2020/08/14 のログ
ご案内:「邸宅内のアトリエ」に月夜見 真琴さんが現れました。
月夜見 真琴 >  
邸宅一階の大部分を占めるその空間はもともとはリビングだ。
庭に続く、カーテンの閉ざされた大きいフランス窓からと、
僅かばかり蓋の開かれた天窓から注ぐ陽光が、
その場所の在り方を薄暗いながらに照らし出している。

壁に掛けられた幾つもの額縁のなかには極彩色の蝶たちが舞い、
その花園だけでなく、適切に保たれた湿度と温度は画材も守っている。
名家の子女が借り受けて、名工を真似て演出した木造のアトリエ。
応接用のカウチセットやCG作業用の機器類も備えられている。

昼間はハウスキーパーに申し付ければ、虜囚が在宅中に限り、
ある程度見知った委員なら問題なくここに通される。

月夜見 真琴 >  
――記憶は美化される。
遠い過去をカンバスに写し取ろうとすると、
出来栄えには一定の納得がいっても、その感覚を拭い去ることは難しい。
それがどれだけ、自分にとって大切な記憶であったかという実感も。


「――ふぅ」

悩ましげな溜め息を落とし、チェアの背もたれに身体を落ち着ける。
外の暑さ眩しさとは隔絶された空間が真琴の牢獄であり城だ。
何がしか散歩でもしたい気持ちに駆られるが、道端の蚯蚓の仲間入りも御免だ。

「出るなら夕刻か――あるいは他の気分転換でもあれば良いのだがな」

ご案内:「邸宅内のアトリエ」に神代理央さんが現れました。
神代理央 > 第一級監視対象。風紀委員会内部において、時には罪人として。時には猟犬として。時には――触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに。
何とも不可思議な待遇を受ける彼等には、当然各種監視が設けられる。

「……だからといって。奴の監査役では無い私が。こんな時間に出向く理由になるだろうか」

監視対象の一人である血濡れの戦犯》の監査役を務める己は、風紀委員の中でも比較的アクティブに動く部類。
だから、という訳でも無いのだろうが、個別の監視役を持たない監視対象。《嗤う妖精》の視察任務を放り投げられた。

道端で干乾びる蚯蚓には、蟻すら集らない。
灼熱のアスファルトは、ヒトが造りしモノでありながらあらゆる生命を拒絶するかの様な灼熱。
そんな炎天下の中、僅かに汗ばんだ少年は、彼女の城――牢獄――のベルを鳴らす。

不満を零してはいるが、仕事が与えられているのは有難い事ではある。躰を動かしていれば、多少は気が晴れるというものでもあるし。

月夜見 真琴 >  
「――ん? 理央が?」
 
ハウスキーパーの事務的な応対と学生証の確認。
その後に来客を伝えられた虜囚はというと首をかしげて、
イーゼルに布をかぶせると、うさぎのスリッパを足にかけて立ち上がる。

「やあ、珍客だな。肖像画の依頼かな?たとえば――」

入れ替わりに応対に出ると、その表情を見て僅かに眼を細めた。
大方視察にでも来たのだろうと思ったが、さてこれは果たして。

「入れ。暑かったろう?わざわざご足労だったな。
 ココアはどれくらい甘くしてほしい?」

と。日陰を作る廂のなか、そして外気温からすれば寒いほどのアトリエへ招く。

神代理央 >  
愛想が無い訳でも無いが、良い訳でも無い。
正しくハウスキーパーの役目を務めた者と入れ替わりに現れる家主に、さて、どんな言葉が飛び出すやらと内心身構えていたが――

「――…貴様に丁寧に応対されると、不気味なんだがな。風邪でも引いたのか、嗤う妖精。
……別に、其処まで甘くしなくても構わんよ。普通で、構わん」

御足労、とまで声をかけられて招かれる等、一体どういう風の吹き回しだろうか。
怪訝そうな視線を向けながらも、陽光を遮る廂へ。僅かに身震いする程のアトリエへと彼女に続いて足を進める。

「大した用件では無いよ。貴様が御行儀良くお絵かきに励んでいるかどうか。それを確認しに来ただけだ。心配せんでも長居はせぬ。気が散る様な聞き取りもせぬさ」

几帳面に纏っていた制服の上着を脱ぎながら、言葉を投げかける。
しかしはてさて。付き合いが密な訳でも無い彼女ですら気付いた表情の変化。感情を映し出す己の貌。
それに気付いていないのは、或いは己自身だけ、なのかも知れない。

月夜見 真琴 >  
「ふふ。 来客を歓待するのは当然だろう?
 やつがれの名に、丁寧に怯えてくださっているのはおまえのほうだとも。
 ああ委細承知した。最近は散歩する元気も出なくてな、何から語ったものかだが」

棘っぽい言い方にも、どこか可愛らしい小動物を眺めるようなまなざしをむけるばかり。
しばらく台所に消えた後、トレイにはコーヒーとミルクココア、それぞれが満ちたトールグラス。
古風なカウチセットの対面に彼を座るように促し、
タオルケットがたたまれているほうに己は座する。たまにここで昼寝する。

「しかし、温泉で見たおまえとはまるで別人だな。
 物を語るはむしろ、そちらのほうが面白そうだが――さて。
 いろいろ渦中と聞くが、なにか思い悩むことでもあったかな」

配膳しながら、世間話のように、ささやく甘い声が語りかける。
ポットからミルクを自らのグラスに注ぎ、
透き通るような黒が、曖昧な灰色に染まっていく。
言われた通り"普通"のココアは、ミルクとシロップのポットを使えば、如何様にも。

神代理央 >  
「社会的には当然の事ではあるがね。揶揄う言葉一つ無く迎え入れられれば、思わず身構えもする。
語るべき事が無ければ、それはそれで構わんよ。騙るのは控えて欲しいものだが」

己よりも僅かに小柄な彼女が此方に向けるまなざしには、フン、と言わんばかりの尊大で傲慢な態度で返すだろうか。
促される儘にカウチソファへ腰掛け、先ずは一息。
手早く済ませてしまおうか、と口を開きかけて。彼女の方から投げかけられた言葉に、僅かに静止する。

「……思い悩む事。はて、何の事やら。
それは今回の私と貴様が交わすべき言葉では無い。質問するのは私で、答えるのは貴様だ」

耳から忍び込む様な甘い囁き。
それに返すのは、剣呑な程の視線と鞭打つ様な声色の言葉。
あからさまに過ぎるだろう。『何か思い悩んでいます』と言わんばかりの、その態度は。

用意されたミルクにも、シロップにも。
手を伸ばす事は無い。
用意されたが儘のグラスに手を伸ばし、喉を潤した。

月夜見 真琴 >  
「おや、手土産なく来て歓待の礼もないとは、些か躾が行き届いていないようだな。
 まあいいがね。 てっきり愛しの君と喧嘩でもしたものかと思ったが。
 なにもないというのなら構わないか、おまえの仕事の話に移るとしよう」

低いテーブルのあたりで足を組み、鷹揚とカウチに背を沈めた。
表情を崩すことはないのは、そういう扱いに慣れているからだ。
むしろキッドや理央のほうが正常である、とも取れる。
少しばかり嬉しげに唇を笑ませることさえ。

「ああ、いいとも。 なんなりと、偽りなく答えよう。
 味はどうかな、疲れているときは、やつがれはもっと甘くして飲むよ」

手をそっと差し出して、どうぞ――と発言を促した傍らから問いを掛ける。

神代理央 >  
「…歓待への礼に欠けていた事は、謝罪しよう。職務で訪れたとはいえ、無礼極まりない行動であった。すまぬな。
………そんな事は無い、と。強く肯定出来れば良かったのだがな。
貴様の言う通りだよ。ああ、言う通りだとも。貴様に明かすのは、業腹であるがね」

手土産はまあさておき。
己を迎え入れた家主への無礼は素直に詫びようか。
些か感情的になり過ぎていたかも知れない――と思い至った矢先。
『感情的』になり得る理由そのものをズバリと言い当てられれば、僅かな沈黙の後に疲れた様に言葉を投げつけた。
背凭れに身を預ければ、ぽふ、と軽い音が響くだろうか。

「問いは簡単かつ明瞭だ。
慰安旅行前の行動記録。監視対象が立ち入る事を許可されていない区域に足を踏み入れていないか。
どの様な者と接触したのか。特に、風紀・公安委員会の者への接触はどの程度あったのか」

「その程度のものだ。大した事じゃない。
――気遣い有難う。だが、此の侭で大丈夫だよ。甘過ぎるのも、考え物故な」

淡々と、彼女に問うべき言葉を投げかけながら。
彼女が『自然』と此方に問いを投げかけている事に、もう口を挟む事も無く。
グラスを置いて、彼女に視線を合わせるだろうか。

月夜見 真琴 >  
「ふっ――あはははっ。 ああ、いいのさ、やつがれも少し誂いすぎた。
 謝罪も無用さ、《鉄火の支配者(おまえ)》の威信に関わる。
 やつがれは風紀委員会の備品。 うまくあつかえ」

楽しげに足をぱたぱたと揺らし、素直な様子を見せた少年に笑った。
決して暑さによるものだけでない疲労は、どうやら陽炎ではなかったようだ。
後を引く笑いをごまかすようにグラスを傾けると、からんと氷が音を立てる。

「フム、庁舎に出頭した時のことについて説明は問題なかろう?
 このか弱い乙女が、歓楽街の端まで出向いて無事なはずもあるまいよ。
 概ね報告に相当する特殊な事例はないが――ああ、そうだ」

わざとらしく視線を動かして、思い出した、と言わんばかりに。

「温泉前、なら――フィスティアと少し話し込んだな。
 身内と揉めたというらしいから、悩みを少しほぐしてやれればと。
 だいぶ傷ついていたようだが、おまえ最近、あれと会ったか?
 よもやと思うが冷たい言葉の鞭で打ち据えてなどいないだろうな」

グラスを傾けつつ、じっと見つめて問いかけた。
――が、詰問する権利はこちらにもない。こくりと白い喉を嚥下する。
相好を崩して、穏やかに問いかけた。

「なにがあった? 温泉ではずいぶん、仲睦まじい様を見せつけてくれていたが」

神代理央 >  
「備品、等と自らを貶める事は止めろ。虜囚と手駒という立場を弁えていれば、それ以上委員会は貴様…いや、貴様達の尊厳を貶める様な事はせぬ。
第一、貴様が備品というのなら。監視役である我々は唯の備品係だ。それでは、役職の箔がつかぬだろう?」

足を揺らす彼女の仕草に、存外子供らしい一面もあったものだなと瞳を細める。
負の感情ではなく、興味本位と好奇心を瞳に宿して。

「か弱い乙女、ね。いや、それを否定はせぬが肯定もしかねる言葉だな。貴様についての資料は、どいつもこいつも物騒なものばかり故」

と、視線を巡らせたその仕草に、おや、と言わんばかりの色を浮かべた後――

「……成程。アイツを誑かした…とまでは言わぬが、色々と吹き込んだのは貴様か、月夜見。ああ、会ったさ。狂信的な不殺主義者に陥っていたから、現場の声を聞かせてやったがね。
恐らく、鞭打たれたとは思っていまい。厄介な事をしてくれた」

今度は、正真正銘仕事にて疲弊した溜息。
げんなり、といった様に項垂れると、グラスを手に取って再度喉を潤す。一応、彼女の行動記録として報告は上げておき。フィスティアの動静には注意を払う必要があるだろう。
全く、面倒な事をしてくれた。

されどその表情は。
『仕事』から離れた彼女からの問い掛けに僅かな変化を見せる事になる。こと言葉を交わすという事柄において、彼女程警戒しなければならない相手はいない。
されど、それは同時に。表現を誇張すれば彼女が所謂『知恵者』の部類に入る事も同義。虎穴に入らずんば虎子を得ず、とまでは言わないものの、相談の一つくらいは、投げかけても良いのだろうか、と。

「……あの後、旅館で少し喧嘩してしまってな。慰安旅行以来、顔を合わせてはいない。
原因は私の方にある故、どうしたものかと悩んではいるが。仕事に打ち込んでいれば煩悶する余裕も無くなる。
笑っても良いぞ?仕事を逃亡先の一つにしている、惰弱な監査役をな」

月夜見 真琴 >  
「尊厳か。 つい最近貶められたよ」

細い肩を竦めて、なんてことのないように笑った後。

「不殺主義はもともと備わっていたものさ。あれはその扱いに困っていた。
 そこに風紀委員としてのひとつの指標を、やつがれは示したに過ぎない。
 切磋琢磨を煽ってはみたが、あれはそれとは違うこたえを選んだ」

厄介だというなら、フィスティアという少女自体だろうね、と。
そう思い起こすように、自らの顔の映らぬコーヒーの水面を見落とす。

「若々しい竜虎相搏も結構だが、もしもの時は支えてやってくれ」

如何様にも、と告げて、一口また嚥下する。
じっと見つめながら、少年の自虐に視線を向ける。
静かに置かれたグラスが氷同士をこすらせて、透明な音を響かせる。

「ああ、そういえば起き抜けるなり沙羅が部屋から出ていったがその時か。
 まったく忙しい限り、学生恋愛らしいといえばらしいが、
 あの温泉、想像以上に同時に色々と起こったようだな」

腕を組むと、穏やかな声をかける。

「笑わないさ」

一言そう首を横に振れば。

「なにを、どう悩んでいるのか。
 神代理央と水無月沙羅について、やつがれに少し教えてはくれまいか。
 ――おまえ、このあとの仕事、もしかして入れられていないんじゃないか?
 おまえが此処に差し向けられた理由、だいたい察しがついてきたぞ」

彼の表情は、殆ど会話したことがない自分でさえわかるほど翳っていた。
指示を出す者となればそれに気づかぬはずもなく、
"どうでもいい"任務を下す理由がなんとなく、見えてくる。

神代理央 >  
「……聞いていない話だな。もし良ければ、話くらいは聞くが」

尊厳を貶められた、と告げて肩を竦める彼女に、静かに視線を向けて首を傾げつつ。

「そういう性格だと察してはいたが、いやはや。
悪い事だとは言わぬ故、邪魔建てしようだとか、貶めてやろうとは思わんが。
……まあ、そうだな。あんなのでも一応同僚だ。彼女が望むなら、倒れぬ程度には支えてやるさ」

理想と現実。その狭間でフィスティアは苦しむのだろうかと。
氷を鳴らしてグラスをテーブルへと戻すだろう。
さて、情けない話を向けた彼女は一体どのような反応を返すのかと、ぼんやり視線を合わせてみれば。

「その時で間違いない。住居も共にしていたのだが、あの日以来出ていってしまって居場所も掴めぬ。
学生らしい騒ぎの一つ二つ起こったのだと思えば、まあ中々波乱に満ちた慰安旅行だったのやも知れんな」

そして、笑えば良い、と告げた言葉には。
笑わないさ、と答える言葉。

「…意外だな。自分で言うのも何だが、今の私は大層打たれ弱い自覚がある故、詰り、嘲笑っても良い機会ではあるのだが」

小さな、しかし力無い笑みと共に肩を竦める。

「……確かに、此の後は直帰だ。私の今日の仕事は、貴様を視察して、それで終いだ。であれば、何かね。貴様は、カウンセラー代わり、とでも言う事なのかな」

ならば、もう諸々隠し立てする事もあるまいな、と。
苦笑いめいた表情の変化。

「私と沙羅について、か。何から話せば良いものか。
出会ったのは風紀委員の任務。違反組織の鎮圧の際、一時的に作戦を共にした。
恋人として付き合う様になったのは、私が幌川最中との共同任務中に負傷し、入院している最中。其処で、彼女から好意を伝えられた。
その後は…そうだな。その後は貴様も知る様に、様々な事件があった。トゥルーバイツ。光の柱。その他諸々」

「それ故に、余り二人の時間、というものを取る事が出来ていなかった。
慰安旅行での喧嘩の原因も、発端は其処に在る」

訥々と語り終えた後。
深く深く、カウチに身を預けるだろうか。

月夜見 真琴 >  
「乱暴をされただけさ」

いつものことだよ、と微笑む唇のまえに人差し指をたてる。

「――いいや? 単に"休め"、だ」

やつがれが話好きの暇人であることなども筒抜けだろうから。
時折コーヒーを嚥下しつつ彼の話に耳を傾ける。
茶請けでも持ってくれば良かったかな、と差し挟む間もなく。
簡潔に綴られた男女の関係はしかし。

「―――」

頬に手を添えて少し考えるように眼を細めたあと。

「現場では肩を並べ、住居を共にし、苦楽まで分け合っておいて、
 二人の時間が足りないというのは些か奇妙な話に聞こえるが、
 要するにそれ以上に、私人として恋人らしい振る舞いを求められた。
 ということで相違はないかな」

表情には少し苦笑いが浮かんでいた。
少しコーヒーにミルクを足す。マドラーでくるりとかき混ぜる。

「最中とおまえの共同任務、あの孤児院の件だな。資料は読んだ。
 ――随分最近だな。それでいて同棲とは、いやはや。
 下世話な想像もしたくなる、いや、若いな」

悪戯っぽく眼を細めてみつめながら。

「しかし原因がわかっているのに拗れたとは妙な話だ。
 一緒にどこかに出かければいい、簡単な話ではあるが――
 おまえがそれをしなかった理由はそこにはないと見える。
 時間を作らなかったとか仕事を開けなかったというより、
 "作れなかった"――、とか? ああ、仕事が忙しいとか、ではなくて」

神代理央 >  
「…貴様が気にしないのであれば、別に構わんが。『報告書に記載すべき内容』は、今回は無いようだな」

小さく溜息を吐き出して、それ以上の追及を控えるだろうか。

「……休め、だと?馬鹿々々しい。休んでいれば思い悩んでしまうから、こうして職務に励んでいろというのに」

彼女の言葉と指示を出した者の意向。
それらに僅かに舌打ちする様な荒さの気性を垣間見せながらも、それ以上の言葉も行動も無い。
そうあれかし、と命じられたのならばそうする。『組織』に従順な事は、己の美徳であると信じるが故に。

「……概ね間違いない。不思議なものだな。女とは、そういう事柄への機微に聡いものなのかね?」

昨日出会った女も、同じ様な事を言っていた。
女性が聡いのか、それとも己が疎いのか。
苦笑いを浮かべる彼女には、小さな溜息で応えようか。

「まあ、そうだな。未だ一月程度の事の話だ。
…ほう?《嗤う妖精》も、そういった事柄に興味を持つのかね」

と、揶揄う様な言葉は、目を細める彼女への応酬か。
或いは、気落ちする話題へ移る前の戯れか。

「………まあ、そう、だな。いや、どうなんだろうな。
作れなかった。確かに、そういった一面もあるかも知れない。
しかしそれは言い訳だ。時間が無かった訳では無い。
様々な事件に巻き込まれてはいたが、しかし――」

苦悩する様に、視線は徐々に下へ、下へ。
氷が融け堕ちていくグラスで視線が止まれば、思い悩む様な声色が、監視すべき対象である彼女に零れ落ちるだろう。

月夜見 真琴 >  
「さあどうだろうな。 "男"には相談したのかね?
 やつがれなどに吐いてしまう失態を侵すあたり、
 おまえには相談相手が足りていないとも思える。
 友人とか、先達――まあ委員会外のほうがいいな、
 沙羅を知らない者がいい。職場恋愛も、大変だな? ふふふ」

からり。グラスを揺らして、氷の音で笑声を隠した。

「やつがれをなんだと思っているのだか。
 尊厳があると言ったり、怪物扱いしたり、心外だな。
 恋にも愛にも、そそられるものは確かにあるとも。
 ――その様子だと、ためらいなく褥を共にしたな」

臆面もなく世捨て人はそう笑う。
優しげなまなざしで少年の様子をみつめながら、
彼の言葉があいまいになっていく様子に、そっと言葉を差し込む。

「――そうだな、質問を変えよう」

トン、とグラスを置いて視線を招く。

「女は、おまえと接して、恋をしてどう変わった? 
 正解のない他愛ない質問だ。
 ココアを飲んで思い出しながらで構わない。聞かせてくれ。
 おかわりが欲しくなったら、なんなりと」

神代理央 >  
「…同性の者には、相談はしておらぬな。
そもそも、こういった事柄に対して、私から相談を持ち掛ける事は無い。己の不出来を晒す様な真似は、な。
……それを『カッコつけ』だと、度々評されるがね」

苦笑い、の出来損ない。
半端な表情の儘、肩を竦めてみせる。

「ほう?《嗤う妖精》ではなく、月夜見真琴も唯の女、という事か。それはそれで、喜ばしい事ではあると思うが。
……まあ、否定はしまい。私も、年頃の男故な」

褥の話には、少し気恥ずかし気な声色で同意を示しつつ。
慈悲の灯った眼差しで言葉を差し込められれば、俯いていた視線は彼女の瞳とかち合うだろうか。

「…どう、変わった――か。
良い方向に変わったと思う。出逢った頃は、本当に無表情で無感情なものだったが。
今では、感情豊かで友人、知人も多い。とある事件では、危険を顧みず私の為に奔走してくれたりと、少々危なっかしい面もあるが」

促される儘に、グラスを傾ける。
半分程残っていたココアは、見る間に少年の喉へと吸い込まれていく。

「総じていえば『人間らしくなった』
色々と複雑な事情を抱える女故、気を揉む事もあるが…それでも今は、良い意味で成長したのだと、思う。
それが私と接したから、かどうかは、分からんがね」

月夜見 真琴 >  
資料上で読み解けるものよりも重視した彼の私見に、
静かな微笑みのまま、耳を傾けていた。
人間らしくなったという言葉に、あの旅館で見た姿を重ねれば、
おおよそその過去の在り方もなんとなくだが想像はついた。

グラスをもたげて一口。

「なるほど。 では、おまえは?」

真っ直ぐみつめたまま、語り終えた少年に対して。

「恋をして、どう変わった?」

神代理央 >  
空になったグラスを置く。
遮る液体も無く、氷がぶつかる音が涼やかに響く。

「――…私が?」

予想外の問い掛けだ、と言わんばかりに。
見開いた瞳が、彼女とぶつかる。
自己の変化。己の変遷。
『殺し屋』に狙われる要因ともなった、変化。

「……失う事を怖れ。傷つけていた事を自覚し。無法に砲火を振るう事を、止めた」

「大切なものを得たからこそ、今迄奪って来た者達にも、それがあるのだと知った。それを奪う事を、切り捨てる事を止めようと努力する様になった」

内心を語る、というよりは。
自分自身の変化の内を当てはめる言葉を探し、選び、それを読み上げる様な口調。

「――私は、弱くなった。嘗ての私なら切り捨てられていたものが、切り捨てられなくなった」

「それでも、切り捨てる者である事を望まれる。だから、それを演じなければならない」

「非道な鉄火を振るう者として、振る舞い続けていなければならない」

どう変わったか、という質問への答えとしては、些か不可解かつ不適当なものだろうか。
最早独白に近いのだろうか。己の変化を語るその様は、まるで他者の事を告げている様な風ですらある。
『神代理央』という少年の変化を。変化に伴う、己の立ち振る舞いのズレを。
感情の籠らぬ声色で、彼女に紡ぐだろうか。

月夜見 真琴 >  
「やつがれはおまえのことを話していたつもりだが」

質問を意外がられて、みつめられたら、愉しそうに笑う。

「それが一概におまえを弱卒に堕す変化かは言及はしないとして、
 女を語る言葉よりも確たるものを返してはくれている。
 そう、確たる答え――おまえの『公』の側面。
 もともと『私』を感じない男ではあったが、
 話してみれば、なるほど筋金入りの風紀委員だ」

しかし瞳は神妙に少年をみつめ返している。
膝の上で指を組み、軽く身を乗り出した。

「ふむ、ふむ。 そうか、なるほどな」

瞼を伏せて暫ししたあとに、うっすらと銀の瞳を開くと、
朗らかな笑顔で首をかしげた。

「そういえばレイチェルが此処に来てくれた。
 やつがれはこの島に来てからずっとこの邸宅に住まっているが、
 そうして二年余り、はじめてのことでな。
 手製の焼き菓子を土産にもらったよ。先達のそういうところ、ちゃんと倣っておけよ。
 ――で、だ。理央。 クッキー、どのように作るか知っているか?
 菓子屋の部活の営業を始めたと聞いている、すこし覚えがあるんじゃないかな?」 

神代理央 >  
「…いや、何というか。意外でな。私自身の事を、余り聞かれた事は無かったから」

恋人の事を問われる事はあっても。
己自身の事を問われた事は、そう多くは無い。
己の変化に言及したのはそれこそ――『殺し屋』くらいだろうか。

「…そうあれかし、と望まれ。そうあれかし、と育てられてきた。
公人であれと。他者を率いる者であれと。そういう教育を受けてきたからな。
……私の生い立ちなど、関係の無い話かも知れんが」

軽く身を乗り出した彼女を、静かに見つめながら。
ほんの少しだけ、零れる様に嗤う。

「……フン。やはり手土産が欲しいのではないか。なら次は、茶菓子の一つでも持って訪れてやるさ」

「……クッキーの作り方?材料を混ぜて、捏ねて、型を取って焼く。…それがどうかしたのか。まさか、今から私に茶菓子を作れという訳でもあるまい?」

一体何を、と言わんばかりに。
怪訝そうな瞳で、彼女を見つめるだろうか。

月夜見 真琴 >  
「――――そうか」

余り聞かれなかった、ということに対して、眼を伏せた。
僅かばかりの哀れみの色がそこにあった。
冗談のそれではなかった。深刻な病人を見る者の眼だ。

「はっはっは。 やろうと言うのなら手ほどきくらいはしてやるがな。
 材料も機材もある、帰りがけに作っていくかな?
 ――そう、概ねそのとおり。生地次第で味は変わるし、ベリーを混ぜれば彩りが良い。
 今度ネコマニャンの焼き菓子でも持っていったら喜んでくれるかな?
 型は便利だな。ケーキなんかも、その形の型があればとてもかわいらしく焼き上がる」

面白い冗談でも聞いたように、脚をぱたぱたと揺らしながら。
愉快げに笑って、肩がまだ震えたまま、彼に笑顔で向き直った。

「失礼を承知で、すこし突っ込んだことを聞くが構わないか?」

神代理央 >  
目を伏せる彼女に、不思議そうな色を灯した視線。
かの監視対象に、其処まで憂いを見せられる様な事があるだろうかと。
元より、他者から杞憂や心配といった感情を向けられる様な立ち振る舞いは避けている。であれば、それは当然の事なのだが、と。

「遠慮しておこう。私が菓子を作ったところで、碌なものにはならんさ。食べるのは好きだが、作る手間を考えればな。
……ね、ねこまにゃん?何だか良く分からんが、まあ、うむ、そうだな」

愉快そうに足を揺らして笑う彼女を――意外と幼く見える動作もするものだ――眺めながら。
気晴らしのアイスブレイクの様なものか、と思考を奔らせかけて。

「……別に構わんが。クッキーなら作らんぞ」

肩を僅かに揺らし、笑顔で尋ねる彼女に。
今更何を聞くのかと言わんばかりに、肩を竦めながら応えよう。

月夜見 真琴 >  
「おまえは周囲に型に嵌められている」

先程の、彼の述懐を噛み砕いて、言の葉に乗せた。

「金甌無欠の王者となるべく、その道を征く者。
 だがそれがおまえの本質というよりも、
 そう――もっと――そうさな、
 おまえは『周囲の期待に応えようとする』者と、やつがれは解釈した。
 貴族的、とでも言うのかな。その身に纏いつける覇者の気風さえ、
 おまえは誰かに期待されてそう在っている者、そんな気がする」

グラスを手に取り、喉を潤した。
視線を、フランス窓の外に向ける。
カーテンに窓枠の形が映る。その造形がまた好きだった。
穏やかな微笑のまま、世間話のように。

「そしてそのようにうまくいっている。
 おまえは、おまえ自身が勝ち得た信によって、
 同情や優しさを遠ざけてしまっているのだろう。
 『神代理央なら大丈夫』だ、と」

本人の自覚の上でもそうなのだろうと弁えることだ。
暁光のような彼の在り方とその異名は、
周囲にそう思わせるには十全だ――朋と呼べる者からすらも。

「――おまえはさっきこう言ったな。
 『彼女から好意を伝えられた』と」

視線を向けた。銀の瞳は真っ直ぐに『神代理央』を射抜く。

「おまえは、水無月沙羅の"期待"に応えようとした」

ちがうか?と、静かに問うた。そして。

「もちろんそれは、いまおまえが抱いている愛情の真贋を、
 まちがっても疑うものではない。
 "すきです"と伝えられて、それから芽生える気持ち、
 あるいは自覚するものもあろうからな。
 それがすべてでなくても構わない――そういうところがあったか。
 どれほどあったか、思い起こして欲しい。答えたくないなら構わない。
 これはあくまで前提の確認だ。
 そしておまえに、やつがれの話に付き合う義務はない」

神代理央 >  
「……何?」

彼女が発した言葉に、最初に向けた反応は疑問符を乗せてはいる。
しかし、その疑問符は彼女の言葉が違えているからではなく――
『何故言い当てたのか』と、勘ぐるからこその、疑問符。

「………画家など止めて、本当にカウンセラーでも目指したらどうかね。
ああ、そうだとも。自覚はしている。私は、周囲の望みに応えようと努力しているさ。
周囲の期待に。そうあれと望む声に。向けられる視線に。
全てに応えようと、努力は惜しんでいないとも」

其処までは、己も自覚している事。
『周囲に望まれるから』強く強大な指導者であろうとする。
そうなる為の『練習』として、学問や委員会活動に励む。
無論、全てがそうであるとは言わない。そういう性格、内面である事も事実。
しかし、しかし。何時の日か、黄金色の玉座に腰掛けるその日まで。
他者からの期待に応え続けようと、ずっと藻掻いてきたことも、事実。

「上手くいっている、と評してくれるのか。有難い事だ。
であれば、同情や慈悲を欲する事も無い。
私は、私の選択に常に矜持を持ち、その選択が違わぬ事を自負しているからな」

彼女の言葉に同意し、鷹揚に頷く様は。
正しく、彼女の言う様に『貴族的』な傲慢さを湛えたものだろう。
それが演技なのか本来の気質なのかは、もう分からない。
それが周囲の者の助けを遠ざけている事は、理解していても。


しかして、その態度は。尊大さは。
彼女が投げかけた言葉によって、ゆっくりと。風化する砂の城の様に崩れ落ちていく。

『想いを伝えた少女の"期待"に、応えようとしたか』

それは、それは――


鈍い音が響いた。
上質な素材のテーブルを叩き付けた、己の拳の音。

「――……っ……」

何か言葉を発しようとした。
激情の儘に、何かを叫ぼうとした。

しかし、それは叶わなかった。
言葉を発し得ぬ儘。拳を振り下ろした儘。
睨み付ける様な視線を彼女に向けた儘。
それでも、何も言葉を告げる事は出来なかった。

月夜見 真琴 >  
彼の様子に、目を細めて。
やがては伏せた。
グラスをもう少し傾けて、喉を軽く嚥下する。

「落ち着いたら、声をかけてくれ」

カウチにだらりと背を預けながら、
再び視線はカーテンの向こうを望む。

神代理央 >  
短く、永い沈黙。
口を閉じていたのは、恐らく1分も無かっただろう。
十数秒、その程度のものだっただろうか。
少なくとも、眼前で寛ぐ彼女には、大した時間ではないのかもしれない。

しかし、己に取っては永劫の様な時間。
何を言えば良いのか。何と答えれば良いのか。
――何と、答えたいのか。
思考は回る。周り続ける。堂々巡りで、答えを運んできてくれない。
嗚呼、しかし。それでも、それでも。

「………み、とめ、る。
あいつの、さらのきたいを、おもいを、うらぎらない、ように、しようと、すこしもおもっていない、とはいわない。
あいつのおもいに、こたえなくちゃ、とおもったことはぜろ、じゃ、ない」

「あいつの、のぞむこいびとを、えんじようとしていることも、みとめる。あいつの、りそうになろうとしているきもちも、ないとは、いわない」

「それに、こたえられないなら。それが、きょぜつされるなら。もう、てをのばすことが、こわい」

呂律は回らない。言葉はたどたどしい。
其処には最早『鉄火の支配者』と違反生徒に恐れられる風紀委員の姿は無い。
幼児退行、とはまた違う。極度な恐れ。
『期待に応えられない』事への過剰とも呼べる不安。恐怖。

それが少年を包む。
自分が発した言葉を罰する様に、強く拳を握り締める。
がたり、と音を立てて。問い掛けた彼女から逃げる様に。
カウチの端へ。少しでも『他者』から遠ざかろうと、身を捩る。

月夜見 真琴 >  
追いかけることはしない。今はまだ、だ。
カーテンに向けていた視線を、視線だけそちらに向けて。
注意深く見やる。

「残酷なことだ」

誰に対しての呟きか、それをグラスの氷に吹き付けた。

「その様子を見る限り、沙羅本人からだけではないな?
 だれか、身近な者であるかはわからないが、
 "そう在れ"という叱責を受けたことも、あるだろう。
 弱さを吐露せぬまま、ひた隠しにしてしまったがゆえに」

――『神代理央なら大丈夫』だから。
憐れむ言葉は、彼に直接降らせず、独り言のように。
そして彼は歪な形になっていった。
求められるがまま在ろうとした。

「辣腕の教育でもって《鉄火の支配者》で在れたおまえは。
 水無月沙羅からもたされた変化を処理できぬまま、
 ありとあらゆるものに、様々に《そう在れ》と求められ、
 持ち合わせていない『私』としての振る舞いすら期待され、
 それを誰かに助けを求めることもしないままに、
 ただひたすらに『自分が悪い』と、無力を恥じ続けていた。
 おまえは一体『何』になろうとしていたのかな?」

とん、とグラスを置き、立ち上がる。
テーブルの彼の拳が突き立った部分をなでた。
もともとこの家を使っていた家人が残していったものだという。
彼が身体強化系の異能を持っていなくて助かった。

「恋はひと夏の花火――勢いのまま駆け抜けて、
 ふたりぶんの愛情に潰され、軋みをあげてこの有り様か」

歩をゆっくりと進めていく。
端まで逃げた彼の傍に立つ。
唇に笑みは浮かばないまま。
冴え冴えとした銀の瞳が、彼の頭を見下ろして。



金糸の髪に、白皙の掌を置いて、
ぽんぽん、と軽く撫でてやった。

「―――つらかったな」

ただ一言、そう静かに言いそえた。

神代理央 >  
己ならばきっと何とか出来る。
何とかしなければならない。
――だから解決しろ。『周囲の望む様に』

それは最早、仮面だとかそういうレベルの話ではない。
生まれてからずっと。此の島を訪れてからもずっと。
神代理央は、唯周囲の期待に応えようとしただけ。唯、それだけ。
それだけのこと。

「…よわさを、見せられるものか。いや、ちがう。
『期待に応えようとしている』事など、だれにいえるものか」

それを伝えるという事は。
己の在り方を根本から否定する様なものだ。

「『何』になろうとしていたか?みんなが望む『私』にだよ。
全て全て、望まれるが儘に。
みんなの期待に応え、あいつの期待に応え、望みの儘に、あろうとしただけだ」

「――…だって、そうすれば。『皆が幸せになれるだろう』?」



彼女が、己の傍に立てば。
僅かに身を震わせて、俯く。
期待に応えようとした事を。期待に応えられぬ様を。
それを曝け出す事は、己の存在意義そのものが揺らいでしまう様な事だ。
『カッコつけている』と評された事は正しいのだ。
それが、神代理央にとっての全てだったのだから。

――ふと、頭に感じる感触。
恐る恐る、と目線を上げれば己の髪を撫でる彼女の姿。
銀色の瞳が、此方を見下ろして――

「………ハ、ハ。さあ、どうなんだろうな。
辛く見えるなら、そうなんじゃないか。
一体誰が『私』を見ていたのか。もう、わからない」

月夜見 真琴 >  
「願いは呪縛だな」

滅私奉公を自らに架した少年に、溢れるのは哀れみの吐息ばかり。
彼自身の意志、性格、欲動――そんな当たり前のものさえも、
だれかが望んだ鏡像なのではないかとさえ見えかねないほど。
あの白い少女と相通ずる無垢さを持ちながら、
先んじて他者の多くの期待を背負おうとした成れの果て、偶像。
力なき笑いに対して表情は変えず、ただ細指に金糸を絡め。

「――そうか」

目を伏せて、その頭を抱きしめた。
虚実の見えぬその腕のなかにでも、まやかしであるかもしれぬ優しさでも、
ただ神代理央を肯定しようとする。

「だれかに、言いたかったんだな」

耳元に告げてから、

「こたえなくていい」

思い通りにならなくていいと。

「――"自分を見てくれ"と」

この少年に、それを口にするのが。
どれほどの難行であったかは、想像するだに恐ろしい。
ただ少年と少女が、真っ直ぐ愛し合おうと、努力しているだけなのに。
ここまで軋まねばならないほどの数奇なめぐり合わせは、あまりに。
こちらからの感情は、些かも覗かせぬまま。

神代理央 >  
公人であろうとする事は、その点実に便利である。
ヒトは誰しも、他者と接触する時はある程度己を偽るもの。
特にそれが『組織』に関わる事であれば尚の事。
組織に努める者達は、皆が皆、大なり小なり何かを演じている。

であれば。そも全てが『演技』の様な少年にとっては。
公人でいる時間が長い事は、この上なく気楽な事だったのだ。
演じる事が自然な空間であれば、其処に違和感など感じる事も無いのだから。

「………いい、たかったのかな。分からない。どれが私のほんしんなのか、よく、分からない」

頭が、静かに抱き締められる。
《嗤う妖精》と謳われる彼女は、存外に、暖かく感じる。

「――だって、わたしが、誰も、みていないんだから。
『自分をみてくれ』だなんて、どのくちが、いえたものか」

何度も告げられた。
『もっと相手を見ろ』と。
ならばきっと、己には他者が見えていない。
自分が見えていないものを。自分が出来ない事を。
他者に強いる事は、出来ない。

それは数少ない、少年の心からの言葉なのかもしれない。
演技でも何でもない、単なる拘りの様な些細なもの。
けれどそれは、紛れもなく『神代理央』の言葉。

感情を覗かせぬからこそ。唯静かに、己を受け入れてくれるからこそ。
その腕を振り払う事なく、何処かぼんやりとした視線の儘。
彼女の腕の中に、その頭を預けているだろう。

月夜見 真琴 >  
「そうか」

うなずいた。
ただ彼の言葉にうなずく。

「おまえ自身が、自分のことをわからないというなら。
 まず第一に、おまえに必要なものは時間だろうな。
 ひとりでゆっくりと考えられる、内省の時が」

なにをしろ、とは言わない。
ただ、考えたままを述べた。
それをどうするかは、彼が自分で悩んで決めることだ。
どうしろ、とは言わない。言えるわけもなかった。
優しく頭を撫でながら、ささやく甘い声は続く。

「おまえには、恋愛はまだ早いのかもしれないな」

きっと、"まだ"。
何もかも。受け入れる準備が整っていなかった。
求められるまま、期待されるままに変質した姿だ。

「水無月沙羅も相応に、過去を、痛みを背負っているのだろう。
 やつがれが、ただ資料を読み解いて得たものでは、及びもつかぬほど。
 "風紀委員会"という世界で、ただ生きて、もがいて。
 神代理央が水無月沙羅のために尽くして、
 水無月沙羅が神代理央のために尽くしたならば、
 おまえたちには――貸し借りが、多すぎる。
 ふつうの恋愛を、ただ恋人をするだけでも、くるしいほど」

職場恋愛、とはよく言ったものだった。
彼等に逃げ場はあったのだろうか。
力を抜いていい理由が、どれだけ存在していたのか。
どれほど失敗が、許されていたというのだろうか。
顔を僅かに離し、茫洋としていた瞳を、間近から覗き込む。

「――理央、なにがみえる?
 みえるがままをこたえてくれればいい」

神代理央 >  
「じか、ん。時間…か…」

思えば、確かに時間などなかった。
物理的な時間、というものは勿論。
自らの事を『考える』時間が、圧倒的に足りなかった。
今の現状を振り返る暇も無く、唯求められる姿を演じるのに必死だった。
――だから、公人としての立場に逃げたのかもしれない。

「……はやい、早いか。そうか。私はまだ、未成熟だった、のかもしれんな」

恋人である彼女を受け止める事も。
「理想」である必要が無いと学ぶ事も。
それらの期間を経ぬ儘に、駆け抜ける様に今がある故に。
慟哭すら許されず、皆の求める『神代理央』で有り続けた。

「……そうか。そう、なのか。
わたしはただ、ほんとうに。さらにしあわせになってほしかっただけなのに。
『普通』の幸せを、てにいれてほしかっただけなのに。
もはや『普通』ですら、なかったのか」

己は一体、恋人に何をあげられていたのだろうか。
共に過ごす時間も無く、理想にも応えられず。
公人に逃げて、その手を振り払われた。
何と情けない話か。
『私を視ろ』といった恋人の言葉に、結局答えられぬ儘。

そうした思考は、彼女の言葉によって静かに遮られる。
力無く、此方を覗き込む銀の瞳を見返す。
投げかけられた言葉には、ただ、一言。

「……いまは、おまえのかおしか、みえないよ。つきよみ」

感情の籠らぬ儘、静かに微笑んだ。

月夜見 真琴 >  
「そうだ」

そう告げて、身体を離す。

「おまえたちは、最初から"近すぎた"んだ」

寝所を共にし、公私を共にし、苦楽さえ共にした。
互いが互いを、そうとしか見えなくなるほど。
そもそもの食い違いを、修正する暇もないままに。

「単純な話だよ」

薄明に見落としをするような、と。
彼の頭をぽん、と撫でてやる。
"時間"が必要だった。今はただ、それだけだ。

「恋の熱病にうなされて――そのあまりの衝撃に価値観をゆさぶられても。
 "こうするしかない"と思えたことが、"それがすべて"としか思えないものが、
 ――"最悪の選択"であることなど、往々にして存在する」

独り言のように呟きながら、グラスを片付ける。

「たとえ一端、"ひとり"になっても。
 おまえたちには腕章というわかりやすい繋がりが残り、
 育んできたものたちが、なくなるというわけではない。
 行き詰まったら視点を変えるというのは、
 絵の、いやそれに限らずとも基本にして要訣だ。
 すこしばかり距離を置いて、いままでの関係ではなく、
 ひとたび、"神代理央"と"水無月沙羅"になってもいいんじゃないか。
 そうであっても、まあ何かあるんだろう諸問題には立ち向かえるだろうし、
 離れることは終わりではないだろうさ」

完璧であれないなら、色々試すしかない。
曖昧な基盤に、砂で楼閣を築くような自傷行為であるのなら。
より強固に結ばれるために、より確かな信頼を得るために、
よりはっきりとした理解を得るためには、
一度――絡まった糸を解く、という選択もある。

「それはそんなに罪深いことだろうかな」

"そんなこと"で、たやすく水泡に消える程度のつながりなら、それまでだ。
そのほどは自分には計り知れないことだ。
助言は、それまで。少しばかり陽が傾いている。

「――これ以上、やつがれとの会話は必要ない。
 好きなだけ休んで、帰りたい時に帰るといい。
 もう少し残るというなら――そうさな」

時間を見る。引き受けてしまった以上、面倒を見るのが先達の役割。

「なにか食べたいものはあるかな?」

そう微笑みを向けた。

神代理央 >  
「"近過ぎた"か。……そうだな。少なくとも、結果論からいえば、そう、なる」

それを否定したくても。
結局、彼女を傷付けた事は事実なのだ。
そしてそれは、己と恋人を俯瞰した彼女から告げられる事で有るならば。
恐らく、その通り、なのだろう。
離れていく彼女を、ぼんやりと視線で追い掛ける。

「……"最悪の選択"か。耳が痛いことを、いう。
わたしの信条は、選択を違えないこと、なんだがな」

「"神代理央"と"水無月沙羅"になる、か。
むずかしいな。それに、どうすればよいのか、よくわからぬ。
それがつみぶかい事がどうかも…考えることが、こわい。
……だから。よくわからぬから、考えるさ。わたしにひつようなのは、時間、なのだろう?」

絡まった糸を解く。
奇怪に絡まり、互いを傷付ける糸を。
それが、どういう形になるべきなのか。そも、どうすれば良いのか。
今の己にはわからない。何も分からない。
――分からないから、きっと。必要なのは考える時間、なのだろう。

「……すまないな。気を遣わせてしまって。
ああ、それなら。夕食まで、ご相伴に預からせてはくれないか。
――どうせ家には、帰っても誰もいない」

「食べたいもの、食べたい、もの。………はんばーぐ、かな。添え物に、グリンピースは出してくれるな。あれは、きらいなんだ」

もう家に帰っても、食事を取る気力も無い。
そも、誰もいない家に帰ろうとも思わない。
だから、彼女の提案に。穏やかな言葉に甘えて――


「……なあ、月夜見。私は、お前をちゃんと『見ていられたか』?」

月夜見 真琴 >  
「――はっはっは! 雪兎が喜びそうな注文だな。
 いいとも。では人参も茹でようか、甘くしてやる。
 やつがれはあれが好きでな。できるまでそこでくつろいでいてくれ。
 ああ布がかかっているやつは見るなよ――うん?」

結っていた髪を解き、キッチンに向かおうとして。
問いかけられると振り向いて、少し考える。
『見ていられたか』か。

「――『急ぎすぎ』だな」

苦笑した。
見ようとすることは大事だが、彼に必要なのは内省の時。
それでも今なお、『他人を見なければならない』と思っているなら、それは呪いだ。
余裕がある時でいい。今は目を閉じていてもいい。
自分のことは見なくてもよい。
風紀委員会の備品。《嗤う妖精》。世捨て人。
それだけだ。

それでもそうしようとしてしまう彼に、労いの柔らかな声をかけて。

「ゆっくり休んでいろ。せっかくの暇なんだ。
 やつがれの日常の気分でも、すこし味わっていくといいさ」

そうしてキッチンに引っ込んでいく。
食事中にも、余計な会話はしない。彼に何をしろとも言わない。

神代理央 >  
「……アイツと同じ扱いか。いや、それはちょっと…まあ、良いか」

まさかあの同僚の女子と同じ様な注文をしてしまうとは、と。
漸く紡ぐ言葉にも理性と力が少しずつ戻り始めた頃。
ふと、何気なく。
本当に何気なく投げかけた問いに、考える様な素振りの彼女。

「――そうか。『急ぎすぎ』か」

小さく、笑う。
肯定でも否定でも無く、ただ『急ぎすぎ』だと告げる彼女。
己の悪い癖。或いは、呪縛。
それを解き放つのは、本当に。
『時間』が、必要なのだろう。

「…御言葉に、甘えさせて貰おう。
すまない、何だか少し、疲れ、た――」

緊張の糸か。或いは、激情にすら至れぬ儘感情の熱か。
ほう、と息を吐き出して、カウチに凭れる。
彼女が料理を終える迄、唯静かに。静かに微睡んだ。

無駄な言葉を交わさない、心地良い夕食を終えれば。
彼女に礼を告げて、夏の夜道を独り、帰路につくことになるのだろう。
明日からはまた、何時もの日常。
『神代理央』を、演じる日々が始まる。

ご案内:「邸宅内のアトリエ」から神代理央さんが去りました。
月夜見 真琴 >  
 
 
 
 
「――"自分を見てくれ"、か」

廊下を歩み、ひとりごちる。
言葉はもう、闇の向こうの星には届かない。
先日改めて味わった、背に落とされる冷たい絶望。
それでも。それゆえに。このように、在り続ける。

みずからの"正義"が、なにひとつとして見返りをくれなくても。
 
 
 
 

ご案内:「邸宅内のアトリエ」から月夜見 真琴さんが去りました。