2020/08/13 のログ
ヨキ > “面”の捉え方について、理解している者と、まだ至っていない者が半々。

カラスと同じく不思議そうに己の手を見ていた生徒が、ふとカラスを見る。
彼女は見るからに普通の人間だったが、カラスの容貌を気にした風もなく笑った。
まるで(難しいね)と一緒に笑い合うみたいに。

これ最初ほんとわかんなかったよね、今も正直よくわからん、むずかしい~などなど。
コメント欄にも気楽な文面が並んでいる。

「あはは。言葉だけでは、難しいかも知れん。
でもな、この描き方を修得すると――何と“描かれていないところ”まで見えるような、そんな絵になる。

たとえば、今描かれているこの手は、手のひらが正面を向いているね。
けれど、『皮膚がぐるりと回り込んで手の甲がある』、そう見える絵になるのさ。

カラス君も、今はリラックス、リラックス。
楽しく描くことを先決にしていこう。
小竜たちも、励ましてくれているのかな」

くすくすと笑いながら、描き進める。
皮膚の肌理、握り込んだネイルポリッシュのボトルのつやめき、黒く彩った爪のゆるりとした質感。
それらがじっくりと時間を掛けて、タッチの差が現れてゆく。

「物事には、いろんな見方があるのさ。光と影。表と裏。中と外。
決して変わらない真理が、そこにある」

気侭に、まるで歌うように。明るい声で、そう告げる。

カラス >  
絵というのは難しいという苦痛を最初に習得してしまうと、
一気に描くことへのハードルが上がってしまう。

だからこそ楽しさを見出す。

過程に、結果に、己の手がその白に世界を描くことが出来るという事実に。

生徒一人からの視線を感じると、困ったような、はにかむように下手な笑みを浮かべた。
頬を長い爪が軽く引っ掻いて、それは、養父が笑うと似たような笑みになるのだ。


「…はい、ありがとう、ございます…皆さん、も。」

小竜と雪崩れた時に笑ったコメントをくれたモノも居た。
励ましてくれたり、少し教えてくれたりして、絵が進んでいく。

鉛筆で少し汚れて、毎日の小竜の世話で軽い傷痕があったりする。
なるべく丸くした鋭い爪の裏側、表側のツヤ。そこに通る、断ずることの出来ない血管。
スケッチブックに対して少し小さかったり、見て描いたの不思議な位置にある指。

多少歪でも、出来上がっていく。

ヨキ > 写真に撮れば一瞬で写し取れても、時間を掛けて描くことでしか表せない空気がある。

描いている最中の、息詰まるような集中。思い通りに手が動かないことのもどかしさ。
それでも少しずつ出来上がっていく作品の、達成感。

これは試験でも審査でもない。楽しさを分かち合うための授業。

ヨキが横目にカラスを見遣って、優しく微笑んだのが見える。

「そうそう、その調子。
カラス君も、とってもよく描けているよ。

『よく見てみて』とお願いした君の手を、しっかり見つめて描いていることが伝わってくる。
ヨキも嬉しいよ」

ヨキが認めたのは、絵の巧拙それ自体ではなく、画用紙に向き合う姿勢。

「ずっと同じ絵を見続けていると、案外見方が麻痺してくるものでね。
時々絵から離れて見てみると、ここを直してみようとか、このバランスがよく描けているな、というのが分かるんだ。

何事もそう。熱中するのもいいけれど、時々離れて観察するのも大事。
そういうときにこそ、思わぬ答えが見えてくるからね」

ヨキの絵もまた、参加者のペースに合わせて出来上がってゆく。
描き慣れた熟達が垣間見える、教師の手。

指には金工の道具や日用品を握り続けた胼胝がちらほら。
肌の色は白くとも、日常的に使われている手だ。

カラス >  
頭に描いた結果と手元の結果が違っても、
妥協という術を途中で選んだとしても、そこにあるのは間違いなく、

『自分が創り出した』という喜びだ。

絵や芸術という文化はこうして《大変容》を経ようとも、
どれほどの戦火に焼かれ、糾弾され、時代を経ても親しまれて来た。

だからこそ、どれほど稚拙でも、どれほど歪でも、己が創り上げることの出来たそれを、誇ってほしい。


「……はい。」

この青年にも。


出来上がって来たお手本に、さすがヨキ先生、というコメントが流れたりした。
皆が皆、それぞれ、同じお題で、それぞれ違う違う自分の手が出来ていく。
手相が、形が、胼胝が、あるいは毛があったり…。
先程のリザードマンの彼も、鱗まで丁寧に描いている。

ヨキ > 「よしよし、みんなお疲れ様。
ほれ、時計を見てみたまえ。もう斯様な時間だ。
普段絵を描かない者は、自分がこれほど長時間集中できることに驚いたろう。

手を何枚も描き続けてもいい。
家の中にあるもの――例えばスマホや、リモコンや、ティッシュの箱なんてものを描くのもいい。
一日一枚ずつ何かを描くことを続けていくと、誰でも必ずや上達する。

絵を描く時間がない者でも、『面でものを見る』練習をしてみてもいいかも知れないね。
今言った品物が、どんな面でかたち作られているのか。
それをじっくり観察するだけでも、自分の目は養えるぞ」

参加者からコメントや音声に逐一答えたのち、さて、と両手を合わせて。

「――みな出来上がったところで、そろそろいい時間だな?
お待ちかねのおやつタイムと行こう」

歓声。そう、時刻は間もなく四時。
おやつの時間をとっくに過ぎているのだ。

じゃん、という掛け声と共にヨキが取り出したのは、新発売のラムレーズンアイス。

「カラス君も、お疲れ様。どうぞ一息つきたまえ。
いかがだったね、絵を描くのは楽しかったかな?」

カラス >  
「…おやつタイム?」

おやつは途中の休憩用のはずでは?

てっきり授業だけだと思ってましたと言わんばかりの青年。
羽根耳をぴこぴこと動かし、画面内の他の生徒を眺めていた。

それぞれがそれぞれ、各々の好きなお菓子やらを取り出して画面の前に並べたりなんだり。


「あ、はい…。本当、初めてだったん、です、けど…。
 先生も、皆さんも、親切で……その、初めてでも、楽しかった…です。」

聞かれると、自分も何か用意しようかと考えていたのが戻り、
おずおずと頷いた。

始めから出していなかったのは何故かというと、小竜たちに取られかねないので…。

最初の内はものすごく緊張していたのだが、絵を描く方に意識が行って、
他の皆の話を聞いたり、先生のアドバイスを聞いたりしているうちに、
きちんと己が集中できていたという結果が、目の前の紙の上に示されていた。

ヨキ > カラスの言葉に、にやりとする。

「そう、おやつタイム。
この時間を挟んだら、『経験者』たちの作品の講評をするのさ」

どうやら普段からの受講生も少なからず参加しているらしい。
えー、とか、やだー、といったブーイングが聴こえてくるが、その声も笑い交じり。
普段から、作品の講評を受けることには慣れっこなのだ。

「いろんな人の作品を観ることも、練習の一つだからね。

……ふふ、よかった。楽しんでくれて嬉しいよ。
配信は初めての試みだったからな。
正直なところ、どれだけ人が来てくれるか心配なところもあった」

軽い調子で肩を竦める。

「だが、これだけ集まって、みな楽しんでくれたら大成功だ。
次回も精が出るな」

そう言って、アイスをぱくり。
んん、んまい、と舌鼓を打つ顔は、何とも幸せそう。

――そうして、参加者たちと気兼ねないおしゃべりを交わしたのち。

いつもヨキの授業を受けている『経験者』らの作品がカメラに向けられる。
それを一枚ずつアップで映しながら、丁寧に講評会を行う。

いずれの作品にも褒めるところが大いにあり、留意するべき点が丁寧に解説される。

ヨキ先生いつもより優しい、とか、配信向けの講評だ、とか。
笑い声を交えた和やかな講評会を終えて。

「――次回は、静物デッサンにチャレンジしてみようと思う。
用意してもらうものは、材質を問わないコップやマグカップをひとつと、それからタオルを一枚。
それからおやつも忘れずに」

よかったら参加と、チャンネル登録を。
そんな軽やかな挨拶と共に――配信が締め括られる。

カメラを切る直前。

“お父さんにもよろしく”と、カラスへ向けてウィンクをひとつ。

ご案内:「配信チャンネル」からヨキさんが去りました。
カラス >  
新発売のアイスに対しては、
せんせーもう買ったの? とか、
ヨキ先生いつもすごい美味しそうに食べるんだからーいいなぁ今度自分も買おうなど。
それぞれ皆がおやつを純粋に楽しんでいる。互いのおやつの意見交換もあったり。

先程の集中した緊迫感もなんのその。

カラスも一旦席を外して、
養父がおやつや来客用にと良く用意している和菓子の詰まった袋を出してくる。
雑食系の小竜に取られそうになったり取られたりしながら、一緒におやつタイムを楽しんだ。

絵作業はとても頭を使うので、脳に糖分を補給するという意味でもこういうのは大事だ。


そんなこんなで講評も膝上に小竜を抱えて、分からないなりに真面目に聞き、
今日の配信はやがて終わりを告げる。

最後の締めの挨拶にありがとう、ございました、と、カメラに向かって軽くお辞儀をした。
もちろん先生であるヨキにもだが、皆にも向けて。

ちょっとカメラに頭をぶつけてしまって顔を赤くしたが、笑みはあっても嗤われることはない。


そして、

「…? あ、はい。お伝え、しておきます、ね。」

最後のヨキの言葉に素直に頷き、その日は過ぎていった。

ご案内:「配信チャンネル」からカラスさんが去りました。