2020/08/25 のログ
ご案内:「邸宅内のアトリエ」に月夜見 真琴さんが現れました。
月夜見 真琴 >  
 
 
――『これ、つまらない』
 
そう言った時の祖父の困ったような顔を覚えている。

――『こんなのより絵が描きたい』

そうか、と一言で了承してくれたのは通じるものがあったからだろう。
家族が皆言う通り、自分は祖父に一番近い性格なのだ。
いまも壮健な人だ。連絡を取るたびにそれを実感している。

それは思えばひとつの「選択」であった。
人生を捧げるか否かの岐路に幼少の頃に直面し、
みずからの道行きを自ら選んだというある種の"神秘体験"のおかげで、
すこしばかり浮ついた問題児ができあがったのかもしれない。
 
 
 

月夜見 真琴 >  
 
 
まあ容易い道ではない。
なにせ、その"神秘体験"によって激変した価値観は、
あまりにも簡単に諦念の境地へと人格をいざなう。

魂は愉悦を求める。
心は極彩を求める。
肉は苦難を求める。

白黒はっきりつけるよりは、と。
やりたいという気持ちばかりで選んだ道にも、
いくらかの才はあったが、たとえばそう――
祖父にも恩師にも及ばぬ未熟さには恥じ入るばかりで、
しかしだからこそこの唇には常に笑みが宿っていた。

いつか。
言われた気がする。
誰かが言っていたのを聞いていただけかもしれない。
 
 
 

月夜見 真琴 >  
 
 
"選んだ道を――"
 
 
 

月夜見 真琴 >  
「………………あ」

寝心地の良いチェアはよく、こうなる。
スツールで描く昔ながらの芸術家へのあこがれは、
この矮躯の将来的な不安を考えて最新の人間工学への妥協に行き着く。

時計を仰げばあまり時間は経っていなかった。
あくびをしてから目を擦り、描きかけの絵に向き合う。

「勢いあまって喧嘩になっていなければいいが」

見舞いに向かった同居人を見送ってから絵に向かい、
だいたい2時間余りだ。寝不足だったらしい。
湿気があるせいであまり飲み物や食べ物が長持ちしない中、
信用できる未開封のペットボトルを開いて、錠剤とともに喉を潤した。

月夜見 真琴 >  
同居人から「連絡が来た」という報せを受けたのが昨晩。
カーテンの閉ざされたフランス窓を見やる。
そこからでも伺えるぎらぎらと眩しい日差しを思うとげんなりした。

「まあ、一週間で出てこられるなら行かずとも良いだろうさ」

見舞い品は持たせてやったし、それ以上の義理はない。
夏季休暇の残りはすくなく、バーベキュー大会の際に描いたものを課題とするとして。

――"これ"をどうするか。
深く椅子に身体を沈めて、脚を組み、拙作を見やる。
完成は近かった。

「題は……"なくならないもの"、とか」

月夜見 真琴 >  
 
 
「くだらんな」
 
 
 

月夜見 真琴 >  
あまりに、ひどく。そう思えた。
三日月の笑みが浮かんだ唇はそう嗤った。

"あのひと"にとって――この絵がどんな意味合いを持っているのか。
それを思えばこそ、そんな題をつけられたはずもなかった。
指先でなぞる。描かれた肖像を同居人に見せたくなかった理由はある。
ひとつ屋根の下、現在も色を乗せている作品を見せないのに限度もある。

「なくならないものに、価値はあるのだろうか」

ささやくような甘い声で、ひとりごとをうたう。
なくならないもの――それが欲しいという気持ちが、痛いほどわかるからこそ。

「なくしたくないと思う気持ちこそ……」

次第に、心は陰り、顔は俯く。
胸を抑えてうめく。なくしたくない気持ちがそこにある。
奥歯を噛み締めながら、生きるのだ。
追い詰められた少年の哀訴に心臓をえぐられ、
孤独につかれた少女の本音に血を沸騰させられても。

月夜見 真琴 >  
前髪の隙間より、その肖像を濁った瞳で睨む。
なくならないものが欲しいとあの少女は言った。
なくならないものであろうとするにはどうすればいいのか。
あまりに弱々しい熱に抱かれながらずっと考えていた。

「ちゃんと選べるのかな……」

ぽつりと呟かれるのは心配と懸念。
"正義"のための行いが、夏の花火と消えるような、
そんな終わりばかりは――たとえそれがどれだけ美しくとも、
あまり想像して気持ちの良い話ではない。

「……岐路は、もうすぐ来るかもしれないよ……」

予感がせめて杞憂であってほしいと思うとともに。
筆をとった。
透き通るような妖しい紫紺色をそっとカンバスに。
憎悪の燃える銀色で見据えながら。

月夜見 真琴 >  
 
 
「ねえ―――レイチェル」
 
 
 

ご案内:「邸宅内のアトリエ」から月夜見 真琴さんが去りました。