2020/08/12 のログ
ご案内:「邸宅内のアトリエ」に月夜見 真琴さんが現れました。
月夜見 真琴 >  
邸宅一階の大部分を占めるその空間はもともとはリビングだ。
庭に続く、カーテンの閉ざされた大きいフランス窓からと、
僅かばかり蓋の開かれた天窓から注ぐ陽光が、
その場所の在り方を薄暗いながらに照らし出している。

壁に掛けられた幾つもの額縁のなかには極彩色の蝶たちが舞い、
その花園だけでなく、適切に保たれた湿度と温度は画材も守っている。
名家の子女が借り受けて、名工を真似て演出した木造のアトリエ。
応接用のカウチセットやCG作業用の機器類も備えられている。

昼間はハウスキーパーに申し付ければ、虜囚が在宅中に限り、
ある程度見知った委員なら問題なくここに通される。

ご案内:「邸宅内のアトリエ」にレイチェルさんが現れました。
月夜見 真琴 >  
室温でいえば20℃前後の、しかし湿度の保たれた、
外気温を鑑みれば肌寒いくらいの空間。

「――おや」

その奥側、林立するイーゼルに囲まれながら、
中央、無地のカンバスの前、チェアに座っていた白い影は、
来客に気づくと立ち上がって、ふりむいて――笑みを咲かせる。

「ああ――よく来てくれた。
 はてさて、この世捨て人に、如何な御用向きかな?」

うさぎのスリッパで歩み寄りながら、甘ったるい声で呼びかける。
来客は嬉しいものだ。

レイチェル >  
現れた客は、金髪に電子光の走る眼帯を身に着けた
風紀委員――レイチェル・ラムレイである。
外套を小脇に抱えた彼女は、汗を浮かべながら
玄関に立っていた。

「まー、寂しくしてるんじゃねぇかと思ってよ」

それにしても暑いな、などと言いながら靴を脱いで
自らも、そこに置いてあったねこのスリッパを選んで
履いた。

「なに、ちょいと寄ってみただけさ。
 たまにはな」

と、軽い口調で口にしつつ、その場でふっと、
優しく笑う。

「ま、それから宴会場で聞いた件
 についても、もう少しだけ話を……
 聞いておこうかと思ってな。
 その方が、フェアだろ?」

今度は少しばかり真剣な表情で、そう口にしてから
手に提げていた紙袋をすっ、と持ち上げて真琴の
目の前に持っていく。

「……ま、その話は後でいいや。
 ほらこれ、お土産」

袋からは香ばしい、焼き立てのクッキーの香りが
漂ってくることだろう。

月夜見 真琴 >  
「ああよかった――
 虎尾春氷のレイチェル・ラムレイの来訪だ。
 いよいよ括られるのかな、と思ったよ」

首の裏側を軽くなでて苦笑する。
そのまま髪の毛をまとめていたリボンを引っ張り、
気安い装いに改めると、彼女をアトリエへ通した。
彼女の微笑みに、少しばかりつくりもののような笑みに熱が入る。

「寂しかったね。寂しすぎてたまに死んでしまいそうになる。
 一日千秋の思いで来客を待っていた――助かったよ」

焼き菓子を受け取ると、ほう、と目を丸くして。

「――ああ、ありがたい。甘いものが、ちょうど欲しかった。
 聴取に付き合うのはやつがれの義務。
 おまえの仕事の助けとなるなら、いくらでも受け合おう。
 菓子があるなら、飲み物が要るな。
 疲れが取れる甘いのと、目が冴える苦いのなら、
 どちらがいまの気分かな?」

座り心地のよさそうなカウチセットに、かけてくれ、と手を示しながら、
飲み物の好みで、今日のこれからの予定を聞く。
ゆっくりできるのか、仕事に戻るのか――だ。
カウチの近くには、葡萄染め色の髪をした少女が、
往来でギターを引く絵が飾られていた。

レイチェル >  
「おいおい、オレはそんな危険人物じゃねぇぜ?
 少なくとも今は、さ」

虎尾春氷の一言に柳眉を少しばかり逆立てつつ、
左腰に手をやって小さなため息をつき、目を閉じる
レイチェル。

そうして続く真琴の言葉を聞けば、
彼女の履いているスリッパを改めて一瞥した後に、
その顔を見て一言、ウサギかよてめーは、などと放ちつつ。

「仕事の助けっつーか……ま、オレ個人が気になった
 ことだから聞きに来ただけさ。
 ……あー、目が冴える苦い方で頼む」

コーヒーだよな、と確認しつつ。
つまりは、まだまだ仕事が残っているということだ。
促されれば、カウチにとすん、とその腰を降ろして。
物珍しそうに、周囲を見渡すのであった。
何しろ、此処へ足を向けるのは初めてである。
視界のあちこちに佇むイーゼルに目をやりながら、
レイチェルは真琴の送る日常に思いを巡らせていた。

月夜見 真琴 >  
咎めだてにも微笑みで返して、しかし足取りは軽い。

「承知した。相変わらず大変だな。
 そんな折にこんな場所に尋ねてくれたんだ。
 そういう用件でも、とても嬉しく思うよ」

準備しながらに、レイチェルを取り巻くものはまず画材の匂い。
日付別に整理され、ある時からカンバスの数が増えている棚に、
隅に重ねられている習作には、懐かしいといえる顔ぶれを覗ける。
月夜見真琴の、風紀委員としての時間は止まっていた。
未だレイチェルが虎尾春氷の気配を持っていた時から。

「イタリア式のを冷やしてあった。
 喉も渇いただろう?よく効くよ」

焼き菓子を皿に広げて、トールグラスに満たされた濃いコーヒーに氷が浮く。
ミルクとシロップのポットも含めてカウチセットのテーブルに置かれれば、
芸術学科の生徒のほうに比重をおく風紀委員が対面にふわりと座した。

「旅館ではすまなかったな、宴席に水を差した。
 やつがれもすこし、取り乱していた。情けないね。
 疲れ、すこしは取れたかな? 肩周りとか」

手を神妙に合わせてから、細い指先で焼き菓子をつまみ、含む。

レイチェル >  
目の前の女が、相手を煙に巻いたりからかったりする
タイプであることは百も承知である。
故にレイチェルも冗談混じりに軽くあしらうのであるが。

「ま、忙しいのは間違いねぇ。
 けど、風紀に残るって決めたのはオレが決めた道、だからな。
 やれるだけやってみるさ」

画材の匂い。慣れない匂いであるが、嫌いではない。
部屋をぐるりと見回す中で、レイチェルが注目したのは
部屋の隅の習作だった。かつて真琴が監視要らずの
風紀委員として活動していた頃の、絵。
そこには自身の姿も描かれていた。

その姿はただ人工的な色が重ねられた
筆の跡が成す影であるにも関わらず、今の自分よりも
ちょっとばかり活力に満ちているような気がして、
レイチェルは目を逸した。あんな頃もあったな、と。

外套からピンク色のハンカチを取り出せば、
眉を滴る汗を拭う。
暑い中此処まで足を運んできた。
目の前の冷たいコーヒーは、小さなオアシスに思えた。

すぐさま手に取り、一口。
グラスの端に艷のある唇を添えて
その口に流し込めば。

はー、と。
リラックスした一息を小さく吐くのであった。

「ま、構わねぇさ。
 切り替えっつーのは、難しいもんだ。
 口にするのは簡単だが、人間の心なんざそう
 簡単に、スイッチ一つで切り替えられるもんじゃねぇからな。
 そう言うことだってある。誰にだって、あるだろうさ」

同じく手を合わせる。白い透き通るような肌が重なり、
ぱちんと音を立てる。

「あぁ、取れた取れた。凛霞に言われて下着も変えてみたしなぁ」

一度湯浴みで肌を見せあった者同士。そこは、からっと返すのであった。

月夜見 真琴 >  
焼き菓子の味に、眉をあげて表情が明るく。
透明なシロップを垂らし、ブラックのまま、
金属のマドラーで自分のコーヒーをかき混ぜた。
氷とグラスが擦れ合い、透明な音が鳴る。
 
「少しくらい、叱ってくれても構わないよ」

自分の弱音を構わない、と言ってくれる彼女には、
喜びと面映ゆさが綯い交ぜになる。

「まあ温泉には浸からせてもらったし酒も愉しんだが、
 わきまえるべきはやはり己の方であろうともわかった。
 得難い機会だった、楽しかったと思ったからこそ、
 詫びておきたい。おまえにも、みなにもな」

心の整理をつけるべく、そうして苦さを緩和した珈琲を飲む。
催しへの参加も、やはり控えるべきだ。それは自戒だった。

「その重力のなかで生きる感覚はやつがれには想像もつかんな。
 ぜひ自愛して欲しい、もう少しで卒業だろう?
 ――まあ、斯く言うやつがれもな、んーっ!」

グラスをそっと置いて、ぐっと伸びをすると、
少し背中とか肩が危うい音を立てる。
運動はしているのだがな、なんて肩をすくめて。

「――さて、なにから聞きたい?
 やつがれからは、おまえから見た"キッド"という男について、
 私見を問いたいというところだが。それに返せることもあるだろう」

レイチェル >  
「悪くねぇ味だろ。
 クッキーを焼くのは、オレの得意とする所だぜ」

シロップにもミルクにも手をつけずに、
グラスを幾度か傾けること数度。
手元のクッキーを手に取れば、一口齧って、
また苦い珈琲を口へ少量流し込む。
この珈琲うめぇな、と口にしつつ。

「……叱られることで心の整理がつくこともある」

珈琲に吸い込まれ、混ざっていくシロップを
見つめながら、レイチェルはそう口にする。
苦味の黒は、透明な甘味が混ざることで、随分と
飲み込みやすくなることだろう。

「でも、オレがわざわざそんなことしなくたって、
 お前はもう、きっちり心の整理をつけられるんじゃねぇか? 
 聞いてりゃ、次に活かす心構えはできてるみたいじゃねーか。
 なら別に、そんなことしなくても良い、必要ねぇと
 そう思っただけさ」

氷とグラスが擦れる透明な音を聞きながら、レイチェルは
いつも通り、湿り気のない透き通った声でそう返した。

「ま、そんなに気にしてねーのも、あるけどな」

レイチェルはそう口にして、微笑む。それは、
心の底から溢れる、気にすることはないという思いを、
しっかりと伝えるだけの笑みだったろうか。

「単位はもう全部取ってあるんだが、オレは此処へ
 残るつもりさ。他に行く宛もねぇし、オレはこの
 島が好きだからさ」

そう口にしつつ、真琴につられて自らもリラックス。
腕を後頭部へ回して、カウチに深く座り込む。

「ま、そうだな。
 あいつと話してると、確証はねぇんだが……
 いつだって仮面を被ってるっつーか……
 何か、役者と喋ってる気分なんだよな。
 ただの役者気取りのキザ野郎、って片付けちまえば
 楽なんだが、そういう訳でもねぇ影も、あいつから
 感じちまって、いや、見ちまってるしな……」

影。
彼が放つ何気ない言の葉、
そして彼の普段の彼の行いから、
十二分にそれを感じ取ることはできていた。

月夜見 真琴 >  
「――そうやってしっかり見てもらえていると思うと、
 なんだろうな、むかしのことを思い出すよ。
 懐かしいな。 クッキーの味も、知らなかったくらいなのに。
 ん……、本当に美味しい」

柔らかい微笑みでそれを請け負い、もう一枚口に含む。
そう見てもらえているなら、殊更に自己否定を重ねることはしない。
それはレイチェルの意志を侵すことだ。
目を伏せてうなずくと、ゆっくりクッキーを味わいながら話を聞く。

「そうさな」

視線をさまよわせてから、手近な場所にあった渇いた筆を取る。
指の間に挟んでみれば、少し煙管のような。

「あの紙巻き、嗜好品としての煙草ではないな」

空中に筆を動かし、そのときのことを思い起こすように。

「"犯罪者への忌避感"、あるいは"犯罪者を撃たねばならない"という強迫観念。
 ――"犯罪者(やつがれ)"の見たあの男は、まあそういうものだ。
 ラヴェータも、やつがれも、まあ、あれを挑発して撃たれたことになる。
 三人の個別監視役の話、知っているだろう。
 『何もしてない』を疑われ、『やったとしたら』で三発だ。
 ま、相手がやつがれだから大した問題にはならないだろう」

肩を竦めた。第一級監視対象《嗤う妖精》の看板は、そういうところで役に立つ。
そう狙ったものか定かではないが、問題の炙り出しにはなったものだ。
"キッド"がやったことへの処遇をどうにか和らげることもできる。
備品の有効利用とは、そういうことだ。何度も使える手ではないが。

「伊達を気取る無頼の裏には、人を撃つことへの恐怖感が見えた。
 それを奮い立たせているのが、あの煙草――だろうかな。
 あれを吸った瞬間に、子鹿のように震えていた身体が、
 するりと伸び上がったものさ。悪い夢でも見ているようだったな」

くつくつと笑声をたてて、グラスをもたげて、少し多めに喉を潤す。
指はかすかに震えていた。唇を離してグラスを揺らす。

「――真っ向から問い詰めるとな、逆に激発するかもしれない。
 あれはそれくらい追い込まれているように、みえたよ」

グラスを置いて身を乗り出し、話をしよう、と言っていた彼女に、
気遣わしげな視線を向ける――心労の種がいままさに撒かれているからだ。
できることなどなにもないが、まあ今くらいならばと。

「卒業しても残るなら、なおさら、苦い終わりにはできないな。
 あれの世話をしている物好きでもいれば、また違った話も聞けるかもしれんが」

レイチェル >  
「ったりめーだ。オレは、オレの目に入る奴のことは、
 ちゃんと見るつもりでいるよ。
 全部を見ることは無理だが、それでもその努力を
 やめるつもりはねぇ」

そう返せば、本題に入るところで座り直して
真琴へと向き直るレイチェル。

「へぇ。ただの煙草じゃない、ねぇ……」

煙草の種類には詳しくない。或いは、そういった枠組みを
越えた何かもっと大きく深いものについて言及をしている
のだろうかと、レイチェルは目を細めて真琴の手元を
見つめ、次の言葉を待つ。

「犯罪者への忌避感ね。それは風紀委員である以上、
 多くの奴が持ってるもんだろうが……あいつのそれは、
 ちょいと異質……って訳だ。
 あいつはオレに銃を預けた時、『釣り合わない』
 って言ってたが……なるほど、分かってきたぜ」

抱いていた違和感が、氷解した。
要するに。
煙草は、執行者としての印。
様々な迷いを持つ本来の彼が、迷いを捨てる為の
スイッチのようなものか、と。
そう、レイチェルは真琴の言葉から汲み取った。

レイチェルは『彼自身』を知らない。
キザで、不真面目で、どうしようもないあいつの顔しか
知らない。

ならば。
次の対話の際には、『彼自身』と話す必要があるのだろう。
それが、風紀の先輩として。
そして何より、彼と同じく引き金を絞って生きてきた
『レイチェル・ラムレイ』が、
やらねばならないことなのだと、
今はっきりとレイチェルは胸に刻んだのだった。

「追い詰められてる、か。
 ありがとな。その情報が得られただけで十分だ。
 その話を聞けただけで、今日は来た甲斐があったってもんだ」

そして彼女の気遣いを湛えた視線を目にすれば、首を横に
振る。これは、心労などでは決して無い。
何故ならば、レイチェル・ラムレイという人物は――

「――目の前で助けられる奴には、助けを必要としてる奴には、手を伸ばす。そう決めたんだ。
 昔のオレと、同じように。
 ……後輩が、親友が、気付かせてくれたからな。
 
 だから、勘違いするんじゃねぇぞ、真琴。
 こいつはオレの勝手な我儘さ。
 要するに放っておけないのさ。
 オレもあいつも、ちょっと似てる所があるからな。
 
 だから、先輩として、そして何より。
 あいつと同じく銃を握る『レイチェル・ラムレイ』としても。
 オレは、あいつと話をするよ。それがあいつの問題の解決に
 直結するか分からねぇが、それでも話はする」

レイチェルははっきりとそう、口にする。
気遣いを見せる真琴への否定であり、
そこへ重ねる気遣いでもあり、
自他へ向けた再びの宣言でもあった。

「……ありがとな、真琴」

そして最後に口にしたそれは、
自らを気遣ってくれている目の前の相手への感謝の言葉だった。

伝えるべき全てを口にして、グラスを置く。
底まで透明になったグラスに残った小さな氷が、
からりと小気味の良い音を立てて、底に落ちた。

月夜見 真琴 >  
「他者にそうあれと刷り込まれたか、あるいは自己正当化か。
 強迫観念というのは得てして根深い、殺生絡みとなればとみに――だ。
 ああ、礼には及ばない。やつがれにできることは、ほかになにもない。
 敬愛すべき先達には碧血丹心を以て尽くすさ。
 それはやつがれがこの立場にあっても、なくても、変わらない。
 とはいえ人選は考えものだな、あれとぶつからなさそうで――」

心が籠もっているのかどうかあやふやなさらりとした口調で、
ありがとな、という言葉を受け流した。自分が受け取るには過ぎた言葉なのだ。
そんな表情が続く言葉に、若干のこと険しくなる。


「――――――なぜ?」


小さく掠れた声を、唇のなかで呟くようにして。

「ん、あ、ああ――、そう、まあ、はい」

改めての礼は、そのせいで受け取ることができなかった。
誤魔化すように珈琲をもう一口、冷静さを取り戻す。
じっと、瞳を細めて、"レイチェル・ラムレイ"を視た。

「むかしの――」

一瞬、視線を部屋の隅の習作に向けた。
そこにそれがあるということは、自分も知っている。覚えていた。

「ように、振る舞おうというのはつまり。
 だれかになにかをいわれて、なにか気づいて――
 デスクワークではなく、"現場(まえ)"に出ていこう、と?」

まじめな話は此処で終わり、とカウチに深く座り直しながら。
筆を置き、両手で持ったグラスを指先で軽くなでている。

「てっきり、それを拒否する、理由が――あるものかと思ってた」

クッキーの味も知らない相手の、それが何かまではわからない。
だが回帰、あるいは変化の肯定を口にした彼女の姿をみて、
彼女の目に入る一部、である月夜見真琴の。
レイチェルを見つめる瞳には動揺と不安が、あった。

レイチェル >  
「勘違いすんな。
 昔ほどに馬鹿はやらねーさ。
 ただ、書類の山に埋もれてるだけじゃ見落としちまう
 ことが、世の中にはあまりにも多すぎるんでな」

不安そうな表情を見て、レイチェルは静かに笑う。
目を閉じて、大丈夫だと言わんばかりに。
違反部活と真正面からやり合うだとか、
毎日のように落第街をパトロールして、
争いに首を突っ込むだとか。
かつてはそんな毎日だった。それが、彼女の当たり前だった。

時は流れて、4年生。
デスクに舞い込んでくる書類を見れば、
風紀を通して常世島で起きる様々な出来事の一端を
知ることができる。
しかし。
紙面の上の情報にばかり目がいけば、大事なものを
見落としてしまう。
親友の気持ちも。
自分の気持ちすらも。
だから――

「――ちょいと、外の空気を吸うだけさ」

窓の外を見やる。
夏の空は何処までも青く、透き通って眩い。
生命力溢れる木々の葉が、風に揺れて聞こえぬ音を
窓越しに立てていた。

「オレのことを心配してくれる親友――華霧が居る。
 そして、真琴。
 お前もそういう目でオレを見てくれる。
 そんな奴らが居るのに、過ぎた馬鹿ができるかよ」

そう口にして、レイチェルはカウチから立ち上がる。
再びの、伸び。組んだ両手を天井へと突き上げるように
腕を伸ばせば、くぅ、と小さく声をあげて。

「……あるさ。
 でもな、それを理由に外に出ねぇのは……
 見て見ぬ振りをして、自分を見失っちまうのは。
 オレ、嫌なんだ。
 オレだって馬鹿じゃねぇ。
 自分の『身体のこと』くらいしっかり面倒見る努力は
 してみるさ。だから、大丈夫だ。
 どうしようもなくなったら……ちゃんと相談する」

それだけ口にして、
外套を小脇に抱えれば、真琴の方を見やる。

「じゃ、話はこんなもんでいいか? そろそろ仕事に行かなきゃならねぇ。 
 今日は、ありがとな真琴。また来るぜ」

もう一度、感謝の言葉を。
止められなければ、そのまま彼女の家を後にすることだろう。

ご案内:「邸宅内のアトリエ」からレイチェルさんが去りました。
月夜見 真琴 >  
グラスを傾けながら彼女の言葉を聞いて。
言葉を疑う余地はなく、決意の程は熱いほどに。
ならば異論を差し挟むことはあるまい。
目を伏せて、その決心をただ飲み込むそぶりを見せた。
下唇が強く噛み締められる様を、珈琲と氷で隠しながら。

「運動不足は、ふふ、確かに――死活問題だものな。
 もうすぐ卒業、それまで余生のように机にかじりつくものだと思っていたが。
 おまえはおまえであることから、ついに逃れられなかったようだな」

グラスを離せば愉快げないつもの微笑を見せ、
楽しそうに解きほぐせば、名前を聞いて目を細めた。

「――ああ、やはり。そのなまえ、ここで出てくると思ったよ。
 ずいぶん仲が良かったものな、まえから。
 であればどうぞ、朋とともに、良き"レイチェル・ラムレイ"で。
 おや、やつがれは、盛大に転ぶ姿を期待しているのかもしれないよ?
 強き者の零落は、やつがれの心を騒がせるものとしては至上に近い」

止める言葉も持たぬなら、
やはりか、と。示された身体の不調に目を細めども、浮かべ慣れた笑みは陰らない。
"また来る"の言葉を期して微笑みを見せるばかり。
わきまえる。彼女が彼女の在り方を、ならば自分は自分を、だ。

「ああ。
 "気づかせてくれた"者を、泣かせるようなまねはするなよ?
 やつがれから言えることといえば、これくらい。
 次は華霧も連れてきてくれ。あれはよく食べてくれそうだ。
 料理の腕のふるいがいがある」

玄関。陽炎ゆらめく八月、常世島の熱射。
廂の影より、そちらへ向かう背を見送った。

「達者でな」

月夜見 真琴 >  
 
  
――その背に、
 
 
 

月夜見 真琴 >  
「――――、」

日陰から炯々と光る銀の瞳を細めては、
遠ざかる姿から視線を切って振り返ると、
両手を背に組んだまま、さて、と日陰のなかに。

「課題も進めなければな。
 ヨキ先生のご期待、裏切るわけにはいくまいね」

愉しげな鼻歌まじりに、影のなかに消えていく。
扉を閉め切った。

ご案内:「邸宅内のアトリエ」から月夜見 真琴さんが去りました。