2020/08/07 のログ
ご案内:「研究施設群 羽月研究所」に羽月 柊さんが現れました。
羽月 柊 >  
これは、羽月 柊が教師になる少し前のお話。


羽月研究所。
外観だけ見れば小さな植物園のようにも見える。
竜や龍、ドラゴンを研究している。

だが外観からはこの建物に竜がいるのは伺い知れない。
時折、中央のガラスドームの上部に、鳥のような生物が見えるだけ。
普段は柊と彼の"息子"によって、日々の業務が進んでいた。

――そんな研究所の日常に、今日から、新たに加わるのは。



「よく来たな。日下部。」

建物はガラスドームを中心に、前と左に平屋を構える。
その前部と外を繋ぐ扉が開くと、紫髪の男が出て来る。

玄関先、とある青年を柊は迎えた。

真夏の日差しが、彼が背負う白い翼に反射する。
その双眸が、この天を染める色のよう。

今日、青年は夏季休暇中のバイト先への初出勤の日であった。


「外は暑かっただろう。靴はそのまま、中へ入ってくれるか。」

事前に当日は作業のしやすい服で来るか、
持ってくるように連絡はしていた、青年はどうしただろうか。

一見して、現在では竜の姿は、
男といつも一緒にいる、白く小さな飛竜のセイルとフェリアしか見当たらない。

ご案内:「研究施設群 羽月研究所」に日下部 理沙さんが現れました。
日下部 理沙 >  
「はい! 羽月先生、よろしくお願いします……!」

普段より緊張した面持ちで、大袈裟に頭を下げるのはバイトの日下部理沙。額に浮かぶ汗は高い気温ばかりが理由ではない。
ラフながらも一応は作業着。首にはタオル。汚れても良い格好で現れ、両手には軍手をはめている。
羽月研究所でどんな研究をしているかは、理沙も簡単な概要程度は知っている。
そのため、大勢の竜種に迎えられることも覚悟していたのだが……目に付くのはいつも羽月が連れている小型の竜種二体だけだ。
若干肩の力を抜きつつ、羽月の勧めに従って施設に足を踏み入れる。

「そ、それでは……失礼します」

軽くタオルで汗を拭いながら入っていく。
羽月は理沙にとって、憧れの先行異邦研究者でもある。
竜種の研究をする以上、そちらの造詣も当然理沙よりも深い。
理沙は緊張と期待を心中で綯交ぜにしながら、羽月の後に続く。

羽月 柊 >  
「ああ、よろしく頼む。まずは施設の説明していこう。」

前部平屋に入ると、いくつか部屋の扉が見える。
柊は理沙の前を歩いていく。
それの一つの前で止まり、白衣のポケットから鍵を一つ出す。

「今俺たちが居るのは、客人用の区画。
 ここに竜は基本的に居ない。
 彼らから離れて休憩したければこちらに来ると良い。
 
 それから、空き部屋を一つ片づけた。
 今後は荷物や貴重品の保管、着替えが必要な時はこの部屋を使ってくれ。」

そう言って理沙に鍵を渡しつつ、扉を開ける。
中には簡素にテーブルと椅子、ソファが置かれている。
家具は少し年季が入っていて、何かが引っ掻いた痕や小さな歯型も見えた。

昔使っていたモノだから古くて悪いな、と、声をかけながら。


「給金の支払いは基本的に現金だ。
 口座があるならそちらに、手渡しが希望ならそうする。

 魔法素材も考えたが、素材を持つのはリスクの高さをまず理解せねばならないからな。」

日下部 理沙 >  
「あ、はい、わかりまし……す、すいません、メモとります」

家具の歯型に視線を向けつつ鍵を受け取りながら、客人区画、休憩、着替えなどと細かくメモを取って行く。
理沙は物覚えが悪い自覚がある。
そのため、何かにつけてメモを取る習慣があった。
翼を控えめに引っ込ませながら、細々とメモの書き込みを増やしていく。

「そ、そうですね……実際、現金振り込みだとありがたいです。
 魔法の品々はまぁ、俺も……上手く扱える自信はないので」

若干目を逸らしながら、冷や汗を拭う。
大昔に実験室で『やらかした事』があるので、理沙はその辺り慎重だった。
臆病と言い換えてもいい。

「多分、大丈夫です……えと、そろそろ、実作業でしょうか?」

メモから一度ペンを離しながら、羽月に問う。

羽月 柊 >  
「ああ、実作業は今日の最後に時間が余ったら、
 少し給餌を手伝ってもらおう。」

今日は基本的に説明と正式な契約に当てるつもりをしていた。
理沙の緊張の様子では、実作業にまで手を出せば疲れ果てるだろうかとも、男は考えていた。


部屋に荷物を置いてもらい、その部屋を出て鍵がかかったのを確認する。
その後、客人区画の奥へ行き、最奥の扉の前で止まる。

そして一歩引くと、理沙に扉が見えやすいように。

その扉にも鍵穴がある。他の扉より鍵穴の数が多い。

「日下部、君がこの扉の"鍵穴を指で円を描くようになぞってみてくれるか"。
 軍手越しで構わない。」


理沙が言われた通りにすれば、鍵の外れる音がするだろう。

この鍵穴は、実物の鍵は存在しない。
魔法で施錠されており、登録された生体に対して反応するように仕組まれている。

もちろん、魔術に心得があれば強引に破ることも可能ではあるが、
多重に、厳重に施錠されている。

日下部 理沙 >  
「……?! す、すごい……軍手越しでも作動するなんて」

言われたとおりに開錠しながら、感嘆の声をあげる理沙。
この手の魔法鍵は理沙も見た事はあるが、理沙が知っているものは素手でなければ反応しなかった。
生体反応方式で物理的阻害をモノともしないのは、理沙の常識からすると高等な代物だ。
科学的な指紋認証や接触認証の類いだって、だいたいは当然素手でなければ動かない。
眼鏡を掛け直しながら、じろじろと思わず眺めてしまう。
滅茶苦茶に目が輝いている。
羽月の懸念通り、理沙の緊張と好奇心は極限近くまで高まっていた。
羽月への返事も忘れて、じっくりと鍵を見ている。
微かに翼もはためいていた。

羽月 柊 >  
「よし…事前に登録しておいたが、生体鍵は問題無いな。
 扱っているモノがモノだから、セキュリティには気を使っていてな…。」
 
やはり竜種というのは高価なモノだ。
扉を開けてすぐに竜と対面出来ないのはそういうことである。
客人区画はある意味、その部分そのものがセキュリティの一つなのだ。


最奥の部屋に入ると、中には壁に大きな鏡がぽつんと一つだけ、あった。

「こちらの登録も済ませている。日下部、ついて来ると良い。」

そう言いながら、男が鏡に触れると、
手は鏡面にぶつかる事なく、そのまま"奥へとすり抜けた"。

水へと潜るように、するりと男の姿は鏡の中へ消える。


――理沙が後を追って鏡をくぐれば、そこには、

長い廊下が見え、視線を落とせば、
足元には大きくても大型犬ほどの小竜たちが出迎えてくれていた。

兎のような足で二足歩行し、角を持つ竜
四足で鎧のような鱗を持つ竜
セイルやフェリアのような飛竜
どういう原理か、空中を這うように飛ぶ蛇のような竜
過去に存在した恐竜種の発展型のような竜

他にも様々な種類がいた。

これが、羽月研究所で飼育する竜たちであり、
羽月 柊の"研究成果"たちである。


小竜たちは、子供のように好奇心旺盛に理沙を見ると、
一匹また一匹と周りに集まり、賑やかに集り始める。


先に入った男はといえば、小竜たちを相手にすると、普段とはうって変わり、
柔らかい表情を浮かべていた。

「ただいま、カラスを呼んできてくれるか?」

そう一匹に声をかけ、とてとてと小竜の一匹が奥へと駆けていく。

日下部 理沙 >  
「鏡面扉……!? 
 これもまた、すご……!?
 え、あ、う、うわぁああぁああ!?」

扉を潜るなり、小竜の群れに集られ、あっという間に壁際に追い込まれる理沙。
背中の翼の羽根を撒き散らしながら座り込み、小竜達からの歓迎の洗礼を受ける。
かなり大袈裟だが、理沙は子犬の群れに集られた時もこうなったので、平常運行である。

「あ、あはははは!!! く、くすぐった……くすぐったいですよ!!
 いや、俺はだから玩具じゃ……え、この種はまさか希少種の……いだだだだ!」

翼に噛み付かれる理沙。
恐らく甘噛みなのだろうが、奇襲を喰らえば理沙も当然驚く。
まぁ、今はどの小竜に何をされたところで奇襲同然なのだが。

「御飯とかは持ってませんよ!
 すいません、あとで先生が多分何かくれますから!!
 あ、でも俺も今後はあげることに……ひゃあああ!!
 だ、だからくすぐった……!!」

羽月柊の研究成果は、日下部理沙にはあらゆる意味で効果覿面のようだった。

羽月 柊 >  
「こら、お前たち。
 その翼はカラスと同じで神経が通ってるんだから、乱暴にしてやるなよ。」

普段仏頂面で淡々と話す柊だが、
理沙が小竜たちに遊ばれているのを見ると、ふと口角を上げる。

青年が見たことの無い表情の柊が、そこにいた。


小竜たちは男の言葉が分かっているようで、そうすると噛みつくのも緩くなるだろう。
いやそれでもめっちゃ集られているけれども。

分かるだろうか、男が普段くたびれた白衣を着ている意味が。
家の中では常時こんな様子なのだから、どんなに新品の服を着たって無駄なのである。

カラス >  
少しすると、小竜の一匹と共に、理沙の翼とよく似た羽音が戻って来た。

「"お父さん"、呼びまし……あ、えっと………、はじめまして……。」

呼ばれて来たのは、理沙の真っ白な翼とは真逆。

黒い髪、赤い瞳。
人間にとって耳がある部分からは羽根の束、
いわゆる腰翼と呼ばれる位置から"黒い"翼の生えていた。
そして、首元には、大きな黒い首輪。

しかし鳥人のようにも見えるのに、
足は異質に鮮やかな緑色の鱗と、鋭い爪を持つ。

少しおどおどとしながら頭を下げる、理沙よりも年下の青年。

「お話は、お聞きしてます。日下部さん…でした、よね?
 俺は、カラスと、"呼ばれています"…。」

羽月 柊 >  
「日下部。"息子"だ。」

男はそう話した。
まるで似ていないカラスを、"息子"だと紹介するだろう。

日下部 理沙 >  
「え、あ……はい、どうも、初めまして……日下部理沙です」

小竜に相変わらず群がられ、髪も乱れて眼鏡もずり落ちさせながら、そう理沙は挨拶をする。
今まで見た事もない笑みを浮かべる羽月と、理沙と違って真っ黒な翼を持つカラスと呼ばれた少年。
黒髪、赤瞳、それに理沙と違って腰にある翼。
側頭部に生えた羽根、鱗と鋭い爪。
……おそらくは、異邦人。
それで……『息子』?

思うところは山ほどあるが、ずけずけ聞くほど理沙は非常識でも無ければ度胸もない。
一先ず、小竜を一匹一匹体から降ろしたり引き離したりしながら立ち上がり、軽く髪を整えてから、改めて頭を下げる。

「今日から、ここでアルバイトをさせていただきます。
 短い期間ですが……よろしくおねがいします!」

それでも、足元はまだ小竜に群がられていた。
舐められてるのかもしれない。
理沙は良く犬猫などからも舐められる。

羽月 柊 >  
「カラスは合成獣、キメラで、この施設で俺以外唯一の人型だ。」

男は当たり前のように説明した。どうせ隠していたってバレる。
なんだったら、魔術学会からは『不安定な合成獣を養育している』と煙たがられていたりする。

…これまで、男は他の従業員を雇うことはなかった。
その理由が、竜の飼育はもちろんではあるが、この"息子"の存在もそうである。

男が己の物語を誇れない理由のひとつでもある。

息子の前ではおくびにも出さないが、後ろ暗い理由がある。
他人に後ろ指をさされても、反論できないものが。

カラス >  
「…よろしく、お願いします。
 俺は、お父さんのお手伝いと、家事を主にしています。
 一応、その…わからないことがあれば、ある程度は、答えられます。」

理沙の夏季休暇中のバイトは、ある意味カラスの対人練習も兼ねていた。
これまで客人対応をしてもらうことは何度かあったが、
仕事仲間として新しく人を受け入れるのは初めてなのだ。

経過観察の必要はある。

小竜の一匹を抱えたカラスは、話しながら耳羽根をぴこりと動かした。 

日下部 理沙 >  
「二人だけで……やってたんですか」

キメラという単語にも当然驚きはしたが、それ以上に驚いたことはそちらだった。
これだけの施設を二人だけで……いや、ある程度の自動化は勿論しているのだろうが、それだって研究資料として生体を扱っている以上、それに必要な労力は想像するだけでも眩暈がする。
しかし、キメラ……それも人型である。一部の人間の倫理観を刺激する存在であることは理沙にもわかる。
羽月が『他人様に言えない事』を色々していることは無論……路地裏での一見から色々察してはいるが、それでも、羽月自身の善性については、理沙は一片の疑いも持っていない。
だからこそ、理沙はにっこりと笑って。

「はい、よろしくお願いします、カラス君。
 多分、仕事では滅茶苦茶足を引っ張ると思いますが……色々教えて頂けると幸いです。
 俺、物覚え悪いですから」

そう、右手を伸ばした。
一応、軍手は外しておく。

羽月 柊 >  
「まぁ、今まではギリギリ…な。
 この子たちも毎日給餌が必要な個体は少ないからな…。」

正直、息子と上手くやっていけるなら、夏季休暇中と言わず今後もお願いしたいぐらいだ。

小竜たちは養育上、爬虫類と通じる面が多い部分はある。
爬虫類は蛇を含めて餌が一週間に一回などのモノもいるのだ。
給餌の曜日を決めて管理し、給餌の無い日に健康診断や、
柊自身の外回りの仕事、ペット事業の営業、
はたまた、理沙が以前見た裏の顔……実に多忙な生活を送っている。

逆を言えば、多忙だからこそ……男はこれまで、色々なことから目を背けて来た。

カラス >  
カラスが学園に通ってはいるが、あまり外にも出ず進学の単位を取得しきれないのは、
存在の不安定さももちろんだが、この業務の多忙さも一部ある。
 
右手を出されると耳羽根が跳ねた。
抱えていた小竜を下ろし、おずおずと近づいて、
爪の長い手で傷つけないように気を付けながら両手で握手を返した。

「…はい、よろしく、お願いします。」

近付けば、鋭い牙と、首元の首輪が良く目立った。

特にカラスへの問い等が無ければ、彼は奥に戻っていくだろう。

日下部 理沙 >  
「はい、よろしくお願いします。
 それじゃあ、また現場で」

最後まで務めて笑顔で見送って、羽月と二人になってから……小竜に囲まれたまま、難しい顔をする。
そりゃあ、ギリギリもギリギリだろう。
給餌云々を抜きにしても、環境維持だけでも掛かるであろう労力は計り知れない。
それをたった二人でやってきたのだ、驚異的の一言に尽きる。
だが、それ以上に。

「……羽月先生、俺、頑張ります」

恐らくあるであろう、羽月からの信頼が……理沙は嬉しかった。
無理を推しても二人でやる必要がある場所に、理沙を招いてくれたのだ。
それは……羽月からの大きな信頼と信用の証であると、理沙は思った。
それには勿論……理沙もこたえたい。

羽月 柊 >  
「…ありがとう。無理をしない範囲でがんばってくれ。」

カラスが行ってしまうと、小竜に囲まれながら、
理沙と共に廊下を歩き出す。

無理をしている男が無理をするなというのもいえた義理ではないが。


確かに男は理沙を信頼していた。
もう一度、他人を損得抜きに信じてみようと、山本英治に出逢い思い出し、
『トゥルーバイツ』たちと対面し、ヨキに背中を押され、
また様々な出逢いが、理沙をここに呼んだのだ。

多くの事に悩みながらも、藻掻く彼に、かつての自分を見ながら。

廊下の途中、ガラスドームへの扉は向こう側が見える。
扉の横には小竜用だろう小さな通路がある。猫通路みたいな感じで。

中は外面からも植物園のようだったが、内面は自然の一部を切り取ったような所だった。
疑似的に再現された川、草原、小さな森、岩場……そういった所で、
カラスが多くの小竜たちの世話をしたり、戯れたりしている。

把握できるだけで二十にギリ届かない程度の頭数だろうか。
小さいとはいえ、それでも十分、数は多い。

そんな扉を通り過ぎ、奥のひとつ扉の前で止まる。

「中央のドームは主に竜たちの寝床と生活圏。
 まぁ、客人区画以外は結構自由に出入りしているがな。
 
 他の扉は俺やカラス…まぁ、人型の生活する場だな。」


その扉の前に来ると、あれだけ集っていた小竜たちが、
セイルとフェリアを残し、蜘蛛の子を散らすように理沙と柊から離れていく。

そうして、その部屋の中へ入ると、
そこは中央に大きなテーブルがあり、壁には机のある一画を除いて一面に本棚が広がっていた。

少々散らかっていて、あちこちに乱雑に本が積まれている所もある。
…本は、異世界、魔術資料、そして、魔導書の類。

日下部 理沙 >  
一つ一つに頷きながら、メモを取って行く。
自然環境を見事に再現した人工の園。
そこで小竜の世話をするカラスを横目に見ながらも、羽月についていく。

「ここは……?」

足元の小竜を踏まないように気を付けながら歩いていたが……その扉の前で突然いなくなった。
思わず小首を傾げるが、そんな理沙の疑問は……眼前に広がる『それ』をみて、即座に氷解した。

「……な、なるほど、すごい書斎ですね……!」

思わず、声だけでなく身体も震える。
その書斎の価値が丸きりわからない理沙ではない。
思わず、固唾を呑んだ。

羽月 柊 >  
小竜たちは、確かに子供らしい行動が多いとはいえ、
知能をきちんと持っており、近づいてはいけない場所を把握している。

そして、それでもなお共についてくるセイルとフェリアだけは、
男にとって特別な竜たちである証明でもあった。

「あぁ、見ての通り書斎だ。
 君が必要なら、"休憩時間や休日に読みに来ても構わない"。
 
 ただ、君も魔術を扱うなら分かるだろうが、
 一部の魔導書は危険なモノもある。
 札や留めてあるモノといった、『封じてある本』が読みたい時は"俺に聞いてからにしてくれ"。」

理沙ならまぁ、読んで読みっぱなしという粗雑な扱いはしないだろうと思っている。
学園の図書館で読めるモノも多いが、中には封じてある禁書本の写しなどもあるはずだ。

逆を言えば図書館の雑多な中から、異世界と魔術に範囲を絞って、
男の趣向で選びここに置かれていると言っても良い。


そう話しながら、理沙を中へ招き、扉を閉める。
男は奥へ進み、積まれた魔導書の一冊を手にしながら、近くの壁をノックするように叩く。
すると壁が開いた。隠し金庫なのだろう、中から血のような赤い液体が入った小瓶を取り出す。

それと同時に、机の上にある箱から、小さな珠と、金属のキューブを取って戻って来た。

日下部 理沙 >  
「!? ほ、ほんとうですか!?」

それもまた、理沙からすれば目が飛び出るような提案であった。
読みに来ていい。それだけだって、給料分かそれ以上の価値があるといえる。
此処にある物は羽月の感性で選ばれたものだ。
つまりは……先行研究者が既に厳選を済ませた書物ともいえる。
その価値は文字通り計り知れない。
理沙からすれば、宝の山も同然だ。

「え、あ、どちらへ……え、それは?」

今度はまた、理沙からすると何なのかよくわからないものが出てきた。
余りに高度が過ぎる物品の正体は、理沙の知識では知れない。

羽月 柊 >  
「あぁ、読んだらきちんと片づけてくれるならば、な。」  
 
特に魔術についての傾向は理沙の理解しやすい範囲かもしれない。
男は元々"無能力"故、魔術について基礎から高度まで揃えている。
いかに上手く魔力を扱うか等の本もある。

以前飛行魔術に悩んでいた理沙を考えての行動だが、
反応を見る限り、良い提案であったと内心安堵した男だった。


「日下部、この珠を一度、素手で軽く握ってみてくれるか。」

次にそういって、男は小さな灰色の珠を理沙に渡した。

言われた通りにすれば、それは青く染まるだろう。
理沙の変異した瞳と同じ、青色に。
手を広げれば、色の変わった珠は宙に浮く。

その間に、テーブルの上を軽く片付け、
中央に金属のキューブを置く。


「……これから、君の仕事道具を創る。」

男は、そう告げた。

日下部 理沙 >  
「は、はい!」

言われた通り、灰色の珠を軽く握る理沙。
鮮やかな青に染まり、宙に浮いたそれを見ながら、理沙は小首を傾げる。

「仕事道具……ですか?」

まるで想像が形にならない。
さながら、丸太を前にした名工に「これから家具を作る」とでも言われたような気分だ。
漠然とした想像くらいはできるが、具体的にどんな工程を踏んで何になるかといわれたら、まるでわからないのだ。

理沙はただ羽月の行いを見守る。

羽月 柊 >  
『――大樹の葉』

理沙の見守る中、男は言霊を告げる。
魔力感知の出来る青年ならば分かるだろう、
セイルとフェリアが持つ魔力を精密に借り受け、柊は言霊という音に寄り、奇跡を顕現する。

以前、金龍に行ったモノと同じ行為だが…少し、様子が違う。

どこからともなく金色の切っ先を持つ羽根ペンが現れ、
小瓶の蓋が開き、僅かに血の匂いをさせながら、中身の赤い液体をインク代わりに、
空中に文字が綴られていく。

『菊の結び目、我らの音を紡いでおくれ。』

これは柊の魔術の中でも、かなり大規模なモノ。
男にも負担は大きい。

『空と大地は現と夢を繋ぎ、祝いと呪いの円環より、世界の揺り籠に寄り添う。』

金属のキューブは水銀のように溶けて真空中の液体のように浮遊し、形を変え、円へと成る。
理沙の握り込んだ青い珠は、それにはめ込まれ指輪が出来上がっていく。

『…願わくば、奇跡の薔薇の口付けがありますように。』

赤い文字は小さく細く環を描き、指輪を一周するように重なれば、
男が普段持ち歩いている、術式の書き込まれた装飾品と同じモノが出来上がる。

言霊は金龍の時とは少し違った。
それは、青年に対する言霊だ。

出来上がった指輪を手にして、理沙の方へ向き直る。

日下部 理沙 >  
「せ、先生、それは……!」

幾重もの呪文と、飛竜から魔力補助を受けた上で作り出した物品。
傍目にも、それがいかに大きな労力を支払ったものであるかは良く分かる。
理沙は目を白黒させながら、出来上がった指輪と羽月の顔を交互に見る。

羽月 柊 >  
「君の仕事道具、竜語の翻訳機だ。
 左手人差し指にはめると良い。」

そういって指輪を躊躇なく青年に差し出すだろう。

左手人差し指の指輪の意味は、装着したモノの


 精神力を高め、

 積極性を引き出し、

 進むべき方向を指し示す。


「基本的には、研究所内での使用に留めて欲しい。
 もしやむを得ない理由があって、外に持ち出して使用する場合は報告してくれ。」

大規模な魔術行使の疲弊を僅かに浮かべながら、
それでも男は近い存在となった理沙に対して、普段よりも柔らかい表情をしている。

日下部 理沙 >  
「わ、わかりました……ありがとうございます」

早速装着してみると……確かに、何かしらの暗示のようなものを感じる。
若干の万能感すら感じられるほどだ。
理沙が過剰に影響を受け過ぎているだけかもしれないが……なるほど、確かにこれは外に出せない代物だ。
理沙は承知して、しっかりと頷いた。

「これはまぁ、俺も……此処でだけ使いますね」

苦笑いを浮かべる。
実際、竜の言葉の翻訳があくまで目的なら、外では基本的に必要ないものだ。

羽月 柊 >  
『――ュウは身内トなるト、結構無理スるよネ。』

指輪を装着すれば、セイルの方がちょうど鳴いており、
途中で言語が切り替わって翻訳されて聞こえるようになる。

『まァ、シュウに限っテ失敗は無イでしょうけれド、
 ちゃんト聞こエているかしラ? 日下部クン。』

フェリアの方も確かめるように、理沙へと話しかける。

小さい身体をしているのに、言葉はしっかりとしている。
印象としては羽月と変わらないぐらいの大人と話しているような。


言葉が通じるというのは、ヒトにとっては大事なことだ。


「竜語は基本体系が出来上がっている分、こういった翻訳がしやすい。
 カラスも基本的に彼らと会話は成り立っているから、
 仕事上、あった方が君も苦労は減るだろう。」

万能の翻訳機ではない。
そういったモノは流石に男も作れない。

日下部 理沙 >  
「え、あ、はい、聞こえます……!
 あ、えと、いつもありがとうございます……喋るのは始めまして」

セイルとフェリアに改めて頭を下げる理沙。
小動物である以上、あってもそれこそ野鳥くらいの知性と思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
地球の動物の感覚で考えない方が良さそうだ。

「確かに……これほどのサイズの小竜さんでもこれだけ知性があるとなると、意思疎通の必要は確実にありますね」

成竜でなくても『これくらい』となると、喋れないのは確かに不便だ。
いや、しかし。

「……みんな、これくらいの知性があるって事ですか?」

理沙は素直な疑問を発した。

フェリア >  
『えエ、初めマしテ、日下部クン。
 
 他の皆は私たちマデ知能は無いわネ。
 せいぜイ、大きクてモ貴方グらイかしラ。』

フェリアが答える。口調としてはどうやら女性寄り。
指輪の稼働調査を兼ねているのか、柊は黙って会話を聞いている。

『私とセイルハ、シュウに大幅ニ改造されテいるノ。
 人間とそう変わらなイグらいニはね。
 彼の護衛ヲ務めル上で、必要なことだかラ。』

セイル >  
『僕ラ双子は、これデモ成体なんダ。』

今度はセイルが口を開く。

『シュウは皆を小サくして管理シてる。
 僕たチも含めて、シュウは体格ヲ成長させナいよう、育てテる。
 少しデモ多く、僕ラを育てル為にネ。』

こちらはどうやら男性寄り。

施設内に小さな竜ばかりだったことの答えである。
小竜というのは確かに幼体もいるが、成体も混ざっている。

日下部 理沙 >  
「小さく……?」

理沙はそこで眉を顰める。
彼等の言っている事の意味を全て理解したとは言い難い。
言葉が分からないわけではない、その問題は既に解消されている。
わからないのは。

「えと、それって……本来の成長をさせてないってことですよね?」

その言葉が意味する……正確な仔細。

もし言葉通り、額面通りだとするなら……それは無理に骨格の成長を制御しているのと同義だ。
中国の纏足や、アフリカの首長族などと似ている。
だが、それはどちらも現代の基準で照らし合わせれば基本的には虐待だ。
纏足に至っては明白に自由を奪う事を目的で行われていた。

……とはいえ、品種改良やら剪定やらは人間は普通に動物に行っている。
コーギー犬なども尻尾を切り落としていることが多い。
だが、それは……傲慢な言い方をするなら、彼等の尊厳を認めていないからだ。
人間は動植物に尊厳を認めない。
だからこそ、「可愛」がり、「管理」し、「教育」をする。

同等の知性も尊厳も認めないから。
だが、しかし、彼等は……?

「……」

理沙は、難しい顔をする。

羽月 柊 >  
「…まぁ、そうなるな。」

言葉が通じていることを確認すると、柊が口を開く。

異世界に組する側からすれば、失礼にあたる行為。
以前シュルヴェステルにも批判された覚えがある。

ドーベルマンの耳を削いで立たせることだって、今でも行われている。
動植物を掛け合わせて新しい種を産み出したりもしている。


「日下部、俺の事業は竜の小型化、ペット化だ。
 ペット化と言っても、信頼のある知人に預けて共同管理しているようなだけだが。
 定期診断に訪問も欠かしていない。正直これ以上預け先を増やす予定もない。
 これ以上は定期診断も回りきれないからな…。

 ただ一つ、成長阻害への批判に反論するなら、彼らは全員"親なし"だ。

 親竜を狩られた、あるいは育児放棄された、
 あるいは《門》から、卵や幼体だけこちら側へ流れ着いた。

 俺はそういった子らを、裏取引から出来得る限り引き上げて、こうして事業と研究をしている。
 裏取引で扱われる彼らが、最終的にどうなるか……素材として搾取消費されるのみだ。」

保健所から犬猫を引き取って育てることと似たようなこと。
それだって実際は選別して引き取られる。例えそれが―――。

「……こんな偽善は嫌か? 日下部。」

明確な偽善による行為だとしても。

……拒否されれば、今まで通りに戻るだけだが。

日下部 理沙 >  
「偽善とは思いません」

そう、理沙はハッキリと告げた。
顔を上げて、羽月の目を見ながら。
それでも、少しだけ考える。

実際、これは動植物に関して人間が行う事として、何も不思議な事ではない。
当然の処置ともいえる。
ペットとして、愛玩動物として世界に溶け込ませるなら、爪を削ぎ、牙を抜き、丁寧に膂力を落とすのは……歴史的にずっと行われてきたことだ。
伝統的といってすらいい。
植物ですら、人間に育てられることを前提に進化したものすらある。
それらを促すことは、偽善か?
いや、良い悪いですらない。

「……『仕方ない事』と思います」

そう、それは……本来、人間社会にないものを人間社会に取り入れるための洗礼。
それは、人間側の身勝手だ。相手にとっては良いも悪いもないはず。
ただただ、『身勝手な事をされた』……それ以上でもそれ以下でもないだろう。
だが、それもまた……相手が動植物ならの話だ。
対話不能の存在であるならの話だ。
しかし、彼等は……竜は違うらしい。

「正直にいえば、搾取に違いはないと思います。
 命を搾取するか、誇りを搾取するか、その違いでしかありません。
 ですが……」

理沙は、一度眼鏡を掛け直してから。

「……『彼ら』は、自らがペット化される道に同意をしたのでしょう?」

そう、問うた。

「対話出来る以上、同意確認が取れるはずです。
 それで十分な知識を与えた上で、知性ある存在に同意を取ったのなら……俺が何か言うのはそれこそ僭越です」

自らの意志で愛玩動物になる事を選んだのなら、それは相手が人間でも……傍が何か言うのは失礼な事だ。
失礼を承知でそれでも何か言うべきという時は無論ある。
だが、今回は……『生きる為』といわれてしまえば、咄嗟の返答は難しい。
理沙には、そういう問題に思えた。

フェリア >  
動植物、
あるいは虫の中でも、人間によってしか繁殖も出来ず、
飛ぶことも出来なくなってしまった蚕というものもいる。

『そうネ、少なくトモ、私タチ双子は、シュウと共に在れルことガ誇りだワ。
 彼を護り、共に戦エることがネ。

 ペットとシてお世話にナってイる子だっテ、
 何度も何度モ引き取リ先と相性ヲ見て、互いニ話しあっテ、決めタことヨ。』

男が口を開く前に、フェリアが被せるように答えた。

『確かニ、私たチには選択肢は少なかっタわ。
 シュウも、選択肢がほとんド、なかっタ。
 …彼が独リで抱え込ム癖だっテ、そウダもノ。

 このヒトが過去を語ルかどうかは任せル、けれドネ。
 それデモ、シュウは、私たチにいつダッテ真剣だっタわ。
 私たちが痛い思イや、辛い思イをしないよウ、いつだっテ駆けまワってくれたワ。
 そうジャなかったラわざわザ危険を犯しテまで、裏取引すル必要があるノ?

 私たチは鱗の一枚、血ノ一滴だって、無理に取られタ子は居なイ。
 こコの皆がシュウに怯えテないのは、カラスを含メて、分かるデしょう?』

羽月 柊 >  
「…フェリア。
 俺が後ろ指を刺されても仕方の無いことをしているのは分かっている。
 人間の自己満足のエゴで、種を保全している。それは間違いない。
 君が偽善と思わなくとも、これは恐らくは偽善だ。」

自分は罪人には違いないのだろう。
命を冒涜している魔術師で、研究者だ。

過去の過ちから、喪失から、何もかもを独りで抱え込んだ男は言葉を紡ぐ。


「何もしないよりはマシだと、そう思ってはいる。

 本当にただペットにするだけなら、言葉を解さなくて良い。
 知能を上げる必要もない。…あぁ、確かだ。
 犬猫の…3歳児程度の知能なら、遥かに扱いやすい。
 そういう業者だって、この世にはもちろんいる。」

以前、異邦人の青年に尋ねられたモノだ。
『異邦の竜種が柊の存在を恐れ、怯えることになっても。
 この世界を嫌うことになったとしても。その利己を貫くつもりか』と。

生きとし生けるモノ、全てがハッピーエンドなんていうのはあり得ない。
そんなことが実現するのは、己の箱庭の中だけだ。
それでも、男は対話を続ける。

「……俺は、対話を捨てたとき、悪い事が起きると思っている。
 セイルとフェリアには俺達大人と変わらない知能がある。
 他の小竜たちは、個体差はあれど物心つく程度の判別は……ある。」

日下部 理沙 >  
「……なら、それこそ、『当事者同士』の『話し合い』で決めた事。
 周囲がどうこう言う事でもないと思います。
 誰かのために、望んで命を絶つ人もいる世界です。
 なら、『お互い合意の上』で『それを行っていて』……尚且つ周囲にも迷惑が掛からないのなら、他人が何か言う事自体が礼を失する行いです」

無論、動物愛護問題などはそれ自体が周囲に影響を波及させることもある。
羽月のこれも明るみに出ればそうなりかねない。
だからこそ、彼は隠して研究している側面もあるのだろう。
実際、大っぴらに『道義的』という事は出来ない。
無理に知性を与えることも、奪うことも、それは与奪の権利を持つ側の都合だ。

故にこそ、理沙は羽月の行いを善悪で捉えようとは思わなかった。
それ以前の問題だ。
偽善や偽悪ではない。
それこそ、エゴの問題だ。

「エゴで行う事……ですが、竜たちは過程はどうあれ了解をしているのでしょう?
 自立の誇りを持って死ぬよりも、愛玩による生を望んだ。
 ……他に選択肢がなかったとしても、その選択肢を準備したのは羽月先生じゃないですか。
 なら、『選べなかった』のが、例え二択でも『選べる』ようになった。
 それは……善悪なんて価値観を抜きにして、『意味はある』んじゃないでしょうか」
 
意味を与えた事自体が不幸であるという考え方もあるだろう。
実際、知らない事こそが最高の幸福であるという人もいる。
理沙もわからないでもない。
知らなければ良かったことはきっと一杯ある。
だが……それでも、理沙は『知らない幸福』より『知る不幸』の方が尊いと考える。
それこそ、全くのエゴで。

「選択は、尊いと俺は思います。
 例え……その選択の先の待遇が、実質的な奴隷と変わらないとしても」

愛玩用のペット。
それは、結局はそういうことになる。
所有物に『堕す』以上は、そういうことになる。
そこから、目を背けることはできない。

セイル >  
『卵かラだから、刷り込ミを言われルと痛イ問題デはあるんだけどネ。
 キミは誇りの搾取ダって言うけれド、愛玩にだっテ誇りはあるサ。
 犬が飼い主に付き従ウことヲ誇りに思うヨうにね。

 愛サれる玩具デあってモ、資格がナい所にシュウは僕たちヲほいほい渡しタりしないからネ
 人間だっテ、親の居ないコを集めテ育てルだろう? それと一緒サ。

 僕ラは生まれテからずっと、シュウを見てキた。"彼の最も大きナ喪失を目にシた"。
 自立を選ンだ子が適性区域ニ放たレてすぐに狩らレタ報を聞いテ、哀しムのだっテ見た。
 手を伸ばそウとしテ、目の前で狩らレたのも居た。
 この間ノ"人命救助"だッテ、シュウはたくサン取りこぼした。』

大きな喪失というのに、柊が眉を顰めた。

今まで無理をして息子と二人で事業を続けて来た。
理沙にバイトの事を話すのも、おそらく何度か躊躇したのだろう。
己の物語を誇れない男が、それでも必死になって、
人命救助に駆け回った原動が、そこにあった。

そうして、彼が拾い上げたいくつもの命が、ここにあった。

男自身が心が死んでも生きる道を選ぶことをしたように、
彼と共に生きる竜たちは、生きる選択をしたのだ。

羽月 柊 >  
そして、最近になってようやく過去を強制的にだが見つめ、
眼を反らし続けて来た、『同じヒト』を見るように、『対話』するようになった。

――だから、男は、周回遅れでも走った。



「…、…お前達、喋りすぎだ…。
 ………まぁ、うちはそういう方針を取ってる。

 …それで、君はどうする。
 一応、ここが最後の辞め時ではある。」

セイルとフェリアの弁護に嘆息する。
普段ここまで喋る小竜たちではないのに、彼らはこうして自分を庇ってくれた。
己を飼い主ではなく、共に在る存在だとそう言ってくれるのが、内心嬉しかった。

研究所で働くことの魅力は多く提示はした。

しかし研究所の方針が気に喰わないというのなら、男は決して理沙を止めはしないだろう。

日下部 理沙 >  
「勿論、喜んで御仕事させて貰いますよ」

理沙は、それに関してはにっこりと微笑んで断言をした。
セイルとフェリアにも、当然、微笑みながら頷く。
当然、その喪失の大半を理沙は知らない。
悲劇も目で見たわけではない。
それでも。

「羽月先生が善人であることを、俺は疑っていませんから」

そこには、一片の疑いもない。
彼は優しい男だ。
優しいからこそ、自らの中にある矛盾にも目を背けられない。
優しいからこそ、いくら竜達に弁護されても自らの行いを『偽善』と断じる。
彼自身もきっと、苦渋の選択なのだ。
苦悩と懊悩の果てに選んだ答え。
それに対して、当然理沙も思うところがないわけじゃない。
価値観の致命的な掛け違いがどこかにあるかもしれない。
だけど。

「むしろ、書かなきゃいけないレポートが増えましたよ」

理沙は、それを不幸とは思わない。
断絶とも思わない。
むしろ、やっと。

「羽月先生、セイルさんやフェリアさんが此処まで喋れるんだから、『二人』にも協力してもらいましょうよ」

やっと……ここまで来たのだ。
お互いに、それを語り合える関係にまで。
お互いに、そこまで踏み込める距離にまで。

ならば、此処からは。

「『異邦人としての竜の権利について』」

共に悩めばいい。共に考えればいい。
理沙は、そう思った。

「それはきっと……今の常世島に必要なレポートの筈です。そう思いませんか?」

羽月 柊 >  
双子の竜は、レポートの内容を聞くと、きょとんと小さな目を瞬かせたのち、
キャッキャと可愛らしい笑い声をあげた。

『シュウ、この子やり手ネ?
 アナタの方が丸めこマれないかしラ?』

『あァ、キミにぴっタりの"弟子"だヨ。シュウ。
 こコまで聞いテこんなこトを言えル子は、そう居ナいよ。』

空中でくるりくるりと回転する。
長い尾が動きに追従して円を描いた。

「……お前たち、からかわないでくれ……。俺は弟子を取れるような偉人じゃあない…。
 善人と言われると正直否定したい気持ちだからな…。
 それにあまり俺の事業は公にはしたくない…が、まぁ、竜の問題は確かに複雑な項目ではある。

 ユニコーンやらと同列で、昔から魔法素材として高価な品扱いされて来た…。
 正直、俺も彼らの世話をした時の落鱗や生え変わりの角、
 健康診断の時の採血で生計を立てているからな…。」

ほぼ自然に取れる素材を利用している。
だからこそ、彼らは言うのだ、『無理に素材を取っていない』と。

誤魔化すように咳払いを一つする。
全くもって調子が乱れる…。


「…とりあえず、だ。
 改めて……羽月研究所所長として、君を歓迎しよう。

 ようこそ、日下部 理沙。」

日下部 理沙 >  
「はい! 改めて……よろしくお願いします、羽月先生!」

理沙の方から右手を差し出して、そう笑う。
双子の竜に合わせるように。
そうだ、此処まで喋れて、しかも……少なくとも羽月の元に残っている竜達は、彼との共生を望んでいる。
それは目に見えて明らかだ。
なら、これは……するべきことなのだ。
 
「ならばこそ、声を上げる時ですよ。
 これは……立派な異邦人問題です。
 それも、恐らくはもう少し緩和が可能な問題だと思います。
 対話が出来て、概ね同等の価値観での共生の意志がある知性体。
 少なくとも、セイルさんとフェリアさんはそうでしょう?」

二体の竜を見ながら、理沙は笑う。
そう、二匹などではない。二体だ。
二人といってもいいかもしれない。
だが、人として扱うのも上から目線の不遜な話だ。
だからこそ。

「知性ある竜への市民権の発布は、然るべきレポートを提出すれば早期に実現できるはずです。
 人に変化できる竜はそういうの普通に持ってるっていうじゃないですか。
 ならきっと、大丈夫ですよ」

理沙は力強く頷いた。
ダメであって溜まるものか。
それでは道理が通らない。

「今からでも、きっと間に合う話です」

理沙は、それを疑わない。

羽月 柊 >  
「あぁ、よろしく頼む。

 まぁ、本来は異邦人問題の一なんだが………。
 竜は扱いが難しいんだ。色々な観点で特別視が過ぎてな。
 特に君のよく知っている偏屈共がな。」

差し出された右手に、柊は握手を返す。
また、小竜たちも交互に手に留まり、頬ずりをしてくれただろう。

とりあえず話が纏まり、書斎部屋を出ればまた小竜たちに囲まれる。
言葉が分かるようになれば、やはり彼らは柊に懐いているし、
無邪気な子も多いが、言う事は聞くし話も出来る子ばかりだった。

「どうしても人型でない種・共通の言葉を解せない種への当たりは難しい…。
 ……実現を夢見るのはいいが、足元を掬われないように気を付けた方が良い。」

人権問題というのはそういう所が厄介だ。
特に少数派における権利の主張というのは現代でも難しい。

「過去そう言った少数派権利の主張で、
 逆特権となってしまった例もいくつかあるからな…。」

シュウ難しイ話しテるーとか小竜に言われている…。


「あぁ、そういえば…うちには通常の客以外に、龍人が訪ねて来る場合もある。
 来客は基本的に小竜たちのいずれかが気付いて知らせてくれるから、
 カラスが居ない時は対応をお願いしたい所だな。
 お茶の淹れ方は今度教えよう。」

日下部 理沙 >  
「言葉が翻訳できて、尚且つ相手も共生の意志を示しているのなら、問題ないと思いますよ。
 人の姿を持たない異邦人は今でも多くいます。
 完全に獣型の異邦人もいるくらいなんですから、平気ですよ」

翻訳不能で、相手も共生の意志を持たないのならば、きっと難しい問題になるだろう。
だが、互いに歩み寄り、譲歩する意思が既にあるのなら、むしろ味方の方が多いはずだ。
反対意見は無論あって然るべきだが、異邦人街が既に存在する以上、強く物は言えまい。

「差し当たり、翻訳をもっと普及させれば多分大丈夫だと思います」

周囲の小竜の話を聞いて、理沙はむしろ確信する。
確かに常世島開闢当時であるなら、保守派の偏見が正道だったかもしれない。
だが、今の異邦人街や常世島の現状をみるに、むしろ弾圧の方がきっと問題視されるだろう。
既に世相は変わった。
彼等は……然るべき手続きを踏めば、きっと『市民』として認められる。

「あ、龍人の方もくるんですか!
 それは楽しみですね……御茶は完璧淹れられるように頑張ります!」

小さく拳を作る。

羽月 柊 >  
「気張りすぎないようにな。」

柔らかく笑みを浮かべた。

正当手段で育っていない分、市民と認められるにはやはり時間がかかるだろうとは踏んでいる。
一介の魔術師、それも無能力だった自分がやっている。
煙たがられて当然の行為が多いのだ。

だから、まぁ…男は生きているうちに拝めるか、という程度の淡い期待であった。


後の説明はせいぜい、竜素材の持ち出し禁止などだ。
そうして魔法書類による契約書にサインを終え、
時間が余っていれば、ガラスドーム部の案内説明や、水棲種も見れたことだろう。

もし理沙に体力が余っていれば、給餌の手伝いをさせてもらえたかもしれない。
食性ごとに分けてローテーションがあるなどの説明があっただろう。

そうして小竜たちにもみくちゃにされながら、
理沙のバイト初日は過ぎていくのである。

日下部 理沙 >  
「はい!!」

そう、元気よく返事をした理沙ではあったが、その後、メモを取りまくり、さらに給餌で小竜に群がられた上にからかわれ、挙句の果てに何もない場所ですっころんだ。
そんなこんなで、仕事が終わるころには完全にボロボロ。
最後の方は挨拶もそこそこに、ふらふらと家路につくという有様だったが。

「それじゃあ……皆さん、また、明日……」

それでも、最後まで……理沙は笑顔だった。
 

ご案内:「研究施設群 羽月研究所」から日下部 理沙さんが去りました。