2022/02/23 のログ
ご案内:「路面バス/停留所」に月夜見 真琴さんが現れました。
月夜見 真琴 >  
外から丸見えのガラスドームの停留所に、引き戸を動かして踏み込んだ。
まるで金魚鉢のような簡素な見た目であるが、内部は外から隔絶されたように暖かった。
待つのに不自由はしなさそうだ。

「暖房がついたのか」

長い白髪を揺らし、まるではじめて来たかのように狭い内部を見回した。
ほとんど変わらないようでいて、少しずつ変わっていた。
老朽化が目立ち始めていたパイプ椅子は木製のロングベンチに置き換えられている。

「これは、懐かしい」

手袋に包まれた手で自販機のボタンをタップし、学生証をセンサーに翳す。
小気味いい電子音とともに、内部が透けているディスペンサーに紙コップがセットされた。
本土にもあったこの形式の自販機は、それこそ大変容前からある古き良き文化遺産であるとか。
腰を曲げてしげしげと自動で用意されるホットココアを見守っている。

月夜見 真琴 >  
無色透明と黒い液体がそれぞれ違った場所から紙コップのなかに注がれる。
なかでどのように混ざり合っているのかは推し量るしかないが、
扉の向こうではそうして、甘やかなココアが調理されていった。
妖精の仕業――ではない。

そういうこどもだましでからかわれた思い出は、もう十年以上昔のことだ。

「妖精がいるのかもしれないのだと、騙されていなければ――
 世界を面白く観ることができない感性も、この世にはあふれているようだが」

自分はどこまでそうなのだろう。
ぼやいた吐息を受け止めた学生証に不意に意識が向いた。

背筋を伸ばし、革張りの表紙にじっと視線を落とした。
春に新しくした顔写真には、相変わらず嘘っぽい微笑が浮かんでいる。
慣れたものだった。思わず鼻で笑う。

ご案内:「路面バス/停留所」に清水千里さんが現れました。
清水千里 >  
「おー、寒……」

 停留所の扉から凍える冷気と共に、女性が一人入ってくる。
 白い息を吐き、手をすり合わせ、首にマフラーを掛けながら。

「やあ」

 と、先客の存在に気付き、手をかざして声をかける。
 前に会ったことがあったかもしれなかったが、どうだったかな。
 まあ、適当に話を合わせればいいか、などと思いながら。

「最近、調子はどう?」

 と、自販機に目配せして。

「……そのココアいいな。私も買おう。
 こう寒いと手が痛くて参るね」

月夜見 真琴 >  
「うん」

声をかけられたとて、そちらに目は向けない。
ただ曖昧な返事を返してから、学生証をバッグにしまう。

「"ご同類"に随分と積極的に接触する機会を持ったと聞いているよ、千里」

数年来の知人に会ったように、親しげに声をかける。
横顔。視線は自販機に。

「よくないなぁ――流石も響歌も、
 "興味"本位で、つつきまわしていい相手ではないのだから。
 あまり風紀委員会の不興をかうような振る舞いは、謹んだほうがいいと思う」

ブザーとともにココアのカップをディスペンサーから引き出した。
そこでようやく顔を向けると、
問われたことには未だ応えずに、どうぞ、と彼女のためのスペースをあけた。

「調子は、いつも通りかな」

馴染みの喫茶店で注文するかのように。
相手が判っている前提で、話を進めた。
カップに息を吹きかけ、湯気を払う。

「自分で作るものとはまるで違う、言ってしまえばチープな味わいなれど、
 そういうものがどうしようもなく恋しくなるのは、
 味覚というものがただ単に味を受容するためだけの器官ではないという証左だと思わないかな。
 ああ、言い忘れていたが」

思い出したように。

「はじめまして」

清水千里 >  
「へえ、もう情報が回ってるのか」

と、女性の方を向いて、わざとらしく驚いて。

「興味本位ねえ。
 興味本位でいろいろ引っ掻き回しているのは、風紀や公安のほうじゃないのかい。
 とくに、この間のアレはまずかったな、落第街の例の一件さ」

と、表情を崩さぬ相手に対比させるかのように、悪戯に笑う。

「これだけは言っておくけどね。
 私だって別に、無責任にかかわっているわけじゃあないよ。ただ、それはそれとして、
 彼らに毎時監視されている身として、今度は彼らがどんな悪だくみを始めようとしているのか、
 知る権利があってもいいとは思わないかい?」

 彼女と入れ替わりになるように、どうも、と開いた自販機の前に立ち、
 ミルク多めのボタンを押した。

「自販機のココアというのは、妙に水っぽくて困るね。
 多分、鉄道委員が予算をケチっているんだと思うんだな。……うん、そうだな、つまりそういうことさ、
 どんなものにも歴史はある、ココアにも、人にも。
 『味じゃなくて情報を食う』なんて言うと妙に反発を食らう世の中だけど、情報を食わない世の中なんて、
 私はそっちの方が味気なくて、風情がなくて嫌だねえ」

 と、出来上がりを示す緑のデジタル数字が減っていく中、湯気を払う彼女の顔を覗いて。

「どうも、初対面の気がしないね?」

月夜見 真琴 >  
「"どれ"?」

冗談でも聞かされたように、苦笑いを浮かべた。
美しく事態が収束した大事なんて、ここのところあまり聞いた覚えがなかった。
心当たりが多すぎて、思わずココアのカップで口元を隠す。

それが悪いことだとは思わないが。
綺麗に終わればそれでいい、などとは。

情報にはそれなりに通じてはいる。ただ、リアルタイムで受け取ることはできない。
ごく一部限られた範囲の情報以外は、どうしてもラグは生じる。そういう立場だ。

「ない――と言われていないのなら、おまえはそれが赦されている立場なのだろう。
 実際はないのだと薄々感づいているのにあえてやっているとかでないのならば、
 それは何かあったとき、おまえが責任をとってくれる、ということだろう?
 少なくとも"こんなはずではなかった"なんて、くだらない言葉は吐かない者だと期待はしたい」

どうなのかな?
と言いたげに、覗き込む顔には微笑のまま。

「やつがれは好ましいものからどうでもいいものまで、あまり忘れる性質ではないさ。

 "はじめまして"。

 背景に紛れる群衆のなかにあるような、ごくありふれた人間であるだからこそ、
 おまえのように目立つものが、いやに目に留まる。
 で? おまえはどうなんだ? まるでいつか会ったかのように語りかけてきたが、
 会ったかどうか実際のところ覚えてなかったからああいう風に声をかけてきたんじゃないか?」

真偽はどうあれ。
初対面の挨拶を重ねておいて。

「そんな相手に、まさか"どんな悪だくみを始めようとしているのか"なんて、
 失礼な邪推も、する訳がない――な? ん?」

唇を閉じて、首を傾げた。
猫が死ぬところを見る趣味はない。