2022/02/06 のログ
ご案内:「スラム」に神樹椎苗さんが現れました。
神樹椎苗 >  
 落第街、スラムの一画。
 何の変哲もないぽっかりと空いた広場の中心、そこには小振りな椎の木が根付いている。
 一年を通して緑の葉を付け、実を落とすその木は、ささやかな幸運を分けてくれるとかくれないとか、そんな噂になっていたり、いなかったり。

「――ここに来るのも久しぶりですね」

 年端も行かない少女が一人、スラムには似つかわしくない小奇麗な服を着て。
 スラムの民と聞いても不自然でないような、傷だらけの姿で、その椎の木の前に立っていた。
 

神樹椎苗 >  
「――また、年が明けましたよ」

 誰に語り掛けるわけでもなく、それは独り言でしかない。
 けれど、その左手は、木の幹に掘られた文字に伸びる。

 そこには、沢山の、種々様々な言葉が彫られていた。
 例えば願い事だったり、なにかの名詞だったり、お菓子の名前だったりする。
 そんな文字たちの中で、一際大きく、力強く刻まれた文字がある。

『マシュマロ』

 その意味も、理由も、とうに『消えて』しまったが。
 それでも、その文字は、椎苗の字であり、椎苗が刻んだものであった。
 

神樹椎苗 >  
「不思議ですね――もう、すべて『消えて』しまったのに。
 それでも、ここに『誰か』が居た事を、思い出してしまうのです」

 文字に触れても、なにを思い出せるわけではない。
 『それ』が誰だったのか、顔も、声も、交わした言葉も――その全てが、最初からなかったかのように『消えて』しまっている。
 だからこそ――この島の全てを観測し記録する『神木』の『端末』たる椎苗だからこそ。
 『消えて』『置換』された記録の、ほんのわずかな違和感に、間隙に、その『誰か』を感じられたのだ。

「これの意味もわかりません。
 思い出せない事に、悲しさすら感じないのです」

 あるのはほんの少しの寂しさ。
 その『誰か』がかけがえのない存在であった事。
 それが――二度と、代替される事が無い、椎苗の唯一無二であった事。
 それだけは、全てが『消えて』しまっても、確信できた。
 

神樹椎苗 >  
「何も覚えていません、なにも、思い出せません。
 ――ですがきっと、しいが忘れてしまったという事に意味があるのでしょう。
 その事実がきっと、しいと『お前』を繋ぐ、最期の縁なのかもしれません」

 椎苗はその文字をゆっくりとなぞって、最期に屈んで、一つ、落ちている実を拾い上げた。

「――それじゃあ、また来ます。
 良き眠りを――親愛なる『友人』へ」

 拾い上げた椎の実を大切に握って。
 椎苗は静かに、その場を去っていくのだった。
 

ご案内:「スラム」から神樹椎苗さんが去りました。