2020/07/28 のログ
ご案内:「スラム」に羽月 柊さんが現れました。
羽月 柊 >  
闇夜の落ちるスラム街。
何もかもが終わり、後片付けも始まった。

今は月の灯すら眩しく思えるぐらい、眼を閉じていたかった。

天井を少し覆えるぐらいの、誰も居ない廃墟を見つけた。
中にある壊れそうなパイプ椅子に腰かける。


「…………疲れた。」

走り続けた男はそう呟いた。

今日に至っては数日放り捨てた業務が押し寄せてこの様だ。
息子に暇をやるんじゃなかったと後悔したが、
子供に業務を押し付けるもんじゃあない。
あの子は自分がいない間小竜の世話をよくやってくれたのだから。

周囲から人気を減らすために使う目眩ましの煙草を口にしても、
火をつけるのが面倒で目を閉じている。蒸かさなければ意味がないのに。

――まぁ、物好きでも無ければ、見つからないだろうと、男は疲弊で油断していた。

ご案内:「スラム」に日下部 理沙さんが現れました。
日下部 理沙 >  
――だが、物好きはいた。

「は、羽月先生……?」

現れたのは、羽月とも既知の研究生。
日下部理沙。
相変わらずの大きな翼を背に蓄え、一度眼鏡を掛け直してから、疲弊した様子の羽月に近づいていく。

「こ、こんなところでどうしたんですか!
 驚きましたよ……こんな廃墟で!」

そう、声を掛ける。

羽月 柊 >  
油断とは、本当に恐ろしいのである。
知っている声がしたのだ。

今更目眩ましの煙草に火をつけた所で、時既に遅し。
天井を無為に眺めていた男は、急速に意識を回復した。

来客へ桃眼を向ける。

「………っ……!」

しかも今の自分は完全に裏の世界の住人。
黒いスーツに竜の仮面が膝の上である。
近日の『トゥルーバイツ』との戦闘の傷すら、まだ癒え切っていなかった。
服のあちこちはボロく、血の滲む。
急速な回復は人体に良くない。言霊にも限りがあった。

なんというタイミングなのだ。


「日下部……?」

この廃墟は半壊し、僅かに天井の欠落部から月明りが差し込んでいた。
僅かな明かりは理沙の白い翼に反射している。 

その反射すら眩しいと目を細めた。

「………君こそ……どうしてここに…。」

日下部 理沙 >  
「俺はフィールドワークの一環です。
 少しでも……色々な人の話を聞かないといけませんから」

近代魔術と異邦人についての研究を専攻している理沙だが、最近は異邦人の話を聞いて回っている。
その為には……裏世界にも多少は足を踏み入れる必要があった。
『見て見ぬ振り』をされている者達が一番多くいるのは、結局『其処』なのだから。

「それより、先生大丈夫ですか、ボロボロじゃあないですか!
 先生こそ、何があったんですか……!」

急ぎ足で駆け寄って、鞄を開く。
中には応急手当のキットもある。
こういうところを出歩くなら必需品だ。

「ほら、今は煙草よりこっちが大事ですよ!」

鎮痛作用もある栄養ドリンクを手渡す。
近代魔術で生成されたポーションの一種だ。
続けて、包帯や消毒薬なども取り出し、手近なテーブルに並べていく。
幸いにも廃墟だ、廃材寸前とはいえ、いくつか家具の類はあった。

羽月 柊 >  
「フィールドワークか、君はマメだな……っ。
 こんな夜の裏の方まで……。」

裏の世界には様々なモノが存在するだろう。
異邦のモノはもちろん、あまねく爪弾きモノ、
死が身近であるならばそれを喰らうモノ、利用するモノ、
島の外からの来訪者、この島を良く思わないモノが潜む場所。

そうして多くの"隣人"たちと呼ばれる、近くて少しだけズレた場所に住むそれら。

「……何、年甲斐もなく無茶しただけだ…。
 最近はこういった怪我もしないせいで、存在を忘れていたな…。」

魔術と医術、そして科学の進歩により、
こういった医療キットも飛躍的な進歩を遂げていることだろう。

「…ありがとう。ああこれは煙草ではなくてな。
 ちょっとした……。」

そう言いながら、咥え煙草の状態で火をつけ、手元のポーションを弄る。
一旦火を蒸かせば魔力のこもった匂いのしない煙は廃墟を這い、
そうして少しだけヒトを寄せ付けない目眩ましになる。

「玩具だとも。」

ドリンクの蓋を灰皿代わりにしてそこに煙草を置き、煙を継続させる。

日下部 理沙 >  
「なるほど、便利ですね……」

こういうところでは、そう言った魔術は確かに必須になる。
流石は羽月といったところか、用心はしっかりとしているようだった。
 
「無茶は命あってこそですよ……差し出がましい事をいっているかもしれませんが」

眼鏡を掛け直しながら、理沙も適当なパイプ椅子を引っ張ってきて座る。
理沙と羽月以外に人気はない……目眩しの煙の効能は確かだ。
理沙も一息ついてから、溜息を吐く。

「ともかく、御無事そうでよかったです。
 動けそうになったら、今日は一緒に帰りましょう」

消耗している様子の羽月を放置はできない。
理沙は蒼い瞳を揺らしながら、そう提案する。

羽月 柊 >  
「心得があればすぐに破られるようなモノだがな。
 本来は悪戯に使うような品だが、応用すれば使い道はある。」



そう説く柊は、転移荒野や喫茶で話したそのままの調子だろう。
ただ、そう。どこか得体の知れない雰囲気はある。

竜研究者というだけでは、おさまらないなにかが。


「そうだな、全くだ。
 何をするにも命なくては始まらない。
 "あちら側"の道に何回潜ったやら……。
 
 最悪、古い知り合いを頼るつもりもしていたがな……。
 …というより、呼んでしまっている。」

まさかここまで心配されるとは思いもしなかった。
相変わらずこの男は、1人の前提で動いていた。

日下部 理沙 >  
「……しばらく会わない間に何があったんです?
 なんだか、少し……余裕がないように見えますが……」

理沙も人の事を言えるほど、日頃冷静なわけではない。
懊悩は日常茶飯事であるし、今だって自分の中の「痞え」を抱えたままだ。
だから、こうしてフィールドワークを続けている。
だが……今の羽月の様子は、そんな理沙から見ても、得体のしれない「必死さ」のような何かが垣間見えていた。

「なんというか……らしくありませんよ、傷が痛みますか?」

今の羽月は……到底、冷静な普段の羽月には見えなかった。
転移荒野や喫茶店で喋った時と調子は確かにそのままだ。
だが……何かが違う。
何かが。

羽月 柊 >  
「………まだ俺はそんな調子なのか…。
 全く、"ヨキ"に言われて直したつもりなんだが…。
 らしくないか、あぁ、正直俺も、何度も思っているよ。『羽月 柊』らしくない、とな。」

諍いが終わって、それから溜まった業務をこなして。
確かに何かしらの『熱』はまだ抜けきってはいない。

それを『必死さ』と言われてしまうと、困ったように目を閉じる。
そうして口走ったのは、理沙のとても良く知る人物だった。

「……いや、傷は君のさっきくれたポーションが効いているよ。ありがとう。
 …少しばかり人命救助に熱を上げてしまっただけだ。」

落ち着きは取り戻しつつあるが、苦笑すら漏らしてしまいそうだ。
本当に自分らしくない。 


手元のポーションに口を付ける。
味は飲みやすいように改良が重ねられているが、
どこかしら薬臭さは抜けきれない。

日下部 理沙 >  
「人命救助、ですか……それに、あの人の名前」

恩師の名を語る羽月に……多くを尋ねるつもりは理沙もない。
『こんなところ』にいたのだ……しかも、恐らくは委員会に頼らずに。
なら、恐らくは……少なくとも公的な活動ではないのだろう。
羽月柊という男が個人で行い、個人で動き……個人で傷付いたのだ。
それは、確かに『羽月柊』らしくはない。
理沙の知る羽月という男は……そう言う男ではない。
だが。

「今の羽月先生は……なんか、でも、俺良いと思いますよ。
 なんだか、若返ったみたいじゃないですか」

そんな知った口を叩いて微笑んでしまうくらいには……理沙からすると、『良い変化』に思えた。
『熱』を帯びることは……良い事だ。
それがなければ、人はいずれ枯れる。最後には諦める。
……理沙にも、少しだけ身に覚えがある。

「まぁ、ヨキ先生になんか言われたのなら……えーと、あれだ、一杯何度でもまた喋るといいと思いますよ。
 あの人、ああ見えて結構寂しがりだと思いますから、喜びますよきっと。
 まぁ、俺がそう思ってるだけかもしれないですけど」

どこか拗ねたような口調で、そう理沙は嘆息する。
『そうであって欲しい』と大いに思っているせいもある。
ヨキという教師を色眼鏡抜きで見ることは……理沙には出来ないのだ。

羽月 柊 >  
委員会の手を借りられず、男は持てるカードのみで勝負した。
男の中に再び灯った熱のままに、走った。

そう、本来、『羽月 柊』は、
己の必要なモノ以外は切り捨てるような人間だ。

男の論文にしてもそうだ。
引用で持ってくるにしても淡々としていて、どこか熱は無い。
何かを"解き明かし"、"探求し"、"見せつけたい"という熱意が無い。
だからこそどれほどの文があろうとも、彼は木っ端の学者なのである。

彼は既に諦め、枯れ果てていたはずの人間だった。
 
だが突き付けられた過去のままに走り出した男は、
ほんの僅か、熱を思い出したのだろう。

こうして傷だらけになっても、走ることが出来るほどには。


「……、君は彼を好いているのだな。」

この男はよくよく直球ボールを投げやすい。
結論を先に述べてから話すタイプでもあるのだが。

「燻っていた俺に、『走れ、羽月』と。
 ……まぁ、『同僚』だとか言うのは、良くわからんが、
 少なくとも……おかげで僅かでも俺に出来たことはあったとも。」

ただ、理沙に『トゥルーバイツ』の名前を出すことは躊躇った。
知っている事なのかもしれないが、知らないならそれで良いとも思った。
己の抱える空虚と同じモノを持つモノ達の絶望を…エゴで話さなかった。

日下部 理沙 >  
「……まぁ、嫌いじゃないですよ」

少し眉を顰めてから眼鏡を掛け直し、理沙は嘆息した。
若干、顔が紅い。
ヨキという教師について……彼はとことん素直になれなかった。

「ヨキ先生がそう言ったなら……まぁ、多分、良い事ですよホント。
 なんだかんだで……誰かの話を聞いて導くって点において、よくできる人です。
 悩みを相談する相手としては適任ですし」

若干早口でそういいながら、用が済んだ医療キットを片付けていく。
まぁ、大丈夫だろう。
思ったより確かに……羽月は元気そうだ。
身体は疲れ切っているかもしれない、心も傷を負っているかもしれない。
それでも……『熱』のためにそうなっているのだとすれば、理沙も差し出がましいことはいわない。

「そういえば……さっき、古い知り合いを呼んだとかいってましたけど、今人待ちなんです?」

そして、少し話題を逸らす様に、すっかり聞きそびれていたことを聞いた。
もしそうなら、邪魔をしても悪い。
羽月の心中を知りもせず、理沙は軽く小首を傾げる。

??? >  

『羽ヅギ。』


 

??? >  
理沙が待ち人を聞いた瞬間だった。

恐らく理沙に人並みの感覚があるならば、悪寒を感じるだろう。


何かしらのヨクナイモノ

何かしらのフコウ

何かしらのサイヤク

何かしらのカナシミ


そういった何もかもの良くない予感をかき集めて、
背筋に流し込んだかのような。


―――柊は、平然としていた。

日下部 理沙 >  
「……!?」
 
身を震わせ、振り返る。
理沙も人並み……ではないが、一応は魔術師だ。
感じ入るところはある。
だが、しかし。

「……お知り合い、ですか」

それ以上は、今は問わない。

??? >  


月灯が落とす影からずるぅりと現れる黒。

ギョロリと黒の中に瞬く瞳、瞳、瞳、

その黒は柊に今にも襲い掛かる―――。


 

日下部 理沙 >  
「……!? 先生!」

異形。
そうとしか思えない『何か』に這い寄られる羽月に、思わず声を掛ける。
理沙に出来ることは少ない、だが、手を引いて逃げるくらいなら……!
 

羽月 柊 >  
「……"ロア"、君、悪趣味が過ぎないか?」

その黒が完全に男を覆いつくさんとした時だ。
柊がロアと呼びかければ、それの動きは止まる。

彼は酷く冷静だった。身じろぎ一つしない。

逆を言えば、これまでの熱が冷めたかのような冷ややかさで、
その"黒いナニカ"に向かって声をかけたのだ。 

日下部 理沙 >  
「……え?」

思わず、少し気の抜けた声が出てしまう。
ロア……そう、羽月が呼んだ異形。
羽月の知り合いには……違いないようだが……?

「だ、大丈夫なんです、先生……?」

念入りに一応聞いてしまう。
それは、どうみても……ヨクナイモノだった。
魔術師として未熟な理沙にも、それだけはわかる。

??? >  
『ギャッギャッギャッギャッギャ』

黒からしわがれた笑い声が響く。
黒の異形はぐるぅりと黒を収束させて、柊の隣に立った。

フードのような布を被り、2mもあろうかという大きさ。
収束したとて黒の下では目玉がギョロギョロと無数に柊と理沙を見つめている。

『羽月ィ、パーティは楽しガったカ?』
 

羽月 柊 >  
「……ああ、問題無い。
 君が異世界に興味があるなら分かるかもしれん。
 "隣人"だ。《大変容》以前から我々現世から少しばかり違う場所に生きるモノ。」

隣の巨大な黒…ロアを見上げ、男はそう説明するだろう。

この世と重なった別の次元の生物たち。
そういったモノを古来から、妖精だの隣人だのと魔術師は呼んできた。

「ロア。そう子供を脅かすもんじゃない。」

ロア >   
『子ドモはオバケを怖がルものダろウ?』

諫められると得体のしれない黒はそう返す。

日下部 理沙 >  
「……"隣人"」

"隣人"……そう言った者の実在が《大変容》によって証明された昨今では……確かにそう呼ぶのが的確だろう。
だが、理沙の目から見たそれは……到底、そう思える『何か』ではなかった。
それが偏見でしかない事は理性ではわかっている。
だが、感情が……いいや、理沙の身体の奥底にあるもっと『根源的な何か』が……目前のそれから悪寒を感じさせていた。
ヨクナイモノ。
そう、それは……そうとしかいえない『何か』だ。

「古き、もの……!?」

口から咄嗟に出たのは、その言葉。
……実在しないとは言えない存在だ。
だが、それは……接触するには余りに……!
思わず、一歩後ずさる。
翼は、緊張から震えていた。

ロア >  
『モどキ、ダけどなァ゛。』

そう言ってフードの下の口がにぃぃと笑みを描く。
耳どころか爛々と瞬く赤翠の端にまで届きそうなほど口角を上げ、
無数の触手がじゅるぅりと舌なめずりをする。

異世界のモノは無数といる常世の島だが、
ああ、どうしてこうも悪寒が止まらないのだろう。

羽月 柊 >  
「……まぁ、似たようなモノだ。だからそう脅かすなと…。
 とはいえかなりというか、まぁ癖は強いが我々の常識内でほぼ話が聞く。
 対価さえあれば働きもする。

 それにしてもロア、君……多少"食べた"な?」

冷えた状態で話す柊が、理沙には異様に見えるかもしれない。
バケモノと、ヨクナイモノと話す男。

一介の魔術師が、一介の研究者が、何故このスラムに1人で立てるのか。

それは、隣の黒がそれを証明している……。

ロア >  
『パーティがあっタんダ。少しぐらイ、ツマんでも良いだろウ?』

そういって異形はぎゃっぎゃっぎゃと笑った。

日下部 理沙 >  
「……」

思うところは無論あるが……口を挟むわけにもいかない。
一先ず、会話が終わるまで理沙は動向を見守る事にした。
……いや、口を開きたくなかったと言った方がいいかもしれない。
それほどまでに、その『ロア』という異形は……理沙にとってヨクナイモノに見えた。
 

羽月 柊 >  
「……全部は食べていないんだな?」

柊はそれを見上げ、呆れたように確認する。
本当に知己と話すように。ただの雑談を交わすように。

理沙の知らない羽月 柊という"魔術師"が、そこにいた。

ロア >  
『ユビの先、腸の一かけラ、脳みそのヒト掬い……。
 総合スレば大人二リ分グらいダが、鼠や犬ニ齧られタと思ウぐらいダろう。』

――それはおぞましい話だった。
なんてことないような話で、『ヒトを喰った』と、黒は語る。

『 『真理』ニ散ったモノ、こちラ側にならなカったモノ。
 羽月が"とりこぼシダ命"もあっタなぁ?
 どうセ後は埋葬サれるだケだ。少し齧っタところデバレないサ。』

羽月 柊 >  
「……君は本当に悪趣味が過ぎる。
 今日は普通に帰るとも。君の所に寄らなくても帰れそうだ。」

はぁと男は嘆息し、ポーション類で回復したのもあってかそう告げた。
手をひらひらと振り、それに別れを告げる。

ロア >  
『そうガ、そウカ。』

そうしてヨクナイ黒いそれは、
最後に理沙の方を向き、にぃこりと笑みを浮かべた。

『魔術師のたまゴ。
 こちラ側にハ、魅入らレルなヨ。
 いつでモ俺たヂは、口を開けテ待っていル。

 ……まァ、ほしイ物があれバ、対価をもっテくるト良ィ。』

それは慈悲か、誘いか。
そうして黒は、来た時と同じく闇へと広がるように、消えていく……。

日下部 理沙 >  
「……それは、どうも」

一応、挨拶だけをする。
だが、最後まで……理沙はそれを直視はしなかった。
軽く一瞥するだけが精一杯だった。
そういう「何か」だった。
それが、消えるまで見送り。

「……先生、詮索するつもりはありませんでしたが……!
 アレは、いくらなんでも……!」

思わず、声を掛ける。
冷や汗が止まらなかった。

羽月 柊 >  
「いくらなんでも、なんだ。」

男は至って冷静…どころか、先ほどまでの熱が冷えていた。
理沙を脅かしたことに対して呆れている部分が大きいのだが。

黒は男の古い知り合いだった。

ヒトを食べる化物ではあった。

どういう経緯かは知らない。
しかし、隣人と男は対等に話していた。

日下部 理沙 >  
「あれは……邪神の類いか、その眷属でしょう!?」

理沙は、若干声を荒げる。
接触が禁じられているわけではないことはわかる。
だが、『危険』に違いはない。
それも、恐らく……生半可なものではない。

「その、大丈夫なんですか……?!」

出た言葉は、そんな間抜けな質問。
今度は理沙が冷静ではなかった。
邪気に中てられたのかもしれない。

羽月 柊 >  
「まぁ、混ざりモノだ。
 名のあるようなモノじゃない。…本当にな。
 今日は少々ヒトを喰ったせいで大きくなっていた。
 だから君にはかなり怖く感じたんだろう。悪かった。」

理沙の動揺の仕方を見て立ち上がり、
まだ少々軋む身体のまま近寄る。

恐怖に逃げないのなら、落ち着かせようと肩をぽんと叩く。

「俺は別段"慣れている"。
 こういった場所を歩く時、ああいう類ほど頼もしい味方もそう居ない。

 普段はヒトも喰わずに大人しい奴なんだが、
 ロアも言うように、俺が人命救助に走り回った件を齧ったらしい。」 

ある意味麻痺しているとも言える。
男の抱える喪失は、黒への恐怖を掻き消していた。

日下部 理沙 >  
「混ざりものって……!!」

羽月が否定をしないことが怖ろしかった。
つまり、『多少』は『本当にそう』ということだ。
……いや、「だからなんだ」という理屈は分かる、確かに此処では何も珍しい存在ではないのだろう。
理沙も出会い方が違えば……あのロアという異形ともう少し冷静に話が出来たかもしれない。
だが、目前であの瘴気のような何かを中てられ……挙句、人を食うと言われた。
真っ当な神経の人間なら……身の危険を感じないわけがない。
それに『慣れている』と語る羽月は……途端に、どこか遠い存在のように思えた。

ああ、いや、そうか。
……これが、本物の魔術師なのだ。

「……人命救助の情報提供、ということですか?」

羽月がどんな人を助けようとしたかはわからない。
だが……此処で人を探すなら、確かに『ああいう手合い』に頼るのは良い選択だろう。
理沙は一先ず、己の恐怖を飲み込んだ。
……異邦文化の研究者としては、なんとも情けない有様だ。

羽月 柊 >  
「普段からも取引はしているが、今回はそれも大きい。
 対価自体は渡してやっていたんだが、
 それでもああも死人が出ると我慢しきれんかったらしい。

 ヒトを喰らうモノはヒトの気配に敏感だ。ヒトの死に敏感だ。

 特にロアのような類は、ヒトの感情を好む。
 ヒトが翻弄されることを好む。そういったことを"嗅ぎ分ける"」

それでも男は理沙に触れられる位置にいるのだ。
青年が逃げなければ、男はぽんぽんと何回か落ち着かせるように肩を叩く。
近くの小竜たちも理沙の周りを飛んでいる。

「まぁ、君を脅かすような底意地の悪い奴だが、
 あれは人間と上手く共存しているタイプだ。
 
 こちら側の価値観をある程度理解しているし、
 自分が狩られないように立ち回る術を知っている。」

もちろん自分に危害を加えるようなタイプや、
他者に害を及ぼすようなモノに、表にも居る人間が好んで付き合わない。
男の存在が、ロアという"異形"を保証しているのだ。

「ただ、ロア自身も言うように、君にはまだ過ぎたる関係でもある。」

日下部 理沙 >  
「……そう、ですか」

何とか、羽月と小竜と宥められ、理沙は平静を取り戻す。
肩を叩かれていることに気付いたのも……今更だった。
そこで初めて理沙は、自分の心音の喧しさに気付いた。
いつのまにか……手には拳まで握っていた。

「……勉強になります」

異邦人……いや、そうですらない、恐らく、それとは違う場所にいる……近くて遠い存在。
だが、自分と違う存在と『対話』するつもりなら……『あれくらい』で怯んではいけないのだ。

「はは、いや、ありがとうございます先生。
 ……図らずしも、フィールドワークの成果が一つ増えてしまいました」

思わず、笑みを漏らす。
引きつっていることが自分でもわかった。
でも、その言葉に……嘘はなかった。

羽月 柊 >  
「後ろまで来ていたのは分かっていたんだが、
 まさかロアもあんなことをするとはな…。
 
 まぁ、隣人にも相性はある。
 俺とロアは旧知であり、利害が一致している。
 そうして取引が成立している。」
 
触れることに不器用な男は、一定のリズムで落ち着かせるようにするだけだった。

狂気に飲まれなければ、対等に望めるのなら、
ああいった悍ましいナニカにさえ、魔術師は共存しているのだ。
これは、そんな魔法・魔術といった秘術を扱ってきたモノ達の一片だ。

柊は何か他に和ませるモノの方が良いかと考えて……そういえば、と。 

「……そうだな、日下部、夏季休暇中は暇があるか?」

日下部 理沙 >  
「……」

しばし、理沙は押し黙る。
取り引き。それができるということは……意思疎通が本当に出来ているという事。
『対話』が出来ているのだ。
……異邦人に関する問題に取り組もうと思ったら、『あれくらい』で怯んではいけない。
だが、自分はまだ……それが満足に出来てない。
魔術師としても研究者としても……いや、人間としても未熟だ。
これは、『偏見』から生まれた恐怖でもある。
情けない限りだ。
理沙は、己の不出来に暫し懊悩したが。

「え、あ……はい、夏は、帰省の予定もありませんし」

声を掛けられれば、なんとか反応は出来た。

羽月 柊 >  
「そうか、異世界に関して、
 今回の事はかなり段階を飛ばしたことだったからな。」

驚かせたお詫びもあるのだが、話は続く。

異世界は何も恐怖というばかりではない。
偏見を持たせてしまったのは申し訳なかったのだ。
自分の感覚が麻痺していたのは事実。


「…そうか。なら、…まぁ、提案なんだが。
 暇な間、うちの研究所を……手伝ってみないかと思ってな。

 今日もそうだが、業務が増えてきている。
 息子と俺だけでは厳しくなってきた……。
 元々人手か、隣人に手伝ってもらうことを視野には入れていたんだが…。」

要するに夏季バイトをしないかという話。

「うちの研究所はセイルやフェリアのような小竜たちが多い。
 仔犬や子猫の保護施設の手伝いのようなモノだ。
 もちろん、給金が出せるぐらいは稼いでいるつもりだ。」

日下部 理沙 >  
「え?! あ、え!?」

それは、理沙にとっては……願ってもない提案だった。
羽月は理沙にとって憧れの研究者の一人だ。
魔術師としても当然尊敬している。
その膝元で手伝いをしながら、しかも給料がでるだなんて。

「や、やります!! やらせてください!! 是非!!」

思わず、手を取って大声を出してしまう。
背中の翼も思わず大きく広がってしまうほどだ。
もう、喜びで、さっきまでの恐怖も懊悩も吹っ飛んでしまっている。
それくらいに……理沙にとっては嬉しい事だった。

羽月 柊 >  
「…元気が出たみたいだな。」

先程との上下差に思わず僅かに口角を上げてしまった。
元々以前、理沙の眼鏡を喫茶で見た時に、頭に過ったのだ。

己も同じく外付けの魔術故に、苦労した面は多い。
今こそ竜たちの世話の過程で得られる素材を糧に補充が効くが、
その基盤が無い頃は、魔石一つ買うのだって厳しかった。

研究所の事業もそこそこに安定し、ある程度自分の論文を理解できる頭があるのなら、
手伝いを願っても大丈夫だろうと踏んでのことだった。

……男が"対話"を再開してから、またこうして、縁は結ばれていく。


「そうか、…ありがとう。助かるとも。
 日程は追って連絡しよう。

 今日はとりあえず……帰るとしようか。」

日下部 理沙 >  
「あ、ああ! そうですね!! そうしましょう!
 荷物持ちます! あとこれ、俺の連絡先です!!」

矢継ぎ早にあれこれ慌ただしくなる理沙。
羽月の気遣い全てには当然気付けてない。
だが、舞い上がっている事だけは間違いない。
それくらいに、理沙にとっては……この縁は貴重であり、この提案は魅力的だった。

「そ、それじゃあ、行きましょう! 羽月先生!!
 あ、先導します! これでも元風紀ですから任せてください!!
 先に外で待ってますね!」

小躍りするように、理沙は廃墟から飛び出していく。
実際、斥候の真似事は間違いなくできるのだろうが……それにしても、浮足立ってはいた。

ご案内:「スラム」から日下部 理沙さんが去りました。
羽月 柊 >  


「転ぶんじゃあないぞ。」

理沙の背中を追いかけて、柊も廃墟を後にする。

……もう一度、誰かに手を差し伸べよう。
その手が、また消え去らないことを、祈りながら。


二人の遠く、蝶が飛んだ。

ご案内:「スラム」から羽月 柊さんが去りました。