2023/01/10 のログ
ご案内:「スラム」にノーフェイスさんが現れました。
■ノーフェイス >
落第街と呼ばれる存在しない区画は、表側に近ければ近いほど活気にあふれている。
その賑わいから少し離れ、違反部活生たちの跋扈するより危険で密やかな区画はしかし、
まだ正常に機能している場所であるといえた。
「―――」
女がいるのは、そうした終端の場所。
この島の暗部である筈の落第街のなかにも、更に掃き溜めが生まれていた。
冴えた太陽を戴き、瓦礫のなかに雑草が覗く有様で、
まるで表から流れ着いたかのように、風に吹かれたゴミが足元を転がっていく。
しかし、アウトドアバッグを背負って、鼻歌混じりにのんびりと歩く有様は、
なにを恐がってもいないかのように堂々と、冷えたアスファルトにまっすぐな影を描いていた。
■ノーフェイス >
「成果はなし――と」
散歩がてらの何かの作業が進まずとも、
女の様子には一抹の悲観もなかった。
最新式の端末を取り出し、瞬きのパターンで画面を点灯。
シェードの濃いグラス越しでも感度と正確さは目を見張るほどで、
前の端末よりもミュージックプレイヤーとしての音質が劣ることを除けば文句のない逸品だ。
「セーラー服の怪、なんてのもいたケド。
ボクみたいなのには、そういう噂って寄ってこないのかな」
その噂は、要素だけ拾うと、思わず足を止めてしまうデジャビュの味。
血の匂いを纏うその怪人はしかし、髪が長かったというのだから、
まず思い浮かぶ彼女ではない――ようだ。
あいつは"仕事"の際、軍帽を装着している向きがある。
それはそれとして気になる。落第街に潜む、面白そうなヤツの気配。
「………そーいえば、あのコ」
美術館で出会ったセーラー服。
あの"いいコちゃん"は、ハロウィンの前夜に来てたのか。
如何なバベルに挑み、あるいは神雷に打たれたか、溜息に白く烟った。
「黒いセーラー服――……あいつが言ってたな、支給品なんだっけ。
こんどカタログでも取り寄せてみよーかな。
読んでるだけでも楽しそうだし――」
漫ろ歩きながら、壁に描かれた落書きを、虚空を撫でる指でなぞっていく。
■ノーフェイス >
細い路地に歩いているだけで、その身には無数の視線が注がれる。
好奇、飢餓、嫌悪、辟易、どちらかといえば負の要素に傾いた属性が多い。
この島のどこにいても他者の視線はそうかいくぐれるものでもないが、
こういう静かな場所ではなおさらだ――死にかけの痩せ犬か、息を潜めた猛獣かは判じられぬものの。
その中に。
"奇妙な視線"が混ざることがある。
そうした感覚に聡いものがたまに口にする怪談話のようなものだが、
女もごくたまにそうした感覚を、ともすれば幻覚と錯誤するほどに一瞬に感じ取ることがあった。
「―――ふふ」
勘違いかもしれないが、身近に感じている"なにか"。
薄暗がりの影のなかに潜むものたち。
どこぞの詩人がうそぶいたという。
事実などというものはこの世界には存在しない。在るのは解釈だけ――だなどと。
「どうかな――あの聖夜の直前にもそう。
ボクのファンの美少女かもしれないって思えば、いてもたってもいられないね」
そんなおりこうな言葉を、舌の上で転がすだけで満ち足りるなら、
最初から落第街など択ばずに表舞台で生きていただろう。
きっと、制服の袖に腕をとおしでもして。
赤い唇がふいに微笑んで、愉快そうに足取りが軽くなりかけた時、
「お……」
その落書きの一端に、指がとまった。
■ノーフェイス >
「郵便屋……」
落第街に潜む違反部活、"郵便屋"はどこにでもあらわれる。
AからBへの伝言を、あらゆる形で、確実に遂行してみせる物好きな連中。
もちろん有償で、遂行難易度に応じて切手代など目じゃないほどに値が張るが、
その正確性と隠密性はまさに影のインフラといえた。
「OK」
落書きに仕込まれた伝言を受け取ると、アウトドアバッグを足元に下ろす。
ジップを解き、そのなかに仕込まれていたスプレー塗料を取り出して、
カラカラと手元で振って撹拌する。
両手に互い違いの色を持ち、掌を軸に回転させ、腕を交差させて決めポーズ。キャッチ。
「ンじゃ、遊ばせてもらおっかな」
壁面に、新たな落書きが生まれる。
"黒く塗れ"と、古豪は謳った。
悲しみも苦しみも、塗りつぶしてしまえば痛くはなくなると。
極彩色の図柄を塗り込めて、埋み火のような欲望を隠していく。
女はなにかを探していた。
ご案内:「スラム」からノーフェイスさんが去りました。