2022/11/03 のログ
ご案内:「研究施設群 408研究室」に神樹椎苗さんが現れました。
神樹椎苗 >  
 ――これはたとえ話だ。

 猫を箱に入れた思考実験。
 箱の中の猫は、箱を開けるまで、生きているか死んでいるかわからない。
 生か死かで表すのなら、五分五分の状態だ。

 雷に打たれて死んだ男。
 沼に雷が落ちて産まれた、沼男。
 肉体的にも精神的にもあらゆる構造が同じ沼男は、死んだ男とは別物、同一なのか。

 

神樹椎苗 >  
 その答えは――観測による。

 猫は、何者かに観測されるまでは、生きてもいるし、死んでもいる。
 だから、観測しようとする者が現れるまで、永遠に死ぬ事も生きる事もない。
 観測されて初めて事象が収束するのだから。
 観測者が箱を開けるか、開けないか。
 その時点で、猫の生死は観測者に委ねられることになる。

 男と沼男、そこに一切の違いがなかったとして。
 それが同一でない事を示す方法は存在しない。
 唯一それを判断できるのは、男が死ぬ瞬間と、沼男が産まれた瞬間を観測していた者だけだ。
 それ以外に、だれも沼男が男でない事を証明できないのだ。

 つまるところ。
 観測というものは、それだけで事象を決定づける事が出来る反面。
 観測されなければ、常に事象は不確定であり続けるのだ。
 

神樹椎苗 >  
 なら、この世界はどうだろう。

 あらゆる場所で、あらゆる生命があらゆる事象を引き起こす。
 それらは、一体、どこで、誰に、どうやって、観測されているのだろう。
 観測されなければ事象は成立しないはずなのに。
 

神樹椎苗 >  
 バタフライ効果、という言葉がある。

 蝶の小さな羽ばたきが、遠く離れた地で竜巻を引き起こすだろうか?
 ほんの僅かな事象が、未来でどのような影響を与えるかは未知数であると示唆する言葉だ。

 ラプラスの悪魔、という超越存在の概念がある。

 ある時点におけるすべての事象を把握し、解析する能力があれば、未来を含むあらゆる事象を知りえるという知性の事だ。
 これは後に不確定性原理によって完全否定されたが。
 

神樹椎苗 >  
 これらもまた、それらを観測する事が前提に置かれている。
 つまり。
 観測するという事は、世界を生み出すと同じだけの力を持つのだ。
 そして、この世界は『観測者』という何者かによって、一つの事象として存在を確立しているのである。
 
 ――これはあくまで、例えばの話だ。
 
 

神樹椎苗 >  
 
「――だからそれは、却下されたでしょう」

 網膜投影された映像の向こうで、男が苦い顔をしている。
 未だ活動を続けている、パラドックスを名乗る破壊者。
 その『殺害』命令は、椎苗の管理者によって却下されているのだ。

「――それは公安の越権になりますよ。
 管理者を通さず、しいを使う事は、お前たちとしいの間で完全な利害の一致がなければ成立しません」

 破壊者の殺害は、すでに椎苗自身が保留すると決めている。
 椎苗の現管理者たちは、その椎苗の意思を最大限尊重するという、いたって変わった者たちなのだ。
 

神樹椎苗 >  
 
「――姉に面会人?
 そんなもの、いくらでもいるでしょう」

 椎苗が姉と慕う彼女は、非常に人気者だ。
 面会が許されるようになってから、訪れる客は途切れない――は、言い過ぎだが。
 それほどに、多くの人に必要とされている。

「――それは、間違いないのですね。
 あの『夜に吼えた紅』が、姉の元に訪れたと」

 その報は、無視するにはあまりに大きすぎた。
 してやったとばかりに、男の表情が引き締まる。

「――なるほど、公安としてはそっちが本音ですか。
 わかりやすく破壊活動を行う『破壊者』よりも、他者を煽り、誑かす、アレの方が厄介だと」

 そう判断するのも無理はないだろう。
 あの夜だけで、どれだけの軽犯罪が行われたか。
 監視対象――様々な理由で行動制限と監視を受けていた『要注意人物』が二人も制限を無視した。
 公安としては、その主催者の影響力を、無視するわけにはいかないだろう。
 

神樹椎苗 >  
 
「――ええ、悔しいですが」

 男は椎苗の苦虫を噛んだような表情に、満足げに頷いて見せる。
 それが、男の横紙破りが罷り通ると決まってしまった瞬間だ。

「――わかりました、利害の一致を認めましょう。
 ええ、もともと、道具にしかすぎませんでしたね。
 お前らは誰よりも――『神樹椎苗』の使い方を心得ている」

 一瞬芽生えた殺意も、すぐに諦観へ変わる。
 そして、次の瞬間には道具として、命令を遂行するための手段を考えていた。
 

神樹椎苗 >  
 
「――お前たちに従いますよ。
 しいとしても。
 アレが姉に接触したとなれば、話は変わりますから」

 姉と慕う彼女が、一体何を告げられたのか。
 なにを囁かれたのか。
 『神樹椎苗』に知る由はない。

 なぜならアレは、『神樹椎苗』では計測できないのだから。

「――だからこそ、お前らは危険視してんでしょう。
 予測が出来ない相手――アレが危険だという事には、同意しますよ」

 予測不能。
 計測不能。
 推測不能。

 演算装置は、無数のエラーを吐き続ける。

 そのエラーは、ストローヘッドでもなければ、溢れて漏れ出してもおかしくない。

「――指令書、受領しました。
 せいぜい、期待はしねーことです」

 そうして網膜投影の映像は、砂嵐になる。
 代わりに、網膜に映し出されるのは一枚の指令書。

【公安委員会より、神樹椎苗への行動指令。
 ――自称『Knowface』の殺害または無力化】
 

ご案内:「研究施設群 408研究室」から神樹椎苗さんが去りました。