのは自分の所為。痛くて
泣きたいのも自分の所為。全部自分が悪い。

「ぅ、ぇ」

空っぽの胃の中身が、血と涙を押し流す。
いつの間にか取り落としていた煙草の火が消えた。

黛 薫 >  
苦しみから逃れたい。苦しみを忘れたい。
それを叶えてくれるのは薬物だけだ。

でも薬物に溺れるのも『悪いこと』だと知っている。
己の所為で苦しみ、正当な苦しみから逃げるために
『悪いこと』に進んで手を伸ばしている。

醜い、穢い、悍ましい。

嫌悪とも恐怖とも付かない感情が煮え立っている。
毒虫や汚物に抱くような生理的な拒否感が自分に
向いている。

棄てて、消して、殺して、見なかったことにしたい。

それなのに自分が弱いから、我儘だから、痛みを
嫌がって死ぬのを怖がっているから何も出来ない。

自分自身でさえ受け入れ難い気持ち悪い『モノ』。
人を名乗ることさえ烏滸がましい物が存在を許して
貰えているのが既に奇跡なのだ、と思う。

自分の卑小を『理解』するにつれて、感じていた
不満は全て不当であり、自分の境遇や立場は正当で
あるような実感が湧いてくる。

痛みも苦しみも恐怖も、自分に向けられる視線も。
全部自分が屑だから、自分が悪いから正当なもの。

苦しみから逃れるなんて、ましてその手段として
『悪いこと』を選ぼうとするなんて許されるはずが
ないのだ、と気付いてしまう。

黛 薫 >  
責めるような『視線』を感じた。

誰もいない路地裏、仮に誰かいたとしても他者に
興味を抱く余裕などない、掃き溜めの闇の奥の奥。
それなのに誰かが自分を見ている。蔑んでいる。
貶して嘲って、ゴミを見るように嫌悪している。

……当然、周囲には誰もいなかった。

薬物の副作用と精神の不安定が心を掻き乱す。
自分の心が作り出す幻覚、幻触。追い詰められた
内面から向けられる偽りの『視線』が自分を更に
追い詰めていく。

悲鳴も慟哭も、届かない。届いても無視される。

恐怖に駆られた少女は闇の奥へと逃げていく。
光の下に救いを、助けを求めることはもう出来ない。
光がある場所では『視線』から逃れられないから。

苦しいのが怖くても、痛いのが嫌でも。
それは『与えられるべき』であるはずだ。
罪があれば必然的に罰が与えられる。

心が壊れそうな罪悪感はきっと罪があってこそ。
それなら──相応の罰が必要なはずだ。

ご案内:「落第街 路地裏」から黛 薫さんが去りました。