2020/07/08 のログ
■シュルヴェステル >
「未知がおそろしいと思うことを嘲笑うのは、人類種(ヒューマン)のお家芸か」
首を横に振る青年を見てから、ほんの少しだけ嘲笑の色を織り交ぜてから、言った。
わざとらしく、相手を『人類種』と、目の前の個人ではなくひどく大きな主語でもって呼び。
霊長類。万物の霊長と自分たちを類した人類の名でもって、名も知らぬ旭を呼び立てる。
「私は、人類種が嫌いだ。この世界が嫌いだ。
……人類種が王のように振る舞い、この世界で敵などないと思っている人類種が。
自分たちが圧倒的大多数で、少数に憐れみを向けながらも生存を盾にした妥協を強要する種が」
苛立ちを隠さない。旭の言動は、シュルヴェステルにとっては不快なものであったから。
シュルヴェステルという個人にとって、簸川旭の言動には文句がいくつもあったから。
とはいえ、そこに妥協をしない。絶対に、それでいいとは言わない。言わなければ伝わらないから。
言っても伝わらないかもしれなくとも、諦めたくはなかったから。……仲間だと、旭は言ったから。
オークは、認めた相手には妥協をしない。
互いの道がぶつかりあうのならば、武威でその道を開けるのみ。
ただ、今は暴力という手段ではなく、言葉という手段に置き換えているだけ。
「未知が恐ろしいと思わぬ種など、滅びを迎えるだけだろう。
未知を歓迎し、当然のように隣人とし、自らをそこに置けるような恐れ知らずは、
どれほど死にたくないと願っていようが死に失せるだろう。無知を知らぬ種など、衰退していくのみ」
気に食わなかった。
堂々と、この世界を嫌いだと、自分のことを怖いと語った相手が自らを認めぬことが。
嫌いでなにかを語ることのできる者が、この世界にどれだけいようか。
自分が、少しだけこの人類という種を好きになれそうだったというのに。
「私は、死ぬ手段を探している。そして、記憶を消す手段を。
オークは強靭。死すためにも選べる手段はそう多くはない。私が死ぬ方法は多くない。
……故に、記憶を消して、生まれ直すことも、いまは考えている。全てを捨てることを」
一拍。
「……それを、それを選ばぬ貴殿を嘲笑う者は、よくできた『人間』だろうな」
感情のままに、八つ当たりじみた言だった。
眉をひそめてから、重く沈むような溜息をつく。
きっと、『人間』たちは、いまもこの晩を楽しんでいるのか、と思うと。
どうして目の前の彼が報われないのか、同じ種であるというのに、と僅かに哀の色が滲んだ。
■簸川旭 > 「……それがこの世界の「人間」だからな。自分が万物の上に立っていて、全てに優越していて。そう思っていなければ立っていられない。「未知」はきっと明らかになる、恐れずに進むべきなのだと。
俺たちは、自分たちが世界の支配者だと思わないと生きていけないんだ。この《大変容》の後デさえ、神や悪魔が実在した世界でさえ、そう思っている」
目の前のオークの言葉は苛立ったものだった。
人類種が嫌いだと、人類種が万物の霊長として振る舞うこの世界が嫌いだと。
旭にはそんな彼の言は理解し難い。人類とはそういうものだったから。
自分が無知だと認めることは、自分たちが取るに足りない存在かもしれないと思うことは、あまりに恐ろしい。
「未知は解き明かせる。たとえどんな理不尽があっても、それを解明して、自らの枠内に収めて生きようとする。それがまさに……この世界の「人間」だよ。
僕は無理だった。もう数年この世界にいるというのに、未知だった者たちが恐ろしい。この世界がおぞましい。アンタのいっていることだって、どこまで理解できているかわからない」
静かに目を閉じる。
「……そうか、アンタは死にたいのか。
すべてを捨てて、記憶を消して生まれ直す。
そうだな、この「未知」の溢れた世界で正気を保つならそうするしかないのかもしれない。
それが一つの選択肢だと認めることができない僕を愉快に思わないのは当然だ。
だけど、俺は保っていたいんだよ。自分の過去を捨てたくないんだ。死んだ俺の家族や友達と共にもう生きることはできない。
だが、俺はそれがあるからこそ生きていられる。自分の過去があるから生きていられる。
この世界で自分のまま生きていられる。それが僕なりの戦いなんだよ」
言葉を綴る。
彼の憤りに対しての返答になったかはわからない。
自分は、彼の憤りが正しく理解できていないのだから。
「……なあ、アンタのことはなんて呼べばいいんだ。《聡き檻》か?
俺は簸川旭。《大変容》の直後に眠りについて、全てが終わった後にこの時代で目覚めた浦島太郎さ」
浦島太郎。彼にそんな言葉を伝えても意味は理解できないだろうが。
「俺は別に報われなくてもいい。どうせ元の世界に戻るなんてありえないんだからな。
こんな理不尽な世界でも生き続けられたのなら、俺は俺の境遇にも負けはしなかった。
そう誇れる。そう自己満足できる。……何も楽しみがない世界なんだ。そういう楽しみを見つけたっていいだろ」
白髪の彼の憤りに自分は答えられない。
彼の価値観を理解することは難しい。だが、彼もまたこの世界を嫌いだといってのける男だ。
言葉は違えど、価値観は異なれど、同じ者がいたのだと嬉しく思えた。
そう行って、旭は石段を立ち上がった。
■シュルヴェステル > 「であらば、貴殿は」
シュルヴェステルはオークという種であるし、異世界には同じような者もいる。
だが、この地球という世界で未知を恐れ、世界を恐れて生きると言っている男は。
「本当に、たった一人ではないか」
周りに理解してもらうことも、この場にいる時点で恐らくできなかったのだろう。
人間の世から逃げ、狭間の境界のような草臥れた廃神社に足を運ぶほどの孤独で。
それを、この同種族が山程いる世界で、たった一人で立ち続けるというのは。
それは強さではなく、諦めだ、とシュルヴェステルは勝手に――知りもしないのにそう思う。
怒りと悲しみが入り交じる。その違いも、シュルヴェステル本人はほとんどわかっていないだろう。
「襟を正すことは、できるのではないだろうか。
私は人間のことはわからない。人間とはわかりあえない。
だが、貴殿は人間で、人間同士でなら、『夢』を見たって……」
言葉にならない。オーク種が用いるコミュニケーションの手段は暴力だ。
だからこそ、本当に伝えたいことが出てきたときに、こうして不慣れに苦しむことになる。
苦しみながら、たった一つだけ。無理矢理にひねり出した言葉は。
「一つだけ、私の願いを聞き入れて欲しい。叶えて欲しい。
……貴殿が、貴殿のように、未知をおそれられる人間に出会ったら、私に教えてほしい」
七夕の夜に。風習など一つも知り得ない異世界出身のストレンジャーが、漏らす。
全てを抱えて生きていくという、自分よりもずっとおろかで、ずっと『善い』答えを抱いている彼が。
少しでも、この世界を嫌いにならないかもしれない相手に出会うことができたら。
自分に教えてほしい、と、青年は静かに口にした。
天の川の下で。あなたが出会えるかもしれない対岸の誰かを見つけて欲しいと。
「私が人間に、それを問うことはできない。
私は人間でなければ、この地球とやらのこともなにもしらない。
……それでも、人間の中に、私が嫌わないで済むような相手がいたらば、教えてほしい」
腰を上げてから、真っ直ぐに旭を見る。
『聡き檻』のシュルヴェステルが、人類である簸川旭へと、まっすぐに相対して。
「そうすれば、私も。……貴殿のように。
……私も、『人類』をおそれずに済む。隣人として、言葉を交わそうと思えるかもしれない。
だから……だから、どうか、貴殿が、(私の代わりに、)……。
よき出会いがあったと、希望を少しだけ、指の先ほどでいいから、分けてもらえないか」
小さく、力なく笑って。
「私も、死ぬのが怖いんだ。だから、そうしなくてよくなる未来を、探している。
……楽しみを見つけるついでに、私の未来も、……見つけては、くれないか」
黒髪の彼の姿は、どこからどう見たって人類のそれだ。
白髪の己の姿は、隠さなければ怖がられてしまう。
人間の世界で探しものをするのならば、彼のほうが役者に相応しい。
「私は――シュルヴェステルという。『聡き檻』の、シュルヴェステル」
■簸川旭 > 「……」
今度は、彼の言葉に静かに耳を傾ける。
そう、たった一人だ。
自分が生きた世界のはずなのに。言葉も通じる、文化も理解できる。
だけれども、どうしてもこの世界を認めることが出来ない。
恐れることしかできない。自分の信じてきた何もかもが奪い去られたこの世界を。
だから、一人で生き続けると言う。理解されなくてもいいと、全てに希望を抱いていない。
自分はただの抜け殻のような男だ。そんな人間が強くあろうはずもない。
同じ種族で理解し合うことすら遠の昔に諦めてしまった。
そんな旭の姿は、まさにこの世界の絶望そのものだと、白髪の彼は思うのだろうか。
何をどうしても、わかりあえなどしない。希望など存在しない。
同種の存在であれそうなのだとしたら、異種は永遠に――
「……未知を恐れられる人間、か」
白髪の青年、オークが必死に言葉を伝えている。
もし、旭のように未知を恐れることができる人間がいれば教えてほしい、と。
星空の下、全てに絶望しきった男に青年が願う。
無限とも思える天の川の対岸で、わかり合うことのできる誰かの存在を。
白髪の彼は異邦の人だ。
旭は「地球」の人間であれど、この世界にただ一人だ。
それでも、自分にはできることがある。言葉も常識も弁えている。
それならば、できることがある。
「ああ……わかったよ、『聡き檻』シュルヴェステル。
もし俺が、この世界を嫌いにならないでもいいような……未知を恐れることので生きる人間に出会ったら、教えるよ」
長身痩躯の男と相対する。
異種でありながら、異なる世界に生きながら、『仲間』と自認した者。
少なくとも、旭はそう思っている。
「もしそんな良い出会いが……もしそんなことがあったのなら。
この世界でも、一人じゃなく生きていけるとわかったのなら。
……その希望を、アンタにも分けよう」
相手が力なく笑えば、こちらも皮肉げな笑いを返す。
まだ、心の底から笑うことはできないけれど。
「『俺達』が、死なんかを選んだほうがマシだというような未来じゃなく……。
……そうじゃないと思える未来を見つけよう。
やっと仲間に出会えたんだ。なら、それぐらいのことはやっていかないとな。
……なあ、シュルヴェステル。いつか俺たちも、「ヒト」になれる日が来るといいよな。
だって本当は……俺も、アンタも……希望を持って、生きていたいんだからさ。
『仲間』ならそれぞれ、できることをやるとしよう」
七夕の日に、『仲間』と思えるような存在と出会った。
出来すぎだな、と旭は自嘲気味に笑う。
神も悪魔も実在する世界だからこそ、本当の奇跡などこれまで信じることは出来なかった。
だが、今日ぐらいは――そういう物があっていいのだと、思った。
自分がこの世界に希望を見出すことが出来たのなら、同じ《異邦人》のシュルヴェステルも、少しぐらいは希望が持てるようになるはずだ。
彼の、ただ一つだけの願い。旭はそれを受け入れた。
彼のためではない。そう願われたことによって、自分の少しだけ前へ進もうと決めることができたのだ。
人間同士なら『夢』を見たっていい。シュルヴェステルが言いかけた言葉だ。
シュルヴェステルと『人類』がきっとわかりあえる、などと無責任に言い放つことは出来ない。
自分自身、今の世界と、人類と、わかりあえていないのだ。
だが――そう、希望は示すことはできるはず。
もしそれを、シュルヴェステルに示すことができたのなら……自分も、ほんとうの意味で生きていけるはずだ。
「『仲間』が楽しめない世界じゃあ、俺も楽しくないからな」
同情や憐憫ではなく。
最後にそう言葉にして、旭は寂れた神社の石段を降りていく。
シュルヴェステルに背を向けて去っていく。
自分は『街』へと帰る。『人類』が住まう領域に。
たとえどれほど世界から阻害されているように思えても、自分は「人類」の形をしている。
ならば、『仲間』たのめに……否、自分自身の楽しみと、未来のために。
できることを、するだけだ。
■シュルヴェステル > 「――……、(つたわっ、た)」
シュルヴェステルは。
何度も何度も何度も繰り返し、伝わらない言葉に何度も絶望し。
歩み寄れない価値観に苦しみながら、それでもいまこのときだけは、初めて。
この島でたった一人、『言葉』を交わせる相手がいて、慣れぬ手段でも想いを伝えられた。
立ち尽くす。拳を強く握りしめて、膝を僅かに震わせる。
隠せているだろうか。恰好がつかなくは、なっていないだろうか。醜くは、ないだろうか。
愚かであるのだろう。だが、その愚かしさを自分がいま、自覚できていることが。
(ああ、何よりも――救いであることだ)
コミュニケーションや会話に長けた人類と話をしてきたつもりだった。
異邦人とも、言葉を交わしてきたつもりだった。そのどれもで、伝わらなかった。
わかってもらえなかった。……それでも、諦めずに必死で足掻いて、苦しんだからこそ。
想いが伝わったことが、心の底から――嬉しかった。
同じ悩みを抱える者が、自分ひとりではないことが。
たった一人で抱えていたと思っていた苦しみが、自分以外も背負っていたことが。
……そして、言葉を交わすことを諦めない、と言ってくれたことが。
「感謝する。……はらから、簸川旭」
声は震えていた。そして、言葉はとうにシュルヴェステルの中では意味をなさない。
けれど、顔をくしゃくしゃにしながら、泣き笑いのような表情を浮かべ。
「……ああ、『筆舌に尽くしがたい』とは。
このようなときに用いられるのだろう。ああ、実に、実に。……素晴らしい、言葉だ」
この想いの丈を、他人に伝えることができるのだから。
言葉にならない、という言葉があるおかげで、このこみ上げる熱を目の前の彼に伝えられる。
「私は」
鼻を少しだけ鳴らしてから。黒いキャップを深く被って、目元を隠す。
フードをまた被り直してから、少しだけ、笑ってみせる。彼に隠したいのは目元だけだ。
幸い自分は、『人間』である彼よりもずっと頑丈にできている。一度や二度で、オークは死にやしない。
地獄の王の名前を戴く種族にできることは、きっと人間にはできぬこともいくらかあるはずで。
「貴殿が、恐れながらも――『仲間』と呼べるかもしれない者を。
……私は、探そう。……私も、言葉を、交わそう。
この世界のルールが、少しだけ変わるように。この世界が少しだけ変わることを願って、
『既知』であれば、恐ろしくも畏れることが、できるはずだから」
スニーカーが、境内の砂利を踏んだ。石と石が擦れる音がしてから、踵を返す。
『荒野』へ帰る。『人外』の住まう領域に。
獣道を辿って、人ならざるものたちの歩んだ道を再び追いかけ直すように。
同一になれないことは、もうわかりきっているのだから。自分のかたちが、『こう』であるのだから。
彼の『未知』が『既知』になることを願って。『既知』を増やして、ただしく畏れられるように。
――言葉は、意味を産み落とした。
「では、『また』。……よき隣人、旭よ」
ご案内:「青垣山 廃神社」から簸川旭さんが去りました。
ご案内:「青垣山 廃神社」からシュルヴェステルさんが去りました。