2020/08/16 のログ
■日下部 理沙 >
最早、理沙は躊躇わず。
「羽月先生」
羽月の手を取る。
自分から手を伸ばし、半ば強引に……強張ったその手を握る。
「すいません……心身が弱っている今の羽月先生に言うべきことではないと俺も思います。
だから、すぐに返答と決断をして欲しいとは俺も言いません。
俺に出来ることは……『前向きに考えて欲しい』という『懇願』だけです」
この施設は、羽月柊の研究所だ。
ここの長はあくまで羽月であり、そして、現体制に真っ向から異を唱えている職員はバイトの理沙だけだ。
故に、本来こんな提言をすること自体が不躾ともいえる。
だが、それでも。
「理屈以前に……俺のワガママでもありますからね」
単純に、日下部理沙は羽月柊が心配なのだ。
このままでは、羽月もカラスも、そして竜達も……緩やかに『病んでいく』と思えてならない。
現に、羽月は既に心身を蝕まれている。
無論、理由は多岐に渡る。
だが、その理由の一つとして……日頃のオーバーワークが祟っている事は想像に難くない。
それほどまでの激務であり……一人で背負い込むには、重すぎる問題なのだ。
「人命救助の勘定には、自分自身も含まれていることを……どうか、忘れないでください、羽月先生」
■羽月 柊 >
手を握られれば、一瞬拒否しかけて――けれど、拒否出来なかった。
己と似た苦悩を体験し、悩みながらも答えを探し、
深淵と触れ合う自分を見てもなお、自分を慕ってくれる理沙を振りほどくことが出来なかった。
絆されているといえばそうで、
けれど、再び他と交流を、対話を…手と手を取り合うことを再開した柊には、
その伸ばされた手を払えるほどの諦観と絶望が払拭され始めていた。
これ以上は、病んだ己の毒が、周りに伝播していきかねないことを理解している。
どれほど不躾でも、それが筋が通っていると分かれば、受け入れられないことがあってたまるものか。
そう自分でも思えてしまうのだから、
本当に他人の手を取るというのは、麻薬のように思えてならない。
罪人の自分が前を向いても良いのかと罪悪感に痛む心を抱えたまま。
ほんの僅かに、手を握り返して。
「…本当に、君には、敵わん……。
何度だって拒絶出来たろうに……いくらでも、そういう切欠は見せたのに。
我儘一つで、手を伸ばせるのだからな…。」
それでも結局、明確には首を縦に振れない自分には呆れてしまうのだが。
ああ、葛木一郎を救った時の自分も、こうだったのか?
■日下部 理沙 >
「俺も勇気のいるワガママですよ。
ワガママを言う時は……『嫌われるかもしれない』といつも、心のどこかで不安です」
握り返された手にどこか安心したように、理沙も笑う。
実際、理沙も恐ろしいのだ。
こんな出過ぎた事をいって、羽月と断絶するかもしれないと思えば、足も竦む。
誰かと話し合うという事は……時に勇気がいる。
「だけど」
理沙は、既にそれを知っている。
「話し合い続ける必要があるんです。
話し合いを止めたときに……悪いことが起きますからね」
朗らかに理沙は笑う。
そして、少し冗談めかしながら。
「まぁ、受け売りなんですけどね」
そう、言ってのけた。
■羽月 柊 >
"対話を捨てたとき、悪い事が起きると俺は思っている"
あれは個人的な自分の考えの一つだと思っていた。
そうして捨てたからこそ最悪の経験をしてきた。
それを目の前の青年から返されてしまうと、
素直に笑えない男は、困ったように、苦笑のように、下手な笑みを浮かべた。
体調のせいでもなんでもなく、
やはりそれでも、歩んできた道を全て無かったことには出来ないから。
男の笑みはとても下手だった。
「……、…そうだな。」
カラスには理沙のようには出来なかった。
壊れたままひた走る父を止めることは、幼く、ヒトに成りたての彼には出来なかった。
故に、もしかすれば、彼らはそのまま共倒れになっていたかもしれないのだ。
■日下部 理沙 >
「だから、これからも対話を続けましょう。
この俺からの提案は、その第一歩とお考え下さい」
不器用な苦笑をする羽月の笑みに、理沙は満面の笑みを返す。
この話は実際、少し難しい問題だ。
少なくとも、この施設の竜達との対話には翻訳魔術が必要であることが分かっている。
その翻訳魔術は羽月の研究成果だ。
それの汎用化も必要なら、人員を募るための公募も必要で、その公募の為には各種手続きが必要になる。
そして、その手続きの為に……レポートやら書類やらも当然必要だ。
それだって、人側の都合が片付くだけ。
竜達の都合はこれからじっくりと聞いていく必要がある。
ただでさえ、彼等と人は体が違うのだ。
なら、常識や考え方も違って当然。
対話はいくらしてもしたりない。
やることは山積み。
故にこそ、焦ってはいけない。
「まぁ、俺も正直、バイト一人だとしんどいですからね!」
務めて明るく、少し冗談っぽくいってから、理沙は立ち上がる。
「では、先生……これから、改めて、よろしくお願いします。
竜に関するレポートは俺一人じゃ荷が勝ちすぎます。
この『異邦人問題』に……共に取り組んでいきましょう」
■羽月 柊 >
……彼に過去を語るべきだろうか。
ここまで近づいた彼になら、自分が彼らを宝石箱へ仕舞いこむ意味を教えても良いのだろうか?
第一歩。
ここまで来たなら、そのうち話さなければいけない事を改めて自覚する。
…己がカラスにあの姿を与えたことの意味すら、も。
自分は正直、専門分野以外の知識に疎い。
今まで法の眼をかいくぐることは多少はしてきたが、
これからは現行の法にある程度基づいて動き始めなければいけない。
論文も今までの分はただの竜に関するモノに過ぎない。
そこから今の小型化や事業を踏まえた資料も提出しなければならない。
学会を、法を納得させるための材料は足りていない。
そこを揃えることからとなると、途方もないことに一歩を踏み出したのではないかとすら思える。
「……あぁ、考えることは山積みだがな…。」
青年と手が離れ、くしゃくしゃと自分の前髪を撫でつけた。
――男は忘れていた。何故ここに来たのかを。
■日下部 理沙 >
「その辺りはそれこそ、ヨキ先生とかにも相談しましょう。
一度書類さえ揃えれば、多分認可自体はあっさり降りると思いますし、その辺りは一度認可を貰ってる異邦人の方に聞いたほうが楽でしょうから」
今回、言ってしまえばネックの部分は羽月謹製の翻訳魔術だけだ。
それさえ汎用化してしまえば、少なくとも言葉で意思疎通ができるようになる。
完全に同一の単語では勿論ないが、そんなことはよくあることだ。
基本的に異言語話者同士が喋る時に一番必要なことは「お互いが何を伝えようとしているのか」と慮り合う事だ。
此処の竜にそれがあることは既に分かっている。
ならば、これは異邦人問題の中でも取り組みやすい問題といっていいだろう。
此処の竜達は既に成長阻害というあまりに大きな代償を支払っている。
それだけの代償を支払っても共生したいという、強い意志があると言い換えてもいい。
そこまで強い共生の志が既にあるのならば、民権の獲得はそう難しくない筈だ。
「まぁとはいえ……詰めるのは先生が復調してからですね。
一先ずは目の前の仕事を終わらせましょう」
そういって、理沙はさっきからずっと足元にいる竜を見て。
「そういえば先生、この子の注意点お聞きしてませんでしたね。
何か問題ある子なんです、この子?」
岩を食べる竜。
理沙と羽月の出会いの切っ掛けにもなったその末の子について、改めて聞いた。
■羽月 柊 >
「…彼に持ち出して良い問題なのかとも思うが、そうか。」
なお、柊はまだヨキが異邦人であることを知らなかった。
外見上の彼しか知らない故に、あまりに朗々と語り、言葉を交わすことが出来る故に。
少々理沙と柊は認識がズレていた。
一度認可を貰っているモノに聞くということは、ヨキとは別件だと捉えてしまった。
竜語の翻訳魔術は、いわば辞書をプログラムコード内に納め、
変換対応させた魔術式を装飾品に記述したモノだ。
あの魔導書はその為の辞書、記述するためのインクに竜の血を用いるせいで汎用化を渋る所もある。
もっとも、こういう部分は他の竜を飼育している現場と提携されれば解消されるかもしれないし、
もしかすればもっと効率的な竜語の翻訳魔術が存在するかもしれない。
独りの世界だけで完結しようと考えなければ、
デメリットもあれど、メリットの方が上回るはずである。
と、末の竜の子について聞かれると。
「…あぁ、忘れていた。
問題というよりは…その身体的な特性の話でな。
君が転移荒野で俺と出逢った時に拾い上げた卵の子だが、
この子は孵化に熱を必要とする種類で、
見た目の通り……堅牢な鎧を纏ったような姿をしている。
この種はストーンイーター、岩や鉱石を捕食し、
体内で熔かして身体の一部に変える。
だから、食事後は食べたモノを溶鉱炉に加えるように、
ゆっくりとだが発熱する特性を持っているんだ。」
■日下部 理沙 >
「なるほど……となると、食後の今はあんまり触らない方がいいわけですね」
鉄を溶かすとなると、まぁ確かに効率的なのは熱を加える事だろう。
そういう性質に特化した成長をしているのなら、その生態もまた納得できるものだ。
事前にそう分かっていれば、配慮も共生も出来る。
異邦人の特徴の一つ。
そう分かってさえいれば、大したことはない。
お互いに意思疎通ができるのだ。
なら、そういった特徴もお互いに分かり合えばいい。
理沙は、そんな風に。
■日下部 理沙 >
『思いあがって』いた。
■日下部 理沙 >
「へ……?」
不意に、理沙の身体が袖ごと引かれ、竜に組み敷かれる。
視界が転がり、そのまま地面に転がされる。
あっと言う間だった。
ああ、そっか、さっきから理沙に懐いてたのは……なるほど、『抱っこ』を強請っていたのか。
他人事のように、理沙の思考が流れる。
だが、先ほどの説明通りなら……その先にある結果は。
「す、すいません、退いてください!」
竜から返答はなく、ビクともしない。
当然だ、竜種の力はタダでさえ強い。
まして、鎧種。
人の理沙が生身でどうこうできる膂力ではない。
……その竜の体が、徐々に熱を帯びていくのがわかる。
言葉が通じたところで、意味まで相手に通じているかどうかはわからない。
わかっていた、わかっていたはずだった。
だが、結局のところ。
「は、羽月先生!!」
そう、理沙は……わかった『つもり』でしかなかった。
それだけの事なのだ。
羽月はきっとわかっていたはずなのだ、経験と知識から『こう言う事』も。
だが、理沙は……『甘く見ていた』のだ。
種族の違いという、あまりに大きな隔絶の事を。
■羽月 柊 >
これがもしカラスなら、『駄目だよ』と引っ張られた段階で諫めたか、空中へ逃げたはずだ。
これがもし柊であるばらば、丁寧に言い聞かせたり、魔術でどうにかしたはずだ。
彼らは分かっている。末の子のことを。
彼らは理解している。同じ竜でありながら、異なる種と暮らしていることを。
二人が分かっていて、理沙が分かっていなかったこと。
男は注意点を伝え終わって、体調の悪さに眼を伏せていた。
少し見守って部屋に戻ろうと考えていた時だった。
そんなタイミングの悪さだ、そんな運命だったというのか?
理沙の慌てた声に眼を開いて顔を上げた。
その時にはもう、理沙の上に末の子は乗っかっていた。
――食事してからどれぐらい時間が経っている?
そう考えるよりも先に、体調の悪さも関係無く、叫んでいた。
■羽月 柊 > 「――ッ日下部!!!」
■羽月 柊 >
・・・・・・
蝶は、飛ばなかった。
■日下部 理沙 >
知性がある。
言葉が通じる。
共生の意志がある。
……だから、なんだ?
それは結局のところ、何処まで行こうと『それだけ』でしかない。
相手に十分な知性があって、言葉が通じて、互いに共に生きる意志があったところで。
互いに十分な譲歩が常に引き出せるわけじゃない。
互いに勘違いや行き違いが常に起きないわけじゃない。
タダの好意や愛情表現ですら、お互いにそれがそれと分かっている状態の時ですら……擦れ違いは簡単に起きる。
互いに分かっている『つもり』になってしまうから。
それこそ、誰にでもある当たり前の事なのだ。
そんな当たり前の事だからこそ、きっと羽月はその致命にも気付いていて。
カラスも、経験と感覚から朧気に理解してたのではないだろうか。
時に、『好意表現ですら、たやすく相手を傷つける』という当たり前の事実に。
種族が違うなら、それは本当に細心の注意を払うべきことで。
どれだけ慎重に慎重を重ねても、きっと足りないことで。
それに勇み足をした『素人』は、一体どうなってしまうのか?
■日下部 理沙 >
その傲慢の『報い』は、あまりに分かりやすかった。
■羽月 柊 >
『報い』 は 『烙印』 として。
■羽月 柊 >
男が椅子からガタリと立ち上がった、
椅子を後ろ足で蹴り倒したが今はそんなことを構ってなんかいられない。
頭が霞む、知った事か!
末の子の身体は熱を持ち、無邪気に擦りついていた。
理沙の身体に、焼きゴテを押し付けるかのように。
ぐるりと見回し、水棲種の移し替え用の水槽の水を見ると指を鳴らそうとする。
一回で音が鳴らない、くそ、こんな時に限って!
いつもなら暗示に近いぐらいで音を鳴らしている癖に!!
「カラス!! "血"とポーションを!! 二段目の棚の青いのだ!!!」
焦りで落ち着かない頭を必死に冷静にさせながら、息子に指示を出す。
カラスは泣きそうな顔でドームを出て行った。
その後にやっと指を鳴らせば、魔術発動の負荷に襲われるのを耐え、
水槽の水が浮かび上がり、末の子にかかる。
水が嫌なのか漸く理沙から退くと、
他の小竜たちが駆け寄って来てどうにか言い聞かせて遠くへ。
理沙の容態は?
よろよろとしながら青年へと柊は駆け寄る。
「日下部!!!」
――伸ばした手の先が、どうか消え去ってしまわないでくれ。
■日下部 理沙 >
極度の高熱の中、理沙の意識が薄れていく。
返事すらできない。
文字通り、烙印として焼き印を押されたようなもの。
竜に抱き着かれた場所は作業着が焼け落ち、肌は真っ赤に焼け爛れている。
だが、処置が早く適切だった。
一命は恐らく取り留めるだろう。
きっと……多大な迷惑を掛けながら。
消え入る意識の中で、理沙は茫洋と当たり前のことを考えていた。
当たり前の事。
何事も、『今成されていない事』には意味がある。
成されていないだけの意味が。
人々や先人が慎重になるだけの意味が。
それを……理沙は理解していなかった。
言葉だけ聞いて、理解した『つもり』になっていた。
きっと、この一件だって……数ある懸念の一つでしかなくて。
むしろ、羽月やカラスなどの『専門』の人間なら、絶対に起きなかった程度の小さな懸念で。
そこに踏み入った『素人』の理沙だから、起きた事。
思い上がりの代償は、高くついた。
ご案内:「研究施設群 羽月研究所」から日下部 理沙さんが去りました。
■羽月 柊 >
息子が持ってきた血…"竜血"と、ポーション。
竜血は生命の根源。正しく扱えばそれそのものが生命を維持するのに大きな力を持っている。
痛み止めの魔術を施し、患部をセイルに手伝ってもらい冷やし、
ポーションで応急処置を施す。
男はずっと声をかけ続けた。
ずっと相手の名前を呼び続けた。
必死に、もう俺の前から消えないでくれと心の中で叫んだ。
応急処置を終えて、病院へと連絡し、
到着した救急車によって理沙が運ばれていく。
そこへ付き添おうとした最中、柊の意識も途切れた。
元々体調が悪い状態を押し殺して起き上がって、
更には身体に負荷までかけて魔術を何度も行使すればそうもなる。
そうして研究所にはカラスを残し……彼らは、一旦病院へと入院を余儀なくされるのだった。
――蝶は飛ばない。
どれほどに言葉を交わしても、どれほどに名を叫んでも……、
本当の意味で"対話"が成されていないことも、あるのだ。
ご案内:「研究施設群 羽月研究所」から羽月 柊さんが去りました。