2022/01/10 のログ
■キッド >
「────────」
静寂の一刻。
本来であればそれは本当に数秒程度の時間だ。
だが、二人の間ではそれこそ永遠と錯覚するような
長い永い時間が間に流れている。
互いに目を反らさず、恋人よりも情熱的に
誰よりも鋭く、互いの視線が交差する。
互いに獲物に手を掛ける寸前。
何方かが先に、動けるか。
下手に動けば丁寧にカウンターを受ける。
今目の前に、バレットタイムと呼ばれた『伝説』がそこにいる。
喉がひりつくような錯覚。
緊張に脂汗が滲むが、その集中力は切れていない。
以前、研ぎ澄まされていく。
少年の異能自体は、他の風紀委員と比べて必殺の能力など在りはしない。
ただ、『目が良くなる』『弾丸が当たるように曲がる』程度だ。
目が良くても体が付いてくるわけじゃないし
弾丸だってそう、曲がった所で狙い通りに当たる訳じゃない。
弾丸は弾丸。射線が切れれば当たらないし
世の中、そんな弾丸を弾く連中だっている。
異能一つだけ見れば、使い勝手のある分まだ恵まれているんだろう。
だが、跳梁跋扈ひしめく常世学園。
ましてや相手は、そんな風紀委員を相手にするような違反者。
少年が、キッドがそんな連中に食いつくには
最大限に目<ブキ>を生かす事だった。
早撃ち。
相手の動作を一挙一動、異能により観察し刹那のうちに弾丸を見舞う。
人類が生み出した機能美。そう、『殺傷力』という一点を集約した武器。
どんな異能者であっても、異能を使わせずに弾丸をお見舞いすれば溜ったものではない。
鋭い"鷹の目"の景色は文字通りスローに、コマ送りに。
その景色さえ白色に染め、"レイチェル・ラムレイ"ただ一人に注がれる。
髪の揺れる動き、呼吸音、脈動。体の一つ一つが彼女の動きを予感させる。
ニッポンには、『刹那の見切り』とあるが、まさにそれだ。
その挙動の中のブラフを、動きを見誤った時に、敗ける。
まさにそんな二人の間。
スラムの一角で合図のように瓦礫がことりと落ち────。
「──────!」
即座にホルスターから黒鉄が風を切る。
先に銃口が向いたのは────────────。
■レイチェル >
静寂の中で、時間が無限に引き延ばされてゆく。
緊張と焦燥、そしてそれを冷静に抑え込む氷の理性――。
グリップに向けている腕、手首、掌、指、その先――
神経の一本一本に至るまで、思考を張り巡らせるように。
一瞬の隙とて逃さぬように。
眼前の少年はルーキーなど嘯いているが、
その実力は紛れもなく本物。
こと銃撃においては、風紀委員の中でも有数――
――そして今この瞬間にも成長を続けている新人だ。
少なくとも、レイチェルはそう評している。
焦る気持ちを、理性が殺す。
まるで別の次元に立っているかのように
研ぎ澄まされた全身の感覚が、
吹きぬく風の声一つ一つを、眼前の相手の所作一つ一つを
確かに伝えてくる。
ジェレミアの動きは、はっきりと見えていた。
そして、それは彼とて同じであろう。
いや寧ろ、視力だけで言えば能力のある分、
彼の方に分があるだろう。
鷹の目を持つ彼はこの場を、
レイチェル以上に的確に"視"て、把握している筈だ。
そして彼は、視覚に特化した能力を持っているだけではない。
それを使いこなすだけの経験も積んできている。
ならば。
彼が、能力を用いて十全の視界をレイチェルに注ぐ。
それを、全身の肌が感じる。
全身に氷を当てられ、じわじわとそれを
押し付けられているような緊張感――。
そう、こちらの動きは頭から爪先まで、手に取るように把握される。
こちらはただ、緩慢に動く的である。
異能の使えぬ今、ただ視線を絡めて正面から撃ち合っては、
敗北は必至――
――ならば。
「────────」
あろうことか、レイチェルは目を閉じた。
視界を閉ざし。
風の音。
彼の吐息。
彼の衣が擦れる音。
果ては指先の関節が曲がる音までも。
一つとして取りこぼさぬよう集中した。
彼女の内に眠る獣の感覚が、研がれた刃の如く
鋭さを増す。
瓦礫が落下する。
それが、『ジェレミアにとっての合図』となる。
レイチェルは未だ、引き延ばされた刻の中で動かないまま。
そうしてジェレミアが刹那の内に引き金を絞る。
瓦礫の決闘場に乾いた音が一つ、響く――。
■レイチェル >
この場の勝敗は――
虚空に散らされた火花。
そして今や両者の間で砕け散って転がった弾丸が、
静かに物語っていた。
■キッド >
乾いた発砲音と共に、互いの間で弾丸が弾けた。
カラン、と音を立てて落ちた弾丸。
「……お見事。腕は衰えてないようですね」
ふぅ、と硝煙を吹き飛ばせば肩を竦めた。
確かに自分の中の『伝説』は健在だった。
コーラーオブブラックの眼差しは確かにあった。
「試すような真似をしたのはごめんなさい。
ですが、アナタには必要な事だと僕は思います」
情けだけで風紀委員が出来る訳もない。
拳銃をホルスターに戻せば、一呼吸。
…嫌だな。前よりは長くなったけど
引き金を引いたせいで、動機が激しい。
胸ポケットから煙草を取り出し、口に咥える。
「でも、本心です。僕はアナタがこれ以上傷つくのは、見るに堪えない」
そのまま煙草に火を付ければ思い切り息を吸い
煙を吸い込んだ。味がする訳じゃない。
ただ、特殊な薬物が傷を、動悸を癒していく。
こんなものに未だに頼らなければいけない自分に、嫌気が差す。
「……それに、アンタに居座られてちゃぁ、俺も引退できねぇからな」
なんて、冗談めかしに悪ガキは言ってのけた。
そう、実は迷っている。居場所が出来た以上
何時かここからは退かなければいけない。
何時までも彼女に、光奈に待ってもらう訳にはいかない。
彼女に潮時と言ったが、自分もその時は弁えなければいけなかった。
だけど、そんな憧れを、今も尚風紀に身を費やす彼女を置いてはいけない。
勝手な話だし、自分が勝手にやっている事だけど。
少年は何時か、彼女にただの少女になってもらいたいだけなんだ。
「とりあえずは手打ちにしてやるよ、レディ。
ホラ、アイツ等も心配して見に来てるぜ?」
流石に銃声が聞こえると穏やかではない。
顎で指した先には、心配そうに子どもたちがひょっこり壁の向こうから顔を出していた。
■レイチェル >
「異能が使えなくとも、銃の鍛錬は怠ってねぇからな」
勿論、実戦の中で撃ち合うのとは違う。
だからこそ久方振りに神経を集中させたこの僅かな時間だけで、
予想以上の疲労感が押し寄せていた。
静かに深呼吸を何度か行えば、それも落ち着いてくる。
「……ああ。こいつは確かに必要だった。
お陰様で、随分と久々に目を覚まされた気分だぜ。
それからお陰様で……色々と掴めたよ、改めてな」
決闘の内に対峙する中で、
己の内に在る獣を理性で制御する術。
焦燥という獣を飼い慣らし、己の力とする――
久方振りの感覚だった。
――そうか、やっぱり同じなのかもな。
久しぶりに、戦場の感覚を取り戻させて貰っただけではない。
己の吸血衝動との向き合い方。
先の見えぬ暗闇に、また一筋の光が射し込んできた気がした。
「そいつは、すまねぇ……いや、ありがとな。
……しかし、そうだな。
悪ぃ、これからまた心配はかけちまうかもしれねぇ。
でも……悲しい顔だけはさせねぇように、
精一杯やらせて貰うさ」
煙草を吸う彼の様子を、真っ直ぐ見届ける。
『お互い様』。
レイチェルが今、此処に立てている一番の理由――
そんな彼女が口にした言葉が、脳裏を過ぎっていた。
「……はっ。お前も退きたい時は、ちゃんと退くんだぜ」
隣に大事な人が居るのであれば。
そう考えれば、オレもいつかは多分風紀を退く時が来るのだろう。
でも、それは今じゃない。
だからこそ、今日は引き金を弾いた。
万感の想いを込めて、後輩に向けて。
「おっと、驚かせちまったな……悪ぃ悪ぃ。
大丈夫、オレもこいつも怪我なんかしてねぇから」
獣の如く鋭い瞳だったそれは今、
柔らかく子ども達に向けられていた。
そうして、そのままの瞳をキッドに向けて、こう言うのだ。
「縄跳び、またやるってさ。
時間あるなら、お前もちょっと遊んでけよ。
結構楽しいもんだぜ」
見れば、子ども達がキッドの方にもわっと集まってきて、
一緒に遊ぼうと各々が声をかけてきていた。
そうして、レイチェルは子ども達の輪の中へと入っていく。
傷ついた瓦礫の街の中で、それでも健気に生きる彼らの輝きに、
レイチェルは今勇気を貰えていた――。
■キッド >
「礼なんていらねぇよ。寧ろバレたら、何言われるかわかったもんじゃねぇ」
曲がりなりにも風紀委員同士で銃を向け合った。
こればかりは二人だけの秘密だ。
口外したら、始末書じゃすまないかもしれない。
「そりゃ、『お互い様』さ」
お互いに引き際も心配する相手も見間違えてはいけない。
此の線引きで今、お互いはぎりぎりで踏みとどまっているんだ。
これを踏み越えてしまったら最後、きっと今度こそ喪失者だ。
そんなくだらないデンジャラスゲームは、お互い
そろそろ終わりにすべきなんだ。そう、わかっているはず。
わかっているはずだから、これ以上言わない。
白煙を吐き捨て、踵を返す。
レイチェルの言葉に振り替える事無く、手を上げるだけだ。
「(……ここに来た理由が聞かれないだけ、マシだったかな)」
バレたら何を言われるかわからない。
それは自分にはもう一つ秘密がある。
そもそも、わかっているからか知らないけど、彼女も言及しなかった。
此の煙の在りどころ。いや、今は返ってありがたい。
けど、何時かはこれとも決別しなくてはならない。
血濡れの家族を紛らわす、白煙共。
ぼんやり上がる煙の向こうを眺めながら
少年の背は深淵へと消えていった。
ご案内:「スラム」からキッドさんが去りました。
ご案内:「スラム」からレイチェルさんが去りました。