2022/01/03 のログ
ご案内:「地区ごとの駅」に黛 薫さんが現れました。
黛 薫 >  
雑踏。行き交う人々の靴底が硬い床を叩く音。
規則的な足音が集まって無秩序を成し、のべつ
幕無しに均された音は一定の平衡へと収斂する。

喧騒。意味ある言語として耳に届かない人の声。
一度意識を向ければ会話として理解出来る言葉。
無視しようとすれば何れかが意識の隙間に届き、
それ以外が背景の雑音と化す。

ひとつひとつは小さな営みの音が駅を行き交う人の
数だけ集まって、電車の遅延アナウンスを覆い隠す。

綿雲が千切れて落ちてきたかのような牡丹雪、
濁った灰色にくすんだ白を溶かした色の曇り空。

年初めの休みを取り返すために嫌々仕事へと赴き、
新年の初仕事を終えて帰宅する着膨れした群衆は
本来の数以上に駅のホームを圧迫していた。

人の波でごった返す駅のホーム、乗客数に比して
少な過ぎるベンチの隣。車椅子に座った女の子が
1人微動だにせず電光掲示板を見つめている。

黛 薫 >  
堅磐寮最寄りの駅を通過する電車──帰宅のために
乗るはずだった電車を見送って、黛薫は目を伏せた。

少しサイズの大きい、もう流石に着古しが目立つ
お気に入りのパーカー。目深にフードを被った上、
目が隠れるほどに伸びた前髪。安物の服装の中で
浮いて見える良品のマフラーが口元を覆い隠して
表情はほとんど読めない。

彼女は今、復学に向けた通学訓練の帰り。

学校に通い、授業を想定した簡単な課題をこなして、
軽く学内を回って帰宅。慣れるまでそれを繰り返す。

黛薫は『普通の学生としての生活』に憧れつつも
その実、根深いトラウマを抱えている。復学希望、
それに伴う社会復帰の訓練は過去2年間に渡って
断続的に行われてきたのだが、その悉くが失敗に
終わっていた。

黛 薫 >  
本来はもう2〜3時間ほどかかる予定だった。
しかし今日は最初のステップ、授業を想定した
タスクの消化段階で中断され、帰宅と休養を
指示されてしまった。

行われるタスクは簡単な心理テストのようなもの。
健常者ならおよそ30分程で終了する。黛薫の場合、
日によってばらつきはあるが20分〜50分あれば
十分に終わらせられるはずのタスクだった。

それがここ数回、じわじわと所要時間が伸びて
前回の通学で1時間を超えた。内容や精神状態の
兼ね合い、振れ幅の範疇であれば良かったのだが、
今回急激に所要時間が伸び、1時間半を要してなお
半分程度しか進まなかった。

担当の生活委員は、回答の不整合も鑑みてこれを
精神不安定の予兆と判断。通学、社会復帰訓練の
スパンを延ばした上で、後日のカウンセリングが
取り付けられるに至った。

黛 薫 >  
黛薫としてもその判断に異論を挟むつもりはない。
漠然とした不安、思考にかかる靄の存在は指摘を
受けて気付いたし、過去の失敗は自分が一番よく
知っているから、慎重な舵切りにも納得出来る。

ただ……休むように、心を落ち着けるように、と。
そう言われても、やり方がよく分からないのだ。

非才が多少なりとも人並みに近付くためには、
ただひたすら歩みを止めない以外の手段はない。

隙間を埋めるために考え続けてきた黛薫としては
何も考えない、頭と心を休めなさいと言われても
どうすればいいのやら、といった心持ち。

頭を休める方法を考えるとは何とも本末転倒だが、
ぼぅっと思索を巡らせていると、電車に乗る気も
失せてしまい……所在なく佇んでいるのだった。

黛 薫 >  
駅のホーム……というより、人の多い場所は
押し並べて黛薫にとって居心地が良くない。

復学訓練に際して通学方法は指定されていないが、
黛薫は公共交通機関に慣れたいからという建前で
バスと電車を交互に利用している。

だから、バス停より駅のホームの方が人が多く
居心地が悪いことなんて百も承知。順番的にも
今日はバスで帰るはずだったし、駅に足を運ぶ
必要など何処にもなかった。

自分は、どうして此処にいるのだろう?

がたん、ごとんと発車していく電車をぼんやりと
見送る。覚えている路線は自分が利用する物だけ。
それ以外は必要に迫られてから調べれば良いから、
今の列車が何処から来たのか、何処へ向かうのか
黛薫には分からない。

黛 薫 >  
車椅子に座った黛薫は微動だにしない。
今は身体操作の魔術を切っているから。
人形か死人と間違えられかねない沈黙。

『視線』の感触がぶつかっては離れていく。

他者の視覚を触覚で受け取る異能。直接の原因
ではないにせよ、自分の不安定な精神を形作る
一因となっている大嫌いな異能。

病院や異能研で度々説明の必要に迫られるものの、
理解してもらうのはなかなか難しい感覚だ。

『視線』の直上から広がる『触れられている』感覚。
そも一般の人は他者に『面』で触れられる経験自体
無いらしくて、まして同じ場所を重複して触られる
物理法則に反した感覚など言葉では伝えようがない。

今、駅のホームで黛薫を直接見ている乗客など
殆どいないだろう。それでも彼女は満員電車で
四方を乗客に囲まれているより『密』な触覚に
押し潰されているも同然だった。

黛 薫 >  
まず『他人に身体を触られる』という経験自体
本来なら親しい相手との間にしか発生し得ない。

知らない人が無自覚に、無遠慮に身体に触れて
離れていく。しかも触覚には見た/触れた人の
感情が色濃く反映される。

新年早々仕事に駆り出されて苛立っている男性の
八つ当たり染みた視線からは殴りつけるような痛み。
電車の遅延でバイトの時間に遅れそうになっている
学生の不安に満ちた視線は此方の不安も掻き立てる。
列に並ぶ女学生の後ろ、下心を抱いてぴったりと
くっつくように並ぶ中年の視線はねっとりと熱を
帯びている。

直接見られなければ『視線』は当たらずに済むが、
『視界』の範囲は当人が思っている以上に広い。

知らない誰かの『視覚』が肌を舐め回していく。

黛 薫 >  
誰しもが負の感情を視線に込めている訳ではない。
むしろ車椅子に乗っているからか、直接向けられる
視線は案じるような物が多い。

しかし例えば人に触れられて嫌がっているときに
大丈夫ですか、と身を案じてくれた人が肩に手を
置いてきたら……いくら悪気がなかったとしても
嬉しくは思えないだろう。

ただ目立つというだけで車椅子に引かれた視線が
肌に触れる。手助けが必要だろうかと案じる視線を
不快に感じ、相手に非はないのにと罪悪感が湧く。

だから、黛薫は人々の『目』に囲まれると容易く
パニックを起こしていたものだが……今は不思議と
心が落ち着いている。

黛 薫 >  
理由はほんのり自覚している。

この場にいる大勢が悪意なく自分を苦しめていて、
しかし誰にも非はなく、糾弾することは叶わない。
この苦しみは『仕方ない/どうしようもないこと』と
自分に言い聞かせられる。

傷が残らないだけの自傷行為。
それとも自罰感情を満足させる自慰行為か。

別に、何方でも構わない。どうでもいい。

落第街から抜け出して多くの優しさに触れた。
全ての人が怖く厳しいわけではないと知った。
一度落伍した身でもやり直す機会は与えられる、
光の当たる世界で生きても良いと言われた。

自分だって、それを望んではいるけれど。
それでも……時々、どうしようもなく辛くなる。
無意味な痛み、苦しみに逃げたくなる程度には。

ご案内:「地区ごとの駅」に鞘師華奈さんが現れました。
黛 薫 >  
堅磐寮最寄り駅に向かう電車が出発する。
数えてはいなかったけれど、時間を見ると
既に3本目的の電車を逃していたと気付く。

次に目的の電車が来たら帰ろう。

浮かんだ思考に既視感を感じた。1つ前か、2つ前。
乗らずに見送った電車の音が消えた後、今と同じ
後回しの思考を浮かべていた……ような気がする。

現状維持の怠惰。変化からの逃避。
多くの視線に晒された疲労の所為か、それとも。

別の理由に思い至りそうになって、無理やりに
思考を捻じ曲げる。雑音と化していた周囲の声に
耳を傾け、自分に語りかけられているでもない
会話の内容に意識を集中する。

きっと、その理由を自覚してしまったら。
今までと同じようにパニックを起こしていた。
そんな確信があった。

鞘師華奈 > ロクに休みを取れない日々が続いていたが、思い切って休暇申請をしたらあっさりと通った。
それに、少々拍子抜けしながらも今日、明日と連休を取り…諸々細かい雑事を片付けたはいい。

けれど、いざ時間が空くとやる事が殆ど無い。
あれほど休みが少しは欲しいと思っていたのに、いざ時間が空くと何をすればいいのか。
…迷った挙句、電車を利用して島のあちこちを目的も無く巡る事にしたのが今朝の事。

「――……?」

一通り巡ってから最寄の駅に立ち寄り、改札を抜けて駅のホームへと足を運べば。
見覚えのある姿に僅かに不思議そうに赤い双眸を数回瞬きさせて。
それでも、特に気負わず自然な足取りで静かに一人佇んでいた車椅子の少女の元へと。

「………薫?」

少し遠めの距離から声を掛けてみる。ここからだと彼女の横顔しか見えない。
ただ、覚えの在る車椅子に服装。フードを目深に被っているのと、マフラーで口元が覆われているが。
人違いでは無いと思いたい。…が、一応は礼儀として適度な距離から確認の呼び掛けをしてみる。

黛 薫 >  
見覚えのある車椅子、特徴的な耳付きパーカー。
間違いなく同寮の女の子、黛薫だが……容姿より
気にかかるのは微動だにしないところ。

まるで人形か屍が車椅子の上に置かれているようで、
不自然なほどに周囲の喧騒から取り残されていた。

しかし、貴女が黛薫を見つけて数秒後。
声をかけるより一瞬早く彼女は顔を上げた。
周囲を見渡すでもなく貴女を振り返ったのが
丁度声をかけたタイミングと重なるくらい。

「おぁ、華奈?先日ぶりっすね。
 あ、でもびみょーにタイミングは悪かったか?
 ココのホームにいるっつーコトは帰りっすよね。
 ちょーど今堅磐寮行きの電車出ちまったのよな」

先の人形の如き様相は何処へやら、散歩中に
懐いているご近所さんを見つけた犬のように
いそいそと寄ってくる。

しかし仕草に反して数時間も寒空の下でぼんやり
佇んでいた彼女の顔色は陶磁の人形のように白い。
肌色だけ見ればさっきの死人のような有様の方が
相応しく思えるほど。